女神消失

庵字

第1章 消えたアイドル

理真りま、これからお昼食べない? どうせ暇でしょ」

「人のこと、勝手に暇って決めつけるの、やめてもらっていいですか」

「忙しい?」

「暇だけど……」


 新潟県警捜査一課の紅一点、丸柴栞まるしばしおり刑事から掛かってきた電話に応答した安堂あんどう理真は、そう答えると掛け時計に目をやった。

 現在時刻は、午前十一時四十五分。ランチの誘いには絶好のタイミングだった。


 安堂理真が丸柴刑事からランチに誘われることは頻繁にある。二人は古くからの友人同士なのだ。その目的は大きく二つ。ただ単に友人として親睦を深めたいという理由がひとつ。もうひとつは、事件の捜査協力依頼だ。二人の会話に耳を傾けてみると、


「じゃあ、いつものファミレスで、十二時十五分でどう?」


 スピーカーモードにした理真の携帯電話から、丸柴刑事の声が続いた。


「いいわよ」


 理真が答ると、丸柴刑事は、


由宇ゆうちゃんもいるわよね。一緒に来てくれるでしょ?」

「はい」

 

 私は答えた。私の声も携帯電話のマイクが拾い、向こうに通じたようだ。


「よかった。それでね理真、実はね、ついでに事件の捜査協力依頼も出来ないかなって」


 今日、丸柴刑事が理真に電話を掛けた目的は、親睦を深めることではなかったようだ。ついでというか、そっちがメインだ。


「そんなことじゃないかと思った。忙しい捜査一課の刑事が、平日のこんな時間にお茶の誘いするわけないものね」

「いつも悪いわね」

「私と丸姉まるねえの仲じゃない」


 理真は微笑んだ。丸柴刑事に対する今の理真の呼び方から分かる通り、二人は探偵と刑事という以前に、かなり親しい間柄なのだ。


「うん、それじゃ、またあとで。由宇ちゃんもね」

「はい」


 私が返事を返すと、そこで通話は切れた。


「さて、とりあえず、身支度するか」


 理真は、あくびとともに大きく伸びをした。

 とりあえず、じゃなくて、まず真っ先にしなければならないことがそれだ。果たして集合時間に間に合うか。理真のボサボサの髪とパジャマ姿を見て、私は思った。



 平日の真っ昼間からパジャマ姿で部屋でごろごろしていた、この安堂理真なる人物の職業は作家だ。

 恋愛小説を専門にして、雑誌にコラムを書いたりもしている。そして私、江嶋えじま由宇は、理真が居住するアパートの管理人で、高校時代からの友人でもある。真っ昼間から店子の部屋で一緒にごろごろしていられるのも、管理人という職業のためだ。


 私は普段住んでいる管理人室からここ、理真の部屋まで来るのために、アパートの建物内だけではあるが部屋から出なければならないので、身支度はすでに調っている。一階の自室から二階の理真の部屋まで、十数メートルの距離しかないが、その間、万が一、他の店子と出くわしでもしたら大変だ。

 管理人である二十代半ばの未婚女性が寝起きのすっぴんに、ぼさぼさ髪、パジャマ姿でアパートの廊下を疾走しているところなど目撃されでもしたら、一発で契約解除され部屋を出て行かれること必至である。いつも素敵で頼りになる管理人さんでいなければ。


「理真、もう出ないと間に合わない」


 私は、未だ洗面所に籠もっている理真に声を掛けた。ここから集合場所のファミリーレストランまで車で約十分。現在時刻、午後十二時五分。集合時間午後十二時十五分。リミットである。


