第4話 深夜の訪問はご遠慮ください

 私の最初の記憶は……あの方の顔。

 白いかんばせに黒く豊かな長い髪。フードを下ろしたあの方の瞳も真っ黒で、夜の闇よりも暗い色だったのを覚えている。

 私は当時六歳ぐらいだったと思う。弟は四歳。

 なぜそこにいたのかとか、それ以前の記憶は一切なかった。

 ただ、弟がいることだけは覚えていた。弟のテオ。でも、あの方は弟などいなかったと、見つけたのは私だけだと言った。

 それからしばらく一緒に旅をした。その途中だったかしら。弟の話をあの方から聞いたのは。

 最初は信じられなかった。

 そして――絶望した。

 私はなぜか、弟をとても愛していた。理由もわからず……それこそ、弟の顔さえ知らないのに、弟を愛していた。

 弟は生きていた。

 生きてはいるが、この腕に抱くことは生涯叶わないと告げられた私の嘆きを、絶望をわかってもらえるだろうか。

 なぜこうなったのか――。

 あの方は答えをくれなかった。

 いいえ、あの方も知らなかった。

 あれから、あの方と一緒に旅に出た。私と弟の『呪い』を解くために。何が起こったのかを知るために。

 幸い、私にはこの鑑定眼があった。

 あの方がいない間は、旅の途中で見つけたものを鑑定しては露店に並べ、生活の糧を得る。

 あの方は私に文字を教え、店の運営に必要な知識をたたき込んだ。

 弟はあの方から薬師としての知識をたたき込まれ、薬草や薬の材料を見分ける目を養った。

 間違って採取したものは私が鑑定できるし、できた薬の鑑定もできるから害になる薬を間違って売る心配はなく、鑑定済みの薬として露店で売った。

 時折、私の鑑定眼を狙った無頼者たちに襲われることもあったけれど、護身術は身に着けていたし、あの方が残してくれたお守りのおかげで今までひどい目にあったことはない。

 そうしてこつこつ貯めたお金と、あの方の置いていった資金で、王都から遠く離れた小さなこの村に、店を持つことがかなったの。

 ここは、私と弟の店である前に、あの方の帰ってくる場所。……少なくとも私はそう思っている。


 さて。

 店を閉める時刻になっても、ロビンソン様は来なかった。ロビンソン様以外のお客様も今日は来なかったけれど。

 まあ、当然よね。王都から遠く離れたこの村はベルエニー子爵の領地に近いとはいえ、領主の館までは遠いはず。あの時間から日暮れまでに往復できるような距離ではないものね。

 仕方がないから明日の番はテオに返すつもり。ご本人が来れば話はしてもらえるでしょうし、領主の館まで連れて行ってくれるでしょう。

 弟からの書き込みに、ベルエニー子爵についての注意点はない。過去一度も来店したことはなく、代金の未納もない。文句もない。だから毎月来るお得意様という認識でしかなかったのだけれど。


「仕方ないわね」


 弟への連絡をノートに書き込む。それから、今日食べきれなかったお土産は食べてもいいよと書いておいた。書かなくてもきっと食べると思うのだけれど。

 書き終えたノートを元に戻し、店の扉を開けてかけたままの札をひっくり返す。ちらりと外に視線を巡らせてみると、この並びのお店はもうほとんど店じまいしていて、明かりがついているのは私のお店だけだった。

