僕らの死は、まだ遠い
今回のお題――【ファム・ファタール】 【変化をもって変化とす】 【メビウスの輪】 【山茶花】
「私は冬が嫌いよ」
「どうして?」
「文字通り、花がないのだもの」
「……冬に咲く花だってあるよ。この国にだって、ある」
「そう……それでも私は、冬が嫌いよ」
「いまは夏さ」
「冬なんて、来なければいいのよ。少なくとも……私はずっと、夏でいい」
彼女と交わした無数の会話。
それはいつも、
終わってしまっていたのだった。
……それが、いまではなにもかも、懐かしい。
◎◎
人生の転機というのは唐突に訪れるし、そしてほとんどの場合は思いもよらない形でやってくる。
たとえば、こんな風に。
「「すみません」」
小さな喫茶店。
背中合わせに声が交わる。
僕は右手をあげていたし、彼女は左手をあげていた。
つまり男女だ。
注文をしようとして重なった言葉は、そのまま僕らの運命も交わらせた。
「気に喰わないわ。私、あなたが嫌いよ」
そんな一言が、そこに付随していたとしても。
◎◎
「あなたは運命を信じる? 私は信じない。例えばあなたと一万回おなじ出会いかたをしているのだとしても、私はあなたのことが嫌いだし、あなたがひそかに期待しているような、私のデレ期なんて一生涯おとずれないと断言できるわ」
「……えらい嫌われようだけど、僕としては仲良くしたい。ありていに言って、そして君が看破したように、僕は君と友達になりたいわけだから」
「運命を信じるかどうか、という話」
「信じるとも! 素敵な運命はいつだって大歓迎だ!」
「……あなたは本当に、本当に根源的な楽観屋なのだわ」
だから、嫌いよ。
そんな風に言って、彼女はため息を吐いた。
その喫茶店で交わした、三度目の会話はこれが全てだった。
◎◎
その喫茶店を訪れるたびに、僕は彼女に出会った。
彼女はいつだって、冷たい言葉を僕に吐きかけるし、最後にはいやそうにため息を吐く。
達観しているといってもいいし、或いは諦観しているのだともいえた。
それでも僕は彼女に話しかける。
出会うたびに何度も、何度でも。
たとえどれほど嫌われようと、たとえどれほど――憎しみにも似た悲しみを突き付けられようとも。
「やあ、珈琲は何が好きかな? 僕は、マンデリンが好きだ」
◎◎
「変化のない関係をあなたはどう定義する? 人間のことだけではないわ。概念も含むと思ってちょうだい」
「物理的な不変というのは難しいね。分子の運動がすべて停止する絶対零度でも、それは不変とは言い難い。概念的に語るのなら、それは一歩も前に進まないことだと僕は思うよ」
「つまり、私たちの関係は不変なの。変化しないことが、運命づけられているのよ」
「君は運命が嫌いだと思っていたけれど?」
「信じたことは一度もない。そんなクソッタレなものは、一度だって」
僕はやれやれと、マンデリンを啜るしかなかった。
……今回も、駄目みたいだ。
◎◎
「結局、あなたはなんの話がしたいのかしら」
彼女がそう尋ねてくれたのは、72069回目のことだったと記憶している。
……たぶん、そのはずだ。
僕は飛び上がりそうな内心で、それでも穏やかにこう言った。
「いますぐ、僕と」
ここを出ましょう。
そう続けるはずの言葉が、
「気に喰わないわ。私、あなたが嫌いよ」
辛辣な言葉で遮られる。
何故という言葉は、
「嫌いなのよ」
僅か一言で切り落とされる。
「私は、あなたが嫌いなの」
「…………」
「嫌いなの。嫌い。嫌い、大嫌いよ。ずっとそう言ってるじゃない。大嫌いだって、そう言ってるじゃない。好意なんて向けられても、どうしようもないのよ。気持ち悪い。うそ、違う、でも、やめて、私は――」
あなたが嫌いなの。
胸を掻き抱き、服をしわくちゃにしながら彼女が絞り出された言葉は、これ以上なく苦しげで。
その瞳に宿っているのは、絶望に染まった深い、どこまでも深い悲しみの色だった。
「お願い。二度と話しかけないで。二度と――〝もう一度初めて出逢うのだとしても〟。もう、諦めて」
痛切な彼女の言葉に。
僕は、
「ああ、それだけは出来ない相談だよ。僕は、絶対にあきらめない」
初めて決然と、己の主張を告げたのだ。
◎◎
……あの日の話をしよう。
はじまりの――たぶん、最初の一回目の話を。
僕と彼女は喫茶店で出会った。
それは、運命的だったといっていいだろう。
彼女は僕のことを嫌いだと言い、僕は彼女に一目ぼれした。
僕らは……というよりも僕は一方的に話し込み、彼女はひたすら呆れていたように思う。
そうして、それが起きた。
一瞬の出来事だった。
轟音とともに、なにかが僕の前を横切った。
そして、彼女が死んだ。
大きな質量――大型トラックが喫茶店に突っ込み、僕の目の前を蹂躙したのだ。
間一髪という言葉があるけれど、トラックと僕の距離はまさにそれで、僕が死ななかったのは、運命だったといえるかもしれない。
――代わりに、彼女が死んだ。
彼女だけが、死んだ。
そこから先のことを、取り乱した僕はよく覚えていない。
絶叫したような気もするし、不甲斐無くも失神してしまったような気もする。
