第2話 私は弟の顔を知らない

「ふわぁ」


 顎が外れそうな大あくび。上半身を起こすと両手を天井につきあげて大きく伸びをした。その反動でぱらりとシーツが滑り落ちる。


「やだ。……テオってばまた素っ裸で寝たのね。おなか壊すからやめてって言ったのに」


 ベッドから降りると案の定、足元にばらばらとテオの服が散らばっている。

 拾い上げようとして、自分自身も真っ裸なことを思い出す。

 とりあえずシーツをはがして体をくるむと、服を拾い集めて脱衣所に持っていく。

 テオはお洗濯苦手だし、片付けも苦手だもんね。男の子だから仕方ないけど、せめてお風呂入ってから寝てよね。

 お風呂にお湯を張り、シーツを落として湯船に入る。魔石のおかげで大した魔力を持たない私でもお湯を張るくらいはできる。

 一泊二日の強行軍だったから、帰ってきてぱったり寝入ったってところだろう。

 男の子ならそれでお風呂入らずに寝たって気にしないんだろうけど。

 私は気にするの!

 ……って何回言ってもお風呂入ってくれないのよね。

 だから、結局起きたらまずお風呂、って流れになっちゃってるのだけれど。

 汗と髪の毛に絡んだ砂埃を丁寧に洗い流す。

 石鹸がそろそろ消えそうだ。そういえばついでに買ってきてって頼んでおけばよかった。

 泡をきれいに洗い流すと、湯を抜く。どうせ夜にはもう一度お湯張るんだけどね。

 脱衣所に上がってきて、姿見に映った自分の体を見る。

 腰にまで伸びた金色の髪。エメラルドの如き明るい緑の瞳。さくらんぼのような唇。それから……それなりに育ってきた胸のふくらみと腰の括れ。


「うん、ちゃんと私ね」


 目を覚ますたびに自分を確認する。きっとテオもやってることだろう。

 私は私。自分だってわかってる。

 だからこそ……自分の姿を確認したくなるの。

 準備していた簡易ドレスを身に着けて部屋に戻る。

 散らかっていた服以外はそのままで、テオが買ってきてくれたと思しき品は、店のカウンターにきちんと並べて置いてあった。

 痛みそうな食材やお土産の類は魔法の氷室に収めてある。

 ここらへん、ちゃんとやるようになってくれただけでも大進歩ね。


「香辛料と、ナッツ類と……うん、全部揃ってる。さすがはわが弟ね」


 お土産は二つずつ買ってある。いつもならお茶の時に一つずつ食べるつもりだけど、今回は順番を変わってあげたんだし両方とももらうつもり。

 朝ご飯代わりに紅茶を入れてお土産を一つつまむ。

 うん、やっぱり。ヤグレイのお菓子に使われてるお砂糖の質が変わってる。


「これ、ハンナさんに持って行ってあげよう」


 自分の分をぺろりと平らげると、バスケットにお土産を一つずつ詰めていく。氷室のも別に詰めて表の扉を開けた。

 いい天気だ。真っ青な空とまぶしい日差し。


「アリスちゃん。おはよう」


 隣から声がかかる。隣のお菓子屋さんのご主人、カールさんだ。細いのに筋肉質で、噂によるとどこかの騎士団にいたらしい。ハンナさんと結婚した時にお店を一緒にやりたいからと騎士団をやめたとか、やめるときに国王からも引き留められたとかいろいろ噂だけはすごい。

 だから、このご主人がすべてのお菓子を作っていると知ったときはびっくりした。


「おはようございます。いい天気ですね」

「ああ、ピクニック日和だね」


 ほうきを手にしたカールさんは、私の手にしているバスケットを見ている。


「これはハンナさんへのお土産です。ハンナさん、いらっしゃいます?」

「ああ、いるよ」


 にこっと微笑むと、カールさんは店の扉を開けて招き入れてくれた。


「ハンナ、アリスちゃんが来たよ」

「あら、いらっしゃい。テオ君、ちゃんと戻ってきた?」

「あ、はい。ご心配をおかけしました。これ、テオからのお土産です。ヤグレイの町で流行っているお菓子ですって」


 バスケットをカウンターに置き、もう一つは手渡す。


「こっちは?」

「こっちもお土産なんですけど、痛みやすいから氷室に入れてくださいって」

「まあまあ、ありがとう。うれしいわ」


 うふふ、と笑いながら氷室へと持っていき、すぐ戻ってきた。


「本当にありがとね。今度テオ君に会ったらちゃんとお礼言わなくちゃ」

「いいんですよ、薬草市のついででしたから。それと、味見してみたんですけど……」


 今朝食べた感想を口にしようとしたら、ハンナさんは手を上げて制止した。いたずらっ子のような顔をしている。


「食べた後に答え合わせ、ね?」

「はい」


 いつものやりとり。

 ハンナさんはとても繊細な舌の持ち主だ。こうやってお土産を持っていくと、たいてい一口で使われている材料をあてて、次の新作レシピに役立てている。

 お店に並んでいるお菓子のアイデアもハンナさんが出しているらしい。


「それにしてもテオ君とアリスちゃんには感謝してもしきれないわ」

「え?」

「こうやって大きな町に出掛けたりしたら必ずお菓子のお土産、持ってきてくれるでしょう? だから私たちも新しいお菓子を作れるの。本当にありがとう」

「いえ、いつもお店の留守番とかお願いしてますし、私のほうこそ助かってますから」


 頭を下げるハンナさんに慌てて手を振ると、あ、と思い出したように彼女はカウンターの引き出しを開いた。


「お店番で思い出した。テオ君あてにね、お客様が来てて。いつも飲んでるお薬と、それから新しいお薬をお願いしたいからって言伝があったの」


 はい、と渡されたメモを見る。テオの注文リストによく出てくる名前だ。ベルエニー。


「えっと、急ぎって言ってました?」

「ううん、二日ほど留守にしてるって言ったら帰ったころに来るからってそれだけ」


 私は唇にこぶしを当てた。

 薬草市に行くからと二日間を前借りしたのはテオのほうで、今日と明日は私の番。

 でも、そのお客様が今日か明日来たら。

 私じゃ対応しきれない。


「あら、どうかしたの?」


 ハンナさんに声をかけられて、私ははっと顔を上げる。

 ここで考え込んでたって仕方ない。


「いいえ、薬草が足りるかなと思って。……ありがとうございます。じゃあ、お店のほうで待ってみますね」


 頭を下げて店を出る。店の前をまだ掃除していたカールさんにも手を振って、私は店に戻った。

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