虚構の展覧会に選ばれしものたち



 虚構の展覧会に選ばれしものたち#1 動き出すアトリエ



◆1



 目の前には、エンジェの自信作がある。誰に評価されたわけでもない、エンジェの目に映る絵。少しだけ、誇らしい絵。エンジェは絵を前にして呟く。


「悪くないね」


 展覧会に出品するには、不足の無い立派な絵に見えた。エンジェの服もまた、展覧会にふさわしい晴れ着。

 今日はエンジェのデビューの日だった。エンジェは想像の中で、自分の姿を旅立つ若鳥に例えた。苦労も、挫折も、半人前。ただ、自信だけは無限の宇宙の果てまで届く。


「悪くないね……」


 もう一度呟き、ぶるっと身を震わせた。自室の暖炉は蜘蛛の巣が張っている。火をつける金もない。

 友人のミェルヒがシャツに赤錆の兜姿で現れた。


「もうそろそろ出発しようよ」

「ええ」


 二人は、エンジェの絵を布でくるんで大切に運んで行った。展覧会の会場まで。二人の歩く道は、期待と不安で舗装されていた。

 一瞬の道のりだった。ここに来るまで。部屋で絵を描いていれば、それで幸せだった。エンジェはそうやって何年も閉じこもって過ごしていた。

 幼虫がゆっくり草をはみ、一見無意味な成長を続けるように、エンジェは部屋の中で成長していた。そして、いま、蛹から羽化するとき。

 エンジェの親戚の霊が、ミェルヒに課した呪いは重かった。エンジェが画家として大成するまで、ミェルヒの呪いは解けない。その出来事は丁度2か月前の話だった。


「後悔していない?」


 絵を持ちながら、エンジェはミェルヒに問う。


「何度聞かれたって、答えは『後悔していない』だよ」


 赤錆の兜の中からミェルヒの声。彼はとっさに霊と交渉してしまった。エンジェを支えると約束してしまった。


「君の絵は僕の心を動かした。君の絵には誰かを動かす力があるんだ。お金を稼ぐ力でも、称賛される力でもないけど……」


「ちょっと! お金だって稼げるし、皆から称賛される絵なんだから! きっと……」


 エンジェはそう言って笑った。この2ヵ月、大きく状況が変わり、二人は翻弄されることとなった。

 そう、全ては2か月前、エンジェの屋敷の中で……。

 話は2か月前に遡る。赤錆の騎士の霊が浄化され、全ては決着したかに思えた。しかし、ミェルヒは赤錆の鎧と深く繋げられてしまったようで、鎧から離れることができず、エンジェの大きな屋敷に半ば同棲状態になっていた。

 今日も屋敷にエンジェの奇声が響く。


「イヒヒ! やはり私は天才なのだ~」


 そう言ってミェルヒの部屋に転がり込んで床で手足をバタバタさせる。作業の息抜きに構ってほしいのだろう。

 ミェルヒは赤錆の鎧の整備を中断して彼女の隣に座る。


「天才だって、部屋に閉じこもってちゃ誰も知らないままだよ。エンジェ、何か自分を売り込む方法、考えた?」


 エンジェが売れてくれないと、ミェルヒの呪いがいつまでも解けない。釘を刺したつもりだったが、エンジェはそんなこと分かっているとばかりに、腕を組んで笑ったのだった。



◆2



 そもそも、ミェルヒには絵を売るという業界について全く知識が無かった。相変わらず埃だらけの部屋、無駄に広い屋敷。土地税だけでもお金がたくさんかかるだろう。それを払えるだけの収入を稼ぐ方法が見当もつかない。

