第7話「目くそが鼻くそを嗤ってもいいですか?」

 夢子は、本当にコンピューター関係に関しては優秀でした。


 二日目の午後には、すでに自主的に電話対応を行い、スムーズに……どころか、他のメンバーよりも明らかに早く解決していっています。



〈すいません。表計算ソフトの動きがおかしいんですが……〉


「はい。DLLファイルが破損していたので入れ替えました」



〈あのぉ。こんな感じのことがやりたいんですけど……〉


「10分時間をください。スクリプトを作って送ります」



〈このソフト、こういう機能がないのかな?〉


「30分時間をください。プラグインを作成して提供します」



〈OSにセキュリティホールがあるって報告があって……〉


「1時間ください。OSのセキュリティパッチを作成して流します」



 さすが紅帯という感じで、次々に片づけていきます。


「いや、ちょっと待ってください。それ、あなたがやっちゃまずいのがありませんか?」


 そんな皆籐部長のツッコミもなんのその。


 夢子はテキパキと仕事をこなし、あっという間に多くのことが片付いてしまいました。


 そのせいなのか、今日は15時を過ぎるとすっかり電話も鳴りやみ、少し暇な時間ができます。


 ちょうど、おやつの時間。


 ちょっとお菓子をつまんだり、ネットでニュースを見たり、束の間の休息です。


「ああ。せっかく時間ができたのに、皆籐さんがまたミーティングに行かれてしまうなんて……」


 悠は独り言ちた風に言いましたが、もちろん夢子の反応を待っています。


 夢子としては面倒ではありましたが、キーボードを叩きながら社交辞令として話相手になることにします。


「皆籐さん、今日はミーティング多くて忙しそうですね」


「そうなんですのよ。なんでももう一人、雇うために面接をくりかえしているのだとか。わたくしのような、なかなか優秀な人がいないらしく。まあ、そうよね。そういるわけがありませんわ」


「そーですねー」


 全く同意していないように夢子は答えました。


 かの「初音○ク」の方が、感情を感じさせてくれるぐらいです。


「ああ。早くわたくしのもとに帰ってきて、私のことを貶してくださらないかしら……」


 しかし、悠はおかまいなしです。


 そんな彼女に、夢子はふと疑問を浮かべました。


「上空さんって、『いじめられたい人』なんですか? 先の安田さんとの電話を聞いて、『いじめたい人』かと思ったんですが」


「あら。わたくしは、相手によって柔軟に対応できますわよ」


「……そうですか。それは立派な――」


 夢子は「変態ですね」と言葉を続けようとして呑みこみました。


 悠と敵対しないと決めたからです。


 それに、夢子はそんな自尊心と胸ばかり大きい変態のことよりも、今は早く見たい物があって仕方なかったのです。


 始めたばかりの仕事中だったから、見るのを我慢していたのですが、もうすでに禁断症状がでそうでした。


 だから、やっとそれが画面に現れた時、ついつい口元が緩んでしまいます。


「……ふふふ」


 緩んだ口から、静かな笑い声がもれました。


「うふ……うふふふ……」


 パソコンのモニターを凝視する夢子の唇がどんどん緩んでいきます。


 正直、不気味です。


 こんな子が主人公で良いのかと不安になるような笑い方です。


(さては……)


 そんな夢子を見ていた悠は、ピーンときました。


 きっと電子書籍で漫画を読んでいるのだろうと思ったのです。


 もちろん、仕事中漫画を読むなど良くないことです。


 でも、あまり厳しいことを言ってもしかたありません。


 悠は先輩として、ここで厳しく怒るべきどうかと少し悩みました。


「あっん! ……はぁ〜……」


 ところがです。


 夢子の声が笑いから、少し艶のあるため息に変わったのです。


 そしてしばらくすると、頬を紅潮させて鼻息を荒くしているではありませんか。


 なんてことでしょうか。


 ハアハア状態です。


 どうみても興奮しているとしか思えないのです。


(花氏さん! あ、あなた、まさか……)


 いくらか時間が空いたからと言っても、今はれっきとした仕事中です。


 漫画を読むだけでも社会人として問題行動でしょう。


 それなのに、彼女が見ているコンテンツは、もしかしたらペアレントコントロールでフィルタされてしまうような類の物かもしれません。


(あなた、まさか……こんなところでいったい何を見てらっしゃるの!?)


