12 別れ

「違うよ。いろいろなことから推測しただけだよ」

「何が違うんだ。そういう推測をしたってこと自体がすべてを物語っているじゃないか」


 哲也にはレイラの口調がひどく冷たいものに感じられた。あの“首締め事件”以前に戻ってしまったかのようだった。


「悪かったと思ってるよ。でも俺はレイラが心配なんだ」

「君に心配してもらういわれなどない」

「でも……」

「もう話すことなんか何もない。黙っててくれないか」


 無言のままのふたりを載せた車は、訓練センターの入り口前に滑り込むように停車した。


「残念だ。テツヤとはいい思い出のままでさよならを言いたかったが」

 レイラはまっすぐ前を向いたままひとりごとのようにつぶやいた。


「もう会うことはないだろう。たとえ会ったとしても、テツヤには私のことがわからないだろうからな」

「そんな。チップが教えてくれるはずなんじゃ」


 その瞬間、哲也は気づいた。チップを埋め込まれた彼がレイラと偶然街で出会ったとしても、彼が認識する彼女の姿が真のレイラの姿そのままであるとは限らない。チップはその姿をいくらでも改ざんできるのだ。

 またチップは自分が相対している人物が誰なのかを教えてくれる。もしもその情報として意図的に間違ったものを提示されたとしたら。

 姿が違い名前も異なるその人物が実はレイラだと、どうして哲也が気づくことができるだろう。もちろん声も当てにはできない。


「どうやらわかったようだな。それからあの部屋にはもう私はいない。テツヤの荷物は全部君がこれから住むことになる部屋に送ってもらうことになっている」

 レイラが言った。感情を排した事務的な響きに哲也には聞こえた。


 車のドアが開いた。


「さあ降りるんだ。ここでさよならだ。元気でやっていくことを願っている」


 突然、哲也の中に今までにない感情が湧き上がった。


「嫌だ」

「なんだと」

「チップを埋め込まれるなんて嫌だ。街で会ってもレイラがわからなくなるなんて絶対に嫌だ!」


 レイラの顔に困惑とも驚きともつかない表情が浮かんだ。彼女の中で感情が複雑に渦を巻いた。しかしそれもほんの一瞬のことだった。再び何事もなかったかのような冷徹な無表情に戻る。


「私を困らせないでくれるかな。それにもうそこにお迎えが来ている」


 哲也はレイラの指す方を振り向いた。車の外に白衣を着た屈強そうな男が数名見えた。

 哲也の表情がサッと変わった。それは恐怖だった。救いを求めるかのように彼はレイラのほうを見た。

 レイラは哲也のほうを見てはいなかった。無表情のままただ真っ直ぐに前を向いたままだった。


「嫌だ!」


 哲也はレイラに向かって再び叫んだ。彼女の表情は変わらない。


「嫌だ、絶対に降りるもんか」


 哲也は座席にしがみついた。これを離せばレイラと永久に別れることになる、それをなんとしても拒否したかった。

 レイラは無表情のまま左手で小さく合図を送った。外の男たちが動いた。抵抗する哲也を座席から引きはがした。そしてそのまま彼を地べたに押さえつけた。


「出せ」


 レイラは小声でそう言った。ドアが閉まった。そして車は滑るようにその場を後にした。


「レイラ! レイラああ!」


 必死で叫ぶ哲也の声はもはや彼女には届かない。レイラは寂しそうにそっと自分の目頭をぬぐった。



 数人の屈強な男たちが哲也を無理やり建物の奥へと運び入れようとしていた。


「離せ! 俺は手術なんか受けないぞ! 今すぐ俺を離せ!」


 あらん限りの力を振り絞って抵抗する哲也。しかしその抵抗もむなしく、白衣の男たちは彼を手術室へと運び入れた。

 男たちは慣れた手つきで哲也を手術台へと固定していく。彼の手首足首は頑強な金属の輪で手術台へと繋がれていく。

 白衣にマスクの手術スタッフらしき人たちが入ってくる。その中にアヤとミクの姿はない。


「では準備を始めよう。ID1923055038004、タケモト・テツヤ、間違いないようだな」


 スタッフの長らしき男が虚空を見つめながら話す。そのあいだにも手術台のまわりにはマニピュレーターを複数備えた機械がセットされていく。


「離せ! チップなんか拒否する!」

「だいぶ厄介な患者クランケのようだな。さっさと麻酔をかけてしまってくれ」


 麻酔ガス用のマスクが哲也の顔に装着される。


 そのとき突然に部屋の照明が消えた。センター内に緊急事態を告げる警報音が鳴り響く。


「手術中止! いったい何が起きた」

 非常灯の明かりだけの中で動揺を隠さずスタッフ長が叫ぶ。


「レジスタンス組織の襲撃のようです」

「なんだと。よりによってこんなときに」


 騒然となる手術室内。しかし哲也にはわかった。きっとあの謎の少女の仲間たちが自分を奪いに来たんだ、と。

 手術室内に武装した兵士が何人も走り込んでくる。


「ここは危険です。ただちに待避してください」

「わかった。聞いたな、急いで全員待避だ」

患者クランケはどうします」

「このまま残していく。今第一に考えるべきは我々の安全だ」


 手術スタッフは兵士に誘導されてバタバタと部屋を出て行く。開いたドアから哲也の耳にも銃撃音が聞こえる。わりと近くのようだ。

 スタッフが出て行くと兵士はドアを閉めた。そのドアに向かってすばやく隊形を整える。

 やがてドアが閉まっていても銃撃音が哲也の耳に届くまでになってきた。明らかにどんどん近づいている。


「伏せろ!」


 隊長らしき兵士が叫ぶとほぼ同時に大きな爆発音が響いた。ドアが破壊されたのだ。

 途端にドアを挟んでの銃撃戦が始まる。銃弾が壁に当たって炸裂するのが哲也の目にも見える。粉じんが室内を舞う。


 と、鈍い音を立てて兵士がひとり吹き飛んだ。哲也は自分の目を疑った。


「なんだこいつら。全員アンドロイドなのか」


 吹き飛んだ体の裂け目から機械の骨組みが見え、ちぎれたコードからは火花が散っている。

 次々とアンドロイド兵が倒されていく。しかし感情を持たないアンドロイド兵は倒された仲間の体を容赦なく踏み越えていく。そしてまた倒されていく。

 ついに最後の一体が倒された。アンドロイド兵とは違うなりをした兵士らしき集団が手術室に入ってくる。銃で間断なくあたりを警戒している。血を流している者もいる。こちらは生身の人間のようだ。


「制圧を確認した。目標確保」


 指揮官らしき兵士が短く叫ぶ。ふたりの兵が手術台に駆け寄り、哲也を固定していた金属の輪を銃で破壊する。別の兵がすばやく哲也の顔に目隠しをする。


「目標を確保した。全員撤収」


 運ばれていきながら哲也は思った。何が何やらさっぱりわからないが、わかっていることがひとつだけある。


「俺とレイラは敵同士になってしまうのか」

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