 店の前にぶら下げたままの照明用ランプを棒を使って下ろすと魔石を抜き取った。

 店に戻り、鍵を閉めると表から見えるガラス窓に分厚いカーテンをかける。こうしておけば、中で明かりをつけていても外には漏れない。

 お風呂にお湯を貯め、服を脱いで入ろうとしたところで店の方から音がした。

 なんてタイミングの悪い。

 明かりも漏れていないし、このまま放っておけばあきらめて帰ってくれないだろうか。

 でも、もしかしたらロビンソン様なのかもしれない。

 遠路はるばる戻ってこられたのなら申し訳ない。

 仕方なく風呂上りに着る予定だった寝間着の上にガウンを着てランプを持つと店に急いだ。


 物音はやはり、扉をたたく音だった。

 カーテンをそっと開いてガラス窓から外を見ると、明かりに気が付いたのか扉の前にいた人物が窓の方に来た。

 銀髪を刈り込んだ頭。……やっぱりロビンソン様だ。

 慌てて扉の鍵を開け、顔を出す。


「ロビンソン様」

「ああ、よかった。こんな時間になってしまって申し訳ない!」


 扉の前で頭を下げるのはロビンソン様だ。周辺を見ても馬車はない。どこから歩いてきたのだろう。

 それに、夜半だというのに声が大きい。とりわけお隣のパン屋さんは仕込みがあるから朝が早い。カールさん、今の声で目を覚ましてないだろうか。申し訳ない。


「あ、あの、もうみなさんお休みですので、声を小さく……」

「あ、す、すみません……」

「どうぞ、お入りください」


 外でしゃべるのはご近所に迷惑をかけそうだし、入ってもらうことにする。

 本当はこんな時間に男性を招き入れるなんて、女としてはとてもまずいことなのはわかってる。でも、遠くからわざわざ来た人を明日来いと叩き出したりできないわ。

 ランプをカウンターに置くと、ロビンソン様に椅子をすすめる。


「座って少しお待ちくださいませ」

「いえ、あの。すぐお暇しますので」

「すぐにお持ちしますから」


 キッチンに急いで戻り、作り置きしておいたレモン水をグラスに注ぐと店に戻る。

 ロビンソン様はまだ入り口に直立不動のままだった。


「あの、ロビンソン様。どうぞお楽になさってお待ちください。少しお時間かかりますので」

「あ、はい。……ではお言葉に甘えて」


 固まったままだったロビンソン様はようやくグラスの置かれた席に腰を下ろした。

 その隙に部屋に取って返す。この格好のまま接客するわけにいかないもの。

 下着を着て――ええ、そうです。脱衣所であわてたおかげで服の下がスースーするんですの――かぶるだけの簡易ドレスに着替えてから店に戻る。


「すみません、お待たせいたしました」


 カウンターに座っていたロビンソン様は目を丸くしたのち、反射的に立ち上がり、片手で口元を覆った。

 跳ねのけた椅子が後ろにひっくり返り……鉢植えが巻き添えを食ってる。うわぁ、あの植木鉢、お気に入りだったのに……。


「あっ、ご、ごめんっ」


 私がすぐさま椅子を元に戻して鉢植えの木を別の植木鉢に入れなおしていると、ロビンソン様は慌てて私の手首を握った。


「離してください」

「いや、割れた植木鉢で手を切ってはいけない。ほうきとちりとりはありませんか」

「あの、大丈夫ですから……」


 むしろ握られてる手首のほうが痛いです、ロビンソン様。

 結局押し切られて、奥からほうきを取ってくると、ロビンソン様は手慣れた様子で後片付けをしてくださった。


「申し訳ありません」

「いえ、私が椅子を倒したせいですから。……これ、弁償させてくださいね」

「……ありがとうございます」


 ロビンソン様のご厚意に甘えることにしよう。ただ、あれは植わっていた木もセットのお値段だったから、お安くさせてもらおう。


「あの、植木の方は大丈夫でしょうか?」

「大丈夫です。明日植え直しておきますから」

「その植木もいただいてよいですか?」

「え?」


 びっくりして見上げると、ロビンソン様は視線を木に固定したまま、片手で口元を覆っている。


「ええ、構いませんけれども……」


 あの木は大して大きくならない観葉植物で、花も実もならないのだけれど、いいのかしら。同じものはないからちゃんと植木鉢に植えた代替品もないし……。


「花も実もつきませんがよろしいですか?」

「ええ、これがいいんです」

「……わかりました」


 手間が省けるし、すこしお値段を安くさせてもらおう。

 起こした椅子にロビンソン様を座らせると、植木の根元の土が落ちないように布で包み、リボンで止めた。

 それからカウンターに入ると、薬箱を引っ張り出した。

 今日はもう来ないだろうと戻して鍵もかけてしまったのよね。


「あの、ロビンソン様」

「は、はいっ」

「……子爵様をお屋敷にお送りしてから戻ってこられたんですか?」

「え? あ、はい。戻るとお約束しましたので……こんな時間になってしまって申し訳ない。もうお休みだったのでは」

「あ、いいえ。お風呂を……」


 そこまで言いかけて口をつぐむ。こういうのは男性に話すようなことではないわよね。


「も、申し訳ない……」


 ちらりと顔を上げると、顔を真っ赤にしていらっしゃる。


「ごめんなさい。……お待たせしました。こちらの二袋がご注文の品です。ご説明は……」

「ああ、大丈夫です。いつものお薬と聞いておりますので」


 カウンターの上に袋を置くと、ロビンソン様は懐から金袋を取り出した。袋に書かれた金額分の硬貨と、割れた植木鉢と植木の代金を確認すると、私はにっこりと微笑んで薬袋を取り上げた。


