第2章(ルヴァーンの手紙)その4

 人魚の話を聞いた私の胸に宿ったのは、彼女の歌をもっとその心にふさわしいものにできないかとの思いであり、願いだった。滅びの定めに置かれたことで彼らの歌が破滅をもたらす挽歌と化したのなら、その歌をいま一度、より幸せなものにできないだろうかと思ったのだ。出会うこともできぬ仲間に空しく呼びかける歌ではなく、奇しき縁で結ばれた者たちに向けた歌であってもいいのではないか。挽歌を歌うしかない生き様をよしとせず人間の村を訪れた彼女の心にふさわしい歌。元来その麗しき声が破滅や滅びしか歌えぬものでなかった以上、それは見い出せぬものではないはずだったから。

 そして無からなにかを創り出すだけの才を持たぬ私にも、この麗しき海魔のためにできることはあったのだ。苦闘の日々の研鑽が報われ、彼女の心を開く鍵になったあの憂いの旋律を核とした変奏曲の構想が、私の脳裏には浮かんでいたから。展開の道筋を私は彼女の話に求めた。なぜならそれはどこまでも、彼女自身の歌であるべきものだったから。


 私の話を聞いて、人魚はとまどったようだった。けれど嘆きの旋律を例にして私が変奏してみせると、彼女は私の意図をすぐに理解した。そして私の求めに応じ、嘆きの旋律を形作る音から水中を優美に舞うような旋律を導き出した。それは人魚族の似姿であり、彼女はそれをカノン風に組み合わせたとき、最も調和して響きあうよう整えた。それは母と仔の似姿であると同時に、遠い昔ともに波間を泳いだ仲間たちのイメージも重ねられたらしかった。彼女がその部分を歌ったとき、相似形を成す二つの旋律を取り巻くように無数のこだまが呼び交わすのを私は聞いたのだったから。このこだまの効果だけは、私の能力ではどうしても楽譜に書き表すことができなかった。

 二つの旋律のうち一つだけが取り残され挽歌と化す部分の扱いは配慮を要した。彼女が母から伝えられた旋律は私が探り当てたものと少ししか違わなかったが、人魚の声で歌うと深さがまるで違うのだった。引き込まれるような憂いのまま長く歌われるのに懸念を覚え、私は多くの部分を私が探り当てた旋律に置き替え、最も深く沈むべき部分に一度だけ、本来の形で登場するようはからった。それがどの場所かは、楽譜を注意深く見ていただければわかると思う。その旋律こそ人魚族が伝える本来の歌なのだ。

 そしてその部分に続けて、彼女は挽歌の旋律に含まれていない音を主体とする短いモチーフをちりばめ始めた。それが人魚から見た人間の似姿なのは明らかだった。それまで使われていなかった音が加えられたことで、そのモチーフは新たな局面を音楽にもたらした。自足的な調和が失われ、人魚の似姿の旋律は不安定な足場の上で懸命にバランスを探っているような趣きだった。


 本当に驚くべきことだった。ほんのいくつか変奏の例を示しただけで、彼女はその技法を駆使して求める表現を自在に引き出していたのだ。だから私は曲の結びの部分については、もうなにも指示を出さなかった。ただ自分の思うように、感じるままに曲を結んでみるよう促しただけだった。

 そして私は気づいていた。人魚が曲をどう結ぶかは、この村にやってきたことを最終的にどう感じているかを示すことになるのだと。だから彼女が短いモチーフの新しい音との調和点にたどり着き、憂いの影を浄化するような慰謝の響きで曲を終えたとき、私は落涙を禁じえなかった。



 東の水平線から顔を出した太陽が最初の光を投げかけた。その光に払われたかのように、私の心からは憂いの影が消えていた。青みを帯びた鱗に銀色の光を散らす麗しき妖魔のかんばせにも、満たされた表情が浮かんでいた。

 すると村人たちがやってきた。村長アギを先頭に、砂浜をゆっくり歩いてきた。誰もが目に涙を浮かべていたが、それは悲しみゆえのものではなく、浄化された涙だった。彼らは夢の中で妙なる歌を聴き、心閉ざす憂いが清められてゆくのを感じたと口々にいった。

 そして集まった人々の前で、人魚はもう一度歌ったのだった。はにかんだような、けれど幸せそうな表情で。そしてその思いは彼女の歌にいっそう柔和な趣きを添え、私たちの心にしみ入ったのだった。



 こうして私は人魚に会い、その歌を書き留めることができた。それが昨夜から今朝にかけてのことだったが、それまでの長かった日々も、こうして振り返ると同じ一夜の夢での出来事だったとさえ思えてくるほどだ。

 それでもこの手紙を書くことで、定まらなかった思いや考えをずいぶん整理できたように思う。読みにくい手紙につきあわせてしまい、すまなかったとは思うが。


 とにかくこの楽譜は急いで送りたいと思う。あなたには多大の援助を仰いだばかりか、いろいろ心配もかけてしまった。だからこの旅の成果は約束どおり、あなたのもとへ送るつもりだ。

 だが私はこの曲を、もう自分で公表しようとは考えていない。今回のことは自分のこれまでの考え方を、根こそぎ変えてしまうほどの体験だったと今にして思う。私は名声を欲するあまり、なにか新規な技法を期待して人外の歌に手を伸ばした。かりに手に負えなくても、持ちかえりさえすれば有名になれると見せ物師まがいのことまで考えていたのだ。ただただ自分が恥ずかしい。


 私は彼女に教えられた。人魚の歌がああいうものになるのは、彼らがその思いに自身の取りうる手段を駆使して最もふさわしい形を与えようとするからであり、人間が手段だけまねても意味がないのだと。人間にも人間にしかなしえない音楽があるはずで、きっとそれはこの大陸のあちこちに、風土や歴史の反映としての多様なありかたで伝えられているに違いない。その尊さを私は知ることができたのだ。

 そもそもこの楽譜は私の曲などではない。私はほんの少しヒントを出しただけで、あとはすべて人魚が自ら作り出したものだ。そんなものを自分の名声の礎にしようという考えが間違っていたと今にして思う。だからもう私は、自分の名前をいかなる形でもこの楽譜と関係づける気になれない。


 もちろんあなたが私を援助してくれた以上、あなたはこの曲に権利を持つ。そのことは否定しないし、この曲から利益を回収しようとするのは当然だと思う。この曲はたしかにすばらしいし、世に出ること自体は決して間違っていないはずだから。

 アラン、だがもしこれをあなたが世に出すのなら、人魚の曲であることも伏せていただきたいと私は願う。この曲の成り立ちや内容を思えば、これは珍奇さへの好奇心から聴く曲ではないし、由来に関する知識なども必要としないはずだ。興行面の仕掛けが必要であれば、いっそ作者も由来も何ひとつわからないといって神秘のヴェールで包んでほしい。そのほうがずっとふさわしいと思う。

 そして心から願うのだ。ルードの村の人魚をそっとしておきたいと。この海辺の村に奇しくも棲みつき、まるでかけ離れた存在である村人たちと寄り添って暮らしている人魚。その奇跡のような暮らしぶりはこの地に楽園の趣きをもたらしていて、少しでも長く続いてくれることを祈らずにはおれぬほどいとおしく、今はただこの平安が人々の耳目を集めることで乱されぬよう願うばかりだ。そんな思いを私に抱かせた出来事をひとつ、最後に記しておきたい。

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