第三章『新しい』3/3

走って、走って、走る。

中庭から見て少し西に行ったところにある教務塔。その三階まで一気に駆け抜けた。長身の男が脇目も振らずに走る様子は酷く目を引いたけれど、それすら気にせずに走った。

バタン、と大きな音を立てて部屋に入る。

「五月蝿いぞ、ヴェーラー」

「おや」

思った通りそこには目的の人物がいて、カルステンは切れた息を整える間も無く口を開いた。

「フェレーナ、ウルレドが、誘拐された、と、思われる。少なくとも、少し目を離した隙に消えた。大事にな、る前に、捜索をするべきだ」

カルステンの言葉に、目的の人物もといカルステン達のクラスの担当教師、ファビアン=ベーレンブルッフはその太めの片眉を上げた。

「ウルレドが? お前の見間違いではなく?」

「見間違いではないと思う」

「思う、か。信憑性に欠ける意見だ」

「そう思うなら、」

カルステンは声を苛立たせる。

「そう思うならベルタ=アベーユに確認を取れ。大事になる前にだ。何事もなければ、それが一番なのだから」

「ふむ」

一理あるな、と呟いて、ベーレンブルッフはどっしりと座り込んでいたふかふかの椅子から腰を上げた。

固定式法術のかけられた通信用の水晶を手に取ると、「用が済んだなら早めに出て行けよ」とだけ告げて窓からひらりと身を投げた。ふわりふわりと塔を降りていく姿を見て、カルステンは溜息を吐く。宙に浮く法術を織り込んだローブ、なんて大層高価な__どのくらい高価かというと家が三軒立つと言っても過言ではない程である__ものを一介の教師が持っていたのだから、そりゃあ溜息も出るというものである。

振り返ると目の前にはこちらをじっと見つめる男が一人。カルステンは隠すことなく「うげ」と呻いた。

「酷いじゃないか、カルステン。僕がいるのに他の男とばかり喋るなんて」

「変な言い方はよせ。だいたい俺はベーレンブルッフ先生に用があってここにきたのだからそちらを優先するのは当たり前だろう」

「それにしたってだよ、挨拶の一つくらいあったっていいじゃないか。目も合わせてくれないなんて寂しかったよ」

何も感じていないような顔でそうのたまった後、エンゲルハルトはにこりと笑って、腰掛けていたこれまたふかふかそうな椅子から立ち上がった。

「それにしてもお前が息を切らすほど急いで来るなんて、そんなにフェレーナ嬢が大事かい? 妬けるな」

「抜かせ」

カルステンは短く言って、眉を潜める。

「いくら面倒ごとが嫌いな俺だとて、目の前から人が居なくなれば多少はなんとかしてやろうという気くらいは起きる」

その言葉を聞いて、それはどうかな、とでも言いたげな面持ちでエンゲルハルトは大袈裟に肩をすくめた。

「まぁ、そうだな、お前が善良なお陰で義姉になるかもしれない人の寿命が伸びそうだしね、僕からも礼を言うよ」

「善良だなどと心にもない…………………………ん?」

ムッとしたままに口を開いたカルステンだったが、途中でエンゲルハルトの言葉を反芻して頭に疑問符を浮かべる。

「ん? んんん?」

「どうかしたかい、カルステン」

にこりと微笑むエンゲルハルトの、その美しい顔に苛立ちを覚える。白々しい。

「義姉?」

絞り出した言葉に、エンゲルハルトはやっとカルステンがなぜ混乱しているのかを理解したような顔で鷹揚に頷いた。

「彼女は僕の兄の婚約者なんだ」

言ってなかったけ、と首を傾げたエンゲルハルトの横っ面を引っ叩かなかったことを誰か褒めて欲しいとカルステンは思った。

いつの間にか椅子から降りていたエンゲルハルトにぐいぐいと背を押されて部屋から出されると、そのまま強引に学寮の自室まで連れて行かれた。自室の扉を閉める時になってようやく、エンゲルハルトが言った。

「兎も角。後はなんとか丸く収めてあげるから、この件に関してはもう忘れなさい。いいね?」

赤い目がカルステンのそれをじっと覗き込んで逸らさない。喉をひくりと鳴らしてカルステンは諾と告げた。






あれから二日経つ。あの後すぐフェレーナは空き教室に監禁されていたところを発見されて、犯人も捕捉され、事件は滞りなく速やかに収束した。表向きには彼女が軽い風邪をひいていたことになっていて、余計なその他大勢は真相を知る由もない。

フェレーナ自身も監禁こそされて手首に拘束痕が少し残りはしたものの、それ以上の危害を加えられた様子も申告もなかったので、自室で安静にした後今日にも元気に授業へ出席していた。早期発見したおかげだ、とベーレンブルッフにも褒められ、カルステンとしても悪くない気分だった。

