29 エリカへの説得

 ■


 航路の司令官室で哲也はエリカと対峙していた。


「せっかくの提案だが、私は賛成できない」

「なぜですかエリカ司令。この協定ができれば現状を大きく変えることができるかも知れないんですよ」


 哲也はエリカに食ってかかっていた。彼は航路に無事戻るとすぐに自由の旗との協定をエリカに提案したのだった。しかし彼女の反応は芳しくはなかった。


「テツヤ君、君も向こうでわれわれと自由の旗とのこれまでのいきさつを聞いたのだろ。ならばこれがそう簡単に“成る”ものではないことがわかるはずだ」

「しかしいつまでもそんなことを言っていたら」

「テツヤ君」

「なんですか」

「私が以前、君とミオ君に言ったことを覚えているかね」

「なんのことでしょう」

「私は言った。『君たちの不調の原因は『お互いに相手を信頼しきっていない』ということにある』、と」

「ああ、それなら覚えています。それが何か」

「たった一組の人間であっても『信頼関係がない』ことは戦う上で致命的なことなんだ。ましてやそんな人間が大勢いる組織どうしに信頼関係がないことがどういった結果を招くか。それは君にだって容易に理解できるはずだ」

「もちろん俺にだってそれが難しいことは十分わかっています。でもだからといって信頼関係を結べないわけじゃ……」

「いいや、君はわかってない!」


 エリカは机を両手で激しく叩いて立ち上がった。


「いいかテツヤ君、この件はこれでおしまいだ。二度と私の耳に入れないでもらいたい」


 エリカの拒絶はあまりにもはっきりしたものだった。哲也はもう何も言うことができなかった。彼に出来たのは静かに部屋を出ることだけだった。



 哲也は肩を落として司令官室を出た。そんな彼をアオイが呼び止めた。


「テツヤ君、ちょっといいかな」


 急に呼び止められてハッとした哲也は、そこにアオイの姿を認めて何事かといぶかしんだ。


「あっ、アオイさん。なんでしょう」

「少し話したいことがあるの。こっちに来てくれるかな」


 なぜか寂しげな表情をしたアオイが哲也を手招いた。彼女は彼を人気ひとけのない窓際に連れて行った。梅雨は明けたはずだったが、窓から見える空は今の彼の心のようにどんよりと曇っていた。


「で、なんでしょう。話って」

「エリカのことよ。エリカ、あなたが提案した航路と自由の旗との協定を拒絶したんでしょ」

「ええ。司令があんなにもわからず屋だったとは思いもしませんでしたよ」

「仕方がないのよ。彼女、父親を自由の旗に殺されたと思い込んでいるから」

「えっ」


 アオイの思いがけない言葉に哲也は思わず言葉を失った。


「航路が自由の旗から分かれてできたってことはあなたも聞いているわね」

「ええ」

「ふたつの組織が分かれた直後、まだ脆弱な航路のアジトが政府軍に襲撃されたの。コウタロウはそのときエリカと私をかばって瀕死の重傷を負ったの。私が九つでエリカが十七のときだったかしら。コウタロウは驚異的な体力と精神力でその後数ヶ月は生き続けて航路の基礎を作ったんだけど、結局そのときの傷が元でコウタロウは亡くなったの。エリカは設立直後の航路のアジトを政府軍が知っていたのは自由の旗がその場所を教えたからに違いないって思い込んでいるのよ。だから彼女は……」

「ちょっと待ってくださいアオイさん。エリカ司令は自分の父親を自由の旗に殺されたと思い込んでいるんでしたよね。でも今の話からすると航路創設者のコウタロウさんがもしかして」

「ええそうよ。彼が私たちの父よ」

「『私たち』って。じゃあエリカ司令とアオイさんって姉妹なんですか」

「そうよ。エリカは私の姉。ちょっと歳は離れているけどね」


 アオイは寂しげな表情の中にわずかに笑みを見せてその言葉を言った。哲也は信じられない思いでアオイを見つめた。そう言われてみればメガネで気づきにくいが目元のあたりがエリカと似ていないこともない。くせ毛はエリカほどひどくはないものの彼女もそうだ。またあごのあたりのラインなんかも。


「で、政府軍が航路のアジトの場所を知っていた理由はわかっているんですか」

「それはわかってないの。ただ私に言えることは『マサトシは絶対にそんなことをするような人間ではない』ってことだけ」

「俺もそう思います。あの人は俺が航路の関係者とは知らなかったときにコウタロウさんとの思い出を本当に懐かしそうに語ってくれました。自分が売った相手のことをあんな風にしゃべれるはずはありません」


 哲也はあの夕陽の中で見たマサトシのまなざしをまざまざと思い出していた。


 突然アオイが哲也の腕をつかんだ。そして訴えた。


「テツヤ君お願い、エリカを救ってあげて。彼女は父親への愛から前が見えなくなってしまっているの。いいえ、彼女のためだけじゃないわ。この協定が結ばれることで救われるはずのたくさんの命のためにも」


 哲也は必死に訴えるアオイの目をじっと見つめた。眼鏡の奥に見えるその目からは涙が今にも溢れようとしていた。


「わかりました、アオイさん。俺、もう一度エリカ司令を説得してみます」


 彼女の潤んだ瞳を見た哲也は自分に再び力が湧いてくるような気がしていた。



 エリカ説得の失敗から数週間後、哲也は再びエリカと対峙していた。


「この話はこの前終わったはずだ。それをなぜこんな場で持ち出す。私を怒らせる気か」

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