第7話 ~アニー物語~失業対策

(第1部)

 滝本隆樹たきもとたかきは、玄関の呼び鈴を耳にして、訪問者を出迎えに出た。ドアを開けると、スーツ姿の男がかしこまって立っていた。

「連邦政府労働需給局から参りました。滝本隆樹さんの御宅で、間違いないでしょうか?」

 隆樹は、労働需給局と言う言葉を聞き、自分でもサーっと血の気が失せて行くのが分かった。顔を強張こわばらせ、無言で頷く。

 労働需給局の担当者は、一切の感情を消した顔付きで、淡々と本題に入った。

「滝本隆樹さんは、過去3年間にわたり、生活保護給付金を受領なさっています。間違いはありませんか?」

 隆樹は、またも無言で頷く。

「生活保護給付金の支給は、間もなく停止されますが、その後の御家族の経済的自立に目途は立っているでしょうか?」

「就職支援センターには、毎日、足を運んでいます。今日も、これから行くつもりです。

 ですが、不景気とアンドロイドの普及によって、中々仕事が見つかりません」

 隆樹は小さな声で弱々しく抗弁した。

「勿論、私自身には働く意思が有ります。でも、仕事の方が無いのです!」

 最後は喉の奥から声を絞り出すように言った。酸素欠乏の状況で話す喘ぎ声の様になった。

「存じております。滝本隆樹さんに限らず、その様な方は、たくさんいらっしゃいます。

 貴方を責めるつもりは全く有りません」

 担当者は宥める様な表情を少し浮かべて言った。隆樹も、ほんの少しだけ、気持ちを落ちつかせた。

 担当者は、今度は、申し訳なさそうな表情を浮かべて質問した。

「ですが、連邦財政にも限りがあります。生活保護給付金を支給し続ける事が不可能と言う事も、御理解ください。

 そうなると、滝本隆樹さん。御家族を、どの様に養って行かれるつもりですか?」

 話は担当者の最初の質問に戻った。

 失業中の隆樹に解決策が有ろうはずも無かった。無言のまま、俯く。数分の間、緊張感を帯びた沈黙が漂った。

 隆樹は、俯いたまま、玄関の敷居を見詰めたまま、静かに声を絞り出した。

「私にどうしろと、言うのですか?」

「後日、冷凍睡眠局の係官が伺います。

 滝本隆樹さんには、労働環境が好転するまでの間、コクーンで御休みになって頂きます。」

「必要の無い人間は棺桶かんおけに入れ、と言う事ですよね?」

「いいえ。無為むいな時間を過ごすくらいならば一旦は御休みになり、時期が来れば捲土重来けんどちょうらいを図って頂きたいと、そう言う意味です」

 隆樹は耐え切れずに大声で叫んだ。

「仕事が無いだけで、俺は家族と幸せな時間を過ごしている! 無為な時間なんて、失礼な事を言うな!

 家族と引き離されるんだ。そっちの方が余程、無為な人生だろうが?」

 隆樹の大声に、只事でない事態を察した妻が廊下の奥に出て来た。5歳になったばかりの娘が表情を強張らせ、妻の腰に縋り付いている。

 担当者は冷静に話を進めた。

「ご希望ならば、御家族の全員がコクーンの冷凍睡眠カプセルに入る事も可能です」

 自分の不甲斐無さが原因で妻と娘を冷凍睡眠させる事には、隆樹も気がとがめた。

「私が冷凍睡眠カプセルに入った後、妻と娘の生活はどうなるのですか? 生活保護給付金は頂けないのでしょう?」

「残念ながら、生活保護給付金の支給は出来ません。

 ですが、世帯主が冷凍睡眠カプセルに入られた場合、残された御家族には、連邦政府がアンドロイドのアニーを無償貸与いたします。そのアニーを働かせて所得を得る事が可能です」

 このアンドロイドは、アメリカに本拠地を置く製造会社が全ての知的所有権を保有し、その会社からの技術供与により全世界で製造されている。

 その製造会社の名前はアニー社。だから、その会社が製造するアンドロイドは、アニーと言う愛称で呼ばれていた。

「私に仕事が見付からないのに、アニーには仕事が見付かると言うのですか?」

「はい。人間と違ってアニーは、24時間365日、働く事が可能です。

 時給が安くても、年間所得としては、生活保護給付金以上の金額になります。

 語弊を恐れずに申し上げるならば、御家族は現代の奴隷遣どれいつかいとなられるのです」

 隆樹に抗弁の余地は残されていなかった。自分が犠牲になりさえすれば、妻と娘の人生は保障される。

 それでも・・・・・・と、わらにも縋る気持ちで隆樹は担当者に質問した。

「他に選択肢は?

