第4話 身の丈に合った行動を

 扉を開けると音楽が脳を揺さぶる。体を揺らして音楽に乗る人の渦。それをかき分けてDJブースに近づいていく。

「ああ! 柳さん!」

「あ、柳じゃん。久しぶりだな」

 出番を待機している見知った顔のDJとクラブの店長が柳に手を振った。

「ああ、久しぶり。盛り上がってるな」

 柳はDJの小柄な女の頭を撫でた。嬉しそうに猫みたいに目を細めている。

「グラミー賞が発表されて間もないからね。そのミックスとかをかけてるんだよ」

「最近ヒップホップとかブラックミュージックの人気もまた上がってきてるしな」

 腕組みして店長が何度もかみしめるようにうなずく。

「そうか、またちょこちょこ顔出すよ。ところで最近…………」

 柳が厳島に聞いた話を切り出そうとしたそのとき、柳の背後から爆音で流れている音楽を突き破るほどの笑い声が届く。

「ぎゃはははは!」

「まじ、ヤバいって!」

 振り返ると数少ないテーブルスペースに陣取り、体をのけ反らせてゲラゲラと笑っている四人組が視界に入る。男は似合いもしないとんがった靴を履き、女も美しく歩くこともできないくせに高いヒールを履いている。だんご鼻でニキビ面の丸顔の男はシャツをはだけさせ青のカラーコンタクトを入れている。もう一人の男はゴボウのように長い顔に大きなサングラスを室内だというのにかけている。二人の女は幼い顔に無理して口紅やチークを塗りたくっているのでまるでコントだ。柳は服装も化粧も自分に似合うか似合わないかを判断できない人間が嫌いだ。

「――なんだ、あの品のない集団」

「あ……ちょっとたち悪いんだよね」

 DJが嫌そうに顔を歪める。あの集団の周りにいる人も避けているのか、人口過多な店内にも係わらずサークル状に妙な距離が生まれていた。クラブは音楽を楽しむ場所だが、どうも勘違いして調子にのった奴らがたむろしてはばを聞かせる場所だと思っているようだ。あれがさっきも話に聞いた調子に乗っている若者集団だろうか。

「東京のデカいクラブみたいに満員になったらあんなことするスペースも取れないんだろうが、いかんせん下町にある庶民的なクラブだからな」

 店長は苦笑して顎髭をさすった。四人の男女をにらんだまま柳は答える。

「俺はここ好きだぜ」

「ありがとな、柳。柳のおかげで常連になったやつらも多いんだよ」

「そうか」

「ものは相談なんだけど、あの集団の態度を改めることってできないか?」

 数回目を瞬くと目線を店長に戻し、柳はニッと口角を吊り上げた。

「それは仕事の依頼か?」

「そうだ」

「でも、あいつら確か空手有段者だよ! 危ないよ」

 DJの女が心配そうに眉を八の字にする。柳は二回ぱちぱちと瞬いて微笑んだ。

「問題ない。その依頼謹んで承ります」

 柳がそう言うと、店長とDJの二人は手のひらをパンっと合わせる。

「やった! これで安心ですね」

「報酬は後程いただくからな」

 冷静な柳のところに見知った顔が近づいてきた。先日進級が危ぶまれて論文を提出しなければいけなくなった大学生だ。その論文を一人で仕上げられないと言って柳に泣きついてきたのだ。

「お、柳さん。この間はお世話になりました! おかげで進級できたんですよ」

 ウインクしててへぺろと舌を出す。軽い。ノリが軽すぎる。

「お前、懲りたんなら遊んでないで勉強しろよ」

 思わず柳は頭を叩いた。その腕に若い女が飛びついてくる。

「柳さーん! この前ありがとー! おかげでミミちゃんと暮らせてるよ! ほら写メ見て見て」

 腕に抱き着いたままスマホに保存されている愛猫と自分の自撮り写真を見せてくる。彼女の猫が脱走してそのまま帰らなかったので柳に捜索依頼が来たのだ。ミミちゃんなどという可愛らしい名前からは想像もできないほど凶暴な猫で頭を蹴り飛ばされるし、腕を引っ掻かれるしなかなか骨の折れる仕事だった。ようやく腕の傷が消えたところだというのに思い出させるな。

