第7話

「や、やめろ! 私はそんな卑しい人間ではない!」


 怒声にも似た勢いの発言をする度、ホコリが宙を舞う。閑静な一室に反響したそれは、自分が発している以上に必死さを感じさせた。今、目のまえのオークが行おうとしている所業に背筋が凍らずにはいられないのだ。


「シカシ、オ前モ食ベタイノデアロウ?」


 その問いに私の唾液腺は否応なしに反応してしまう。口内に溢れてきた唾が粘り気のある音となって喉を通り、腹に重たくのしかかる。その指摘はごもっともだった。しかし、それに恥を感じる前に、自分のなかに萌芽した恐怖が───何度も何度も摘みとろうとしても───カタカタと哂うのである。


「私は騎士。このくらい何ともない、何ともないのだ!」


 と口では言うのに、いつのまにかに私は手を伸ばして求めていた。


(すこしだけ、すこしだけでいいのだ……!)


 すこし触るだけ────そのはずが、いつのまにかにしっかりと握っている。感触がリアルになって手のひらを伝う。


 ───くっ、大きくて太い、なんと逞しさを感じさせることか。それにこんなにもビクビクと脈動して!


「……ワタシニ何ヲ求メテイルカ言ッテミロ」


 ───国家直属の騎士である私にそんな恥知らずなことを言えというのか!


 しかし、背に腹は代えられないのも事実だ。それがどんなに恥さらしなことだと分かっていようと言わずにはいられなかった。

 奮い立たせるようにぐっと手のひらに力を込めて、言葉にする。


「わ、私をっ」


 部屋から立ち去ろうとする彼女の大きいを逃すまいと、私は強く握るように引っ張った。


「この部屋に私を一人にさせないでくれ!」

「……台所ニ行カヌト料理ガ作レナイノダガ。オ前モ腹ガ減ッテイルノダロウ?」


 彼女は眉をひそめて、ひと目で分かる困り顔をする。

 ───くっ私の口はなんて恥さらしなことをっ!

 端に溜まった涙を振り払い、私はすぐに弁解する。


「すこしだけ、すこしだけでいい! あのポルターガイストに心構えさえできる時間だけだ!」


 私は誇り高き騎士だ。必要であればオークであろうと軍神であろうと立ち向かうだけの覚悟はある。しかし、こと実態のない霊障に対してだけは怖気づいて仕方がなくなる。実体がないゆえに、得意の剣術が効かないのもそうだが、他にも理由がある。幼い頃の「絶対に一緒だよ!」と誓った友人たちと一緒に肝試しをして、夜の森に置きざりにされて以来、気質として根付いてしまったのだ。


「ポルターガイスト……? アア、ナンダ。ソンナコトカ」


 あのポルターガイスト体験を掻い摘んで話すと彼女の口からそんな言葉が出てきた。ただ、言葉とは対照的に口調は馬鹿にするようなものではなく、安らかだった。

 彼女は振り返り、誰に向けて言った。


「イツマデモ後ロニ隠レテイナイデ出テコイ」


 彼女が振りむくのに合わせて私も覗きみる。小さな人影が、いた。それはちょうど、ポルターガイストの前兆であった、あの視線の高さくらいの背丈だ。彼女がこの部屋と入ってくるのと同時に、ぴったりとその巨体に隠れていたのだ。しかも、私に悟られないように。


 ……こんなに小さい子が?


  私はその隠密能力の高さに敬服するとともに、腰に携えた剣の柄を握りしめた。私が今まで出会ったなかで、そんな芸当ができるのは隠密魔術隊≪アサシン≫くらいだったからだ。