 私に残された選択肢は無いのですか?」

 担当者は、言うべきか言わざるべきか、悩んで一瞬モジモジした。

「あまりお薦めはしませんが、コクーンでの守衛と言う求人が有ります。

 貴方に給与所得が発生すれば、冷凍睡眠局の者が御宅に伺う事は有りません」

 担当者は隆樹の顔をジっと見詰める。

 隆樹には、冷凍睡眠カプセルに入るよりは遥かに魅力的な提案の様に聞こえた。

「コクーンで働かせて下さい!」

 隆樹は、そう叫んでいた。


 1カ月後、簡単な研修を受講した後、隆樹は南極大陸に建設されたコクーンに赴任した。

 巨大な建物が幾つも建設され、それらの建物の中には、見渡す限りに何段もの格子状の棚が作られている。棚の1区画ごとに冷凍睡眠カプセルが墓標の様に並べられている。

 設備のメンテナンスは全て、アンドロイドが対応していた。アンドロイドは互いに稼働状況をチェックしている。

 だから、隆樹の存在意義は、コクーンで稼働する何百体ものアンドロイドが一斉に故障した場合に、衛星電話で緊急連絡する事である。そんな事態が生じる可能性は限り無くゼロに近かった。

 今や不要となった観測用基地から人間は完全に撤収しており、広大な南極大陸で、隆樹は独りぼっちだった。

 衛星が頭上を通過する一瞬にしかシステムネットとも接続できず、妻や娘と対話する事は絶望的だった。

 肉体が緩慢に老化して行くだけで、これこそ無為な時間の過ごし方と言えた。

 隆樹は、3カ月で根を上げた。冷凍睡眠カプセルに入る事を冷凍睡眠局に申請したのである。


(第2部)

 隆樹は、夜中に自分が一時的に目を覚ましたのだと思った。

 何故ならば、まぶたを開けても、薄暗い闇が見えただけだから。もう一度瞼を閉じ、快適な睡眠に戻ろうとした。その時、脇から自分に話し掛ける妻の小声を耳にした。

「貴方。私です。長い間、御苦労さまでした。もう大丈夫です」

 そう言えば、自分の右腕を誰かが優しくさすっている。早百合か?

「まだ身体が慣れていないんでしょう。安心して、ゆっくり身体を慣らしてくださいな」

――身体が慣れないとは、どう言う意味だろう?

 頭がボンヤリとしている。ボンヤリとはしているが、徐々に霧が晴れて行く感覚を覚えた。

――昨夜、就寝前に自分は何をしていたんだっけ?

 思案している内に、突然、自分が冷凍睡眠カプセルに入った事を思い出した。

 隆樹はガバっと上半身を起こした。いや、起こしたつもりだった。でも、さっぱり四肢が動かない。

 何か言おうとしたが、唇や舌が言う事を聞かなかった。

 そんな状態が半日近く続いたようだ。“ようだ”と言うのは、後から妻に聞いた話だから。隆樹自身には時間の感覚が全く無かった。

 相変わらず四肢は動かなかったが、視力は戻り、滑らかには呂律が回らないが、話せるようにもなった。

「さ、ゆ、り?」

 妻の小百合が涙目でコクリと頷く。

 気のせいか、新婚当初の頃に若返った様に見える。蘇生したばかりだから、大脳の視覚機能か或いは記憶野が混乱しているのかもしれない。

「い、ま、ま、で。なん、ねん、かん、ね、む、て、い、た?」

「焦らないでください、貴方。貴方には十分な時間が有るのですから。

 貴方は70年以上も冷凍睡眠カプセルの中で眠っていらしたのよ」

 隆樹は左足を擦る感触に気付いた。顔を動かす事は叶わず、眼球だけを左に向けた。

 早百合と同じ年頃の若い女性が、やはり涙ぐんでいた。

「貴方、わかる? 恵莉花よ」

――隆樹は両眼を大きく見開いた。恵莉花なのか?

