第三章『新しい』1/3

「本日、私たちはこの学園に入学し__」


この島にしか存在しないという不思議な花、"サクラ"が咲き誇るその日、カルステンはエルツ学園にて、入学式を迎えていた。


エルツ学園は、同名のエルツという島に存在する唯一の有人区域である。元々は人っ子ひとりいない荒れ放題の無人島だったのを、偶然島を訪れた法術師エルツが中心となって開拓したのだという。エルツはその功績を認められ島に名を残し、また彼女が優れた法術師であった為に、彼女に憧れたその後の法術師達によってその地には彼女の名をつけた学習・研究を目的とした施設__つまりエルツ学園が創設されたのである。ちなみに法術師エルツは実は何百年も生きたエルフだったとか、実は女ではないとか、そもそもエルツはこの世界の人間ではないのでは、などと信憑性の有無に関わらず色々噂の多い人物で、しかし少なくとも本人がここ何百年も見られていないことから、やはりエルツは何処か田舎の土地でひっそりと亡くなったのだろう、というのが通説である。


「輝かしい歴史を持つこの学園で、学術的な知識、また他者との関わりを学んでいけることを、心から嬉しく思います」


新入生代表のスピーチは入学前に行われた試験で一番の成績を残したものが担当するしきたりらしく、当然のようにエンゲルハルトがその権利を獲得していた。真新しい制服に身を包んだエンゲルハルトは今日も今日とて人形のように美しい。壇上の彼を見上げる他の参列者たちも、見惚れたのか感嘆の息を漏らしている。そんな中カルステンは一人フン、と鼻を鳴らした。

エンゲルハルトの指示とディモのスパルタ気味の教育のお陰で、カルステンの学力は約半年前と比べて格段に上昇した。勝てるなどとはまさか微塵も思ってはいなかったが、なまじっか試験の出来は良かったと確かな手応えがあったものだから、例え思うところがあったのだとしてもやはり少しは悔しいものがある。勝負事はいつだって負けると無性に悔しくなるものだ。

試験の成績は首席者のみ事前に届き、あとは教室分けとともに入学式後に公開されるとのことで、未だ結果がわかっていない。教室分けは試験の成績順らしく、カルステンとしては狗としての職務的にも、彼個人のプライド的にも、エンゲルハルトと同じクラス__つまりは一番上のクラスにいかなくてはならない。正直入学式云々はもういいからはやく結果を教えてくれ、と言いたい気持ちでいっぱいであるが、現実は非情で、式が始まってからすでに二時間とちょっとが経っている。だいたいは来賓や学長の挨拶が長いのが原因である。


「私達の未来への一歩を、どうぞ温かく見守ってください」


エンゲルハルトのスピーチはそう締め括られた。存外短くまとめられたそれにほんの少しの安堵をこめつつ、会場中から沢山の拍手がおくられる。

そんな様子を少し冷めた目で見つめていると、隣から同じような温度の視線をおくっている人間に気がついた。いや、正確には同じではない。苦虫を噛み潰したような苦々しさと、冷たすぎて逆に火傷をしそうな温度をもった視線である。隣に座る少女を見て、カルステンは(また面倒なのがいるな)と小さく溜息をついた。



カツ、カツ、カツと人気のない廊下にヒール音が響く。入学前にエンゲルハルトから制服とともに与えられたブーツは何とヒールが4センチもあって、ヒール初心者のカルステンは慣れるまでが大変だった。実を言うと今でも少し不安で、表情が強張る。

だいたい、てっきり試験結果は一緒に見に行くものだと思って式の後もエンゲルハルトを待っていたのに、エンゲルハルトときたらカルステンを見るなり「すまないね、カルステン。僕はこの後学長や教授達と少しお話しすることがあるから、結果はお前一人で見ておいで」と言ってのけた。畳み掛けるように申し訳なさそうな顔で「ごめんね、カルステン」と言われてしまえば、カルステンの方から言える事は何もなくて、ただ一言「そうか」と頷いて、式場を後にした。

そんな訳でカルステンは一人仏頂面で廊下を歩いている。

(別に、俺は一緒に見に行きたかった訳ではないというのに、)

ただ狗としての職務的に、エンゲルハルトのそばをなるたけ離れない方が良いのではないかと判断したのと、後は、後はあの、己に何かしらの所有欲だか、庇護欲だかを拗らせているらしい__これはあくまでカルステンの勘だが__彼に気を使ったが故の行動であったのに、

(あの言い方ではまるで、俺がアレと一緒に見たいと駄々をこねたようではないか)

