少女ドンキホーテ

JUST A MAN

第1話;突然の冒険

 僕が住むマンションに、不思議な女の子がいる。不思議と言うか今風じゃないと言うか…いや、やっぱり不思議と言う形容が似合う、テレビゲームが流行っているこの時代に、外で遊ぶ事が大好きな子だ。

 ここの敷地は広く、棟の数は勿論の事、緑を伴う憩いの施設も幾つか設けられている。…全く人とは勝手なもので、文明を求めて自然を破壊したのに、行き着くところまで行ったら、今度は緑が恋しいらしい。

 話を戻して…とにかく彼女は不思議な存在だ。遊び場は敷地内にある人工的な自然ではなく、マンションの裏手に広がる小高い山などだ。ここまでなら不思議と言う形容は過ぎるけど、ここからの話が彼女を不思議だと思わせる。彼女は山で駆け回るだけでなく、見る物全てを冒険の対象にする。そして、非科学的な考えを持つ。絵本や漫画に登場するドラゴンや妖精、小人に妖怪…そんな類のものを好む。いや、それだけには収まらず、彼らの存在を信じている。

 僕は彼女の事を、ドンキホーテと呼ぶ。…勿論、心の中でだ。声にすると彼女が悲しむ…のではなく、怒ると思う。そんな『少女ドンキホーテ』との出会いは、僕が高校二年生になる春、彼女の突拍子な言葉で、突拍子に始まった。




「お兄ちゃん、一緒に妖精さんを探して!?」


 『大きなビルを建てる』…。地主のわがままで家を追われた僕ら家族はここに越して来た。交通が不便で、だけどその分緑が多く、とても閑静な町の、丘の上にあるマンションだ。午前中に家族の荷物を運び、午後からは自分の荷物を運んだ。目処が立ったので、乾いた喉を潤す為に1階にある自販機に向かうと、誰かの声が聞こえた。


「???」


 振り返っても誰もいない。だけど目線を下げると、こっちを見上げる笑顔が見えた。

 彼女は、見た目で言うと小学生低学年だった。


「はい?妖精?」


 当たり前の反応を返す。


「マンションの裏にね、山があるの!そこに小さな小さな妖精さんがいるの。ね?だからお兄ちゃん、一緒に妖精さんを探そ!?」


 すると彼女は聞こえていないとでも思ったのか、もう1度声を掛けてきた。


「………。」


 僕は先ず、周囲に誰かいないか、彼女の親はいないか見渡した。だけどここにいるのは僕のズボンを掴んでこちらを見上げる彼女と、彼女への対応に困る僕だけだった。

 僕は座り込み、彼女の目線と僕の目線を合わせた。


「妖精を…探すの?」


 そして聞こえていないのではなく、理解出来ないと言う事を彼女に伝えた。


「そう!裏山の何処かにいるの!だから一緒に探そ!?」


 しかし彼女は僕の意思表示を無視した。


(………。)


 落ち着こうと深く呼吸をし、改めて彼女を眺める。黄色い帽子を冠ると制服にも見える白いシャツと赤いスカートに、運動靴を履いている。色白で、目がクリッとした可愛い女の子だ。背中にはランドセルではなく、リュックサックを背負っている。


「…お名前は?何処に住んでるの?」


 失礼ながら、彼女の正気を確かめるような質問をする。


「小百合!この棟の、1711号に住んでるの!昨日、部屋の窓から山を見てると、山の真ん中が蒼く光ったの!妖精さんが挨拶してくれたの!だから小百合は、おやつを持って妖精さんに会いに行くの!」

「……。」


 そして返ってきた言葉に困った。

 マンションには5つの棟があるけど、裏手の山と隣接するのは僕らが越して来たこの棟だけだ。そして僕らは、1811号に越して来た。つまり彼女は真下の階の住人だ。そして、『部屋から山が見える』…とも言った。家の間取りでは、北向きのベランダと1つの個室からのみ山が覗ける。その個室は僕に与えられた。つまり彼女の部屋は、僕の部屋の真下って訳だ。