 それをエンジェに言うと、エンジェは得意顔を見せた。


「イヒヒ、なーんだ。まだそんなレベルだったの? 私はそこからもう一歩先に進んでいるよ」

「なにか考えがあるのかい」


 エンジェは得意げになってくるくる踊り、絵の具まみれのネズミ色・ボロボロ・ワンピースを翻す。

 ミェルヒは窓の外を見る。すでに日が傾き始めている。こんな時間になって、ようやく起きて、ひと作業して休憩。そんな日々をエンジェは送っていた。


「うーん、君は何も前進しているようには見えないけど、きっと君なりの考えがあるんだろう。聞かせてくれないか?」

「おっ、私の話、聞いてくれるのね。何を隠そう、これがポストに入っていたのよ!」


 エンジェが隠し持っていたのは、一枚のチラシ。そこには大きく、


【新人画家による絵画展示即売会!参加者募集中】


と書いてある。


「これよ~これに参加するってわけ」

「これって、結局どういうイベントなの?」


 いまいち反応が鈍いミェルヒに向かって、エンジェは力説する。


「つまり、描いた絵を飾ってくれて、気に入ったらそれを購入してくれるお客さんもいる……そういうイベントよ! 名前も売れて絵も売れる。一石二鳥!」

「へぇ、そんなもんか……」


 ミェルヒはそういった業界のことを全く知らないが、なるほど、作品を衆目の目に晒すというのは良さそうに思えた。


「もう、申し込んでるから。そのうち担当が伺いますって」

「話が早い!」

「行動力あるなぁ……本当、羨ましいよ」


 ミェルヒならどうしただろうか? ミェルヒはかつて定職に就かず、ブラブラしていた時期があった。しかも、結構長かった。エンジェと出会い、彼女の熱意に触れるだけで、自分が枯らしてしまった美しい花を見たような、そんな気持ちになる。

 応援したい、支えたい気持ちは、近くで暮らすうちに深まっていった。そんなエンジェの大事な一歩をサポートする担当のことも、気にかかった。まるで嫁入り前の娘に対する父親のように。

 後日やってきたのは、意外にも整ったスーツの男だった。

 髪型も整っており、ネクタイも曲がっていない。そうして礼儀正しくお辞儀をし、エンジェのアトリエを見て回った。


「いやあ、素晴らしい……こんな、才能が埋もれていたとは」


 僕の方がエンジェの魅力を分かっている、と思わず嫉妬した自分に苦笑するミェルヒ。


「申し遅れていましたが、出品1作品につき、これだけの出品費がかかります。ですが、作品が売れれば相殺できるものですし……」


 隣で交渉しているエンジェと担当の男。ミェルヒはその言葉の端に、言い知れぬ不安を覚えた。嫉妬ではない……確かに疑いを感じたのだ!



◆3



 アトリエに用意したテーブルに、エンジェとミェルヒ、そして担当の男が座って手続きを進めていた。

 ミェルヒはあくまで黙って話を聞いている。しかし、担当の話は一見筋が通っているようで、何か引っかかる点があった。それが具体的になんなのか指摘するのができずにいる。

 思い切って指摘してみるミェルヒ。


「あのう、出品費が高すぎるのではありませんか? この値段だと2日はフルで働いたと同じくらいの値段ですし、ほぼ素人の作品がそれほど売れるとは……」

「フフ、それは先行投資ですよ」


 担当は自分の組織のパンフレットを差し出す。


「我々の団体はルエンツァール芸術互助会……ご存知ですね? 人類帝国の巨大ギルドです。ギルドと取引を行っており、ギルドとのコネを作る橋渡しの役目も担っております。そのため、参加費が高いのですがリターンは大きいですよ」


 担当は諭すように続ける。


「貴方はまだ若いですから経験が無いでしょうが、この社会の中で、お金を使わずに自分の好きなように生きるのは難しいのです。ちゃんとお金を支払うことで、利益を得る。そういう風にできているのです」


 そう言われると、ミェルヒも黙るしかない。

 エンジェはと言うと、ノリノリで話を進めていく。ミェルヒは黙ってテーブルの隅で小さくなってしまった。


(まぁ、ひと財産投資するわけでもないし、実際二日は働けば取り返せる額だし、いいのかな……いいんだろうな……その気になってきた)