むむむ、と廊下を歩くカルステンの唇が人知れず尖る。如何にも不機嫌ですといった風な顔で歩く長身の男、というのは誰かに見られていれば不審がられただろうが、幸いにも、現在式後からだいぶ時間が経ち既に大半の生徒が確認を終えた後であったことと、今日この後から始まる学寮生活の為に自室の整理に励むものが多かったことで廊下に人気はなく、カルステンはその事に密かに安堵していた__いくらカルステンが他人からの評価に興味がないからといって、入学初日から変に避けられたいわけではないのだ。


試験の結果が張り出されている中庭に着く。式典等を行う講堂と一般の教室棟とを繋ぐ道に面して存在するそこは、普段は授業合間の生徒の休憩場として使われているらしく、小さなベンチが二つ配置されている。そのベンチの傍にある固定式法術のかかった媒体が白い幕のようなものを投影し、そこに試験結果が浮かび上がるという仕組みである。

「ふむ」

五十位以下は視界にも入れずに、カルステンは己の名前を探す。そもそも一位でなかったことに憤慨するくらいなのだから自分の結果にも相応の自信を持っていて当然というものだ。

「ん……」

十位まできてもまだ名前がない。もしかしたら名前を見過ごしたのかと仄かに不安を抱きながら、カルステンは視線を上に滑らせていく。

十位、エッダ=ヒンドルフ 三百五十二点

九位、アマンド=クルーク 三百五十九点

八位、パメーラ=ルルツ 三百六十五点

七位、ベルディ=マイヤー 三百九十二点

六位、ブルクハルト=メラー 三百九十八点

「む……」

五位、フレルク=オルフ 四百九点

四位、ニコ=シュトラブ 四百五十六点

三位、フェレーナ=ウルレド 四百八十二点

そして、二位__、


「なんだ?」

背後からよる気配にカルステンが首をかしげる。エンゲルハルトには何故か容易に背後を取らせてしまうカルステンだが、一般の学生に気づかないほど衰えてはいなかった。気配のする方に目をやると、そこには一人の少女が立っている。


「貴方がカルステン=ヴェーラー?」

彼女は声をかける前に振り返って視線を合わせてきたカルステンに少し驚いた様子を見せたが、すぐに気を取り直したのか、そう尋ねた。火傷しそうなほど冷たい視線は先ほどと変わらない……カルステンの隣に座っていた少女だった。

「お前の名は?」

やっぱり面倒な奴だったな、と思いながらカルステンは投げやりに相手の名を問うた。返ってきた名がエンゲルハルトの敵のものであれば、それ相応の態度を取る必要があったからだ。

「質問に質問で返すのはあまり賢くないと思うのだけれど」

「自分で名乗る前に相手に名乗らせようとするのもあまり賢くないと思うぞ」

ゆったりと、しかし何処と無く詰問するような含みを持って発せられた言葉に、眉をひそめて言い返す。

少女の声は上に立つ者の傲慢さと従える者の圧力を感じさせるものだったが、普段からエンゲルハルトそれ以上の圧力を前に生活してきたカルステンにはないも同然だ。

言い返しながら、横目でちらと先ほど確認しそびれた二位の欄に目を通す。


二位、カルステン=ヴェーラー 四百八十五点


よし、と思う一方で、素直に喜べない自分がいることにカルステンは気づいていた。己の名前の上に輝くエンゲルハルトの名と五百点満点の文字が忌々しい。人は十五点差を褒めるのだろう。順位を褒めるのだろう。本格的に勉強し始めてからまだ半年で、この学園に通うまでに今まで勉強をしてきた商家や貴族の子よりもずっと良い成績を残したのだから、褒められてしかるべきだ。しかし、カルステンにとってこの数字は全く意味をなさない。カルステンはただ、狗としてエンゲルハルトの掌の上で転がされただけだからだ。

(わかっていてもやはりこう……ムカつくな)

カルステンが苦虫を噛み潰したような気持ちでもって心の中で毒づいていると、目の前の少女もまた苦々しい面持ちで再び口を開いた。

「私の名はフェレーナ。フェレーナ=ウルレド。貴方に三点差で負けた女よ」

「そうか、俺がカルステンで合っている。最もお前は俺が答える前から確信を持っていたらしいが」

軽口をたたくように言葉を返しながら、カルステンは少し驚いていた。ウルレド、という名はエンゲルハルトと敵対関係にある者の名が載った名簿(ディモ作)にはない名だった。式の時に見た視線があまりにも冷たかったものだから、てっきり敵対者の刺客か何かだと思っていたのに、飛んだ拍子抜けだった。勿論面倒なことに変わりはないが。

