●2. っっっっっっわああだっさああ

 白い壁紙にクリーム色の絨毯。その絨毯の真ん中には木目の綺麗な長方形のローテーブルが置いてあって、ベランダに続いている窓の傍には綺麗に整えられたベッド。その反対側の壁は折れ戸になっていて、たぶんクローゼットだ。

 ぬいぐるみやレース飾りがあったり、ゲーム機や漫画が積まれているわけでもない。けして殺風景ではないのだけど、部屋の主がどのような人物なのか、なんとも判断の付きかねる部屋だった。

 もしも写メで見せられていただけだったら、俺はこの部屋の主が男子なのか女子なのかすら、分からなかったかもしれない。でも、実際に足を踏み入れてみれば――いや、扉を開けた瞬間からだって、この部屋の主が女子であるとことを間違える奴はいないだろう。

 なぜって――


「ねえ、山野くん?」


 堀川の戸惑ったような声がすぐ傍から聞こえてきて、よく分からないモノローグに浸っていた俺の意識を現実に引き戻した。


 俺がいま立っているのは、堀川の家の、堀川の部屋の前だ。

 喫茶店で、パソコンのスペックを確認する方法も分かっていなかった堀川に、俺が思わず苦笑してしまったときだ。


「あっ、そういう顔するわけ」


「あ……ごめん」


「ふぅん、謝るんだ。謝るってことは、お詫びをする意思があるってことよね」

「え……」


「はい、決まり。じゃあ、これから家に来て。それで、動作環境の確認? よく分からないけど、そういうのとか全部やって」


「え……あ、うん……まあ、時間はあるし、べつにいいけど……」


「はい、絶対に決まり。じゃあ、善は急げよ」


 ……というわけで、俺はついさっき初めてまともに会話した女子の家にお邪魔するという驚きのイベントを体験している真っ最中なのだった。



「山野くん、本当にどうしたの? 大丈夫?」


「えっ、なに?」


「それは、わたしがいま、山野くんに聞きたいことなんだけど……部屋の前でいきなり立ち止まったかと思ったら、いきなり深呼吸って……それ、何かの儀式?」


「えっ!? ちっ、違うよ!? ただべつにこう、女子って部屋まで良い匂いなんだなぁとか――あ……」


 ……おおぅ。やってしまった。

 いくら、初めて女子の部屋に入ろうというところで緊張しまくっていたからって、なんて変態的なことを口走ってしまったのか……!


「……」


 堀川さんは明らかに鼻白んだ顔をしたけれど、すぐに無言のままつかつかと部屋に入っていき、窓をがらっと開け放った。

 そして、俺を振り向く。


「いつまで、そこに突っ立っている気? 入って座りなさいよ」


「あ……うん」


 堀川さんはどうやら、俺の変態発言を聞かなかったことにしてくれるようだ。これ見よがしに開け放たれた窓が気になりまくりだったけれど、そこに言及しても藪蛇なのは分かっているから、俺も何事も無かったように頷いて、堀川さんの言葉に従った。

 ローテーブル前に腰を下ろしたところで、堀川がノートパソコンを持ってきて電源を入れた。

 液晶に表示された起動画面は、俺のパソコンに入っているOSと同じ名前だけど、少し違う。


「ひとつ前のやつか」


 俺が呟くと、堀川が小首を傾げる。


「そうなの?」


「うん。俺が使っているOSは去年発売されたやつだけど、堀川のはそのひとつ前のだね。ぶっちゃけ、こっちのほうが評判いいから、いまだにこっちを使っている人も多いって聞くけどね」


「へえ……このパソコン、親戚からもらったお下がりなのよね。だから、あまり詳しいことは知らないんだけど、問題なく使えているから気にしたことなかったわ」


「そっか」


「……もしかして、この……おーえす? それが古いと、皆元くんと同じゲームは遊べないの?」


 堀川さんの眉尻が、くたっと下がる。


「あっ、いや。大丈夫だよ。このOSでも動作環境を満たしていたはずだから。というか、最新のOSのほうが動作環境外だったとも思うし」


「へえ、最新だと駄目なんだ。面白いのね」


「【ザイフェルト・オンライン(S.O)】自体が数年前に開発されたものだからね。当時はまだ発表もされていなかった最新OSに対応していないのは当たり前だよ」


「言われてみれば、そうね」


 堀川は納得の顔で、うんうんと頷いている。


「……」


「……」


 会話が途切れてしまった。

 あ……いかん。どうしたらいい? どうしよう? こういうとき、どんなふうに会話を再開させたらいいんだ?