「ふむ……」

図書室にて自主学習に励むカルステンは、とある問題で躓いていた。法術学の応用だ。カルステンは繰り返す人生のおかげで法術を使用してきた時間こそ長いものの、殆どを独学で何とかしていた為、改めて文章にされると何のことがわかりにくく、イメージしづらいが故に理解がしにくい。

(だいたい『法術の初歩』が"精霊に祈りを捧げること"なあたりから理解不能だ)

精霊=イコールエーテルナノであることは理解できているのだから、そのまま読みかえればいいのだろうが、妙なところで頭の固いカルステンは所々で引っかかってしまって勉強が進まない。

「はぁ、」

「あの」

不意に声を掛けられて、それがエンゲルハルトのものでない事に少し驚いた。集中し過ぎて周囲への警戒を怠るとは鈍っているにも程があるな、とカルステンは心の中で舌打ちをした。

「何か用か」

「ええ、聞いてくださるだけでいいので、少しお時間をいただけませんか」

振り返った先でフェレーナが眉を下げて微笑んだ。その顔に数日前までの焦ったような、憔悴したような色はない。「いいだろう」と一つ頷いて、カルステンはフェレーナに向き直った。ちょうど、休憩がしたかったところだ。


「先日は、大変失礼なことを申し上げたと思っています。言い訳はいたしませんわ。私にどんな事情があろうが、誰かに焚き付けられようが、そうであってもなくても、貴方に苛立ちや不安定さをぶつけていい理由にはならなかったのに。愚かにも私はよりにもよって私の事情とは無関係である貴方にそれをぶつけてしまった。ごめんなさい。

それから、あの時貴方が中庭で私に会う前、ベルタに会ったと聞きました。そして彼女が貴方に失礼なことを言ったことも。……これは、言い訳になるので聞き流していただいて構いませんが、ベルタも、悪い子というわけではないのです。思い込みと私への盲信が激しくて、まだあまり他者との交流に慣れていないだけなの。根は素直な子だから、どうか邪険にはしないでやって欲しいと思います。彼女の分まで謝罪を。本当にごめんなさい」

そこまで言って、フェレーナは深々と頭を下げた。動作に合わせて彼女の長い髪がふわりと揺れる。

「侯爵家のご令嬢とやらが、召使い風情に頭を下げたり敬語使ったりするのはアリなのか?」

純粋に疑問に思って尋ねると、顔を上げたフェレーナがゆったりと口を開いた。

「ここにいる間くらいは、身分から離れて自分に素直に行動するべきだと思いましたの。謝罪は、何にもない私から出来る貴方への誠意。敬語は、立場も何もなく私におかしいと告げた貴方への尊敬の念を込めて、ですわ」

「そうか」

アリなら別にいい、と言わんばかりのぞんざいさで頷いて、カルステンは「話はもう終わったか」と聞いた。

「いいえ、ここからは貴方への感謝を」

「俺は何かしてやった覚えはないが」

「そうですか、でも私には貴方に何かしてもらった覚えがあるので」

フェレーナの少し垂れた目が、そっと細められる。

「無理をしてまでなったものは私じゃない。何かを成し遂げたりしなくても私は私。そう、教えてくれてありがとう。心がすっと楽になって、息がしやすくなりました。もしかしたら貴方にとってそれは当たり前の事実だったのかもしれないけれど、私にとっては、そうではなかったから。嬉しかったの」

にこり、と笑った。

図書館の窓から、光が漏れている。反射してきらきらと光る麦のような薄明かの茶色髪が、彼女の肩でくるんとはねた。

「改めて、これからクラスメイトとしてよろしくお願いします。ヴェーラー君」

少し強張った声色で、フェレーナが右手を差し出した。握手を求められているのだということは流石にカルステンでもわかったので、同じように右手を出して握手に応じる。

「よろしく」

カルステンのよりも白くて小さな手を握ると、安心したようにフェレーナがホッと息をついた。オリーブのような穏やかなグリーンの瞳が緩む。


そこで今更、やっと、はじめて、カルステンはフェレーナがとんでもなく美しい少女であることに気がついた。


その後、開きっぱなしにしていたカルステンの教本を見つけたフェレーナが伺うような視線で「わからない点があるのか」と尋ねた事をきっかけに二人の勉強会が開始する。カルステンが理解の乏しい点を尋ねるとフェレーナが的確な回答を出し、フェレーナが実技の不安な点を零せばカルステンが改善点を指摘した。日の光が差し込む図書室で、二人はゆったりと会話を続けていた。






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新しい世界ニューワールドは鮮やかに輝いている

__(君とは__じめて)__(君とは__じまる)____________

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