アルコールで異文化交流(Ⅱー伊国編)
次は、とあるイタリア人との出来事。
レセプションは下っ端同士の交流の場にもなる、と先ほど書いたが、実際私は、レセプションを通じて、自分と同じような臨時通訳要員の立場にある部内の人間や大使館の事務員たちと出会う機会に恵まれた。
彼らは年齢も近いので話しやすい。仲良くなると仕事を離れた付き合いが始まり、時々一緒に飲みに行くようになった。
ただし、大使館側の「飲み仲間」の大半は本国から派遣されてきた人間である。酒の席に日本語を解さない人間が一人でもいれば、英語ネイティブがいない場でも必然的にコミュニケーションツールは英語となる。
飲みながらの英会話はなかなかキツイが、そこは酒の席、間違えても「ご愛敬」で済ませてしまえる。
英語ネイティブの相手はテレパシーを働かせてこちらの意図を酌んでくれるし、非英語ネイティブが相手ならお互い細かいことは気にしない。
英語を母国語としない者同士の英会話は、実のところ、英語ネイティブと話す時よりはるかに意思疎通が図りやすい。双方ともにぼちぼちペースで話すので、ナマっていてもかえってヒアリングが楽なのだ。
へっぽこ英語を使う者同士、ますます親近感も湧いてしまう。
ある時、私と同じく臨時通訳要員を務める部内の友人から、「イタリア人と飲みに行くことになったので一緒に来てくれないか」と連絡が来た。何でも、イタリア大使館勤めの人間からお誘いを受けたという。先方は、「ジャパニーズガール」と飲みたがっている職場仲間のために一席設けようとして、友人にコンタクトしてきたらしい。
つまり、国際合コンということか。面白そうだ。それに、三対三なら特に問題もなさそうだし。
仕事のスケジュールを確認すると、合コン日は特に忙しくもなさそうだった。私は上司に「大使館の人とちょっと会合が……」と適当に言葉を濁して、その日は残業したくないという意思表示をした。
普段は口の悪い上司から難なくOKをもらうと、早速、友人に出席の意を伝えた。
合コン当日、友人は同期の女性を連れて待ち合わせ場所にやって来た。初対面のその同期さんと二言三言話すと、この彼女も相当に酒好きな人間だということが分かった。
酒つながりで友人関係が増えるのは、全くもって幸せなことである。
女三人ですっかり意気投合しているところに、イタリア人男性三人がやって来た。南欧の人間は思ったほど背が高くはなかったが、イメージどおり目鼻立ちのはっきりした濃い顔をしている。
取りあえず、幹事役の友人を中心に、どうもどうもと英語で挨拶を交わす。それから、彼女の先導で移動し、入り口に暖簾の掛かった和風居酒屋に入った。「ジャパニーズ・バーに行きたい」と先方がリクエストしていたらしい。その和テイストな雰囲気に、イタリア勢はすでにテンションが高くなっている。
席に座って、取りあえずビールを頼んだ。日本語訛りの英語とイタリア語訛りの英語で、互いに自己紹介などしていると、ほどなくしてジョッキが六つ出てきた。
乾杯しようとして、友人の一人がふと尋ねた。
「イタリア語で『乾杯』って、何て言うの?」
すると、イタリア大使館側の幹事が待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「僕たちの言葉では、『CINCIN』って言うんだ」
「CI」の部分は「チ」と発音する。つまり、チン……。な、なんか妙な語感だな。
女性陣が一様に困惑の表情を浮かべると、彼は、ただでさえ表情豊かな顔をニマリと緩ませ、こちらの様子をうかがうような目つきで言葉を継いだ。
「ああ、『CINCIN』が日本語でどういう意味になるのか、知ってるよ」
……この野郎。アメリカ人のアホさんに比べたら、ずいぶんとド厚かましいじゃないか。
言葉を失っていると、そのイタリア人幹事は、仲間二人に何かひそひそと耳打ちしている。耳打ちされたほうは、目を丸くし、口をぽかんと開け、そして揃ってこちらを見つめてきた。
こいつら、何を期待してるんだ。欧米は日本よりセクハラ問題に敏感だと思っていたが、地域によって価値観は結構バラバラなのか。それとも、職場を離れれば話は別、ということなのか。
ちと意表を突かれたが、そっちがその気なら、受けて立とうじゃないか。