 というか、気づいてしまった。

 俺はいま、堀川と並んで座っているではないか!

 ひとつのパソコンを二人で覗き込んでいるわけで、いまもほら、肩と肩がぴとっと触れ合った。

 あ……やばい。意識したら、またしても緊張してきた。落ち着こうとして息を深く吸い込んだら、いい香りが鼻腔にぶわっと入ってくる。部屋の戸を開けたときに感じたのと同じだけど、もっと温度があるような……堀川の髪の香り? いや、正確にはシャンプーかリンスの香りか? どっちでもいいけど、頭の芯がくらくらしてくる。ここは落ち着くために深呼吸して……って、また同じことぉ!


「それで――」


 堀川は俺の動揺にまったく気づいたふうもなく聞いてくる。


「パソコンの動作環境っていうのは、どうやって確認したらいいの?」


 言いながら、起動が終わってデスクトップ画面になったパソコンを俺のほうに、ずいっと向けてきた。ぬいぐるみのイラストが沢山散らばっている可愛い壁紙で、なんだかホッとした。


「え、なにその顔」


 口元を緩めた俺に、堀川が不服げな顔で言い訳してくる。


「いいでしょ、べつに。可愛いんだし。デスクトップの壁紙くらい、好きにさせてよ」


「べつに文句はつけてないよ。壁紙を変えられるくらいの知識はあるんだな、って確認しただけだよ」


「……言ったでしょ。このパソコンは従兄弟にもらったものだ、って」


「うん。さっき聞いた」


「もらったときに、ええと……しょ……しょ……しょき?」


「初期化?」


「そう! それをしてもらったんだけど、そのとき勝手にこの壁紙にされたの! わたしの趣味じゃないんだから!」


「べつに趣味が悪いとは言ってないんだけど……とにかく、このパソコンのスペックを確認するんだったよね。操作しても?」


「どうぞ」


 堀川が頷いたのを見て、俺はマウスに手を被せた。そして、画面上にこのPCの性能表示ダイアログを表示させる。


「……うん。ネットのほうも繋がっているね」


 しかも有線接続だ。ネトゲにはやはり、無線よりも有線だと思う。

 ネットブラウザのアイコンをクリックして、さっき表示させたパソコンの性能表示と並べる形で、S.Oの公式サイト内で動作環境を記載しているページも表示させた。


「じゃあ、堀川さん」


「はい」


「こっちのダイアログに表示されているのがこのパソコンの性能で、こっちのブラウザのがS.Oをプレイするのに必要な性能ね」


「うん……二つを比べてみればいいのね」


「そういうこと」


 俺は頷きながら、パソコンをずらして堀川のほうに画面を向けた。

 どれどれ、と覗き込む堀川。そして、眉根を寄せる堀川。


「ねえ、山野くん」


「うん?」


「これ……メモリは数字だから分かるんだけど、他のは商品名で書いてあるから、比較のしようがないんだけど。というか、プロセッサっていうのは……どれと比較したらいいの? CPU? グラフィックカード?」


「……うん。俺が見るよ」


 全然思い至らなかったけれど、CPUやグラボって興味のない人からしたら比較が難しいよな。同じ会社の同じブランドだったら、名称に付随する数字の大小で堀川にもなんとなく察せられただろうけど、S.Oのサイトに記載されているのは大手メーカー製のCPUについてだけだった。堀川のノートパソコンに搭載されているのはライバル社製のCPUだから、名前がまったく違う。比較のしようがなくても当然だった。というか、俺もすぐに答えが出せなかった。


「ちょっと、検索してみようか」


 表示させているブラウザで検索してみたら、大手製とライバル社製CPUの性能比較で戸惑うひとは少なくないようだ。おかげで、すぐに答えが見つかった。その結果、このパソコンはS.Oの推奨環境をほぼ満たしているようだった。


