4 やりたいことを自由にできる社会

「でも人口がそんなに少ないんじゃ、食料やそのほかの物の生産に影響は出ないのかな。俺のいた時代でじゃ建設業で人が足りなくていろんなインフラの整備に影響が出てるってニュースで見たけど」

 哲也が尋ねた。


「そのあたりも抜かりはない。たいていの物の生産はほとんどすべてロボットがやってくれている。建設工事も同じだ」

「ロボットが! でもそれじゃ人間の仕事がなくなってしまうんじゃ」

「お金のためにやりたくもない仕事をやらされるなんてばかげていると思わないのか。人間が生きていくために必要な物資の生産やインフラの整備、はては各種サービスの提供なんかはロボットがやってくれている。おかげで人間は自分たちのやりたいことを自由にやれる世の中になっているんだ」

「やりたいことを自由にって、一日中遊んでいたっていいってこと?」

「確かに一日中ただ遊んで暮らすことも可能だ。しかし人間というのはやがてそれだけじゃ飽き足らなくなってしまうものなんだな。やはり他人と繋がっていたいと思うし、自分が誰かの役に立っていることを実感したくなってしまう。自分の価値の確認と言い換えてもいいだろう。なので仕事に限らず『○○をやってみたい』と考えたときにちゃんとそのことが実現できる仕組みが用意されているんだ。もちろん仮想空間上でじゃなくリアルで、だ」


 レイラはわずかに微笑んで片目をつぶってみせた。哲也は一瞬息が詰まるのを感じた。


「でも単純な仕事ならともかく、専門的な知識や技能、コツなんかが必要な仕事もあるんじゃないんですか。そういったものは一体」

「じゃあ、わかりやすいようにひとつ例を挙げて説明しようか。今誰かがケーキ屋を始めたいと思ったとする」

「えっ」

「なんだ。何か問題か」

「い、いや。レイラさんみたいな人から『ケーキ屋』という言葉が出るとは思わなかったんで。ごめんなさい」

「何を言う。こう見えても私だって女性なんだ。ケーキが好きで何が悪い」

「わわ、すいません。ケーキ屋でいいです。ケーキ屋大賛成」

「よろしい。で、そのケーキ屋だが、場所や店舗、各種機材は提供してもらえる。ケーキを作る専用の機械があって工程の一部をサポートしてもらうことも全部お任せにだってできる。必要な知識は与えてもらえるし知識データベースからいつでもいくらでも引っ張ってこれる。レシピの提案だってしてもらえるぞ。店の経営についてもきっちりとしたサポートがあるから資金が続かなくなって倒産、などといったこととは無縁。さらには飽きたら辞めることだって自由」

「へぇ、まるでやったことあるみたい」

「冗談言うな。私の仕事はそんなもんじゃない」

「すみません。じゃあレイラさんの仕事は何ですか。こういうサポートだけが仕事っていうわけじゃないですよね。俺みたいな人間がそんなにたくさんいるわけないし」

「私に仕事のことは聞かないでくれるかな」


 ぶっきらぼうにレイラは言い放った。車内に広がる沈黙。

 しかしその沈黙を破ったのはレイラのほうだった。口調は元に戻っていた。


「ちょっときつく言い過ぎたな。陳謝する」

「いえ、こちらこそすいません。で、あのう、ひとつ聞いてもいいですか」

「なにかね」

「医者なんかはどうなんですか。医者って俺たちの時代じゃ専門の大学に行って免許を取らないとなれなかったんですよ。俺入院中に『義務教育後の教育機関は廃止された』って聞きました。それって高校や大学がないってことですよね。じゃあそういった高度な知識ってどうやって教わるんですか。もしかして希望する職種別に専門の学校があるとか」

「そうじゃない。君が言うように義務教育後の学校というものは大学や専門学校も含めてすべてないんだ」

「えっ、じゃあどうやって」

「脳に直接知識や技能を教え込む仕組みがあってな。だから昔のように集団で教室に座って先生の授業を聞いて試験があって……、という形の学校は義務教育後についてはずっと前に廃止されたのだ」

「そんな仕組みが」

「そう。これはもうちょっとしたら話すつもりだったのだが、ちょうどいいから今教えておこう。この時代の人間は十四才になったら全員が特殊な“チップ”を順次体内に埋め込まれる。そのチップは脳と外界とのインターフェースになって、様々な情報のやりとりを超高速で行うことができる。さっき言ってた『脳に直接知識や技能を教え込む仕組み』の正体がこれだ。基本的な技術としては二十一世紀初頭にアメリカのDARPA(国防高等研究計画局)で開発されたものが基になっている」


 突然にレイラの口から出た「チップ」という単語に哲也はハッとした。この時代に目覚めた最初の日に医師らが気にしていた「チップ」の正体がこれだった。治療費のことなんかじゃなかったのだ。そして「信号」とはチップと外部との通信のことに違いなかった。


 それは数ミリサイズのコンピューターといってよかった。そんな小型にもかかわらず2016年におけるあらゆるコンピューターが束になっても足元にも及ばない性能を持っている。外界のネットワークと超高速で常時接続され、それを埋め込まれた人間の脳とのあいだでリアルタイムに情報のやりとりを行うものなのだ。

 哲也にとってはまさにアニメの世界の話だった。


「すげえ。つらい勉強もなしでどんな職業にでも就けるなんて夢みたいだ」

「いや、今まで言ってきたのはあくまで一般向けだ。その国を背負って戦うような超一流の人たちはまた別だ」

「『その国を背負って戦うような人』、ですか」

「そう。スポーツの代表選手や危険に立ち向かう職業、例えば軍人だな。そういう超一流のプロフェッショナルな人たちに対しては、育成のための特別な仕組みが用意されている。高度な専用の機器による激しい肉体改造が必要なのは言うまでもない。それに耐えられる肉体や精神力がなければそもそも務まらない。もちろんその仕事に対する強烈な責任感も、だ」

「そうなんだ」

「もちろんそれらは一部の特別な職業についての話だ。たいていの人は大して苦労することなく各人が満足できるレベルの人生を手に入れられる。だからテツヤ君がもしどこかでそういった『その国を背負って戦うような人』に出会うようなことがあったら大いに尊敬してあげてほしい。その人たちは十分それに値する」


 レイラの口調は確信にあふれていた。

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