 ここが恩人の家で、暴れることが憚れるとしても、隙だけは見せない。


「ホラ、マタ隠レルナ」


  小さな人影は観念したのか、彼女の後ろから出てくる。


「……コ、コンばんワ……」


  私はその姿を見て、全身に電流が走った。


 美しいカーブラインを描くぴんっと立った耳。宝石を入れたような紺碧の瞳、光をまとった金髪、赤子のように水を含んで透ける肌、お人形のように愛らしい姿……間違いない。


『女騎士のためのオークマニュアル - 外伝「誇り高き隷属の者たち」』


 それにゲスト出演していた伝説の存在―――エルフ。大きさからして、まだ少女……いや、見た目が幼いまま育つというホビット族だろうか。

 曲線をえがく睫毛のおくから、まんまるにかがやく目が上目遣いでこちらをのぞいてくる。


「きゃ、きゃゎぃぃ……」


 目から入った電気信号が脳みそに麻痺を起こさせ、思考を停止させたまま、ヨダレと一緒に口から漏れだす。

 オークが彼女たちを犯すのもわかる気がする。もちろん、私はそんなことはしない。正義の名のもとに保護するだけだ。


「決シテ悪イ人間デハナイ、大丈夫ダ。ホラ」


  黙って影ながらにこちらを見る少女に、オークは挨拶をうながす。それに対して頭だけこちらに出して口上をのべる。


「ハ、ハジメまし……ッ」


  エルフは台詞の途中で舌を噛んでしまう。心配する私を横目に、彼女は痛めた舌を指先で覆い隠す。そして、痛みが引くまでその指先を赤子が母乳を求めるようにちゅうちゅうと吸って―――指を抜く。


 ……ちゅぽんっ


 そして、えへへっ♡……と薄く笑ってみせた。


 ───なんと男を意識した煽情的な仕草だ。しかも、それを子供ながらに無意識にしているのだ。股間からち○ぽが生えてくるというものだ。

 エルフの少女はオークの腕をぐいっと引っ張る。


「ドウシタ?」

「……ママ、タッくんに会ったらダメ?」


 ───。


 ───タッくん? いや、気になったのはそちらではない。


 ───ママ? ママ、……と言ったであろうか?


 私はオークと顔を見合わせた。


「ン? アア。私ト彼女ハ……血縁関係デ、家族ダ」


 おもわず、二人の容姿を見比べる。美しいエルフの少女。似もしないオーク。愛嬌を覚えるといえど、控えめに言って不細工だ。


 私はゆっくりと頷いた。そして。


「貴様! やはりエルフを無理やり孕ませたのではないか?! 女騎士に反応しないと思ったらエルフの女性が好みときたか! この節操なし!……ではないのか。こ、この選り好みめっ!! あ、いや、オークのほうが女性だから、エルフの旦那が……、もしかして逆レ?!」

「落チ着ケ」

「分かった」


 頭のなかがぐるぐると転がる私であったが、彼女の言葉で落ち着きを取り戻す。ただし、脳内はまったく整理されていない。一種の現実逃避だった。


「コレニハ深イ理由がアルノダガ……、トリアエズ」

 彼女はエルフと向きあう。

「『タックン』ニ会ッテイイガ、客人ガイルカラ外デ、ナ」


 そう言うと、少女はぱぁーっと太陽のような明るい笑顔になる。

 そして、こちらに一礼してから、ぱたぱたと足音を立て部屋の奥へと向かった。床に置いてあった壺を一つぎゅっと抱き寄せる。それは、ポルターガイストのときひとりでに動いた、あの壺だった。

 少女はその壺を持ち上げようとして、「あっ」と一言。

 少女は倒れてしまい、もちろんのこと壺も床に転がった。そして────壺はポルターガイストのときと同じく、カタカタと小刻みに笑いはじめた。それだけでこちらの背筋も釣られ笑いのようなひきつけを起こす。


 実体のない霊障。

 いや、よくは見えないが、壺のなかで何かが蠢いていることはわかる。それはねちょぉ……と粘着質のある水音を立て、カタカタと震える。


 にゅるり、と淫靡な音とともに壺の中から肉塊が出てきた。血管が浮きあがった、血色のいいピンク色の肉厚な身体をしていた。粘液をその身にまとって端からヨダレを垂らしている。


 触手テンタクルだ。


 私は自分の人生を反芻する。そして、三冊目ヽヽヽの本。


『女騎士のためのオークマニュアル - 外伝「誇り高き隷属の者たち」(全3巻)』


 オーク側の友情出演キャラクター、存在することはない架空生物と思われていた奇っ怪な存在。しかし、ポルターガイストなどという霊障ではなくたしかに目のまえにいる。いや、それどころか―――オーク、エルフ、触手、……そして自分、女騎士。

 私はとんでもなく重大なことに初めて気がつく。


 ―――オールスターではないか! まさに夢の共演!


