第3章 動き出す世界

23 初陣

 じとじとした雨の降る夜だった。明かりを消した郊外の空きビルの二階に哲也とミオは身を潜めていた。


 暗いそのフロアにいるのは哲也とミオだけ。そこはがらんとしており、かつてそこで使われていたのであろう事務机がフロアの一角に乱雑に積み上げられている。床には地図を始めとするいくつかの書類が広げられ、その脇にはそれらを入れてきたのであろうリュックと、多少大きめの通信機らしきものが置かれている。締め切られた窓で雨音は聞こえず、乾いた破裂音が断続的に聞こえるのみ。


「銃声が近づいて来ているわ」

 ミオが不安そうに言う。


「まずいな。それるか、行き過ぎてくれるといいんだけど」


 哲也は必死に自分の不安を外に出さないようにしていた。ミオだけでなく自分までもが不安を表に出せば、ふたつの不安が共鳴しあって耐えられなくなりそうだったからだ。


 乾いた破裂音が次第に大きくなってくる。それはミオの言うとおり銃声だった。哲也とミオの近くで戦闘が起きていた。

 哲也は見つからないように万全の注意を払いながら、窓からそっと外をのぞいてみた。


「危ないわ。頭を下げて」

「政府軍の戦闘服じゃない。おそらくどこかのレジスタンスだな。やつら劣勢らしい。政府軍に抵抗しながらこのビルの前の道をこっちに後退してきている」

「どうしよう。逃げ道がないわ」

「大丈夫だ。ここは何もない空きビルなんだ。たぶんそのまま通り過ぎてくれるさ」


 哲也はミオを安心させるようにそう言った。


 そう言っているあいだにも銃声はどんどん迫って来ていた。ふたりは体を低くし、外からその姿が見られないようにしていた。


「まったく、せっかくの初陣だってのにこのザマだ」

「テツヤのせいじゃない。まさかこの近くで戦闘が起きるなんて、この作戦を考えた誰ひとりとして思いもしていなかったんだし」


 そう、彼らは航路による作戦の真っ最中だったのだ。複数地点に対する同時攻撃、それが今回の作戦だった。

 哲也とミオが担ったのは前線と後方の本部とを結ぶ通信業務。前線と本部間で直接通信するのに問題があったので、両者を結ぶ中継ポイントがいくつか設置された。

 ふたりがいるのはそういった中継ポイントのひとつ。これまで作戦に“見学”という形でしか参加したことのなかった哲也にとって、これが実質的な“初陣”となるものだった。


 実戦経験のない哲也のことを考慮して担当するポイントはすべての前線からいずれも離れた地点が選ばれた。たとえいずれかの前線での戦闘の結果が芳しいものではなかったとしても、彼らのいるその場所に影響が及ぶ恐れはないはずだった。

 それが一転した。航路とはなんの関係もない戦闘が彼らのすぐそばで始まってしまったのだ。


「まったくあのレジスタンス、一体何を狙って攻撃したんだ。ここの近くには政府の施設なんかないはずなのに。しかしそうすると政府軍が応戦した理由がわかんないんだよな」

「そういう詮索は無事に帰ってから。今考えるべきはいかにこの状況を無事に乗り切るか、よ」

「そうだな。よし、無事に帰ろうな、ミオ」

「うん」


 ふたりは互いに力強くうなずき合った。


 突然、ビル前に銃声が響いた。怒声があたりにこだまし、やがて複数の靴音がビル一階になだれ込んで来るのがわかった。


「畜生! 入り口の警備の連中、やつらに応戦しやがったな」

「まずいわ。もし階段を上がってきたら」

「とにかく隠れよう。こっちだ」


 ふたりは床の上の地図やなんかを大急ぎでリュックに詰め込んだ。そして部屋隅の事務机の山の中に身を隠した。

 恐れていたとおり階段を上がってくる複数の人間の足音が聞こえた。数人のレジスタンス兵がふたりのいる部屋になだれ込んで来る。


「誰もいないようだな」

「油断するな。誰もいなければ入り口を守っているわけはない」


 彼らはゆっくりと注意深く部屋の中を見回した。フラッシュライトの光が部屋の中を上下左右にすばやく走る。構えた銃はいつでも発射できる態勢だ。彼らは事務机の山にもちょっと目をやったが、隠れているふたりには気づかなかった。


「ここにはいないようだ。おそらく別の階だろう。行くぞ」

 指揮官らしき男がそう言った。彼らは身をひるがえしてドアへと向かった。


 そのとき“キュッ”という音が室内に響き渡った。彼らはギョッとして足を止めた。


「なんだこれは」


 ひとりのレジスタンス兵がその音を立てた物体を拾い上げた。床に落ちていたそれを踏んだことで音が鳴ったのだ。


「飲料パックじゃないか。中が濡れているし香りもまだある。ここに捨てられてそんなに時間はたっていないはずだ」

「なんだと! ではやはり誰かいるのか」


 彼らは再び室内に向き合うと警戒態勢を取った。


 しまった、と哲也は自分のうかつさを悔やんだ。あれは自分が飲んだやつだ。後から片づけようって思っていたのにうっかりしていた。


 レジスタンス兵たちは事務机の山を徹底捜索し始めた。たちまちのうちにふたりは発見され、兵たちの前に引きずり出された。


「お前たち、ここで何をしていた。言え!」

 兵のひとりがふたりを怒鳴りつける。しかしふたりは無言。


「隊長、こいつらこんなものを」


 別の兵がふたりが持っていたリュックを取り上げて床に中身をぶちまけた。様々な小道具や地図とともにひとつの機械が転がり出た。


「これは特殊通信機じゃないか。貴様ら、政府の犬か!」


 隊長と呼ばれた男は怒りにまかせてふたりを床へ突き転がした。


「連れて行け! 支部で尋問する」


 レジスタンス兵らは哲也とミオを乱暴に引っ立てていった。

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