あなたの存在を信じたい
お昼ご飯を学食で食べた後、暫く大学生協のブックストアで立ち読みしながら時間を潰した私は、学部棟の11番講義室に向かいました。横山先生の講義を受けるためです。
真ん中の方の席に、既に来ていた聡梨ちゃんを見つけました。その隣に座ります。
「そういや学食で見かけませんでしたけど、どこで食べたんです?」
「あー、後期は木曜の午前には講義入れてないから家で食べた」
とのこと。その後他愛もない雑談をしていると、定刻きっかりに横山准教授がやって来ました。冴えないおじさん、という風貌ですが、よれたスーツが妙に似合っています。
訥々とこの講義の説明を始めたのですが、文学部の先生お決まりの横道にそれた四方山話が続き、ようやく哲学っぽい話になった頃には既に三十分が経過していました。その間横山准教授は講義室の中をしきりに行ったり来たりして、時たま黒板にメモを残していました。
「えー、皆さんの中には子供の頃、こんな考えを抱いた人がいるかもしれません。あー、例えばですねえ、この世界は自分の見ている夢だとか、あるいは他人は意識を持たない人形で、自分だけが心を持つだとか、そういうの」
……恥ずかしながら自分にも少々覚えがあります。この世界はシミュレイテッドリアリティだ!とかね。
「今、皆さんが成長してその頃を振り返った時、まあ、バカなことを考えたものだなあ、と思われるかもしれませんね。常識的に考えて、目の前の机は存在しているし、この私も心を持った存在です。そうではありませんか?」
「しかしですねえ、皆さんが子供の頃ふとそういった考えに思い至ったのは、決して突飛で不可思議な空想ではないのです、ええ。なぜなら、そういった言説を完全に否定するのはとても難しいことですからね」
そこで横山准教授は突然の宣言をしました。
「えー、では今から私は徹底的な懐疑主義者になります。皆さんは何もかもを疑おうとする私に『ご自身の存在』を信じさせてください。あなた自身の存在ですよ」
そこで先生はしばらくの間を取ります。
「……ええ、何か説得させられそうな言葉は思いつきましたか? そこの女性の方、どうぞ」
「私ですか?」
「ええそうです」
そこの女性の方とは、私のことでした。わお、いきなり当てられちゃいましたよ。
「……では、私がいないとします。すると先生は誰と話しているのでしょう」
「そうですねえ……。そもそも私は誰とも話していないのかもしれない。幻覚を見て独り言を喋っているのかも」
「ですが、“誰かと話しているかもしれない”という錯覚を与えた“何か”は、存在しているのではないですか?」
「ふむ、仮にあなたの言う通り“何か”が存在しているとしても、それがあなたであるとは限りませんよ」
確かにそうかもしれませんので、私は仕方がなく黙りました。
その後も横山先生は時間の許す限り学生たちの考えを尋ねていきますが、とうとう先生が納得することはありませんでした。
「えー、これは困りました。このままでは私は世界に一人ぼっちです。ですので、どうか皆さん。期末レポートではぜひとも私に、“あなたの存在”を信じさせて下さい。これが本講義の目的です」
そこでちょうど90分経ちました。講義はそれでおしまいで、聞いた通り出席は取りませんでした。
「……どう、面白い先生だと思わない?」
「確かに、中々興味深いお話でした」
とはいえ、期末レポートをまともに仕上げられる気はしないのですけどね。まあ出せば単位は貰えるらしいですけど……。
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