 …って…いやいや、そんな事を知りたくて質問したのではない。


「小百合…ちゃん?歳は、幾つ?」

「10歳!今年で5年生になるの!」

「……。」


 また対応に困る。申し訳ないけど今のご時勢の小学5年生が、そんな遊びをするのはおかしい。ファンタジー好き、アニメ・漫画好きなら話は分かる。大の大人でも夢中になる人は多い。だけど実際に、『妖精を探す』ような事はしない。


「そうか…。でも、小百合ちゃんはまだ小さいんだから、勝手にお外で遊んだりしたらお母さんに怒られるよ?お母さんには、行って来るって言った?お母さんは、今何処!?」


 対処出来そうにないので、救いの手を探す。…だけど辺りには誰もいない。分かっている事だ。


「うん!だっておやつは、お母さんが準備してくれたんだもん!小百合に、行っておいでって言ってくれた!」


 辺りを見回す僕に彼女はそう言って、リュックの中身を取り出し始めた。お弁当箱に入った、恐らくこの子の母親が作ったクッキーと、一口サイズに切られた果物だ。


「……。」


 全く、困ったものだ。

 彼女の精神年齢を疑う訳じゃない。母親までもが妖精の存在を信じているのか?と言う疑問に駆り立てられ、気が引けた訳でもない。こう言った類の遊びは…実は嫌いじゃない。僕だって幼い頃は、ドラゴンやペガサス、魔法使いなどに夢中だった。彼女のように探しに行く事はしなかったものの、実在すると信じていた。また、手製のおやつも気持ちを高ぶらせる。考えてみれば、この教育方針は悪くない。子供の夢を大切にする…。母親に感心した。

 …困ったのは、彼女のペースに巻き込まれて一緒に山へ行きたがっている僕がいる事だ。

 だけど僕は越して来たばかりの人間で、彼女と長い付き合いがある訳でもなく、彼女の両親とも面識がない。そんな高校生の男子が歳も幼い彼女と山に登ると言うのは、色々と考えさせられる。誘拐犯や性犯罪者、ロリコンと間違えられるかも知れない。山も果たして安全な、整備された山なのかどうか…。事故でも起こしたら、彼女と僕の両親に申し訳が立たない。


「小百合ちゃん、ご免ね。僕は、今日ここに越して来たんだ。あっ、自己紹介が遅れたね?僕は井上博之。小百合ちゃんの家の真上の、1811号に越して来た。今日は引越しが忙しくて、妖精を探す時間がないんだ…。良かったら、次の機会に誘ってくれないかな?」


 だから僕はそう言って、小さな冒険のお誘いを断ろうとした。


「小百合ちゃんは、1人で妖精さんに会いに行くのかな?他に友達は?1人で山に登ったら、危ないかもよ?」


 そして、無茶な冒険を引き止めようともした。


「小百合…友達はいるけど、皆は妖精さんとは会わないって。妖精なんか、いないって言うの!小百合は昨日、挨拶されたのに…。誰も山に行かないから、一緒に行ってくれる人を探しているの!」


 しかし彼女は僕の言葉に、寂しそうに答えた…のではなく、友達を馬鹿にして、失望もしているような口振りを見せた。どうやら彼女は、妖精を信じない友達に腹を立てている。


(………。)


 緊張が走る。彼女の前では、言葉1つ1つに気を付けなければならないようだ。その時から僕は、何となく…彼女に嫌われたくないと思っていた。


「えっ?そうなんだ…。でも、1人で行くのは危なくない?お兄ちゃんまだ、山に登った事がなくて…。」


 ちょっと弱気に、そして慎重に、もう1度彼女を引き止めようとする。


「山は危なくないよ。風さんも吹いているし、蝶々さんもいるし、今日はお天気だし!」

「………。」


 いや、僕は現実的な確認がしたい。例えば、道は整備されているのか?急な坂には、手すりがあるのか?…とかだ。


「お兄ちゃん!それじゃまた今度、一緒に妖精さんを探そ?」


 返事に戸惑っていると、彼女がそう切り返してきた。


(そうか!そうだね。今度は絶対、一緒に探しに行こう!)


 この言葉の前に、彼女が言葉を続ける。今のは心の声だ。


「今日は小百合が、1人で妖精さんに会ってくる!」


(それじゃ、今日は妖精さんを諦めて家に帰ろうか!?)


