第2話 古強者ノ墓標

 現在から遡る事約二百年、

「好きにするが良い……、人間……」

 九尾の狐・久遠くおんは、巨岩に五寸釘で縫い付けられていた。艶めかしい美女の姿をした彼女の目の前には、おびただしい数の屍が転がっている。

「……」

 久遠の目の前にいる、鬼の面を付けた黒装束の女性は、刀を彼女の胸の真ん中に突きつけ、隙無く構えてその様子を伺う。

「久遠様!」

 金色の狐の面をした女性が駆けつけ、主である久遠を呼ぶ。その着ている服は所々破れ、そこから見える傷口から流血している。

「ほう、私の式を退けたか」

 その援軍に焦る様子も無く鬼の面の女性は、硬質な声でそう言った。ゆっくりと振り返り、狐の面の女性を見据える。

「そのお方から離れろ! 人間風情が!」

 腰の剣に手を掛けて、狐面の女性はジリジリとにじり寄り、斬りかかるタイミングを見計らう。

黄金こがね……、何もするではない……。儂等は負けたのじゃ……」

 血だらけの久遠は、力なく諦めきった表情でそう言う。

「負けて等おりませぬ! 私がまだ闘えますぞ!」

 この黄金、人間如きに剣術で引けはとりませぬ! と、剣を抜いて、黄金と呼ばれた女性は、鬼面の女性に一歩、また一歩と歩み寄る。

「やめろと言っておるじゃろ!」

 臨戦態勢に移った鬼面を見た久遠はそう叫び、黄金を制止しようとする。

「その命は聞けませぬ! 私は命に換えても貴女を――」

 悲痛の表情を浮かべる久遠を見て、黄金は言葉を失う。それは彼女が今まで見た事の無いものだった。

「もう……、ワシの愛する者が……、死ぬのは見とうない……」

「あぁ……」

 その言葉を聞いて嘆くように呻いた黄金は、剣を取り落としてガックリと膝をついた。

 刀を鞘に戻した鬼の面はその剣を拾って放り投げ、居合い斬りでそれをたたき割った。

「九尾よ。配下の怪は、もうこやつ一人であるか?」

 鬼面はうなだれている黄金を、式神で拘束して持ち上げさせる。

「最後まで儂に忠実じゃったのは、な……」

 形勢不利と見て、数体が久遠の元から逃げ出していた。

「せめてもの慈悲である。何か望みはあるか?」

 呪符を手にした鬼面は、そうか、と言ってからそう続けた。

「そやつを……、黄金を、殺さんでおいてくれぬか?」

「久遠様……」

 黄金は無理をして笑って見せる、久遠を直視することが出来なかった。

「断る、と言ったら、どうするつもりであるか?」

 鬼の面のせいで、そう言った女性の表情は覗えない。

「お主は、そのような事はせぬはずじゃ」

「ほう。してその根拠はなんであるか」

「最初にお主は、儂を討つと言ったな」

 実際、儂はこの有様じゃろ? これが根拠じゃ、と言った久遠は、カカッ、と乾いた笑いを発する。

「あい分かった。天に誓って叶えよう」

 鬼面がそう言うのを聴いた久遠はコクリと頷いて、神妙な面持ちで瞼を閉じる。黄金のすすり泣く声が、三人のいる丘の林に吸い込まれていく。

「……」

 その様子を見た鬼面は、

「何をして……、おる……?」

 手に持っていた呪符を燃やしてしまった。

 久遠に歩み寄る彼女は疑問には答えず、その長い金色の髪の一部を切り取る。

「無抵抗な者を殺すのは、私の信条に反するのである」

 久遠の身体に刺さる釘を消し去り、その身を自由にする。

 であるが、と前置きをして、

「どのような事情があったにせよ、都を火の海にした、そなたは罰さねばならん」

 と、言った鬼面が印を切り詠唱すると、久遠が寄りかかる巨岩が、突如として小さな社に変わった。

 それを皮切りに、木ばかりが生えていた丘がいつの間にやら、すっかり神社に変わってしまった。

「配下の怪を愛し、その者共に愛されるそなたに、最も酷な罰を用意するのである」

 そう言いながら、鬼面の女性は黄金を連れて、自ら生み出した石段を下っていく。

「そなたはそこで、終わりの無い孤独を味わうのである」

 唖然とそれを見送る久遠にそう言い、また印を切り始める。

 彼女が一段降りるごとに、結界があることを示す朱色の鳥居が立っていく。真新しい神社のその様子は、さながら稲荷のようになった。

 