私が日本側幹事である友人のほうをちらりと見ると、彼女も意味ありげにこちらを見返してきた。この日初めて会ったもう一人の友人も、うむ、と言わんばかりに頷いた。類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、二人とも、国際合コンにのこのこ出てくる私と同じ性格らしい。
女性陣三人は意を決してジョッキを掲げた。そして、イタリア勢が何か言うより早く、「CINCIN!」と盛大な乾杯コールをしてやった。
先方はパニック気味になって喜んでくれた。
我々は日伊友好の役割を立派に果たした。これから先は逆襲に転じてやる。
つまみのメニューを見ると、白子のポン酢が目に入った。よし、こいつをオススメしよう。奴らがひと口食べたところで、「共食い!」と冷やかして、思いっきり赤面させてやる。
一人で己の悪企みにほくそ笑んでいると、パニック状態から回復したイタリア勢が、お国の話を披露し始めた。イタリア訛りの英語が続く。
そうだった。この場での使用言語は英語だった。「白子」だの「共食い」だのという言葉を英語で説明できるだろうか……。今なら翻訳サイトを使って無粋な解説も可能だろうが、その当時は翻訳ツールを何も持っていなかったのでお手上げである。
言葉で通じなければジェスチャーで伝えるしかないが、それは最も避けたい事態だ。
仕方がない。シンプルな作戦に変更することにした。私は、はしゃぎまくるイタリア人たちに飲み物のメニューを見せた。
「せっかく『ジャパニーズ・バー』に来たんだから、『ジャパニーズ・サケ』も試してみない? ワインみたいで飲みやすいよ。あまり強くないし」
嘘は言っていない。「ウィスキーやウォッカに比べたらあまり強くない」という部分の前半を省略しただけである。
すっかりノリノリのイタリア勢が「じゃあ、ちょっとだけ」と言うので、少しお高いが吟醸酒を注文した。透き通るような清らかな味に、彼らはいたく感動し、あっという間にほろ酔い気分になってくれた。
しかし、酔いが回って大人しくなるほどではない。欧米人は想像以上にアルコールに強いらしい。
吟醸酒作戦も失敗か、と心の中で悔しがっていると、イタリア側の幹事がその吟醸酒を追加してくれと言ってきた。
「このお酒、少し高いよ。大丈夫?」
イタリア人にとって、東京都心の物価は決して安くはないだろう。しかし、彼の答えは私の想定外だった。
「ノープロブレム。今日の飲食費はキミたちの分も合わせて大使館の経費で落とすから。バカ高くならなければオッケーさ」
何ということだ、それを早く言ってくれ。逆襲作戦は中止だ。
日本勢は有難くタダ酒タダ飯をいただき、アンコールに答えて数回ほど「CINCIN」の乾杯をした。双方ともに、すっかり上機嫌で散々に飲み食いし、無事に国際合コンはお開きとなった。
そういえば、六人分の飲食代金が「バカ高く」なったかどうかは確かめないままだったが、この時の経費が無事に「日伊友好親善のための交際費」としてイタリア大使館の経理に認められたか否かは、私の関知すべき問題ではない。
翌日、私が始業ギリギリに出勤すると、すでに上司が仕事を始めていた。口の悪い彼は、「おう、もう来たのか。今日は重役出勤かと思ったぜ」と、嫌味な笑顔を向けてきた。
「すいません。昨日は、イタリア語で乾杯を何と言うかでひと騒ぎありまして」
「イタリア語? 確か、チン……」
博識ぶりを披露しようとした上司は、途中で口を閉じ、私をじろりと睨んだ。
「今、俺を陥れようとしなかったか?」
口の悪い彼は、意外と用心深かった。
イタリアワインを飲むたびに、考えることがある。それは、全世界に存在するありとあらゆる「日本では変な語感になる言葉」を収集し、懇切丁寧な解説まで入れた「辞典」のようなものを編纂できないか、ということである。各国政府や世界的大企業に売り込めば、それなりに需要はあるのではないだろうか。
もっとも、語感の悪い単語を使わずに生活するのはかなり難しい。特に、世界平和に大きく貢献するキーワードの一つである「乾杯」なくして国際交流を深めることは不可能に等しい。
この重要な単語がイタリア語で「CINCIN」であるという事実は日伊両国にとって極めて不幸なことだが、二国間に立ちふさがるこの壁を乗り越えてこそ、真の友情が芽生えるというものであろう。
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