 …言えずに終わった言葉の次に口にしようとして…これまた言えなかった言葉だ。


(!これから?1人で山に!?)


 僕は慌てた。


「いや!小百合ちゃん、1人は危ないよ!山で転んで怪我でもしたら大変だよ!?今日はもう、家に帰ろうよ!?」


 空はまだ明るい。でも季節は春先…。陽が落ちるのは早い時期だ。肌寒さも感じる。


「駄目!今日、会いに行かなくちゃ!妖精さんは昨日の夜、小百合に挨拶してくれたんだから、今日じゃなきゃ妖精さんが怒るよ!」


 彼女が言う挨拶とは、山で蒼く光った何かの事だ。それが『明日、会いに来い』って合図なのか?

 とにかく僕は慌てた。そして辺りを見渡した。


(誰か、この子の対処法を教えて下さい!小百合ちゃんは、どうしたら引き止められますか!?)


 先ほど見回した時には誰もいなかったけど…今回もやはり誰もいない。彼女の両親もいない。…って言うか僕はまだ、両親の顔も知らない!


「お兄ちゃん、また今度ね~!」

「えっ!?」


 気付くと彼女は、数メートル離れた場所から手を振っていた。そして僕と目が合うや否や、突然、駆け足を始めた。


「ちょっと待って!小百合ちゃん!」


 一瞬だけ呆気に取られたけど直ぐに気を取り直し、急いで彼女を追い掛ける。既に距離を取られてしまった。

 棟を出ると中央広場があり、右に向いて真っ直ぐ行くと、正面玄関に出る。玄関を出たらもう1度右を向いて、マンションを時計回りにぐるりと周れば、裏手の山へ行ける!…はず。


「待ってってば!」


 そう叫んでも彼女は待ってくれない。

 広場に出た。右を見ると、遠い場所に彼女の姿が確認出来た。正面と左手には小学生にも満たない子供達が遊んでいて、側には大人達もいた。


(あそこに彼女の両親は…いないだろうな…。)


 さっさと体を右に向け、彼女を追おうとする。…だけど彼女の姿は既に見えなくなっていた。『小百合ちゃん!』と叫びたかったけど、周りの注意がこっちに向くのが怖い。

 玄関を出て辺りを見回し、遠くに見える彼女を追い掛けた。しかし彼女はすばしっこい。思った以上に距離が縮まらない。それどころか離れて行く。今日は、引越しで疲れている。部活を辞めて以来、運動不足も酷い。


 …小学1年生の時から、僕はラグビーを習っていた。高校でもラグビー部に入部。しかしそこで、これまで習った全てを否定された。チームワーク、ジェントルメンシップ、スポーツマン精神…。大人からしたら生温そうな言葉を、僕は大切にしていた。だけど部活に入ると勝利、勝利、勝利…。全てが結果を中心に動いた。

 僕は長い間ラグビーを習っていたので、部活では優遇された。だけどその一方で、ラグビー初心者達は邪険に扱われた。同じポジションを狙う運動音痴の同級生が、初めてラグビーボールに触れる彼が練習にすら充分に参加させてもらえない姿を見た時、僕はラグビーを続ける必要がないと思った。そして僕が辞めたら、彼にポジションが回るかも知れない。そう思いもした。ささやかな反抗だった。


(…って、今はそれどころじゃない!あの子を追い掛けなければ!)


 要らない感傷に浸る暇はない。もつれる足に鞭を打って彼女を追う。


「うわっ!」


 鞭を打ち過ぎたのか、足が絡んで大きく転んでしまった。急いで立ち上がり、心配もしてくれない彼女の背中を追う。



「さっ、小百合ちゃん…!はぁ、はぁ…。」


 声も出せないくらいに息が上がっていた。


「あっ、お兄ちゃん!付いて来たの?一緒に、妖精さんに会いに行くの!?」


 山までの道は合っていた。山に入る手前で彼女に追い着いた。


「小百合ちゃん…今日は止めない?山は危ないよ。時間ももう、夕方が近いし…。」


 再三の引止めをしながら、山の様子を伺う。心配の1つはなくなった。山は数十メートル程の高さで、山頂までの急な坂も見当たらず、散歩道も整備されていた。


(そうだよな…。ここって、そんなに田舎じゃないし…。)