「うん。大丈夫みたいだ」


「じゃあ、もう始められるの?」


「いや……その前にID登録して、ゲーム本体をダウンロードしてインストールして、それからキャラを作って……かな」


「……長くなる?」


「うん……なるね。インストールが終わっても、起動して一発目のアップデートがたぶんもの凄い量だから……場合によっては一時間くらいかかったりするかも?」


「……」


 堀川は心底げんなりした顔をしたものの、


「それでもやらなきゃ始まらないのよね」


 俺の手からマウスをそっと奪って、まずはIDの登録から始めた。

 堀川のタイピングはたどたどしくて、俺は何度も手を貸しそうになったけれど、堀川は最後まで一人でやりきった。

 メールアドレスやパスワードを設定しているときに画面を見るのは悪いと思って目を逸らしたら、タイプしている堀川の真剣な横顔が目に入って、ちょっと顔が熱くなるのを感じたりもしたけれど……まあとにかく、ID登録からインストール、そして初回の起動まで、万事恙なく進んだのだった。


「……ねえ」


 堀川がぽつりと聞いてくる。


「なに?」


「これ、アップデートしています、って書いてあるんだけど……いつ終わるの?」


「ええと……ああ、ここに書いてあるじゃん。あと五十分だってさ」


「さっきは、あと二十分だったよ! なんで増えてるの!?」


「よくあるよね、そういうこと。まあでも、そういうもんだと割り切って諦めるしかないから……」


「なにそれ! じゃあ最初っから、こんな時間表示なんてしなけりゃいいじゃない!」


「それはそれで、なんで表示してないんだーって文句が出てくるんじゃない?」


「ちゃんとカウントダウンするんなら、文句なんて言わない! アップするのがおかしいって話でしょ!」


 そんな文句を俺に言われても困る。


「まあとにかく、あと……一時間半くらいかかるみたいだから、俺はもう帰るね」


 俺が鞄を持って立ち上がると、堀川は腰を浮かせて驚きの顔をした。


「えっ、帰るの!? まだゲームが始まってもないんですけど!?」


「そうは言っても、アップデートが終わるまで待ってたら日が暮れるよ。夕飯時になるよ。いいの?」


「……良くない」


 堀川は不満たらたらに口元を歪めつつも、首を横に振る。その答えに、俺はちょっぴり落胆してしまう。堀川が首を縦に振ってくれていたら、夕食にお呼ばれだとか、ついでにお風呂に入っていきなさいよとか、そんなリア充的イベント体験会ができたかもしれないのに。あ、そういえば堀川はまだ制服のままだけど、このまま居続けをしていれば私服姿も見られたかも。

 まあ、”たられば”の話なんだけど。


「山野くん?」


「うん、なんでもない。遅くなる前にお暇しますよ。つか、ほぼ初対面だし。いきなり夜まで長居とか、ないよね」


「なんだか卑屈に聞こえるんだけど、その通りね」


 堀川は俺の言葉にちょっと首を傾げつつも頷くと、ふいに申し訳なさそうな顔をする。


「あのさ、山野くん……ごめんね」


「え?」


「山野くんの言う通り、わたしたち、べつに知り合いでも何でもなかったんだよね。つい数時間前まで本当にただのクラスメイトでしかなかったのに、家まで呼びつけて、色々やってもらって、そのうえ夜まで居させて手伝いの続きをさせようなんて……ごめん。わたし、調子に乗ってました。ごめんなさい」


 そう言って、堀川は頭を下げた。


「や、止めてよ! そういう意味で言ったんじゃないって。俺はただ、あんまり長居したら堀川の親御さんとかにも気を遣わせちゃうなと思って、それだけなんだって。だから本当、そういうのいいからさ」


「……そう?」


「うん。全然いいから!」


 少しだけ頭を上げて、上目遣いでこっちを見てくる堀川に、俺はもう全力でぶんぶんと頷いた。さらには勢い余って、余計なことまで言ってしまう。


「それにどっちかと言えば、ラッキーだったし」


「ラッキー?」


「や、ほら、女子の部屋に入るとか人生初体験だし……」


 ……言ってから、しまったぁ、と思ったけれど、もう遅い。またもや自爆してしまった。堀川が上目遣いのまま、ずりずりと膝で歩くように後退りしている。そこまでドン引きしなくてもいいんじゃないかな? 少なくとも、部屋に入るときにやらかした匂い云々の変態発言よりはマシだと思うんだけどな!

