冬空とフォーチュン・クローバー

あさぎり椋

1.クローバーを求めて

 『四つ葉のクローバー』を探そう。

 今朝から降り出した雪に湧く朝の教室の片隅で、笠井かさい篤騎あつきは目の前に座る少女へと、そう宣言した。

 椿澤つばきざわ 帆波ほなみは眼前に立つ彼の真剣な表情を見上げ、僅かに眉根を寄せる。いつものすまし顔に、薄っすらと当惑が浮かんだ。

 それが始まりだった。

 寒々しい雪景を臨む教室。

 高校二年目の冬は、静かに始まった。





 授業が終わると、食事時でもある昼休みの時間がやってきた。

 篤騎は教室の窓側にある自分の席に座っている。普段なら友人達と食堂に行って、ワイワイ談笑でもしながら昼食を摂るところだが、今日は違う。

 左手にコンビニの惣菜パン、右手にはスマートフォン。忙しなく親指を動かし、退屈な授業中には絶対見せない熱の籠った視線を、液晶画面に絶えず走らせている。

 食事とスマホ。二つの作業を同時に進めながら、ためつすがめつといった様子の篤騎。その顔と画面の間にバッと他人の手が割って入り、唐突に視界が遮られた。


「うぉっ」

「食事する時くらいスマホしまおうよ。うっかり笑える画像とか見たらさー、ぶふぉってパンくず画面に吹き出しちゃうよ」

「んな下品に笑うかよ」


 篤騎が呆れて顔を上げると、そこにはクラスメイトにして友人である少女――つぶら 羽矢音はやねの笑顔があった。白い歯を見せて二カッとする表情は相変わらず快活で、外で降り続ける雪まで溶かしてしまいそうだった。

 彼女は篤騎の前の席――彼女の席ではない――に勝手に座ると、持参した弁当をもぐもぐと食べ始めた。


「お前、今日は食堂行かないのか?」

「お互い様じゃん。ま、あたしの場合は授業の途中からさっきまでずっと寝ててね。みんな気を使ってくれたのかもしんないけど、あたし置いてかれちゃったみたい。だから今日はあっきんと仲睦まじくと思いまして。ほれ、喜べ喜べ」


 きゃははと、あっきん――もとい、篤騎の前で朗らかに笑う羽矢音。前の席に勝手に座ると、自分の弁当で陣取ってしまった。まったく、この局所的なテンションの高さは少しでもクラス中に分配するべきではないだろうか。事あるごとに、篤騎はそう思わずにいられない。


「いっつも自由でいいよなぁお前。食って寝て、寝て食ってで、よくその体型が維持むご」


 脳天にチョップの良い一撃をいただき、篤騎は情けない声を上げた。

 とはいえ口を尖らせる羽矢音は、歳の割には小柄ながらストイックな体型の持ち主だ。陸上部所属であるがゆえに身体全体の筋肉は引き締まっていて、スラリとしてムダというものがない。凹凸こそまだ発展途上といったところだが、身長からすれば調度良いくらいだろう。もっとも、髪ですら『運動のため』ばっさりショートカットにした彼女のこと、自身の体について言及されるのはあまり好きではないらしい。

 照れ隠しとばかりにご飯を急いで口に入れ、これまた急いで飲み込むと、彼女は再び喋り出した。


「んぐっ……。んでさ、スマホで何見てたの?」

「あぁ、ちょっとウィキペディアとか」

「ウィキ? 何ぞ?」

「ちょっとまぁ、四つ葉のクローバーについて。いやーもう、文明の利器って便利な。マジありがてぇわ」


 くろーばー? と反芻し、彼女はおかずの卵焼きを一つ口に入れた。


「こないだよ、帆波と約束したんだよ。この一冬! 先に『四つ葉のクローバー』を見つけた方が相手の願い事を一つだけ聞くッ! ……っていう勝負だ!」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、篤騎は気合の入った様をアピールした。


「いちいち熱血なのだねぇ、キミは。で、何でまたそんな」


 そうしてまた一つ口におかずを放り込み、箸先をくわえた幼気な仕草のまま、羽矢音は視線を教室の廊下側の一番後ろへと向けた。一人で黙々と弁当を食べている、帆波の姿がある。ふらふら揺れる黒いポニーテールや、対照的に、それこそ窓外の雪を思わせる白みがかった肌――決して人から嫌われるような雰囲気は醸し出していないのだが、どうにも近付き難い、と誰もが暗黙の内に思っていた。


「椿澤さんねぇ。あたし、ほとんど喋ったことないや。一年の時はクラス違ったし、二年になってからも、なーんか機会無かったな」

「そうだろうな。そりゃそうだ」

「へ?」

「何でもねぇよ。……ほら、お前のお友達ご一行」


 羽矢音は教室の入口を見ると、現れた女子達に手を振り、「ごめんね、それじゃ」と篤騎に断りを入れて去って行った。ちょこちょことあちこちを動き回る様は、気まぐれなげっ歯類のようにすばしっこい。


「さーて、と」


 篤騎はスマホを見るふりをしながら、帆波に視線を向けた。彼女が気付く様子はなく、食べ終えた弁当箱を黙々としまっている。その表情は一貫して無表情で、食事さえ『生きるために必要な作業』と割り切っているように見える。

 さながら冬の寒空の侘しさを、その身で体現しているかのよう。

 そんな帆波を見て、篤騎は薄くため息をついた。

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