修也の探偵道

 エルザがいなくなって数秒後、景嗣の深い深呼吸を合図にピリピリした空気は薄まり、全員から緊張が解けた。


『景嗣様の追う犯人が、まさか使い魔だったとは……』

「驚くのも無理はない。僕も初めて知った時は同じだから」

『景嗣様。これはもう一人で手に負える事件ではないかと』

「もちろん。この後、探偵協会に出向いて報告する。エルザは全国の探偵に伝えるべき要注意人物だ」


 景嗣はエルにそう言いながら拳銃を懐に仕舞う。


「ごめん、父さん」

「修也?」

「エルザの言うように、僕は何も分かっていなかった。自分の感情のまま捲し立てて、父さんやエル、千鶴に迷惑を掛ける所だった……」


 ようやく落ち着いた修也は自分の愚行に気付いた。


 学園では耳にタコが出来るぐらい、現場では冷静になるよう教えられていた。どんな状況になろうと、しっかりと見極めるように心掛けろ、と。


 だが、先程の自分はどうだ。怒りのままにエルザに詰め寄り、父親に撃てとすがった。それがどんな破滅を導く引き金になる事を考えずに。冷静とは遠くかけ離れた過ちだ。


「いや、無理もない。エルザの正体や考えを知れば、他の名探偵でも冷静を保てるか分からない。まだ見習いの修也が気にする事じゃない」

「でも……でも……」

「それに、謝るのは僕の方だ。僕の力が及ばずに、エルザは今もなお逃走している。そのせいで修也達を危険な目に合わせた。すまない」

『景嗣様、そんな事は……』

「もう僕一人でどうにか出来る事態じゃなくなった。さっきも言ったように、これは最警戒案件として探偵協会に告げる。これからは、探偵全員でヤツに追う」

「父さん……」

「それより修也、あの子のロープを解いたたらどうだい?」

「あっ……」


 景嗣が手のひらを千鶴に向ける。今さらだが、千鶴は縛られたままだったのを修也は忘れていた。駆け足で近付き、ロープを解きに掛かる。


「修也……」

「ごめん、今解くから」


 修也の手によりようやく解放された千鶴だが、疲労等が重なってぐったりとしている。


「すまない。修也だけでなく、君にも怖い思いをさせてしまった」

「そ、そんな。二階堂名探偵、頭を上げてください」


 謝罪のため頭を下げる景嗣に千鶴が慌てて手を振る。憧れの名探偵にされたのだから無理もないだろう。


「君は修也の友達かい?」

「は、はい。クラスメイトの羽賀千鶴です」

「羽賀さんか。こんな目に合わせておきながらなんだが、これからも修也と仲良くしてくれるかい?」

「も、もちろんです!」

「ありがとう」


 ニッコリと笑みを向ける景嗣に、千鶴の表情は緩み出した。


「千鶴、顔がにやけてるぞ?」

「バカ。目の前にあの二階堂名探偵がいるのよ? これがにやけずにいられないわけないでしょ」

「威張って言うことか?」


 突っ込む修也だが、いつも通りの千鶴に戻っていたので安心した。


「あっ!」


 すると突然、千鶴が大きな声を上げた。


「どうした、千鶴?」

「課題忘れてた」

「あっ!」

「課題? ああ。そういえば、それをしている最中だったんだっけ?」


 誘拐で頭が一杯だったが、本来の自分達の目的は選抜合宿のための課題に取り組んでいた事を二人は思い出した。


『修也、今何時だ?』


 時計を確認すると、十七時を過ぎた辺りを針は指していたのでそれを教える。


『これはもう無理だな』

「はぁ~、まあしょうがないか。課題どころじゃなかったもんね」


 諦めの声を出すエルと千鶴。


 たしかにその通りだった。制限時間は十八時までであるが、ここから学園まではどんなに急いでも一時間は掛かる。ましてや、修也達は第三のポイントで資料を見ていないので、答えすら導いていない。結果は不合格で間違いないだろう。


 だが、修也だけは違っていた。そっと景嗣に顔を向けると、目だけで察したのだろう笑顔で深く頷いた。


「エル、千鶴。行くぞ」

「行くって、どこに?」

「決まってる。学園だ。課題をクリアする」

「いや、無理だよ修也」

『修也、時間はあと五十分しかない。どう頑張っても無理――』

「五十分しかないんじゃない。五十分も残ってるじゃないか」


 修也の言葉が優しく響いた。


「時間があるならそれを目一杯使って考えよう。最後の一秒まで考えに考え抜いて、その時間で導いた答えだけでも伝えようよ。諦めるのは時間がゼロになってからでいい。立ち止まって考える時間がないなら、向かいながら考えればいい。立ち止まって諦めれば、その時点で事件は迷宮入りだ。探偵は真実を追い求める者。それを掴み取るまで足を止めずに突き進む。諦めない精神、それが探偵の姿だろ」


