淡々と続く日常

 「淡々と続く日常」と書くと、異論もあるだろう。書かれていることは淡々とした日常ではなかったとしても、書かれ方はどうだろう。そこには淡々とした日常がある。
 未来ならSFだろうか。違う。インプラントがあれば、あるいは義体があればSFだろうか。違う。管理社会があればSFだろうか。違う。
 もちろん、どのように書くかという問題はある。淡々と書くという手法もある。だが、それは、それができるならだ。設定にせよ世界にせよ、技量にせよ。
 おそらくはではあるが、SFジャンルにおける作品においてはSF沸点とでも言うようなものがとても低い。つまりなにをSFと認識するかの基準がとても甘いのではないかと思う。