「ギルドに登録さえすれば、仕事は向こうからどんどん舞い込みます。そうすれば、お金よりも時間が足りなくて困ることになりますよ。心配ご無用です」


 担当は資料を広げ、夢のある言葉を並べる。エンジェはすっかりその気になって書類を書き進める。

 気づけば、話が完全に纏まっていた。


「すみません、いま手持ちがないので、出品費は作品ができてからで構いませんか?」

「マジでそんなに苦しいの!?」


 ミェルヒのツッコミに照れるエンジェ。担当は「構いませんよ」と言い、その日は帰っていった。

 まだ日は沈んだばかり。寝るには時間がある。そして、エンジェは膨らんだ夢をみすみすしぼませるような人間ではない。


「作業……開始!」


 描きかけのキャンバスをナイフで削って新しい絵の素体にする。


「お前は……生まれ変われるんだ」


 かつて、諦めていた絵が、自分の手で新しく生まれ変わる。何度でもやり直せる。そして、いつか……自分の最も描きたかった絵に出会える。そう信じていた。


「いま、私の一歩が始まる!」


 エンジェは真っすぐ前を見ていた。絵に向かって歩いていた。それがたまらなく眩しくて……ミェルヒは目を細める。応援したいと思った。いつまでも……傍で応援しようと思った。



 虚構の展覧会に選ばれしものたち#2 詐欺師は踊る



◆1


 エンジェの担当の男は、上機嫌だった。今回は5人の客を引き当てた。一人一人の金は大したことは無いが、十分な収入だ。それに、今回の話は入り口に過ぎない。

 自分の家に向かう。街並みは暗く、月のない夜だった。分厚い雲が夜空を覆い隠している。


「誕生日おめでとう、スーラ」


 担当は部屋に戻ると、待っていた美女に話しかけた。彼女はテーブルに顔を伏せ、上目遣いに担当を見た。泣いていたのか、目が赤い。酒の匂い。机の上には、いくつもの酒瓶。一人で飲んでいたようだ。

 担当は無理やり笑顔を作って、美女……スーラを慰める。


「どうしたんだよ、こんなに泣いて……せっかくの誕生日じゃないか」

「せっかくの誕生日に……貴方はまた詐欺をしてきたんでしょ。あんなに、やめろって言ったのに」


 スーラは担当を睨む。


「いま大事なところなんだよ。もうすぐ盗賊ギルドに認めてもらえる。分かってくれよ

「ちっとも私のこと分かってくれないくせに。……さよなら」


 スーラは酒瓶を蹴飛ばし、鳥が飛び立つように去っていった。残されたのは、呆然と立ち尽くす担当。


「手段なんて関係ないじゃないか……こっちはお前のために、金を用意してきたのに……なんでなんだよ」


 転がってきた緑色の酒瓶を蹴飛ばす担当。壁に当たって瓶が割れた。部屋の明かりは、電力不安定からかチカチカと明滅している。

 担当は頭を抱えて、酒で濡れた床に膝をついた。


「馬鹿から金を巻き上げて、何が悪いんだよ……騙される方が悪いんだよ。スーラ、俺はお前に何だって買ってやったじゃないか……なのに、何が不満だったんだよ」


 女に逃げられたのはこれが初めてではない。

 俺には金がある。金さえあれば、女なんていつでも捕まえられる。そう自分を慰めても、何度となく繰り返された裏切りは、担当の心を荒ませる。何度でも、抉るように苦しみの種を植え付けていく。


「なんでこんなに苦しいんだよ……」


 苦しいのはなぜか。辛いのはなぜか。その理由を探して、担当は呻いた。


「もっと稼がなくちゃいけないのかよ、もっと道を外れなくちゃいけないのかよ……俺は真っすぐ進むしかできないんだよ。俺の生き方は、もう変えられないんだよ……」


 その言葉を聞く者は、いない。


「ううう……」


 感情を爆発させて、テーブルの上の酒瓶を床にぶちまける担当。それで、ようやく彼は冷静さを取り戻す。アルコールと色々なものが混ざった匂いで、吐きそうになった。


「苦しい……なんでこんなに、苦しいんだ」

「俺は苦しいから……その分、幸せになれなきゃおかしいんだよ……」


 最後に彼の脳裏に浮かんだのは、未回収の金のことだった。相変わらず部屋の電球は電力不安定からか、チカチカと明滅していた。



◆2



 次の日の朝、エンジェの担当は決心していた。頭上で電球が明滅している。あのまま床で寝ていたらしい。着替え、歯を磨き、髪をセットする。鏡を見ると、明らかに疲れが見えていた。仕方ない。