「貴公……」

「ほんの気まぐれである」

 独り言のようにそう言って、帯に携えている筆で黄金の狐の面に模様を描いた。

「これでそなたは、他の退魔士に退治される事はないのである」

 式神による拘束を解いた鬼の面の、目から涙が一つ落ちた。

「さらばである。そなたらの忠義には、恐れ入ったのである」

 足元が光ったと思ったら、姿が消えた鬼面の女性はどこかに消えていった。

「かたじけない……」

 地面に伏せった黄金は面を外し、静かに涙を流していた。


                  *


「すまんな、鬼面の。鳥居全部壊してしもうた」

 久遠は本堂の裏の林に立つ、表面に苔が生えた墓石に手を合わせる。

 これは鬼面の女性が遺言で、死してなお久遠を監視する、という名目で立てた物だ。

「そろそろ掃除するかの……」

 そう呟き、よっこらせ、と立ち上がって、帯で袖をまとめた久遠に、

「ここに居たんだ、久遠」

 たわしを手にした指定ジャージ姿の舞姫まいひめがそう話しかける。その背後にいる、水桶をもった黄金が深めに会釈する。彼女は、パイプ製の床几も手にしていた。

「舞姫がせんでも、墓掃除なら儂がするぞ?」

 そう言って久遠は、とてとて、と舞姫に駆け寄る。

「じゃあお願い」

「うむ任せるのじゃ」

 舞姫からたわしを受け取った久遠は、黄金を呼び、柄杓で墓石に水を掛けさせる。

「それってお墓だったんだね、久遠」

 たわしで表面をこすり始めた久遠へ、床几に腰掛けた舞姫がそう言う。

「なんだと思っとたんじゃ?」

「てっきり、殺生石かなにかかと」

「あの女と一緒にするでない」

 封印されても迷惑かけるアレは、九尾の狐の面汚しじゃ、とぶつぶつ文句を垂れ流し始める久遠。

「久遠様は、さる狐がお嫌いなのですよ」

 水桶を置いた黄金が近寄ってきて、舞姫にそう耳打ちをする。

「でも、会ったこと無いんですよね? 久遠は」

「再来呼ばわりが、お気に召さなかったとのことです」

「あー」

 お互いに苦笑いを浮かべていると、黄金、水掛けてくれぬか、と、榊を取り替え終えた久遠が黄金を呼ぶ。

「御意」

 残りの水を掛けると、浮いている苔が流れ、見えなくなっていた銘が姿を現す。

「あれ程の退魔士も、こうなってしまうのですね」

「人の宿命じゃからな」

 久遠はそう言って、生前、鬼面の女性が好んでいた香りの線香を立てた。

「さて、茶でも飲むかの」

 そう言って久遠は、墓石の斜め前にある、大石の上に置いてあった水筒を手に取る。

 黄金がコップに注いだお茶を、飲んでいる久遠は、

「そのお墓って、私のご先祖様のだって聞いたけど、久遠達の知り合いなの?」

「ブッ!?」

 床几を手にこちらにやってきた舞姫に、唐突にそう訊かれて思わず噴く。目の前にいた黄金は、顔に噴いたお茶を浴びた。

「どうしたの久遠?」

 むせる久遠の背中を、舞姫はポンポン叩く。

「……むせただけじゃ。すまん、黄金」

「いえ、お構いなく」

 タオルで顔を拭う黄金に、久遠は謝罪する。

「しかし、奇怪なこともあるもんじゃのう……」

 不思議そうな顔を浮かべる舞姫と、鎮座する墓石を、久遠は目を見開いて交互に見やる。

「今の今まで気がつかんとはな……」

「おーい、久遠?」

 挙動不審の久遠に首を傾げる舞姫。

「……ああ、すまぬ。それ誰から聞いたんじゃ?」

「神主さんだよ」

 黄金からお茶を貰って、舞姫はズルズルと啜る。