 ともかく、堀川はドン引きしたことで気持ちも落ち着いたようだった。後退りで開いた距離をそのままに、正座に座り直して俺に笑顔を向けてきた。


「じゃあ、今日は色々ありがとう。あとは自分でやってみるから」


 つまり言外に、もう帰ってね、だ。


「ああ……うん。何か分からないことがあったら連絡して」


 メッセのIDはとっくに交換済みだ。余談ながら、家族以外の女性の番号を初ゲットだった。


「それじゃ、また明日。学校でね。さよなら」


「う、うん。じゃあ……お邪魔しました」


 堀川の笑顔に急き立てられるようにして、俺は堀川家を後にした。



 自宅に帰って、夕飯やら風呂やらの諸々を終わらせたところで、堀川から連絡が来た。


『色々聞きたいんだけど、メッセじゃ面倒だから電話して』


 というメッセージに続けて電話場号だ。

 うわぁい、女子の電話番号初ゲットだぁ! ……という感慨は湧かなかった。自分で聞き出したわけでもなし、ただ必要だから教えただけ、というのがひしひしと感じられるばかりだった。

 俺がさっそく電話をかけると、堀川はすぐに出た。


「山野くん? ごめんね、急に」


「いいよ。ちょうど暇になったところだったし。それで、色々聞きたいってことだけど?」


「あ、うん。そうそう……あれから放置してたらアップデートが全部終わって、ゲームを始められたの」


「あ、キャラ作成で迷ってる?」


「え? そこに迷うところ、あった?」


「……ないなら、いいんだ」


 ネトゲのキャラ作成というのは、拘る人はとことん拘るものだ。名前を決めるのに三日はかかるという奴だっている。たとえば俺とか。もちろん、名前だけでなく、見た目をどうするかや、初期ボーナスをどの能力値にどの配分で割り振るかだとかでも悩むことになるから、合計で一週間は欲しい。

 なお、俺は実のところクローズベータのときにS.Oをプレイしているのだが、テスター応募に当選してからクローズベータ開始になるまでの二十日間、どんなキャラにするかで悩みに悩んだ。クローズベータの実施期間は三日だったから、プレイ時間の七倍弱もキャラ作成に費やしたことになる。しかも結局、三日のうちに一日くらいしかまともにログインしなかったわけで……はたして、これは自慢になるのだろうか、それとも黒歴史になるのだろうか?

 ……っと、話が逸れた。閑話休題。


「堀川さんは、じゃあ、もうプレイ開始しているんだね。それで、どのくらい進めたの? もう初心者は卒業した?」


 俺の問いへの答えは簡潔だった


「まだ」


「……そうか。じゃあ、最初の草原で狩りしてる最中かな。あ、武器の種類を最初に選んだものから変えたいっていうのが悩み? それとも、草原の次はどこで狩ればいいか聞きたいとか?」


「違う」


「ん……じゃあ、なんだろう?」


「というかね、まだ、その……草原? そこにもたぶん、着いてないの」


「えっ!? もうキャラ作成も終わって、プレイ開始してるんだよね……?」


「うん、キャラクターは設定した。それで開始ボタンをクリックしたら、オープニングの映画みたいのが始まって、それが終わったらようやく操作できる……と思ったら、チュートリアルを受けますか、っていう選択肢が出てきたから、いちおう“はい”を押したの」