 金をむしり取ろう、それで解決する。担当はそう思った。

 後日、エンジェの屋敷を尋ねる。扉をノックしても、反応は無かった。扉を開けて、声をかける。反応は無い。担当は家に踏み込んだ。彼は冷静さを欠いていた。空き巣でもできるかもしれない……そう思う。


 アトリエに、エンジェはいた。その背中に、担当は大きな力を感じる。

 背後の担当に気付かないほど、エンジェは集中していた。その鬼気迫る背中に、担当はただ圧倒されていた。彼は金をかすめ取ることばかり考えていて、どうやって絵が生まれるか思ったことは無い。それをいま、目にしている。

 彼にいつもの営業スマイルは無く、ただ呆然と背中を見ていた。


 担当はエンジェの背後から絵を見る。そして、ショックを受けた。不気味な絵だった。自分の価値観がめちゃくちゃに破壊され、それが美しい何かに再構成されたような、そんな絵だった。

 廃墟の中心に小さく、少年が一人背を向けて立っている。それ以外の人物はいない。


 いままで担当はこんな絵を見たことが無かった。そして、震えていた。恐ろしい、そして美しい絵だった。魂の底から、震えあがるような絵だった。


「あっ、担当さん。いらっしゃったんですか?」


 いつの間にかエンジェが振り返っている。それにすら気づかなかった。


「えっと、出品費の話ですが、ようやく資金が集まって……今日お渡しでいいですか」

「いや、いらない」

「えっ」


 担当は朝セットした全てを崩したような顔で、呟く。


「出品費は、もう必要なくなったんだ」


 そして、そのまま夢遊病者のように屋敷を後にした。

 絵が目に焼きついて離れない。途中、何度も蒸気式自動車に轢かれそうになってクラクションを鳴らされた。

 自分の今までを振り返る担当。自分の今までは、何だったんだ。幸せを求めて……いや、幸せが与えられるはずだと思っていた自分。


 自然と涙があふれていた。鼻水も出てくる。ぬぐうことすら忘れて、当てもなく街を歩いていた。幸せとか、苦しいとか、そんなものがちっぽけに思えるほどの衝撃だった。まるで自分の心を切り取られたような、自分が求めていた答えをそのまま出されたような、そんな絵。


 絵の中心に小さく佇んでいた少年。あれは、自分の姿だった。自分は取り残されていたのだ。あの絵の中に。廃墟の中心で、自分の帰還をずっと待っている。担当はそれに気づき、猛省した。

 失くしていた自分に気付かせてくれたのだ。


「何なんだよ……俺は一体、何だったんだよ……まるで目が見えないまま、子供の頃から……俺は……何をしていたんだよ」


 呟いても、答える者はいない。ただ、真昼の太陽だけが彼の背中を照らしていた。



◆3



 担当は昼飯も食べずに、部屋の中で椅子に座って天井を見ていた。とりあえずいてもたってもいられず、散らかった瓶の破片を片付け、床を拭いた。

 絵の展示即売会は架空のものだ。会場も抑えてはいない。このままでは確実に失敗する。掃除を終え、再び椅子にもたれて一息。


 あの絵を飾りたい。エンジェの絵を飾ってやりたい。それが自分の証明になる気がした。そして、皆に見せてやりたかった。


「絶対に成功させるぞ……」


 担当は決心し、椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

 ボトルの水をあおって、口元をぬぐった。もはや、金などどうでもいい。美女も何も関係ない。ただ自分の証明のため。自分を取り戻すため。

 絵の中に取り残された、幼い自分を救い出すために! 電信機を机の上に引っ張りだし、分厚いアドレス帳を開く。


 片っ端から電信を飛ばす。あらゆるテナント管理事務所に、場所を借りれないか打診する。手持ちの金全てを予算にして、一心不乱に電信をかける。

 次々と帰ってくる、「無理だ」という返事。期間が短すぎる。急すぎる話に、事務所は難色を示すばかりだ。


 どんなに冷たく返されても、どんなに断られても、担当は諦めなかった。担当の心の奥、彼の錆びついていた歯車はギャリギャリという音を立てて高速回転を始める。錆を振り落とし、銀の地金が覗く。アドレス帳の残りは少なくなっていた。

