第10話(前半)

 ドンドンドンッ!


 扉を執拗に叩く音。いや、そんな生易しいものではない。それはもう木製の扉を突き破らんとする勢いだ。

 扉に鍵はかかっていない。家に乗りこんでくる複数の気配を察知した私は、勝手ではあるが、拝借したヒーライトの剣を閂の代わりにして施錠した。だが、付け焼き刃の処置だ。あまり長い時間は持たないだろう。


 扉が軋むごとに焦燥の足跡が背中を駆け上がる。


 ―――どうする? どうするどうするどうする!


 気配からして数は十を超えている。外にはさらにいるはずだ。今の自分たちの状況が袋のネズミなのは間違いない。兎にも角にも、このわずかな時間に何かしらのアクションを起こさなければならない。


 しかし。

 打開策は一向に浮かんでこない。


 例えば、扉の奥にいる兵士たちが打ち破ろうと足踏みしている間に、攻撃魔法を唱え奇襲をかける―――いや、無理だ。閂代わりにした剣の相性が悪すぎる。

 王家の証である『エクスカリバー』。すべての魔を断つ伝説の剣として有名だ。実際、先ほど私の魔法はその剣にいともたやすく切り捨てられた。


 ―――おそらく、魔法を撃ちこんだところで無力化されるだろう


 扉が歪んでいく音と、それと同時に膨らむ緊張感。

 私はヒーライトを一瞥した。

 床に崩れおち、身体を屈ませ、声も音もなく嘆いている。こちらから声をかけても反応すらない。正直なにが起きたのか、その詳細はうまく呑みこめていない。

 ただ実際として、かのヒーライトを無力化できたのは奇跡と呼んでいい。だが、窮地を脱したわけではない。彼女と話せる状況なら交渉して脱出できたかもしれないが。しかし。


 ―――いっそのこと、人質にするか?


 彼女の姿を見ながら、そんな思考が頭に過ぎる。有効な手段ではあるが、騎士道からは外れる。できることなら最悪の最終手段にしたい。


 ―――なら、なにをすればいい?


 蝶番が歪んでいく。ひしゃげた扉に隙間が生まれ、今にも外れかかる。もう、幾分もない。

 半ば自棄になり、部屋を見渡す。今、ここにあるものは―――まず、私ことナイティス、うずくまるヒーライト、そして、彼女の巨体―――ん?


「あの少女はどうした?」


 エルフの少女がいない。それに、恋人カレ――触手の『ショウくん』と言っただろうか?――もいない。思わず、その場にいたモノたちと一緒に部屋全体を一瞥する。

 フム……、と彼女は大きな口を開いて息を吐いて頷く。


「先ニ逃ゲタヨウダナ。マァ隠密ニ長ケテイルカラ大丈夫ダロウ」


 そういえば……と思い返せば、ヒーライトが来訪したときにはすでに姿は見当たらなかった。

 エルフの少女たちのことが心配ではあった。しかし、「大丈夫」とお墨付きがあるならそれを信用しよう。むしろ、少女たちがこの場にいなくて良かった。


 今から私がやることは、幼い少女には決して見せられないことだ。


 ―――こんなものでも、脅しくらいには使える


 折れて小さくなった剣を見つめる。刃渡り十センチほどだ。

 そして、うずくまるヒーライト。

 私は意を決して彼女のもとに近付こうとした。


 そのとき、腕を引っ張られた。もちろんながら、ここにいるのはあと一人しかいない。真剣な眼差しで私の顔を見つめている。


「邪道と言われようとも、もうこれしかないんだ」


 理解してくれとは言わないが、止めないでほしかった。今止められたら諦めてしまいそうで、正直怖かった。

 しかし。

 彼女はふっと鼻息交じりに笑った。


「マダ希望ヲ失クシテハイケナイ」


 そう言われて、―――私はなぜか彼女の腕に抱きしめられていた。

 驚きのあまり言葉が出てこなかった。それどころか理解するのに長い長い一瞬の時間を必要だった。


 ―――っ!?


 気付いたとき、私は顔が紅潮するのを感じた。

 暴れようとしたが、彼女の腕は力強く、しっかりと抱きかかえられた。


「愚策シカ思イツカヌ時ハ……ゴリ押シニ勝ルモノナシ!」


 ―――へ?


 節々が太ったその手に私の身体は易々と持ち上げられる。突然なことに、声を荒げそうになった。しかし、そんな余裕さえ与えず、彼女は扉の反対に位置する窓へと勢いよく走りだした。


 そして、彼女がやろうとしていることに気付いたときには―――私たちの身体は窓ガラスを突き破り、宙へと放りだされた。私たちがいたのは二階にある一室だ。そこから地面までの距離は五メートル強。彼女はその巨躯を捻り、私を腕のなかへしっかりと押さえこむ。