だけれど気が付いたとき、僕はまだ、その喫茶店にいた。
僕は〝また〟その喫茶店にいた。
ハッと振りかえる。
いた。
そこには、彼女がいたんだ。
無傷で、日本らしくないオーストラリア・アイスコーヒーをがつがつと食べていたんだ。
僕は、安堵した。
白昼夢を見たのだろうと、勝手にそう思ったからだ。
そうして、手元のカップが空になっていることに気がついて、気を落ち着かせようとお代わりを注文した。
「「すみません」」
重なる声。
ゾッと粟立つ背筋。
振り返る。
互いに上がる、右手と左手。
そして、
「気に喰わないわ。私、あなたが嫌いよ」
その言葉を聞いて、僕は目の前が真っ暗になった。
慌てて、狼狽して、思わず彼女の手を引っ掴んだ。文句、というか抗議の代わりに殴り掛かってくる彼女を、それでも店外へと連れ出して、とにかく走った。
走って、走って、走って。
そして、僕は死んだ。
最初の最初、一回目の死因は確か、降ってきた鉄骨の下敷きになる……だったと思う。
消えゆく意識の中で、彼女の絶叫だけが聞こえていた。
◎◎
そうして。
そしてどうなったかというと、僕らはお互いを助けようとした。
理由は不明だけれど、僕らは死んだ瞬間にあの喫茶店へと戻ってくるようになっていた。
それが時間の逆転なのか、なにか僕らのあずかり知らない不思議パワーの産物なのかは解らないけれど、いわゆるタイムリープする状態に陥ってしまったわけだ。
どちらも死ぬのは嫌だったから、互いに生き残れる道を模索した。
……だけれど、結果は変らなかった。
まるで運命のように。
店から出れば、僕が死ぬ。
店にとどまれば、一定時間ののち、彼女が死ぬ。
ひとつながりの細長い紙を、ねじって端をくっつけたように、僕らの死は表裏一体だった。
どちらかは必ず死に、死んだ結果、あの喫茶店に戻る。
まったくもって、最悪だといえた。
「死にたくない」
彼女はそう言った。
僕はだから、彼女を救おうと足掻いた。
だけれど救えなかった。
何度もだ。
何度でもだ。
救おうとして救えなかった。
僕は死に、死に続け、死を繰り返し、それでも彼女を助けたいと願った。
幾度も喫茶店のなかへ戻されて、永遠に等しい刹那の夏を繰り返した。
彼女は、いつからか諦めた。
自分の死を、受け入れた。
僕に死んでほしくないと言った。
僕の死を、見たくないと言った。
その結果が、いまの状態だった。
彼女は喫茶店から出ることはなくなり、僕は無為に、彼女の死を見つめ続けている。
僕の言葉はもう、彼女には届かない。
不変の関係性が、そこにあった。
「あなたは――奇蹟でも信じているの?」
何度目かのループで、彼女はそう僕に尋ねた。
何万回目だったかもしれないし、何億回目だったかもしれない。
解らない。
信じているよと、僕は答えた。
彼女は少しだけ思案するように沈黙し、こう言った。
「気が付いている? あなたは馬鹿だから、ひょっとしてまだ解っていないかもしれないけれど、あなたは、あなただけなら生き延びる方法があるのよ?」
「…………」
「〝諦めること〟。それだけよ。私の死を受け入れれば、たぶんこのループは終わる。諦めないから、この夏は終わらないのよ。あなたは、あなただけなら、エンドレスサマーのその先へと行けるのよ」
「…………」
「ねぇ、聴いているの? ねぇ!」
「――そうか」
「え?」
「やっと。ようやく解った。そうか、そうだったのか。そう言うことか!」
「?? あなた、とうとう気がくるって――」
可哀想なものを視る目をする彼女の、その真っ白な手を僕は取る。
違う。
違うんだ。
そうじゃない。
簡単な、すごく簡単なことだったんだ。
これはつまり――〝そういう運命だったんだ〟!
「結婚してください!」
僕はそう叫んでいた。
「え? えぇえええええええええええええええええ!?」
彼女は、絶叫した。
◎◎
メビウスの輪をただす方法を教えよう。
それは、何処でもいいからぶつ切りにすることだ。
例えねじれていようが、永遠のループだろうが、断ち切られたものは続いていったりはしない。
終点が、そこに設定される。
とても簡単な理屈だ。
手元で環を切れば、一番長い道になる。終点が、一番遠くなる。
不変は終わり。
変化が始まる。
一歩を踏み出せば、変化は変化として世界に反映される。
たとえば、こんな風に。
「私は、冬が嫌いよ」
「どうして?」
「文字通り、花がないのだもの」
「……。君の目の前で咲いている花は、なんだい?」
「~~~~っ! そう言うイジワルをするあなたは、もっと嫌いよっ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ彼女。
彼女は持っていた傘で、僕をばしばしと容赦なく叩く。
僕は笑顔で、それを甘んじて受け入れる。
傘を握る彼女の――僕の運命の女性の左手、その薬指には、銀の指輪がきらりきらりと輝いていた。
雪が降り始める。
あの夏以来――初めての雪が。
僕らの死は、まだ遠い。
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