 日が変わっても、彼の情熱は消えなかった。


 本来なら、すでに金をまとめて高飛びしていなくてはいけない時期になった。そろそろ捜査の手が回ってくるはずだ。それでも、時間の限り担当は手を尽くした。

 ここから逃げても、意味は無いのだ。彼はもう、自分の居場所を見つけていた。小さなキャンバスの中の、廃墟の中心に!


 すでに司法ギルドが動いていた。人類帝国の主要ギルドの一つ、ヌーメルレウン立法審判院。彼らは法に違反するものを厳しく監視し、時には裁きの手を下す。非常に恐ろしい者たちだ。

 担当の作ったチラシから、彼らは詐欺に気付いていた。


 最初から捕まえようとしてみても、真面目に運営する気だったと言い逃れされてしまう。架空のイベントだと確定するまで、絶対に実現不可能だと分かるときまで待っていたのだ。そのための証拠も完全に揃っていた。担当は泳がされていた。


 いま、担当の家の玄関前に、扉一枚隔てて司法員の執行部隊が12人も詰め掛けていた。明らかに多い人員を用意することで、相手に抵抗の意思を与えない。透視の呪文を使用するが、隠蔽の結界に阻まれる。不法な魔術結界だ。罪としては十分。軽犯罪で確保し、詐欺で裁く。いつもの手順。


 手振りで合図し、突入を開始する。強い酒の匂いがした……が、そこには乱暴に片づけられた酒瓶だけがあった。机の上の電信機は沈黙している。

 担当の姿は……すでにそこには無かった。



 虚構の展覧会に選ばれしものたち#3 展覧会をはじめよう



◆1



 呼び鈴が激しく鳴り響く。ミェルヒは飛び起きると、エンジェの部屋に急いだ。


「エンジェ、朝っぱらからお客さんだよ、起きてよ」

「うーん、ミェルヒが出て~」


 布団を抱きしめて眠そうなエンジェ。


「しょうがないなぁ」


 ミェルヒは急いで着替えて、玄関を開ける。


「司法ギルドの者です。お話を伺いたいのですが……」


 黄色と紫のネクタイをした重厚なスーツを着た男が3人、壁のように玄関前に佇んでいる。


「ひっ、ひえぇ、ヌーメルレウンギルド!」

「安心してください。貴方たちを検挙しに来たわけではございません」


 3人の男を応接間に通し、エンジェとミェルヒは緊張しながら話を聞く。


「……ということで、この展示即売会は完全な詐欺と言う話なのです。出品費の提供はなさらなかったようで、安心しました。それで、詐欺師の行方はご存じないんですね」

「まぁ、困った話です」


 エンジェはまるで他人事のように言う。もしかしたら彼女は気づいていたのかもしれない。ミェルヒはそう思った。そのとき、司法員たちが一瞬で透明化する。


「……奴が来ました。貴方たちは玄関で普通に応対してください」


 顔を見合わせるエンジェとミェルヒ。

 呼び鈴が鳴った。エンジェとミェルヒが玄関に行くと、そこには担当が……詐欺師の男が立っていた。泣いていたのか、目が赤い。


「すまない、会場が、どうしても……抑えられなくて……」


 すぐさま姿を現わした司法員に取り押さえられる担当。

 取り押さえられたまま、エンジェに向かって必死に訴える担当。


「頼む、最後に絵を見せてくれ。あの絵が全てだ。俺は全てをあそこに置いてきたんだ」

 すさまじい熱意が、まるでミェルヒの肌を焦がすかに思える。


「ダメだ。お前への求刑は懲役5年だ」


 司法員が冷酷に告げる。


「ごめんなさい」


 エンジェは担当の熱意に気おされながら、申し出を断った。


「あの絵は完成していないの。正直、ギリギリまでかかると思ってて……」


 そして、申し訳なさそうに笑顔を作り「イヒヒ」という戸惑いの笑いを漏らす。担当は最後に笑ってくれた。


「5年後……刑期が終わったら、必ず見に行く。誰に売られようとも、この世にある限り、必ず見に行く……約束する。君は、本当に凄い絵を描いた……俺の心を、描いてくれた。ありがとう……本当に、ありがとう」