 そして、その登場人物たちのなかに自分がいる。なぜか深い充足を覚えた。なにかの間違いであることはたしかだが、伝説の存在たちと肩を並ばせているのは事実だ。達成感に近いそれを何度か頷く動作で噛み締めながら、ほかの登場人物を瞥見した。


 それは実に唐突で、当たり前の光景だった。

 エルフの少女が、触手に襲われていたのだ。

 覆いかぶさるように倒れている幼気な少女を、さらに床に押しつけている。その薄い唇を塞いでは、その玉のような肌に粘液が糸引き泡立ち、───穢されていく。静かな空白にくちゅくちゅっと音が際立って淫猥な空間を成形されていた。


 私はその光景を噛み締めるように、ふむ……、と再度頷く。そして───。


「んほぉ??!??!」


 ───素っ頓狂な声を出してしまった。理解より先に「うむ、そうなるな」と思ってしまった自分が嘆かわしい。


「ソレハ止メロ」


 気が付くと私は剣に手をかけていた。それを彼女の大きな掌で制してくれている。あとすこしで恩人の住居で暴れるという恥の上塗りのするところだった。

 しかし、少女が恥辱に襲われている姿を眼前に置いて、なかなか冷静さを取り戻せることはできそうになかった。

 早くあの少女を助けなくては───。


「落チ着ケ。アノ触手ガ『タックン』ダ」

「んほ?」


「二人ハ、……恋人同士ナノダ」

「ん? ほ? ほ?? ほ???」


 彼女の言葉にもう一度見直す。

 傍から見れば襲われているが、よくよくエルフを観察すると触手の動きを完全に受け入れている。それどころか、自分から求めてように見える。深く交わりあった証である紅潮した唇、熱っぽい吐息、まるで男を迎える女性の表情だ。


「もぉー、こンなトコロでタッくんたらぁー♡」


 頭の処理が追いつかなかった。というより、少女の善がる容貌に思考回路が断線していた。一種の現実逃避だ。


「アレガ、ポルターガイストノ正体ダ」


 私は頷く。それは理解からはるか遠くにある納得だった。もうそんな些末なことどうにでもなれ、という気分だ。

 「デハ、私ハ台所ニ行ク。大人シクシテイテクレ」と言い残して彼女は部屋を出ていってしまう。


 取り残された私は目のまえで行われている熱烈なまぐわいを見つめる。たしかに愛情を感じた。本当に私はこんなものに恐れ慄いていたのだろうか、と疑問に感じた。そして、ほどなくして。


 ───よし。見ないなかったことにしよう


 と、結論に至った。


 眇めた目の行き場に困りながら、背けた視線の先にちょうど本棚が視界に入る。


 見たことのないような、珍妙なる本の数々だ。慣れぬ異国語で書かれた本や保存状態がありえないほどいい古紋書、どれの書物も製本と装丁がしっかりとしている。彩色技術も非常に高い。三原色が、原色の鮮やかさのままに彩られた表紙まである。ここまで来るとオーパーツの類である、と私は素直に感心した。考古学や芸術方面は専攻ではないが、その価値は自分の想像以上のものだと推測できる。


 その中の一冊に目が留まる。いや、目を見開いて身を乗り出して釘付けになった。


「嘘だ。ありえない。そんな、なぜ……?!」


 体温が高くなる。瞳孔が開く感覚。狼狽の色が自分でも分かる形で全身を包む。


「いや、ありえるはずがない! なんで、コレヽヽがここにあるのだ!」


 ───だってこれは


 私はいつのまにかに手に取っていたソレに息を呑んで見下ろしていた。

 見慣れた一冊の本。

 懐かしき記憶。

 私が間違えるはずがなかった。


 だってコレは───。




 ────『女騎士のためのオークマニュアル』

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