「丸姉に遅れるって電話しておいてー」


 慌てたような声とドライヤーの音が洗面所から聞こえてきた。

 私は黙って携帯電話を手にした。



 理真の愛車、真っ赤なスバルR1が駐車場の白線内に停止したのは、午後十二時三十分のことだった。


「お待たせ-、丸姉」


 理真は丸柴刑事が座るテーブル席の対面に腰を下ろした。私も、「お待たせしました」と理真の隣に座る。


「遅れるのはいいけど、安全運転でお願いするわ」


 丸柴刑事は、ホットコーヒーの入ったカップを両手で持ちながら言った。どうやら、凄いスピードで駐車場に飛び込んだ理真のR1を目撃されてしまっていたようだ。停車する瞬間、片輪浮いてなかったかな? 大丈夫だったかな? ハンドルを握っていた理真は平身低頭する。

 丸柴刑事、今日は薄いグレーのスーツ姿に、髪を結ってポニーテールにしている。相変わらず美人だ。背も高く、この人物の職業が刑事であると看破できる人間はそうはいないだろう。

 その美人刑事がテーブル脇の呼び出しボタンを押した。

「日替わりでいい?」と私たちに聞いた丸柴刑事は、すぐに来たウエイトレスに、「日替わり三つとドリンクバーを二つ」と注文を入れる。丸柴刑事は私たちが来るまで、ドリンクバーだけで時間を潰してくれていたようだ。

 私と理真がそれぞれホットコーヒーを注いだカップを持ってきて席に座ると、


「じゃあ、本題に入るわね」


 丸柴刑事は、隣の椅子に置いていた鞄から書類を取り出した。


「半月くらい前に、芸能プロダクションの社長が殺害された事件は知ってる?」

「知ってる。でも、あれって確か、群馬で起きた事件じゃなかった?」


 理真が答えた。私もその事件は憶えている。群馬県高崎市にある芸能プロダクション社長が、自社の入ったビルの一室で死体で発見された事件だ。


「うん、そうなんだけどね。その殺された社長が新潟県出身なのよ。それで、群馬県警から身元調査の協力依頼が来てね。その縁」

「で、私に話が回ってくるっていうことは?」


 そう訊いた理真の顔を見て、丸柴刑事は頷くと、


「消えたの、犯人が。正確には、犯人と見られている人物が、忽然と」


 作家を生業としている安堂理真に、どうして畑違いの刑事事件捜査協力の依頼などが来るのか。それは、理真が過去に警察に協力して、いくつもの事件を解決に導いてきた実績があるためだ。理真は、いわゆる素人探偵なのだ。

 そもそも理真がどうして警察に協力するようになったかはまた別の話になるが、世に活躍する素人探偵のご多分に漏れず、理真のもとに捜査協力が来る事件の性格は一貫している。一般的に「不可能犯罪」と呼ばれる類いのそれだ。


「事件の概要から説明するわ」


 丸柴刑事は語り始めた。



 事件発生は、二月十五日の月曜日。群馬県高崎市のオフィス街にある雑居ビルの一室で、〈シナダプロ〉社長である巻田太一まきたたいちの死体が発見された。

 警察への通報時刻は午後十二時十分。

 死体が発見された部屋は、倉庫に通じる普段未使用の部屋で、お昼休みにそこで弁当を食べるのを日課としていた男性社員により死体は発見、通報された。


 巻田は背広姿で背中を果物ナイフで刺されており、現場は血の海で、巻田自身も血まみれだった。

 鑑識の調べによれば、巻田は刺されたナイフを背中に手を回して自分で抜き、それにより傷口から一気に出血、苦しみにのたうち回ったためだろうとのことであった。

 死因は失血死。凶器となった果物ナイフは部屋に常備されていたもので、指紋は巻田のものしか検出されなかった。ナイフを引き抜く際に付いたものだろうと思われている。


 死亡推定時刻は、午前十一時半前後。

 ナイフが背中に刺さってから、巻田がそれを引き抜くまでは生きていたことは明白なため、実際に刺された時間はもう少し遡る可能性がある。

 ビル内と周辺に聞き込みが成されたが、特に怪しい人物は引っかからなかった。同時にビル出入り口に設置された防犯カメラ映像のチェックも行われた。

 その中に、一際目立つ人影があった。時刻は、午前十一時三十五分のことだった。


 捜査員が映像を止めて確認すると、その人物は女性で、左手にブラウンのコートを提げ、ノースリーブの派手な柄のワンピースを着ている。短い裾からは白く細長い脚が露出していた。