 悠は焦りました。


 それはもう焦りまくりです。


 なにしろ、皆藤が帰ってくるまで、後輩の監督責任は先輩である悠にあるのです。


 大好きな彼が帰ってくる前に、しっかりと叱っておかなければなりません。


 悠は立ちあがって、彼女の席に向かいます。


「花氏さん! あなたいったい何をHなのを見て……!?」


 そして夢子の見ているモニターを覗きこんで愕然としてしまいます。


 何しろそこには、非常にエロい映像が映されて……いなかったのです。


 そこに合ったのは、文字と数字の一見すると意味不明な羅列。


 それが勢いよくスクロールして流れていきます。


 なんと夢子は、それを見て興奮していたのです。


「はぁ、はぁ……ん? 上空さん? Hなのって? ……ああ、HTTPってことですか?」


 夢子はよくわからない解釈をしてしまいます。


「違いますよ。私が今見ているのは、FTPです。もちろん、仕事ですよ。この会社、FTPの使用なんて許していないのに、イントラネット内にパケットが流れていたので調べていたんです」


「……は、はあ……。でも、あなた、なにか興奮していたみたいだから……」


「ああ。そりゃぁ、興奮もしますよ。この暗号化されず真っ裸で流れるパケット……見ているとハアハアしませんか?」


「……え? 真っ裸? どこに?」


「ええっと……ほら、この辺り」


 夢子が指をさすところを見ますが、やはりよくわからない英語と数字の羅列にしか見えません。


 それに全部を読む前に、するっとスクロールして流れていってしまいます。


 それは、パケットキャプチャソフトの画面でした。


「……裸?」


「ええ。真っ裸。でも、暗号化されて隠されたパケットも秘密めいて興奮しますよね。ああ、ファイルなんかも、今どきDESとかで暗号化されていると、『なんだ、本当は見てほしいんだろう?』なんて思って大興奮です!」


「…………花氏さん」


「はい?」


「あなた、すっごおおおぉぉぉ~~~い、へ・ん・た・い……ですわね!」


「…………自分以上の人に言われるのって、こんなに傷つくもんなんですね」


 目くそが、鼻くそを嗤っても、むなしい傷つけあいです。


 しかし、もしかしたら目くそも鼻くそも、自分が「くそ」だと気がついていないだけなのかもしれません。


 この二人のように……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


■用語説明


●DLL

 「どるる」と読んだ人がいますが、そうは読みません。

 「ダイナミックリンクライブラリ」の略で、プログラムが動くのに必要なファイルの一種です。


●スクリプト

 この場合は簡単なプログラムのことだと思っておいてください。


●プラグイン

 この場合は、追加機能のプログラムです。


●セキュリティパッチ

 OSのやばいところを修正するプログラムです。

 普通は個人が作ったりしません。

 OS作成会社が用意するものです。


●「あなたがやっちゃまずいの」

 OSのセキュリティパッチとかです。


●「初音○ク」

 歌うパソコン……と言っても、PC-6601とかではありません。


●電子書籍

 Ama○on kin○leの18禁漫画に対する消しは、断じて許容できません。


●ペアレントコントロール

 大人の楽しみを子供に与えないようにするものです。

 「大人のふりかけ」もペアレントコントロールと言えます。

 でも、もっと世の中に必要なコントロールは、「モンスターペアレントコントロール」かもしれません。


●HTTP

 「えっちで、とんでもなく、つごうのいい、ペット」の略で、最近のラノベにはよくでてくるヒロイン像みたいです。

 そんなの現実にはいません。


●FTP

 「ふつうの、つんでれ、ペット」です。

 このぐらいならいます。

 いると信じています。


●イントラネット

 インターネットの技術を使った社内ネットワークのことです。


●パケットキャプチャソフト

 ハアハアするためのソフトですが、扱いには知識が必要です。


●DES

 太古の時代に利用された暗号化技術。

 とっくに解除方法が知れ渡っているため、今どき使う人はいないはずですが、古い企業でたまに残っていたりするかもしれません。

 だから、使っている人は、本当は中身を見せたいのではないでしょうか。

 たとえるなら、隠していそうなのに、水をかけると、簡単にスケスケになってしまう白の女性水着みたいなものでしょう。


●くそ

 「やれやれ。目くそと鼻くそのやつら、また喧嘩してやがるぜ。低レベルなやつらだな」と笑う「耳くそ」の存在も忘れてはいけません。

 なぜなら、「耳くそ」も自分が「くそ」だと気がついていないのですから。

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