「あの小童め……」

 久遠は口の端をヒクヒクさせて、大きくため息を吐いた。

 神主は訊かれなければ、久遠には何も助言しない上に、知っていることを教えたりは絶対しない。

「しかし、何という偶然……」

 石に座っている久遠の足元に控えた黄金も、驚きを隠せないといった様子だった。

「巡り合わせは、げに不可思議なものじゃの……」

 感慨深そうに久遠は独りごちる。

 床几を黄金の脇に置いて、舞姫は彼女に座るよう促した。

「いえ、私は……」

「大丈夫ですよ」

 遠慮する黄金にそう言って、久遠の隣に腰掛ける舞姫。彼女は久遠の手に、自らの手を重ねた。

「なんじゃ?」

「ううん、別に?」

 久遠が目を合わせて訊ねると、舞姫はニコリと笑う。

 そよそよと温かく心地よい風が、二人の頬をなでる。

「ところで黄金、家に何か甘味はあったかの?」

 しばらくのんびりと休んでから、久遠がそう訊ねる。

「はい。一昨日出かけた際に、買った羊羹がございます」

「ほう!」

 羊羹が好物な久遠は、尻尾をブンブンと振って喜んだ。

「こうしては居られぬ! 舞姫!」

 その呼びかけに頷いた舞姫は、半透明な耳と尻尾を顕現させた。

「黄金、後片付けを頼めるかの?」

「おまかせ下さい」

 たわしを水桶の中に放り込んだ黄金は、そう即座に肯定する。

「準備はよいか舞姫」

「うん」

 二人は呼吸を合わせて高く跳躍し、境内の石畳に着地した。

 すぐさまダッシュで玄関に駆け寄る久遠。

「舞姫、はよう食べようぞ!」

 そういう彼女は、相変わらず尻尾を振っている。だが、

「鍵、黄金さんが持ってるんだった」

 舞姫はポケットに手を突っ込んだが、そこに家の鍵は無かった。

「なんじゃと……」

 久遠の耳と尻尾が、シュン、と垂れて、彼女は悲しそうな表情を浮かべる。


「久遠様と舞姫様は困っていらっしゃるはず……」

 鍵を渡し忘れた黄金は、一見冷静だが、内心、猛烈に焦っていた。

「確かこちらでしたよね……」

 そのせいで、社の方とは反対側に跳んで行ってしまった。

 大体に方向音痴な彼女は、二人の待つ家へとたどり着くのに、この後、三時間を要することになる。


「ねえ久遠」

「なんじゃ?」

 賽銭箱の前にある段差で座る舞姫。その隣にいる久遠は、ピッタリと彼女にくっついている。

「私のご先祖様って、どんな人だったの?」

「そうじゃな……」

 久遠はしばらく考え込んでから、

「恐ろしゅうて、二度と思い出したくはないのう……」

 苦笑いを浮かべてそう言った。

「ああ、胃がキュッとしてきたわい……」

「そんなに!?」

 久遠は青い顔で、お腹の辺りをさすっている。

「じゃが、恐い一辺倒というわけでもなかったぞ」

 もう一度会えるなら、一言礼ぐらいは言いたいの、と懐かしそうに笑う久遠。

「不器用な奴じゃったよ。あやつは」

 お主、退魔士にしては、ちと優しすぎるぞ、鬼面の。

「?」

 愛おしそうな目をして、舞姫を見上げた久遠は、そのまま舞姫の膝に頭を乗せる。

「ぬくいのう……、舞姫は……」

 久遠は頭を撫でられ、気持ちよさげに目を細めた。


                                    //

追記 Twitterに上げていた物は引き上げました。(2016/4/28)

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