 だからと言って幼い女の子を、1人で山に行かせる訳にはいかない。もう1度、彼女を説得しようと努力してみる…。


「駄目!」


 だけど彼女は耳を貸してくれない。有言実行…と言うよりは、言葉よりも先に行動に出るタイプなのだろう。だから移動も駆け足…。そして頑固だ。


「ええっと…。」

「何してるの?小百合ちゃん?」


 しかし、そんな駆け足好きな彼女が立ち止まって辺りを見渡している。僕が追い着けた理由もここにある。


「うん、あのね…妖精さんが昨日挨拶してくれたのが、何処だったか探してるの。あれが…小百合の部屋の窓でしょ?だから…うーんと…。」


 彼女は、背後に見える自分の家と山に目を行ったり来たりさせて、蒼く光った場所を探していた。


(夢話を信じる割には、意外と計算的に考えてる…。)



 いつの間にか、一緒になって家と山を見渡す僕がいた。

 山は、高くはないものの広さがあった。周囲を歩いて周ると、5、6時間は掛かりそうな広さだ。それだけに、山の至る所まで整備された散歩道が敷かれているはずもないだろう。彼女がもし獣道へと足を運んだら…そこに急な坂でもあったりしたら?そう考えるとどうしても、彼女に無茶はさせられない。


「あっ!小百合ちゃん、あそこだよ!あそこじゃないかな?」


 なので僕は目の前に見える、安全な散歩道の向こうを指差した。山頂まで一直線に続くと思われる、緩やかな坂道だ。彼女の足でも往復で、2時間で帰って来られそうだ。…厳しいかな?でも、外灯も設置されている。どうせ妖精なんて見つかりっこない。それよりも安全が最優先だ。


「お兄ちゃんは、今日引越しして来たんでしょ?それじゃ、妖精さんの居場所なんて知らないじゃない?小百合が挨拶されたのは、昨日の晩なんだよ…?」

「……。」


 だけど幼い子供には、気が利いた優しい嘘が分からないらしい。それとも、子供なら騙せると思った僕が馬鹿だったのかも…?ちょっと反省…。

 しかしながら、彼女の鋭い指摘には感心した。この子は結構、知恵者なのかも知れない。冷静な判断が出来る子だ。となると何故、有りもしない幻想世界を信じるのか…?分からなくなってくる。


「あっ!やっぱりあそこだ!お兄ちゃん凄いね!?小百合が見た場所だよ。妖精さんがね、あそこから挨拶してくれたんだよ?」


 落ち込む僕の前で、彼女が飛び跳ね始めた。どうやら嘘が本当になったようだ。計算とは違ったけど、状況は良い方へ向いた。


「小百合ちゃん…。よし!それじゃ、一緒に妖精さんを探そう!」

「本当!?やった~!」


 危険はないと判断したけど、彼女が山に登ろうとする意志は揺るぎない。妖精なんて見つかるはずがない。数時間後の、彼女の態度が気になった。


「その代わりに約束して?夕方になっても妖精さんが見つからなかったら、その時は家に帰ろうね?」


 だから僕は、彼女に付いて行く事を決めた。これで迷子になる事はなくなったけど、周りが暗くなってからの急な駆け足は危険だ。彼女に、暗くなる前までの下山を約束させたい。門限も気になる。


「えーっ!?今日は絶対、妖精さんに会えるよ!だからそんな約束、しなくても良いって!」


 しかし彼女から、予想通りの返事が返ってきた。



 彼女とは、今日初めて出会った。数分前の事だ。だから当然、彼女の性格も何も知らない。ただ、今の段階で判断するに人の話を聞いてくれない。そんな彼女が、陽が落ちた後にも妖精を探すと頑固な態度に出たら、僕はどうすれば良いのだろう…?せめて彼女の両親に断りを入れ、彼女の扱い方を教えてもらってから山に向かいたかった。

 それでも賽は投げられた。だから僕は彼女から確約を得る為に、1つの…小さいと思われる嘘をついた。

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