 修也の言葉は、エルと千鶴に染み込むように静かに耳を届いていた。なぜなら、修也は正しい事を言っているからだ。


 答えを出す事は絶対だ。それがなければ犯人を見つけられず事件は解決できない。そのために一番大事なのは停滞をしない事だ。


 探偵にとって真実を追い求めるという事は、夜空に輝く星に近付くようなものだ。遥か遠くにある真実という光を手にするため、一つ一つの手掛かりを元に考える事でその距離を縮める。想像以上の困難、苦労が必要で、本当に近付いているのかどうかも分からず、不安になる事もあるだろう。だが、そこで立ち止まるわけにはいかない。眺めているだけでは、いつまで経っても光を手にすることはないのだ。


「たとえ途中で時間が来て不合格になっても、その分だけ前に進んだ事になるんだ。悪あがきをするなら、徹底的に悪あがきをしてもいいんじゃない?」

「……そうね。諦めるにはまだ早いね!」

『いいだろう。付き合ってやる』


 話を聞いた千鶴とエルも、修也と同様にやる気を出した。


「じゃあ、早速行きま――うっ」

「どうした、千鶴?」

「ごめん。上手く体に力が入らない」


 立ち上がった千鶴だが、ユウスケにされた電気ショックが残っているらしく、壁に凭れ掛かってしまった。


『まだ痺れが取れてないみたいだな』

「ごめん……」

『謝るな。これはしょうがない』

「修也、私はやっぱ無理みたいだから修也とエルちゃん二人で――」

「よっ」

「きゃ! ちょ、ちょっと修也!?」


 動けない千鶴を見た修也は、千鶴をおんぶした。


「これで問題ないだろ?」

「ありありだよ! 恥ずかしいから下ろして!」

「断る」

「何でよ!」

「これはペアで取り組む課題だ。僕一人だけ行ったって意味がないだろ」

「そうかもだけど……修也だって怪我してるんだよ?」

「だったら、傷に響かないように大人しくしててくれ。父さん」


 景嗣に振り向く修也。真っ直ぐひたむきな目を向ける自分の息子に、景嗣は誇らしそうに頷いた。


「ああ。頑張ってこい」

「うん!」


 そう返事をした後、修也達は景嗣と別れ廃ビルを後にした。


「ねぇ、修也」


 学園に向かってしばらくすると、千鶴が後ろから声を掛けてきた。


「何だよ?」

「……ごめんね」

「何だよ急に。しょうがないだろ。体が痺れてるんだから」

「違うよ。いや、それも悪いと思ってるけど」

「じゃあ、何の謝罪だよ?」

「その……くじでこんな課題を引いちゃったから」


 いつもと違う弱々しい千鶴の声が届く。課題中、千鶴とは喧嘩をしていたのを修也は思い出した。


「自分で引いたくせに、その結果を修也のせいにしちゃった」

「いや……それはこっちもごめん。千鶴に任せたのに、文句言っちゃったしさ」

「それに、私が別の課題を引いてたらこんな事にはならなかっただろうし」

『それは違うぞ、千鶴。あのエルザは最初から修也に近付こうとしていた。たとえ別の課題であっても、結果は変わらなかっただろう』

「そうさ。それに、僕とペアを組まなければ千鶴は危険な目に逢わなかった。どっちかと言えば僕のせいだ」

「それは違うよ、修也。ペアは私から頼んだじゃない」

「けど……」

「私ね、誘拐されてからずっと怖かった」


 まだ拭いきれていないのだろう、微かに震えながら千鶴はその時の心情を話し出す。

 

「エルザにいきなり後ろから刃物を首元に突き付けられて、何も出来ず言われるまま連れてかれた。あの廃ビルで縛られて、あのユウスケってヤツに見張られてる間、殺されるんじゃないか、ってずっと震えてたの」


 それはそうだろう、と修也は思った。誘拐されて恐怖を感じないわけがない。


「走馬灯、って言うのかな。今までの学園生活がどんどん思い浮かんで、ああ、私は死ぬんだな~、って寂しくて寂しくて何度も泣きそうになった。でも、修也とエルちゃんが来てくれた時、すごく嬉しかった」

「千鶴……」

「だから、修也、エルちゃん。ありがとう」

『当然だろ? 千鶴は大切な仲間だ』

「うん。修也」

「何?」

「私を助けてくれてありがとう」

「いや、助けたのは父さんだよ。僕はボコボコにされただけ。何も出来なかった」

「ううん。修也だって必死に私を守ってくれたよ。格好良かったよ、修也」


 そう言うと、千鶴は修也の背中を強く抱き締めた。


『千鶴。あまり密着しない方がいいぞ? 背中に胸が当たって、スケベな修也が喜ぶ』


 はぁ~。こんな時に何を言ってるんだ、エルは。


「エル。それは胸がある女子の話だろ。千鶴のどこに胸があるんだ? 今だってなんの感触もしないぞ? 胸のない千鶴にそれは失礼だぞ」


 まったく、エルは女心を知らな――ぐおぉぉ! 千鶴、何で首絞めるんだよ!? 怒る相手はエルじゃないのか!? 苦しい! 苦しいぃぃぃ!

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