雛鳥の少女と孤狼の少年

山本アヒコ

第一話

「いい毛皮だなあ。しばらく待ったかいがあった」

 その声はいささか幼かった。

 ウサギを掴み空を見上げる。青空から明るく太陽が顔を照らしていた。

 空を見上げる顔はあどけない。なぜなら優れた技量を持つ狩人でありながら、彼はまだ十五歳の少年だった。その年齢にしては少しばかり幼い顔つきをしていた。輪郭は柔らかく、男の角ばった印象が無い。長時間冷たい外気に晒されていた頬が赤いことも幼さに拍車をかけていた。

 その愛らしい顔が曇る。細められた目は空の一点を射るように見ていた。

「荒れるかな。急いで戻ろう」

 空は雲が多少ありながらも青空が大半に広がっている。しかし少年は確信を持った言葉とともに身を翻し、小柄な体から予想できない速さで木々の間を駆け抜けて行く。

 やがて日が落ち、暗闇に覆われた山の中に小さな明かりが漏れ出ている。周囲を木々に囲まれて建つ小さな家だ。木製なのは一般的だが、屋根が高くまるで槍のように鋭くなっていることと、レンガでできた煙突があることが特徴的だった。これはこの地域が有数の豪雪地帯のため、降った雪が屋根に積もり家を倒壊させることを防ぐためと、暖をとるための火で家の中に煙が充満することを防ぐためだ。

「もうちょっとかな」

 少年は家の調理場で料理をしていた。といっても作っているのは一品だけ。今日狩ったウサギの肉と野菜を入れて煮込んだスープだ。

 ウサギの毛皮はすでに下処理を終えていた。後でなめせばいい。

 ひときわ強い風がふき、ガタガタと家を揺らす。この程度で倒れる家でもないが、少年は眉間にしわをよせて外へ視線を向ける。

「大丈夫かな? あの子、病気になったりしなけりゃいいけど……」

 この吹雪は少年が家にたどり着いたころから始まった。さっきまで青空が見えていたのに黒い雲が空を覆い、強い風とともに雪が舞う。それから今まで吹雪はひと時も止まない。

 少年の眉が小さく動く。風とは違う音が聞こえた気がした。

「…………」

 じっと耳を澄ませる。ガタガタ、ギシギシと鳴る音に混じって叩くような音が聞こえる。それはこの家の出入り口の扉から聞こえているようだった。

 煮立つスープをそのままに、少年はゆっくりと扉へ向かう。片手は自然に腰のナイフへ添えられていた。扉へ近づくと誰かが叩いている音と、呼びかける声が聞こえる。

「すいません! ここを開けてください! お願いします!」

 風の音で聞こえ辛いが女性の声だ。必死さが伝わってくる。何度も扉を叩く音。

「どうか開けてください! 私はかまいませんから、どうかこちらの方だけでも! この方を助けてください!」

 女性の声は必死をこえて悲壮なものへと変化している。扉を叩く音が力強さを増す。

 少年は扉を押さえている木を外し、取っ手に手をかけた。しかし片手は油断せずナイフの柄をつかんでいる。

「誰ですか?」

 外にいたのは場違いな人物だった。

 背の高い女性。髪は肩よりも長い。金髪青瞳。その色と顔立ちはこの国のものだ。

 では何が場違いかというと、服装だった。黒を基調としたワンピース。スカートは長く足首まであり、ゆるやかに膨らんでいる。襟と袖とスカートの裾に白色のアクセント。豪奢にならないように控えめなフリル。その上に白色で同じくフリルをあしらったエプロン。頭にはカチューシャ。つまり、メイドだった。


 メイド姿の女性は驚いた様子で、小さく口を開けて少年を見ていた。

 驚いたのは少年も同じだった。なにしろ吹雪の中にメイド姿の女性が立っていたのだから。だが、メイドがいたから驚いたわけではない。少年はメイドを見たことも無ければ、その存在自体を知らなかった。ただ、あまりにも珍妙な格好をした人間が外に立っているなど考えもしなかったからだ。

「何、その変な服」

「変なって、これは由緒正しきメイド服です。正式な支給品ですよ」

「そんなの知らないよ。それで、どうしたの」

「そ、そうでした! こちらの方を、どうか家に入れてもらいたいのです!」

 メイドは後ろに隠れていた人物を横へ並ばせる。背は小さく、少年より低い。

「この方はボラス王国エル地方領主トイ家のお嬢様、ネミール・エル・トイ様です!」

 メイドなぜか自慢げに少女を紹介した。少年は首をかしげる。

「この人が?」

「そうです! 普通ならこんな場所にお泊めするわけにはいきませんが、この吹雪ではどうしようもありません。お願いします!」

 頼んでいる立場だというのにメイドは高圧的だ。言葉が真実ならば、少女は少年が住むエル地方の領主様の娘なわけだから仕方がないのかもしれない。少年はただの平民で、相手は雲の上の貴族なのだから。しかし……

「早く家の中に。このままでは凍えてしまいます!」

 メイドは目を吊り上げて叫ぶが、少年は不審そうに目を細める。

 少年が住む家は、領主の城がある町から馬や馬車で一日かかるほど離れていた。しかもこの家は町や村にあるわけではなく、山の中にぽつんと一つだけ建っている。こんな場所にわざわざ貴族のお嬢様がやってくるとは考えにくい。

「本当に貴族さま? 嘘じゃ……」

「嘘なんかじゃありまんっ! 不敬罪で訴えますよ!」

 少年の言葉を遮り、メイドは憤怒の形相で唾を飛ばしながら叫ぶ。

「じゃあ証拠は……」

「証拠なんて、この高貴で愛らしい顔と雰囲気でわかるじゃないですか! 見るだけで心を溶かす天使のような! ああ! ああ!」

 顔を上気させながらまるで神に祈るかのような恍惚としているメイドを無視して、少年は傍らの少女へ目を向ける。するとメイドの前へすっと体を出し、その口を開く。

「おねがいしますううううううう、さむいんですううううううう、たあすけてくださあああああいいいいいい」

 その震えた声を聞いて少年は哀れみの目となり、体を引いて家に入るためのスペースを空けた。少女ネミールは両手で自分体を抱きしめた格好で、ガチガチと歯を鳴らしながら入っていく。その後ろを何とも言えない表情でメイドが続く。

「……お嬢様は、本当にエル地方領主のお嬢様なんです……」

「あっちに暖炉があるから連れていって」

 メイドは頷き、小さく礼を言うとネミールの後を追った。少年はため息をはくとずっと掴んでいたナイフから手を離し、扉を閉じて鍵代わりの木を差す。

 少年はネミールが本物の貴族だと信じたわけではなかった。ただ、髪も顔も体も雪にまみれ、涙と鼻水で汚しながらクシャクシャに顔を歪めて震える少女を哀れんだだけだ。そこにメイドの言う愛らしさや高貴さなど欠片も無い。ただ、可哀想だった。

「ううう、あったかいよぅ、あったかいよぅ……」

「よかったですね、お嬢様」

 家の奥から小さくそんな声が漏れ聞こえた。

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