松竹梅の短編集

松竹梅

片翼のカーラ

「…………」


悲しげに空を見上げている女がいる。

彼女の名前はカーラ。天界に住む天使の一人だ。


「なぜ……なぜ私以外の天使はあんなにも空を優雅に飛べるの」


カーラは整った顔立ち、艶やかな長く黒い髪を持ち、天使の中でも異質なまでに美しかった。しかし、カーラには他の天使たちとは決定的な違いがある。

天使と人間の混血の彼女は生まれ落ちた時から右側にしか翼が生えていない。片翼では他の女達のような高く、自由に飛行することはいくら頑張っても無理だった。


「あの白い翼で空を飛ぶのはさぞ気持ち良いのでしょう。そこから見える景色はどうなっているのかしら。いつか、私も見てみたいわ」


望めば望むほどに空は自分を見放す。そう感じるたびにため息が出てしまう。



そんなカーラの姿を天高くから天使達が眺めていた。


「なんて可哀想な子。彼女が自由に飛び回れたら、さぞ美しいことでしょう。私たちで何か出来ることはないかしら」

「そうね。私も彼女の気持ち良く飛ぶ姿を見てみたいわ。みんなで話し合いましょう」


話し合った結果、皆の羽を集め、翼を作ることになった。

試行錯誤の末、ついに綺麗な片翼が出来上がる。


「カーラ、私たちであなたの翼を作ったの。気に入ってくれるかしら」

「これを……私のために?」


天使の誇りはその翼にあると言っても過言ではない。羽の一本が抜けただけでも落ち込んでしまう者もいるぐらいだ。


「私たちはあなたの泣き顔しか見たことがない。この翼で大空を飛んで、笑顔を見せて。そのために私たちはこれを作ったのよ」

「……ありがとう。早速付けてみるわ」


背中に翼を着けたすぐに馴染み、今まで空っぽだった部分に何かがスッポリとはまったような感覚がする。カーラは両肩の翼を大きく広げ、大空へと舞い上がる。


自由に空を舞うカーラの姿は天使達の想像を超え、蝶よ花よと持て囃された彼女達ですら賞賛の声すら上げられない。


「凄いわ。こんなに素晴らしいなんて」


カーラは感嘆の声を上げる。頬を撫でる風、どこまでも続く青空、今まで自分を見下していた太陽にもう少しで手が届いてしまいそうだ。


「いつかあなたに見せてあげたかったの。ここからの景色は今までとは違うでしょう」

「ええ、全然違うわ。私の知っている世界はとても狭く、すぐにでも見飽きてしまうものだった。でも、ここに広がる世界は1秒1秒色を変え、不変なんてものは一つもない。いつまで見ていても飽きないわ」


カーラの言葉に天使達は心の中が温かいもので満たされていく。


「これであなたもみんなと遊べるわね」

「どうする。明日一緒にどこかへ出かけませんか」

「そうしましょう。どこが良いかしら」


思い思いにカーラに話しかける。これで仲間はずれではない。これから彼女の素晴らしい生活が始まるのだと誰もが思っていた。




だが、一人だけそれを良しとしない者が一人。


「何なのだその翼は!」


カーラを怒鳴っているのは天使の主人、つまり神だ。神はカーラの翼を見ると、恐ろしい顔でカーラを責め立てた。


「貴様の背中の翼が増えているように見えるが、左のそれは私の与えたものではないな」

「私を哀れんだ友が作ってくださったのです」

「嘘を吐くな。大方誰かを騙し、そいつの翼を奪ったのであろう。狡猾な人間のように」

「そんな事、私はしません!」

「黙れ! 私は今までその美貌と貴様に流れる天使の血に免じて、この天界に住むことを許した。しかし、この大空を飛んでみたいだと。穢れた人間の血を持つ俗物が大層な夢をほざくではないか」

「私は私の翼で大空を飛んでみたいのです。それの何がいけないのですか」

「空を飛ぶのは神に属する者の特権。人間の血を持つ者が願ってはいけないものだ。下界の人間達を見てみろ」


神は下界の人間の集落を指差す。


「滑稽であろう。地面をただ歩くことしかできない劣等種を高い場所で見るのは心が晴れる」


愉快な見世物だと神は笑うが、カーラの答えは違った。


「私はそう思えません。あんなにも必死に生きようとしている姿は立派ではありませんか」

「それは貴様が半分人間だからだ。どこまでも私を失望させれば気がすむのだ、カーラ」

「…………」


更に語気を荒げる神にカーラはなす術もない。


「この天界に居たければ、その偽りの翼を抜け」


神はカーラに残酷な選択を迫る。


「それだけはできません! これは大事な友が作ってくれた大切な翼なのです。決して抜く事なんてできません!」

「……では、仕方あるまい。私自らが貴様の翼を奪ってやろう」


神はカーラの翼を掴み、乱暴に羽を千切ってゆく。


「おやめ下さい! おやめ下さい!」


カーラは一本、また一本と無くなっていく翼を見ると、自分の魂すらも奪われていく気がした。

しかし、泣き叫ぶカーラに神は容赦をしてはくれない。

背中の肉ごと抉られ、ついにカーラの背中は一枚の翼を失ってしまった……




そして、またカーラは天を見上げる日々に戻ってしまう。


「ああ、またあの大空へ飛んでみたいものだわ。あそこから見える景色は私の全てを変えてしまうほどに最高だった。しかし、もうあそこには行けない。この片翼では到底あの時のように自由には飛べない」


しかし、カーラは諦めてはいなかった。


「片翼だけでもいい。私はまたあの景色を見てみたいの」


そして、カーラは片翼で飛び始めた。今までこそ高くは飛べなかったが、二つの翼で飛べたこと、飛びたいという願望は彼女の限界を超えてその記録を塗り替える。


「凄いわ。まさか片翼でもここまで飛ぶことができるなんて」


高度を更に上げ、大空へ飛び上がってゆく。既に両翼の時の限界すらも越え、太陽の光が突き刺さって痛いぐらいだ。


「もっと……もっと高く!」


自然と笑いがこみ上げてくる。自分を束縛する者も夢を奪う者もいない。この空のように。




しかし、希望とは一瞬にして絶望に変わるものだ。


「なぜ、下界の地があんなにも近いの?」


自分は飛んでいるはずなのに、徐々に地面が近づいてきている。


「……ああ、そうなのね。私は落ちているんだわ」


気付けば手の届きそうだった太陽も遥か彼方。上へと向かっていた体は地面めがけて加速していく。


「でも、私は幸せよ。最後にあんな高いところまで飛べたんだもの。今死んでも悔いは無いわ」




……しかし、次第に目からは涙が溢れる。


「違う。違うの。私は……私は天高く飛びたかったわけじゃない。みんなといっしょに遊びたかった。お話がしたかった。それには翼なんて必要無かった。なんで忘れていたんだろう。私には話し合える友達がいた。それだけ……それだけで良かったの」


しかし、気づいたところでもう遅い。地面はもうすぐそこだ。


「ねえ、みんなまた今度会えたら」


激突する寸前、カーラは呟いた。















「遊んでくれる?」












その後、天界でカーラを見た者はだれもいない。

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