 そのすぐあとに衝撃が私の身体を巡る。しかし、厚い皮膚が緩衝材代わりに軽減された感覚があった。衝撃が収まり私は顔を上げた。


「だ、大丈夫か!」

「アア、……コノ容姿ニ初メテ感謝シテイルトコロダ」


 掠り傷こそあったが、見たかぎり大きな怪我はしていないようだった。


「まったく、無茶をする」

「ソウ言ウナ。無茶ホドスル価値ガアルトイウモノダ」

「そうだな。だが、軽口を叩いている場合ではない。……立てるか?」


 彼女は、差しだした私の手を頼りに起きあがる。衝撃が抜けきっていないのか、彼女の所作はぎこちなかった。


 しかし、時は待ってくれない。

 次の瞬間には「囲めーっ!」と耳を突く怒号が反響した。そして、森に木霊するその声が聞こえなくなるまえに、駆けつけられた兵士に囲まれた。なんと手際のいい俊敏な動きだろうか。


「……さすが国直属にある兵士なだけはあるな」


 息をつくいとまさえ与えてはくれない。

 私は折れた剣に手をかける。


 ―――敵は約十人弱というところか


 相手の実力にもよるが、ぎりぎり勝算がないこともない数ではある。まさか全員がヒーライトほどの手練れではあるまい。

 ただし、、である。


 ―――気配からして森に数名。そして……


 先ほどまで私たちがいた部屋のほうを一瞥する。


 ―――問題はこっちだ


 束で襲われれば、結果は見えている。家から出てくる幾ばくの時間までに、目のまえの戦力を無力化できればあるいは。


「お前は完全に包囲されている!」


 そのとき、兵士集団のなかで一人、副団長と思しき人物が声を上げた。


「抵抗を止め、をこちらに引き渡しなさい!」


 それは私ではなく、オークに対して放った言葉だった。

 兵士たちの瞳には張りつめた緊張が見てとれた。そしてそれは目のまえの巨体、オークに対して向けられている。


 ―――私には警戒していない


 目のまえの兵士の手元を瞥見する。隙だらけだ。


 ―――奪える。今なら容易に


 時間がない。考えるより先に動く―――べきだった。

 結果から言えば、私が一歩動くより先に動かられた。いや、阻まれたといったほうが正しいだろうか。視界が、大きな肉体に阻まれたのだ。


 そう、オークの身体に。


「なっ、なにを!」

「……ヒトツ頼ミガアル」


 言葉も物理的にも、私は遮られる。


「モシ此処カラ無事ニ帰レタラデイイ」

「なに、を……?」

「私ガ、私タチ家族ガ此処ニ存在シテイタコトヲ、忘レナイデクレ」


 私はその言葉に、彼女の決意を感じた。そして、先ほどの彼女の言葉を思いだす。


『マダ希望ヲ失クシテハイケナイ』


 あの言葉はつまり、「人質としてならまだ助かるキボウがある」という真意だったことに、私は気付いてしまった。


 ―――止めなきゃ


 副団長が片手を挙げて、合図する。兵士たちは剣を振りかぶらんと構えた。

 けれど、勢いよく開く家のドアも、こちらに向けられる銀に輝く切っ先も、目に入らなかった。

 副団長が兵士に合図を送るまえに、止めなくてはいけなかった。


 一瞬の静寂ののち。


 ―――だめ!


 副団長は手を振りかぶり、一言。


!」




 ……。

 ―――は?


 おもわず、呆気に取られてしまった。

 副団長の謎の掛け声に、まわりの兵士たちも切りかかるタイミングを失っている。なかには、茫然と口を開けている者まで……いや、なにかがおかしかった。目が虚ろであったり、涎を垂らしていたりする兵士までいたのだった。


「……ひんっ!」

 どこからともなく、兵士の声が聞こえた。

「ひんっひんっ!」

 その掛け声は自然と伝播して、いや、感染していった。

「ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ!」

 それは次第に熱狂的なコールへと変化した。まるでなにかを呼びだす儀式のようだった。


 ―――なんだこれ……?


 その光景に私は頭から思考と判断能力がお留守になってしまう。コールが重低音に変わり、直接脳を震わせてくるような、そんな気分だった。


 というよりも。


 ヴィィィィ ン!


 実際に重低音が響いていた。


「お初にお目にかかりますわ。オークさま」


 声と重低音のほうに振りかえると、そこには魔術隊のマントを纏う女性の姿があった。

 敵か味方か判断に躊躇した。が、私は剣を構えなおす。彼女からは殺気こそ感じとれなかったが、「獲物を見つけた」とでも言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていたのだ。


 手には淫猥な形状をした謎の道具、そしてそれは音を立てて踊っている。おそらく魔具だろう。


 彼女は一度その魔具を振りはらい、動きを止めてから、丁寧にお辞儀を重ねる。


「どうやら間に合ったようで。ふふ、このときが来るのを心待ちにしていました」

「貴公はいったい……」


彼女は貼りつけた不気味な笑顔を見せる。


「あら、いけません。自己紹介がまだでしたね。私は第三魔術隊所属のレミ……」

「おひんひんさまだぁーーーっ!」


 木々のおくから現れた人物の言葉は途中で、一人の兵士の大声により掻き消される。森中に反響する「ひんっひんっ!」の儀式コールのなか、「魔術隊所属のおひんひんさま」は、笑顔を張りつかせて肩を震わせた。


 私はおそるおそる、言葉にしてみた。


「……おひんひんさま?」

「わ、私はおひんひんじゃなぁーーーいっ!!!」


 彼女の心の叫びが「ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ! ひんっひんっ!」と、森中に木霊した。

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