「はい、確かに。ではこちらをお持ちください」

「かたじけない。……その、アリス様も風邪をひかれぬよう早くお休みくだされ」


 ロビンソン様は薬袋を懐に仕舞い、椅子から立ち上がる。いえ、まだお風呂に入ってないので湯冷めはしないと思うんですけれど、とはさすがに口に出さなかった。


「あの、ところで今からお屋敷までお帰りになるんですか?」


 今から戻ったら明日の朝になるだろう。

 子爵様は弟が戻れば館に来いと言っていた。でも、ただの薬師が子爵様の領地に入るには、それ相応の理由と正式な呼出状が必要なはず。

 となると、手紙を出して迎えに来てもらうか呼出状を送ってもらうしかない。


「はい、そのつもりで」

「あの……弟が子爵様のお屋敷にお伺いする件ですが」

「ええ」

「呼出状をいただけませんでしょうか」

「え?」


 え? じゃないわよ。子爵様の家令ともあろうものが知らないはずないでしょう?


「いえ、ですから」

「あの、お迎えに上がるつもりでおりましたので」

「え?」


 一応はやり病にかかっていることになっているのだから、いつ快癒するかなんて言ってないのに。どうやってそれを知るつもりだったのだろう。

 まあ、治ったら手紙は書くつもりだったけれど。基本的にはお断りするお手紙を。

 なのに迎えに来る?


「あの、ですが」

「大丈夫です。快癒なさるまで私が日参いたしますので。なんでしたら店番も致します。アリス様は弟君の看病についていてさしあげてください」

「いえ、ですが……」


 日参するって……どういうことよ。まさか子爵の館から毎日ここまで往復するつもり?

 片道何時間かかるのよ。

 だめだ。……こんなのほっといたらなんて言われるか……。

 私は意を決して顔を上げた。


「あの……明日には弟も動けるようになりますから」

「そうですか! では明日お迎えに……」

「そうではなくて!」


 ロビンソン様は嬉しそうに微笑んでいらっしゃるので胸の奥がちょっと痛い。ごめんなさい、病気なんて嘘なんです。


「今から戻られてまた明日にここまで来られるのは大変でしょう? もしよろしければ、今日はここでお休みになられませんか?」

「え……」


 ロビンソン様の目が真ん丸になったと思ったら、口元を片手で覆われた。


「いえ、あの、その、ですね。未婚の女性の、いらっしゃるっ……いえ、あの」

「……お泊りいただくのはお店の中ですし、病気とはいえ弟もいますから」

「ああ、そうですよね。……でも、病み上がりの弟君をお連れするのは……」

「大丈夫だと思います。今までにもよくありましたから。二日ほど寝込んで、翌日にはけろっとしてます」


 ええ、明日の朝になれば元気な弟が出てきますから。それに弟のいる家で何かしようとはしないでしょう?

 実際のところは私とロビンソン様だけですから、怖くないかと言われれば多少は怖いけれど。

 テオが動けるようになるまで日参される方が困る。

 ……主に村の人たちの反応が。

 毎日そんなに来られたら、間違いなく私への求愛だと勘違いされてしまう。

 お隣の子爵のおひざ元はどうか知らないけど、このあたりではまだ根強い。

 求婚の作法とか、求愛の儀式とか、古いしきたりがどうのって。

 今時そんなことはないと思うでしょ?

 でもね、お隣のハンナさんのところにカールさんが日参したって雑貨屋のおばあさまに聞いたことがある。

 だから……間違いなく勘違いされる。

 もしそんなことになったら……せっかく手に入れたお店だけど、村を出るしかない。


「毛布を持ってきますから、ソファをお使いになってください」


 お風呂とトイレとキッチンの場所を教えて、毛布を奥から取ってくると、ロビンソン様はソファに腰をおろしていた。


「本当に……よろしいのですか?」

「ええ。あ、御者の方は」

「いえ、実は……薬をもらうだけだからと思って馬で来たのです。馬自体は近くの見回り小屋に預けて来たのですが」


 馬! ということは、明日は子爵の館まで馬で移動なんだ。


「あの、それでは」


 子爵の領地に入る時にひと悶着しそうだ。家紋入りの馬車に乗っていればそれだけで通してもらえるけど、どこの馬の骨ともわからない薬師では、通れそうにない。


「大丈夫です。私が一緒なら問題なく通れますから。それより、お風呂には入られたのですか?」

「あ、あの……よければお使いください」


 ロビンソン様が家の中にいる状態で落ち着いてお風呂なんて入ってられない!

 慌てて脱衣所に脱ぎっぱなしの服を洗い物籠ごと回収すると、あいさつもそこそこに奥の寝室に閉じこもった。

 私は忘れていた。

 ロビンソン様が店に泊まることも、明日一緒に子爵の館に行くことも、弟にあてた連絡ノートに何一つ書いていなかったことを。

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