「ヴェーラーなんて名前、何処でも聞いたことないわ。貴方は何処の誰で、何の為に此処に来たの」

少女の語調は、それだけなら尋問のそれと似た何かだった。

「何故、あの試験でそれだけの点数が取れるの」

張り詰めたような空気の中で、カルステンは、少女の問いの本題は後者なのだろうな、とあたりをつけていた。確かに妙なテストではあった。法術史、大陸史、大陸語、数字学、鉱石学の五教科からなり、その大半はただ生きていく上で必要になることはないものばかりだった。正直カルステンもエンゲルハルトの教育プランがなければ二位を取ることはできなかっただろう。

あのテストも妙だったがエンゲルハルトの方がもっと妙だ、とカルステンは思った。今回受けたテストには、エンゲルハルトが覚えろといったところしか出なかった。つまりカルステンは最低限の勉強しかしていないわけだ。

(やっぱり気持ち悪いな)

先読みしたようなエンゲルハルトの行動に毎度の事ながら若干うんざりして、カルステンは虚に彷徨わせていた視線をフェレーナの方へと戻した。

「俺はただ、妙な男の言う教育方針に逆らわなかっただけだ。もし何か文句があるなら俺の名前の上の奴に言ってくれないか」

「え……」

フェレーナが何か言いかけた、その時、本当に不意に、声がした。


「妙な男って僕のことかい? それは少し、僕に対して礼儀の欠けた物言いだと思うよ、カルステン」


フェレーナの時とは違い全く気配を察知できなかったことに対して、カルステンは最早悔しいとさえ思わなくなりつつあった。人はそれを諦めと呼ぶ。

「俺がお前に対して礼を欠いているのは最初からだ。そこに対して言いたいことがあるのならばお前は半年前の時点でそう言うべきだった」

「おや、僕はお前のことを気に入っているからね。言葉遣いくらい気にしないさ。ちょっとした冗談だよ」

「そうか、それは良かったな」

「ああ、そうだね。

ところで、そこにいるのはフェレーナ嬢かい?」

二人の掛け合いに呆然としていたフェレーナは突然呼びかけられたことに驚いたのか少しだけ目を見開いたが、それ以上の反応は見せずにすぐ返答する。

「ええ。違いませんわ第三皇子殿下」

「そう。侯爵家の才女と名高いだけあって、流石の点だね。おめでとう」

皮肉なのか、とカルステンは一瞬ギョッとしたのだが、エンゲルハルトの常にない圧力に寸前のところで口に出すのを断念した。普段から圧力全開のエンゲルハルトであるが、今日はまた一段と空気が重たい。カルステンは対象から外れている様だったが、少女一人にぶつけるにはあまりにも濃厚な圧力だった。「お褒めに預かり光栄です」と笑ったフェレーナは、上手く取り繕ってはいるものの、握り締めた手がギシギシと音を立てている。

「カルステンは僕の召使いでね、君にとってのベルタ=アベーユの様なものさ。邪険にしないでくれ。それに、此処は法術の才を持った者達が問答無用で集められるところだ。何の為に此処に来たのか、と言う君の問いはお門違いだな。

それと、」

エンゲルハルトはゆっくりと首をかしげた。

「それと、彼が何故この点数を取れたかということだが、その答えは僕が教えたからというもの以上に何か必要かい?」

「いいえ、いいえ殿下。十分な答えですわ」

「そう。満足してくれたなら良かったよ。で、あるなら君は急いで寮に向かった方がいい。ベルタ=アベーユが君を探していたよ」

エンゲルハルトがとどめを刺す様ににこりと笑うと、フェレーナは少し青ざめた様子で頷き、最後に「ありがとうございました」と言い残して去っていった。

「さて、僕達も寮に向かおう、カルステン。部屋の準備をしないと」

にこり、とまたエンゲルハルトが笑う。同じ笑みのはずなのに、先程とは全く違って見えるのは己の目の錯覚なのだろうか、とカルステンは目をぱちくりと瞬いた。


カルステンを置いて先に歩き出したエンゲルハルトを追って、カルステンもまた歩を進める。学寮が見えて来たあたりでエンゲルハルトがはたと思い出した様にカルステンを振り返った。

「試験二位おめでとう。カルステン」

美しい赤い瞳を輝かせるエンゲルハルトはいつも通りで、カルステンは溜息を一つ吐いた。

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