 司法員たちは静かに手錠をかけ、魔法を構築する。

 そして、司法員と担当はテレポートでその場から消えてしまった。何の痕跡も残さずに。玄関先であっけにとられたままのミェルヒ。エンジェは、静かに呟いた。


「私、凄い絵が、描けたんだね……心を動かしたひとが、一人だったとしても」


(一枚の絵で、あそこまでひとの心を動かせるんだ……)


 確かに、ミェルヒもエンジェの絵に心を動かされた一人だ。思わず、自分の人生をかけるほど、心が動いた。

 それでも、担当程だっただろうか?


(悔しいな……)


 心の奥では、密かに嫉妬していた。



◆2



 結局展示即売会は実施されなかった。返金もあったようだが、そもそもエンジェは一銭も出していないのだから、何も変わらない。

 ただ、一枚の絵が期日通りに完成した。それだけは、エンジェの成果だとミェルヒは思う。


 物質的な変化は確かにそれだけだが、ミェルヒから見てもエンジェの中で何かが変わったようだ。部屋の中でただ絵を描いていた少女の姿は無い。胸を張って作品を掲げる、一人の画家に生まれ変われたようだ……そんな気がした。それこそ、まだ一銭も稼いでいないが。

 あの後、ミェルヒは提案した。


「公園の隅でも借りてさ、絵を飾ろうよ。せっかく描いたんだし。自治体に申請すれば、きっと1日くらい許してくれるよ」

「ええ、いいアイディアだわ」


 そして、そういうことになり、今に至る。


「せっかく作ったし、お披露目しないとね」

「違うの」


 エンジェは絵を前にして、胸を張って言う。


「せっかくじゃなくて、この日のために作った、立派な作品なの」


 ミェルヒは隣に立って目を細める。


「悪くないね」


 お披露目の時間が近づく。朝日が低い位置から窓を通して部屋に差し込み、埃っぽい空気を光の粒に変えている。


「悪くないね」


 エンジェは彼と同じ言葉を繰り返した。 展覧会に出品するには、不足の無い立派な絵に見えた。エンジェの服もまた、展覧会にふさわしい晴れ着。

 二人は絵を大事に抱えて、公園の一角へとやってきた。イーゼルを設置し、絵を飾る。子供が遊んでいる公園。エンジェとミェルヒは、絵の横に布を敷いて、二人並んで体育座りになった。特に誰も絵に興味を持たないし、通行人もほとんどいない。それでも、エンジェの顔は誇らしげだった。


 首を伸ばして絵を見るミェルヒ。不気味な絵だ。廃墟と言う暗いモチーフだし、メインの少年は小さくて目立たない。通行人の評価も似たようなものだった。「不気味」「暗い」そんな感想。ミェルヒは悔しくなる。自分が心動かした、エンジェの絵が絶賛されていない。


 それ以上に、あの担当程絵に感動できない自分が嫌になってしまった。

 気づけば、エンジェがミェルヒの顔を覗き込んでいる。そして、こう励ました。


「私の絵ってさ、引っかかるところが少ないんだよ。きっと。皆が皆、私の絵を好きになるわけじゃない」


 東の空、雨雲だろうか。薄暗い雲が広がり始めている。


「私の絵に、引っかかってくれてありがとうね」

「なんだ、そんなの、詐欺みたいじゃないか」


 ミェルヒは笑った。自分は選ばれたのだ。エンジェの絵に。その一人なのだ。ミェルヒは、それがとても誇らしく思えた。


「あ、ヤバい、雨! 降ってきた! 撤収!」


 太陽の光を受けて輝く天気雨が、二人のもとに降り注ぐ。それはまるで、二人のデビューを祝福するような、宝石のような粒だった。



 虚構の展覧会に選ばれしものたち(了)



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