 カメラはビル内部から出入り口を映す位置にあり、加えて、大きめのハットも被っていたため、ビルから出ていこうとしているその人物の顔を確認することは出来なかった。

 だが、知っている人物がいないか、一緒に映像を確認してもらっていたシナダプロの専務が、その女性の後ろ姿を見るなり、


「これ、うちの三枝さえぐさじゃないかな?」


 と言って首を傾げた。



「三枝って、あの、三枝恵美めぐみですか?」


 すでに運ばれてきていた日替わりランチのハンバーグを摘みながら、私は訊いた。


「誰?」と、隣でハンバーグを咀嚼して飲み込んだ理真が訊いてくる。


「理真は知らないか。シナダプロ所属の三枝恵美。今、結構話題のアイドルなの」


 そう、今、丸柴刑事が言ったように、三枝恵美とは、アイドルの名前だ。

 初めてメディアに登場したのは、約半年前。高崎市内にあるコンサル会社のイメージコマーシャルに出演して話題になった。

 百七十を越える長身に、すらりとしたしなやかな肢体。およそ十人中十人全員が認めるであろう、美麗な顔立ち。そして滑舌がよく上品な声。

 スタイル、マスク、声、すべてを兼ね備えた完璧な女性、と評するものもいた。恵美めぐみというその名前をもじった、〈女神〉というニックネームも一部に浸透しつつあると聞く。


 私も噂になった三枝恵美初出演のコマーシャルをネットで見たことがある。

 丈の短く大きく背中の開いたドレスを着て後ろ向きに立っている。その艶やかな髪をなびかせて振り向いた瞬間、映像は顔のアップに切り替わり、微笑みを湛えて社名を口にする。

 そのコマーシャルは群馬県限定で流れたが、それを見た視聴者から出演モデルの問い合わせが殺到。映像はネットに上がり、その存在は全国に知られることとなった。

 だが、その人気はネット界隈に限定的され、国民的アイドルというには遠く及ばない。その理由のひとつが、


「でも、彼女、全然メディアに出てこないんですよね」


 私の言葉に、丸柴刑事は頷いた。

 問い合わせを受けて、コマーシャル制作会社は、出演しているのは群馬県高崎市の芸能プロダクション、シナダプロ所属のモデルであることを公表した。

 当然、シナダプロにも問い合わせの声は届き、出演オファーも多数舞い込んだというが、シナダプロ社長である巻田太一の対応は、モデルの芸名が三枝恵美である、ということを公表したのみに終わった。


 三枝恵美は、シナダプロのホームページにも所属モデルとして掲載されていない社長の秘蔵っ子で、くだんのコマーシャルにも、制作会社の担当が個人的に巻田社長と懇意にしているという理由で出演が決まったというものらしかった。

 その際にも、巻田社長がコマーシャルのコンテを見て、その通りの映像を作成して持ち込んだものをそのまま使用したという。

 その後、巻田社長は客のオファーにある程度応え、三枝恵美はいくつかのコマーシャルや広告のスチール撮影に登場したが、その全てに共通しているものがあった、それは、


「誰も、彼女の姿を見ていないそうなのよね」


 丸柴刑事の言葉の通り。

 コマーシャル、スチール撮影にしても、三枝恵美が実際に撮影の現場に現れることは一度もないという。全て、社長の巻田が前もって用意した映像、写真のデータを制作会社が受け取り、その素材をもとに制作する。

 一曲だけ歌も出したが、それもネット配信限定で、巻田社長は、レコーディングは極秘裏に数名の関係者のみで済ませたと語った。だが、その関係者というのも疑わしく、該当するような人物は一切浮かび上がってこない。恐らくどこかのスタジオを借り切って、三枝と巻田二人だけでレコーディングしたのだろうという説が支配的だ。

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