十七話 新たな協力者


 夕方になると太陽の赤々とした美しい姿が濃の部屋からは見ることができる。

 日が薄れて寒くなってきたので部屋には炭火がいれられている。それに当たりながら、文の確認などを行っていた濃と衛門は、その気配に二人同時に顔を上げた。


 決して自己主張をするわけではないが、一定間隔で近づいてくる足音がする。

 二人は作業の手を止めると、襖にゆっくりと座ろうとする人影が写りこんだ。


「姫様、よろしいでしょうか。呼ばれていたものでございます」


 襖の向こうから聞こえるのは、落ち着いた濃たちよりも少し年上の女の声だった。


「ありがとう、入って頂戴」

「失礼いたします」


 ゆっくりと部屋に入ってきたのは緑色に鳥の刺繍が施された着物を着た女だった。


 きちんと着られた高価な着物といい、艶やかな黒髪といい、文句なしの侍女と言った風情である。

 目元の当たりは少し垂れ目で衛門とその面影が似ているが、ある一点で非常に奇妙だった。


「御久しゅうございます、御変わりはありませんか」

「久しぶりね、今は大丈夫よ。近衛の方はどう」

「おかげさまで、万全の状態でございます」


 近衛は織田家で時折お鷺の代わりを務めていた為、濃とも知った間柄であり、和やかに言葉が交わされる。

 お互いの再開を喜びながらも、濃は半分感心したような、呆れたような気持ちで近衛の顔をしげしげと見た。


 近衛の顔、そこにまるで表情がないのだ。

 人形か絵の中の貴婦人であるかのように、彼女のその眼にも唇にも感情は見いだせない。言葉も淡々と一定調子で、全てが全て他人事のようなありさまだった。


 そのひどく奇妙と言ってもいい様子に濃も衛門も最初は驚いたが、人間とは慣れる生き物なのである。


「近衛、仕事の方は大丈夫だった? 急に呼び寄せちゃったけど」

「ええ、私の方は。お気遣いいただきありがとうございます」


 お礼を言いながらも彼女の顔は驚くほどに全く変わらない。

 こう奇妙だと人々から怪訝に思われ忍びとして動けるのか心配にもなるが、驚くことに彼女は非常に優秀で、十兵衛曰く、美濃ではくのいちの五本の指に入るらしい。


「状況は十兵衛から伺っております、私にお任せください」

「ありがとう、近衛」

「姫様、今の私は近衛ではなく鷺でございます。鷺としてお扱くださいませ」


 近衛は相変わらずの顔で濃をいさめた。絵面的には少々無作法なものであるが、濃は気にすることなく頷いた。


「そうだったね、確かにぼろが出ないように今から呼び慣れておくべきかな。お鷺、いろいろとお願いね」

「はい、精いっぱい務めを果たします。織田家に不慣れな点も多い為、衛門殿にも手助けいただけると有難いです」

「私の方こそ手が足りなくて困っていましたから、経験豊富な近衛殿がいていただけると心強いです」


 親戚だというのに衛門の様子は少々ぎこちなく、他人のようだった。

 だが先日まで存在を知らなかったのだから、それも無理はないことなのだろう。

 挨拶が一通り済んだため衛門がふすまを閉めると、部屋は薄暗くなる。


「さて、それでは策を弄する、ということでいきましょうか」


 先ほどまでの朗らかなものとは一転変わり、刃のような緊張感と不穏さを携えた声音だった。

 濃が姫君として豪奢な格好をしているからこそ、薄暗闇での彼女は圧倒的な存在感を持っていた。

 衛門が彼女の豹変を合図にするように、衛門が部屋の隅にあったえんじ色の風呂敷を三人の輪の真ん中へと置いた。


「衛門殿、これは?」

「姫様のすごろくですよ、道三様が持たせてくださっていたのですが――こんな局面で出で来るとは思っていませんでした」


 風呂敷包みをほどくと、漆塗りで金の装飾が施された立派な盤と、同じ漆塗りの丸い小さな箱が現れた。どちらも梅の花が描かれており、一目で立派なものだと分かる。


「改めて見ると、凄いものだね」

「そりゃあ、道三様が姫様の為に特別に用意なされたものですから」


 この場合の特別には父から娘への愛情という印ではない、この豪華であれども絵柄が家紋などの特徴的な物でないこれは、いざという時に資金源にできるようにという計らいの特別な品だった。

 しかもご丁寧にこの盤はからくりになって居て、中の隠された空洞に金子を仕込めるという機能付きである。実際、行きにはそこに金子が仕込んであった。

 近衛がしげしげと盤を見ながら、濃に問いかけた。


「姫様はすごろくが得意なのですか?」

「決まりや作法は分かるけれど、得意かどうかは微妙かな。美濃にいたころはほとんどやっていなかったから」


 何しろことはすごろくである、運が大きくかかわってくる勝負では、得意というよりは流れを引き込めるかということにかかっている。


「ただ、今回の勝敗は勝負で決まらない」


 そういうと濃は漆塗りの駒を手に取るとひっくり返して、二人に見せた。


「例えば私の命が勝敗なら、勝負のスキをついて暗殺すればいいだけ。食べ物や飲み物はもちろん、こういう小道具にだって仕込みはできる。曲者が乱入してくることだって考えられる」

「土田御前とて、直接的に姫様を害せば美濃と全面戦争になることぐらい承知なはず。わかりやすい真似はしないでしょう」


 土田御前が濃を毛嫌いするのは、多少は本人たちの性格の問題があるとはいえ、濃が信長の正妻であるという事実が信行を家督から遠ざけているという点だろう。

 彼らにとっては濃が信長に嫁いだことが問題なわけで、現当主織田信秀が美濃と手を組んだ事実にまで逆らうつもりはないはずだ。


「うん、それは私も思うよ。だからこの場合の勝敗は別だと思う」


 そういうと濃はある可能性を思い、二人を見た。


「これは可能性の範疇だと思って聞いてほしいんだけれども、今からいう事態になったときに二人にはある振る舞いをしてほしいの――美濃のために」


 宵始まりの風が閉ざされたふすまをがたりと震わせた。


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