第十八話

 「ううん……」

 ネミールは騒がしい音で目が覚めた。あくびをしながら回りを見渡す。ぼやけた頭を振って覚醒させる。ここは昨日泊まった老婆の家だ。

「あれ?」

 人の姿が見えない。昨日は足の踏み場が無いほど人が寝転がっていたというのに。

 ネミールはベッドからおりる。病人ろいうこともあり、他の人に遠慮しながら彼女はベッドを使わせてもらっていた。布団から出ると冷たい空気が肌を撫でる。

 部屋の扉を開けると見慣れない女性がいた。

「おはようございます、お嬢様」

「アイリーン?」

 最初それがアイリーンだとネミールは気付かなかった。見慣れない格好をしていたからだ。

 常に着ていたメイド服ではなく、フードのついた質素なワンピース。どこにでもいる村人のような格好だ。実際この村でよく女性がしている格好だった。

「この服ですか? 村人から買いました」

 アイリーンはこの服を銅貨数枚で買っていた。相場からすればかなり上乗せされていて、服の持ち主はかなり遠慮していたが彼女は強引に握らせた。

「どうしてその服を着てるの?」

「目立たないためです。騎士達にメイド姿を見られたら危険ですから。お嬢様に仕える者の正装ができないのは業腹ですが……」

 怒りでアイリーンの眉毛がつり上がる。

「おや、起きたのかい? 粥は食べるかの」

 老婆の姿もあった。ネミールに話しかける。

「あ、うん。そうだアイリーン。この音はなに?」

 ネミールは今も続いている音について質問した。

「騎士達が今から出発するみたいです。まったく、もっと早くから出発すればいいものを」

 アイリーンは忌々しそうに顔を歪めて外へと目を向けた。太陽はもう完全に姿を見せてからいくらか時間が経過していた。

 耳を澄ますと音は人の足音や声だとわかる。大勢の人間が歩く音はそれだけでかなりの騒音だった。それに混じって馬の蹄の音も聞こえる。

 家の扉がかすかに開いた。その隙間からエインがするりと入ってくる。

「エイン、どうでしたか」

「……騎士はみんな馬に乗ってる。数は二百ぐらい。馬車は三台でそれほど大きくなかった。傭兵はかなり数が多い。八百はいるかも。馬に乗っている傭兵はほとんどいなかった」

「そうですか。騎士の鎧に紋章は?」

「偉そうな騎士の鎧には、旗と同じ紋章とは別にもう一つ紋章があった」

「ということは、確実に貴族の騎士ですね……一体なぜ。あれだけの大規模なものですから、まさか偽物とは思っていませんが……」

 エインは不思議そうに首を傾げた。

「騎士ってみんな貴族じゃないの?」

「確かに貴族の騎士は多いです。それに騎士団長になれるのは、よほど功績か実力が無いかぎり平民の者はなれません。しかし、まさか正式な貴族が……」

 アイリーンは奥歯を噛みしめながら、顔を歪めて苦悩する。

「それが何か変なのかな?」

 テーブルで味の薄い粥を食べているネミールは質問する。アイリーンは真剣な顔になり、部屋にいる老婆が離れていることを確認した。それでもネミールに近づくと、聞こえないように声を潜めて言う。

「……これはエインが昨夜傭兵の一人を尋問して聞きだしたことですが、傭兵達が村人を殺すのを騎士たちは止めなかったようなのです」

 ネミールは驚きで目を大きく開かせ、思わずエインへと顔を向けた。

「言うまでもありませんが、罪も無い村人を殺すなどとんでもないことです。これをやったのが傭兵とは名ばかりのごろつきならまだ理解できます。しかし、それをやったのは騎士団と一緒にやってきた傭兵達なのです。傭兵は誰かに雇われた者たち。その雇い主はあの騎士でしょう。つまり彼らの罪は騎士の罪でもあるのです」

 アイリーンはここで言葉を切る。何も言わないが、アイリーンの言葉をエインは一言も漏らさず聞いていた。目には鋭い光が輝いている。

「……これが自分達の領地内ならまだいいでしょうが、ここは他領です。これが発覚すれば大問題になります。確実に領主様が抗議なさいますし、損害賠償を求めるだけでなく、最悪の場合戦いになるでしょう……」