「いや、別にいい」

「つれなーい。ぷーっ」

 思い切り顔を背けると彼女は頬を膨らませ去っていった。入れ替わりに柳のもとに来たのはクラブの近くにあるパチンコ屋で店長をしている男だ。

「柳さん、今度また依頼してもいいですか?」

「ああ、どうした」

「実は妹と妹の彼氏を別れさせたいんですけど、ちょっと……」

 男の表情が暗くなる。目を細めると柳は後頭部を掻いた。

「あー、また厄介そうな内容だな。今度、じっくり話聞くから事務所に来い」

「ありがとうございます」

 柳のもとにたくさんの人が挨拶に行き、人だかりができ始めたころ例の男女四人組がそれを疎ましそうに見ていた。

「何、あいつ。なんでみんなして集ってるの? 芸能人?」

「違うだろ、あんなおっさん。気に入らねぇな」

「やっちまうか?」

 ほくそ笑む四人組。その向こうで柳もほくそ笑んでいることなどつゆ知らず。

 店長たちに挨拶して早々にクラブをあとにすると、柳はわざと人気の少ない暗い道を選んで歩いていた。

「なんだよ」

 このあたりでいいかと場所を確認すると、あとをつけてきていた四人組に声をかける。おびき寄せられたことなど見当もついていない間抜けな四人組はのそのそと電柱の陰から現れる。

「お前、調子乗ってんじゃねぇぞ」

「大人しく金出しな」

 二人の男が主となって柳を取り囲む。

「子どもが一丁前の口をきく」

 ポケットに手を突っ込んだまま柳は余裕の笑みを浮かべ小ばかにした。四人の顔がカット赤くなる。

「なんだと!」

「くそじじい! 言っておくが俺たちは空手有段者だぞ! ボコボコにしてやる」

 怒りに任せて殴りかかってきた似合わないカラーコンタクトを入れている青年の腕をとり、足を払って地面に投げつける。

「てめぇらにじじい呼ばわりされるいわれはねぇ!」

 青年は投げられたと理解する前に宙に浮かび、天を仰ぐ。

「なっ! 痛って!」

 背中をアスファルトで強打した青年が痛みで顔を歪める。それを見ていたサングラス青年が焦って、傍観に徹していた女の子にまで攻撃するように指示を出す。

「一斉にかかれ!」

 見苦しいその様子に柳は困ったように首をひねる。

「雑魚が束になっても」

 向かってきたサングラスの青年は渾身の上段蹴りを柳の頭に向かって繰り出した。

「おらっ!」

 だが柳はそれをやすやすと片手でつかみ、青年の足を徐々に掲げていく。

「ぐっ……」

 片足を高々と上げ、反対の足はバランスをとろうとつま先立ちになっている。バレエのポーズにありそうだなと柳は淡白な感想を浮かべた。体勢を保てなくなった青年は背中から地面に倒れる。

