第四話 月が落とした太陽

 コロニーの地区間に開いた窓からその特徴的なバスの影を見つけると、アビーは家庭教師の目を盗み駐機場へと駆けだした。肩までの濃茶のくせ毛を跳ねさせてエレベーターのボタンをたたく。エレベーターの到着も、コロニー軸心にもうけられた駐機場へ進む間も、外を眺め、足を踏みならし、表示を眺め、落ち着かない。ようやくドアが開いたかと思えば、貨物専用エリアの一番端、バス専用のエリアへと一直線に向かっていく。重力の薄い場所だから、手すりを伝い、リフトをつかんで。

 今日はアビーが見つけるのが早かったらしい。与圧はまだ完了しておらず、駐機場への入り口は堅くロックされたままだ。さらに向こうの管制室へと大人がひっきりなしに出入りしている。方々への到着連絡、『荷物』の搬出・搬入準備、忙しいのだろうとは、アビーにも知れた。今頃アビーの父の会社にも連絡が行っているはずで、つまり、置いてきた家庭教師がやってくるのも時間の問題というわけだ。

 見つかる前に、早く。

 アビーはロックをにらみつける。手すりをつかんだ左手の指がイライラとリズムを刻む。

 ロックは変わらず赤いまま。

 今日は遅い。今日も遅い。にらむ前でようやくランプは緑へと色を変えた。

 ロックに飛びつく。引き開ける。空気を与えられた倉庫の中で、船体にLifeEndと大きく描かれたバスが長々と横たわる。その、バスの先頭部分から。

「やぁ、アビー。元気そうだね」

「あらアビー。また来たの!」

 黒い髪、黒い作業着、黒い手袋、黒い靴。黄色味の強い顔の中、目だけが鮮やかに蒼い青年がドアを押し開け、手を振った。光の欠片のような『妖精』を毎度の如く周囲に舞わせて。

「ユニ! 外の話、聞かせて!」

 家庭教師に見つかる前に。

 アビーはユニの手を引き、急ぐ。


 *


 コロニー端に設えられた駐機場の休憩所は少しばかり重力が弱く不安定ではあったけれど、人の姿も少なく、居心地がいいとアビーは思う。地区間窓ではあっという間に流れてしまう星空が、此処では速度を落として回っている。ここからならば、月をゆっくり見ることもできる。細かなクレーターが一面についた月の表面は、いくら見ていても飽きることがなかった。

「少しだけだからね。仕事があるんだから」

 ユニはそんな風に言いながらも毎回アビーに付き合ってくれる。L2コロニー群特産のハーブティーをにこにこ顔ですすりながら、3D映像の妖精をその周囲にまといつかせながら。

「ね、地球で大嵐が起きたってほんと?」

「あら、よく知ってるわね」

 応えたのは妖精だった。ユニは少しだけ表情を陰らせながら、うん、と軽く頷いた。

「お父さんが難しい顔してたの。穀物を増産させた方がいいだろうかって」

 アビーは小遣いで買ったL2コロニー産小麦を使ったクッキーを一つ口の中へと放り込んだ。皮まで引いた全粒粉の茶色混じりの素朴な味は、アビーが最も慣れたものだ。

「L1を通った時にちょうど見えたよ。大きな大きな雲だったよ」

 ユニはどこか遠くを見る。ユニの瞳は床のどこかを見ていたけれど、月の向こう、アビーが知らない『地球』を見ているのだとアビーは思う。

 学校の映像でなら、アビーも知らないことはない。が。

 月を挟んで地球とは逆側に位置するL2からは、地球を見ることは決してできない。

「大きいってどれくらい?」

「窓から見える地球を覆っちゃうくらいね。渦を巻いて、真ん中には『目』があるのよ!」

 妖精はどこからともなく響く高い声で言い、跳ねる。

「め」

「そう! 目よ! ぎょろっとしてるの。瞬きもするのよ!」

「瞬きするの!?」

「瞬きすると人が一〇〇人飲み込まれるの」

「そんなに!?」

 食いついたアビーが面白かったのだろうか。妖精はいつも以上に飛び回る。光の粒をまき散らすように輝きを残しながら。

「ベル」

 あははは! 嘘よ!

 ユニのたしなめるような声が入ったから。アビーは思わずほっと息を吐いた。

 嘘なのか。

「瞬きは嘘よ。でも、何百人も死んだのは本当。稲作地帯がやられた。今年の収穫は厳しいことになるわ」

「ほんとう?」

 ユニはそっと目を伏せた。飛び回るのをやめた妖精はきれいな光の小さな顔をアビーに向ける。

「これは本当。お父さんに増産するよう言った方がいいわ」

『妖精』はちらりとユニを見た。ユニはもの言いたげに妖精を見て、結局何も言わなかった。

 アビーは胸に手をやった。シャツの下には、アビーが知る『嵐』の欠片が下げられている。

「ねぇ、ユニ、ベル。嵐って、どんななの? 隕石より大変なもの?」

「……私もわからないわ」

「空気が漏れるみたいな風が吹いて、バケツをひっくり返したような雨が降って、水道管より激しく水が踊るとは聞いたよ」

「こう言うのじゃないんだよね」

 アビーはそれを服の中から引っ張り出す。黒々と重い欠片。しかし、光にかざすといろいろな色に輝きを放つ層を見せる。

 月が落とした太陽の欠片。アビーはそう呼んでいる。

 そっとユニの手袋に包まれた手が伸ばされた。妖精がのぞき込むように周囲を舞う。

「……隕鉄」

「珍しいね」

「月に小惑星がぶつかったときに、ここまで飛んできたんだ」

 空気や水が荒れ狂う嵐など、アビーは知らない。

 地球磁気圏を遙かに超えたL2での嵐と言えば、太陽が巻き起こす磁気嵐と、地球軌道上に広がる塵に突っ込む塵嵐(地球では流星群と言うらしい、とは、アビーは家庭教師に習っていた)、ごく希に月面に落ちる隕石の欠片がコロニーにまで届く落とし物の。……そんな嵐だ。

「いいものもらったわね。大切になさい」

 妖精が離れる。ユニはそっと手を離した。アビーは服の下へとしまい込む。

「もらったんじゃないの。取ってきたの」

「え?」「取って?」

 妖精と、ユニの声がそろった。

 アビーは思わずにんまりと笑む。こんな二人――一人と一体?――の反応は珍しい。

「与圧服で取りに行ったの。先生から逃げるついでに」

「外に!?」「一人で!?」

「外ったってすぐそこだし。地球に行くわけじゃないし」

 いつか、月の向こうの地球を見る。そしてさらにいつか、地球へ行く。

 最果てともいえるL2コロニーは農業工場主体ののんびりとしたコロニーで。アビーはその中でも一二を争う規模の工場の跡取りで。将来は決められているけれど。

 騒々しい音を立ててドアが開いた。あーあとアビーは肩をすくめる。

「アビー! 今日のメニューは終わっていませんよ! ゴボウの水耕栽培について基礎をやる予定でしょう!? 昨日の葉物野菜の育成波長についての演習問題もまだ途中でしたよね!? あなたはそういつもいつも宿題をためて、しかも、仕事の邪魔までして!」

「ユニ。いつか、ユニのバスに乗せてね」

 アビーはぴょこりと立ち上がる。重力が軽い分、軽い足取りでうるさい家庭教師へと歩み寄っていく。

「また、話聞かせてね!」

 あきれたような視線へ手を振り、アビーは追い立てられてエレベータへと向かっていく。


 ――いつか。月が落とした太陽の欠片の、故郷よりも遠いところへ。


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