 ネミールの顔が青くなる。

「戦争になるの!」

「なるかどうか分かりませんが、なったとしても驚きません。突然領地の人々を襲ったのですから。しかも、やったのが正式な貴族の家柄の騎士ともなれば」

「貴族の騎士じゃないと、何か違うのかな?」

 エインがそう質問した。アイリーンはそちらへ顔を向けると、重々しく頷く。

「ええ。今回のことが何かの陰謀だったとすれば、普通なら貴族が表に出るわけがありません」

「なぜ?」

「あまりにも危険だからです。突然罪も無い他領の村人を殺すなど、あまりにも度が過ぎた所業です。これは向こう領主がこちらの領主様に戦争をしかけてきたと言ってもいいでしょう。これが王様の耳にでも入ったら、最悪村を襲った騎士の家は取り潰されることになるかもしれません。そうならないためにも、指揮官は平民の騎士にするはずです。そうすればその騎士だけを切り捨てるだけで事が済みます」

 何かが起きた場合、その原因が貴族だとその影響は個人だけではなくその家にも及ぶ。貴族の家柄は婚姻関係だけではなく、領地の位置や貿易などで複雑に絡まっている。どこかの家が騒動を起こせば、それは関係ない他の貴族達にまで影響を及ぼすのだ。そんな危険を冒すようなことは、まずありえなかった。

「じゃあ、偽物?」

「その可能性は低いでしょう。あなたが見た騎士達の鎧は全て同じで、紋章もあったのですよね?」

 エインは頷く。

「紋章付きの鎧をそんなに大量に用意できる人間が、そうそういるとは思えません。それにあの紋章旗。あれは専門の職人しか作ることができないものです。あれがあるということは、正式な騎士団と見て間違いありません」

 アイリーンの言葉が終わると沈黙が部屋を支配する。

「……なんでこんな事になってるのかなあ」

 ネミールが心から疲れたため息を漏らした。

「……騎士たちが村を出て行ってから僕達も出発しよう。離れていないと見つかっちゃうし。道は、今日も山を越えて先回りしようか」

 その言葉にアイリーンが目を吊り上げる。

「反対です! お嬢様の体調はまだ万全ではありません。病み上がりなのですよ。またあんな過酷なことをすれば、今度こそ倒れて寝込んでしまいます!」

「じゃあ、僕一人で行く。二人は勝手にすればいい」

「ま、待って!」

 ネミールが二人の言い争いに悲鳴をあげる。

「ケ、ケンカしないでよ。わ、私は大丈夫だから……」

「無理しないでください、お嬢様。絶対に駄目です!」

 泣きそうになりながらネミールはアイリーンを見つめるが、彼女の表情は固い。ネミールの言葉を絶対に受け入れないだろう。

 それでも諦めきれずネミールは見つめ続ける。敬愛する彼女にずっとそんな顔を向けられるのは辛かったようで、アイリーンの顔がどんどん歪んでいく。

「そんな顔をしないでください、お嬢様。私のほうが泣きたくなってきます……わかりました。エイン、一緒に行きましょう」

「アイリーン!」

「ただし、山越えはしません。騎士達の後ろをついて行きます」

「どうして?」

 エインは無表情で問う。

「彼らはおそらくネルゴット様への救援でしょう。私達が数日前に城で見た以外の騎士団がいれば別ですが。まあ、そんなはずはありません。ということは、遅かれ早かれあの騎士達はネルゴット様のところへ向かうはずです。私達はネルゴット様の位置を知らないのですから、知っているかもしれない彼らの後をついて行くほうが計画的です。それに……村をなぜ襲ったのか、その真相を知るには貴族の力が必要ですよ」

 その言葉に、エインの表情がわずかに変化する。

「村人を殺したのはグイル傭兵団、そうでしたね。彼らがあなたの仇になるのでしょうが、本当に彼らだけでしょうか? その雇い主である貴族はどうなのでしょう? 彼が本当に関係無いとでも思いますか?」

 エインは何も反応しない。

「貴族の罪を暴こうとすれば、必ず貴族の力が必要になります。あなたには説明したはずです。私達をネルゴット様のところへ連れて行ってくれれば、村の悲劇の真実を明らかにしてあげると」

「そうだよエイン! 私は何もできないけど、お父様とお母様なら絶対なんとかしてくれるから!」

「……わかった。山は行かない。騎士たちを追いかける」

 ネミールは笑顔を浮かべると、アイリーンと顔を見合わせた。彼女の嬉しそうな顔を見て、アイリーンも満面の笑顔を浮かべるのだった。

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