「あんた何者なんだよ」

 這いつくばっている二人の青年を無視し柳は用のある女子二人に向かって歩を進めた。

「おい、女には手を出すな」

 もっともらしい格好つけたセリフが聞えて柳はぐるりと首を回し、サングラス青年をにらみつけた。青年のもとまで戻り側頭部を踏みつける。

「ぐえっ!」

 カエルの鳴き声のような声を出した青年の胸ぐらをつかみ、引き寄せてにらみ続ける。

「ふざけたことを。手を出されたくないんだったらこんな夜まで女の子引っ張り回して遊んでるんじゃねぇよ。くそガキ」

 額に青筋をたてている柳にサングラスの青年は闇夜でも分かるほど顔を真っ青にさせている。柳は右拳を振り上げた。

「やめ……」

「やめてくれ!」

 拳が振り下ろされると青年たちの悲鳴が闇夜に拡散する。勢いをつけた柳の拳は青年の鼻先に触れる寸前でピタリと動きを止めた。

「お願いします。やめてください」

 膝から崩れ落ちた少女たちが震えながら両手を合わせて懇願する。横目でそれを見つめると柳は青年の胸ぐらから手を離し、かがめていた背筋を伸ばした。

「だったら正直に俺の質問に答えろ」

「なんですか……」

「昨日の昼間、銀行の前で小学生が金を盗まれた。お前ら関係してるのか?」

 あくまで高圧的に柳は低いドスの利いた声で尋ねた。

「昨日……銀行前……」

 思案するようにつぶやく少女たち。何かつながりがあるようだ。訝し気に柳は片眉を上げた。

「犯人は若い女のはずだ」

「私たちじゃないですよ!」

 何も言っていないのに少女たちは間髪入れずに声を上げた。高速で手のひらをブンブン顔の前で振り、否定してくる。

「じゃ、誰だ」

「知りませんよ!」

 本当に知らないのか白を切っているのか。柳はいまだに尻もちをついている青年に手を伸ばす。

 危害が加えられると勘違いした少女たちが腰を浮かせ早口で捲し立てた。

「嘘じゃないですって! 私ら高校に行ってました。漆高校です」

「出席確認してもらったら分かることだから」

 そこまで言うのなら本当に登校していたのだろう。嘘を吐いている表情でもない。

 だがこれでは犯人探しは振り出しに戻ってしまう。

「ちっ」

 次はどこから切り込んでいって情報を得るべきか。舌打ちして物思いにふけっていると、少女たちがか細い声を発した。

「あ、でも……」

「なんだよ」

 べっとりと塗られていたファンデーションが剥げて口紅もはみ出しているそのぐしゃぐしゃな顔を見下ろす。

「ちょっと学校の裏サイトとかSNSで出回ってきた情報があって……」

 柳は少女たちの前に移動ししゃがみ込んだ。

「詳しく聞かせろ」

「いやでも、あれは信憑性ないって」

 困ったように二人の女子高生は顔を見合わせている。ふっと柔らかく柳は笑ってみせた。

「何もないところに噂はたたないさ」

 その微笑みに少し緊張感を解いた二人は語り始める。

「学校で、すっごく地味な子が何人かいて、その子たちが学校終わってからやたらとバイトを掛け持ちしてるのを目撃した子がいるんですよね。うちの高校って、まあ、夜な夜な遊んでるうちらが言うのもなんですけど、校則でバイト禁止なんですよ」

 ふーん、と顎に指を当てて柳は考えを巡らせる。

「わざわざ校則を破ったり、お前らみたいに夜遅くに出歩くタイプに見えないのにってことか」

「まあ、そうですね」

 少女たちは罰が悪そうにへらっとぎこちなく笑った。

「それで実は悪い奴とつるんでいるとか、実は脅されて金をとられているとか、親が借金まみれなんじゃねぇかとか……いろんな噂が広まってて。ちょうどその子たち事件のあった日に全員休んでたんだよね」

「そうそう。だから銀行前でスリあったっていう情報が入って、あの子たちの誰かが実は犯人だったりしてなーなんて笑い話にしてたんですよ」

「なるほどな。証拠も根拠もなにもない噂話だがそいつら全員休んでたのは気になるな。そいつらの名前と連絡先、あとそのサイトとかのURL教えて」

「いや、でもまじで関係ないかもしれないですよ?」

「構わない。他にも分かったことあったらまた教えてくれ」

 首を傾げる少女たちだが、柳はポケットからスマートフォンを取り出し有無を言わさずに情報を取り入れていく。

 必要な情報をすべて得た柳は立ち上がり四人の男女に冷たい視線を浴びせた。

「あと、あのクラブで調子乗ったことしたらまた痛い思いすることになるぞ」

「そんな……」

「勘違いするな。あそこはお前たちだけの場所じゃない。お前たちがオーナーなわけでもない。本物の人たちに目つけられる前に素行を正せ。いいな。空手だかなんだか知らねぇが集団で囲まれたり、刺されたり撃たれたら終わりだろう」

 事実厳島にはすでに存在を知られている。クラブの店長だって本当にどうしようもないくらい困り果てたら柳などに任せず自ら行動に移し対処するだろう。柳に頼むということはまだ穏便にことを済まそうとしてくれている彼の情けなのだ。

 本物の人たちという言葉が効いたのか四人は武者震いをして何度もうなずいていた。

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