――恵莉花と別れた時、確か、あの娘は5歳だったはず。こんなに大きく育ったんだ。

 隆樹は両眼を閉じると、涙を浮かべた。自分の自己犠牲で家族を救った事に素直に満足した。幸せな気分だった。

「貴方。恵莉花の向こうを見てみて」

 早百合の言葉に従って再び両眼を開き、恵莉花の後ろに控えている男女の一群を見詰めた。

――医療スタッフだろうか?

「私達の孫と曾孫ひまごよ。大家族になったでしょう? これもみな、貴方のお陰なのよ」

 隆樹は、もう一度、男女の一群を見た。

 全員が20歳代の若者に見える。まだ、大脳の働きが完璧ではないのかもしれない。


 身体機能が完全に戻ってから早百合と会話したところでは、この時代では若返り手術が普及しており、曾孫だけが自然なままの姿だった。

 早百合は100歳を、恵莉花は70歳を越え、孫達は40歳代だった。

 人類全体が若返って生殖活動に励むと人口爆発を招くので、避妊手術とセットで若返り手術が施されていた。

 連邦政府も医療費抑制を目的に、市民の若返りを推奨していた。

 但し、頭脳だけは若返らせる事が出来ないでいた。だから、高齢になると痴呆が始まり、頭脳の寿命が尽きると安らかに死んで行くのだった。

 早百合は、見た目でこそ20歳代だが、早晩、寿命が尽きる運命にあった。

 だからこそ、早百合は、死ぬ前に是非にと、隆樹に会いたがった。

 冷凍睡眠カプセルから蘇生させるには、冷凍睡眠局に莫大な保釈金を納付する必要があった。この保釈金は、蘇生の順番が回って来た時点で還付されるのだが、隆樹の順番は未だ未だ先の事であった。

 この保釈金を工面するために70年もの歳月を必要としたのだ。

 隆樹は、そんな早百合の貞淑に感謝した。

 隆樹は若かりし頃の早百合との逢瀬おうせを再び楽しんだ。タイムリミットが迫っているだけに、1週間しか地上で生きられない蝉のごとく、精力的に2度目の新婚生活を楽しんだ。

 所有するアンドロイドは何体にも増え、隆樹自身が働く必要は全く無かった。

 そんな月日が数年続いた後、蝋燭の火が消える様に、早百合は天寿を全うした。

 隆樹は就寝前におやすみのキスをし、翌朝、妻は二度と目を覚まさなかった。

 結局、隆樹は、早百合との夫婦生活を10年と続ける事が出来なかった。夫婦の倦怠期を迎えるには早く、妻の死は隆樹の心にポッカリと隙間を空けた。

 隆樹は放浪の旅に出た。日本中を旅して驚いたのだが、生活のために働いている日本人は1人も居なくなっていた。

 アンドロイドが工場で自分の同胞を次から次に製造し、その数は日本人よりも寧ろ多くなっていた。アンドロイドを保有しない日本人はおらず、貧富の残滓ざんしはアンドロイドの保有台数に残るのみであった。

 日本人は労働から完全に解放されていた。

 でも・・・・・・、と隆樹は思った。

 自分は仕事が無かったから人生を狂わされた。折角、戻って来たのだ。働きたいと思った。

 だから、ログハウスを建て、畑を耕して自給自足生活を送り始めた。

 不足する生活物資は無料の配給センターに取りに行ったので、正確には自給自足とは言えなかったが、まあ、そう言う生活だ。

 時には、肉体を酷使して働くと言う体験を求めて、旅行者がログハウスを訪れた。

 隆樹は聖人君主ではない。女性の宿泊客と情事に及んだ経験も有る。今や全ての日本人が若い肉体を持て余しているのだから。

 しかし、子供を育てると言う人生最大の仕事に従事できない隆樹にとって、何年続こうが、それは余生でしかなかった。

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