「うん、それでいいと思う」


 とくに堀川さんの場合、ネトゲはおろかパソコンを使うこと自体に慣れていないようだから、チュートリアルは飛ばさなくて正解だったと思う。


「それで、まずは歩いてみよう、みたいなことを指示されたんだけど……歩けないの」


「ん?」


「どのキーを押しても、マウスを叩いたり掻き回したりしても、うんともすんとも言わないの。そんな状態でかれこれ三十分は経ってるの」


「ん……むしろ、三十分も一人でどうにかしようと頑張ったことを褒めるべきなのか……」


「山野くんがわたしを馬鹿にしているのは分かった」


「えっ、してないよ!」


「した!」


 電話の向こうからの声に、俺は受話口を口からずらして溜め息を吐く。


「……本当にしてないよ。自分でまったく調べずにいきなり質問してくるより、どうしようもなくなるまで自分で頑張ってみてから質問してきたところは好感が持てるなぁ、って意味で言ったんだよ」


 すると今度は、電話の向こうで何やら戸惑っているような呻き声が。


「こ、好感って……そういうこと、いきなり言うかな普通……」


「ん? なに?」


「何でもないし! それで、これはどうしたら直るの!? 早く教えて!」


「……たぶん、チャット入力がオンになっているままなんじゃないかな?」


「え?」


「エンターキーを押してみて。それで歩けるようになるか試してみて」


「エンターキー……って、ああ、この大きいのね」


 電話の向こうでキーボードを打っているらしい沈黙。でも、すぐに歓声が上がった。


「きゃあ! なんで!? 動いた、動いたよ! でもなんで!?」


「だから、チャット入力がオンのままだったからだよ。エンターを押したとき、キャラが変な発言しなかった?」


「あっ、した。壊れたかと思ってビックリしたよ」


 S.Oにおける自キャラの操作方法は、移動地点をクリックする方式もあるけれど、初期設定ではいわゆるWASD方式だ。キーボードのWASDがそれぞれ上下左右の方向に対応していて、キーを押せばキャラがその方向に歩くというやつだ。

 ところが、チャット入力モードになっていると、WASDを押してもキャラが移動せず、チャット入力欄に「っっっっっっわああだっさああ」とか入力されるだけになってしまう。WASD方式に慣れていないと、これをよくやってしまうのだ。というか、慣れていてもたまにやる。操作の忙しい戦闘中にうっかりエンターを押してしまったときなど、意味不明の奇声を上げながら戦闘再開することになるのはネトゲあるあるだ。


「ありがとう、山野くん。おかげでようやく先に進めそうよ」


「そりゃ良かった」


「ところで、山野くんのほうはどこまで進んでるの?」


「……何が?」


 俺としては当然の疑問を聞き返しただけなのだが、堀川は不機嫌な溜め息で答えてくれた。


「何が、じゃなくて! 山野くんもこのゲーム、一緒に始めてくれるんでしょ!? もうとっくにID登録もダウンロードも終わって、ゲームを始めてるのよね?」


「あ、ああ……うん――いや……ごめん、まだなんだ」


 そう言った途端、さらに盛大な溜め息。


「はぁ……」


「でも、あれから帰ってすぐに夕飯だったり、お風呂に入れって言われたりしたんだよ」


「はいはい、大事よね。ママの言うこと聞いて良い子にするのは」


 そのあからさまな揶揄には、さすがにムッとした。でも、俺が怒るより早く、堀川は自分で言いすぎたと思ったらしい。


「……ごめんなさい。いまのはちょっと嫌味が過ぎたよね」


「うん。まあいいよ」


 謝られてしまったら、こっちが怒れないじゃないか。狡い! でも、少ししゅんとしている電話の声が可愛いなと思ってしまったから、プラマイで得した気分ではある。


「俺もいまからダウンロードとか始めるから、ゲーム内での合流は明日かな」


「そうね。最初のアップデートが終わるまで二時間以上かかるし……いまからだと、ゲームを始められる頃には、よい子は寝る時間になってるしね」


「……そのネタ、まだ続けるの?」


「ごめん。でも……ふふっ」


 電話の向こうから聞こえてくる楽しげな忍び笑いに、仏頂面で引き結んでいた俺の口元もついつい緩んでしまった。


「じゃあ、また何か分からないことがあったら、メッセでも電話でもしてきて」


「うん、ありがと。じゃあ……おやすみ」


「うん。まだ寝ないけどね」


 そんなこんなで電話を終えた。

 さあ、ゲームを始める準備を始めますか――。



 それから三十分後、堀川からまた電話が来た。


「ねえ! いきなり喧嘩売られたんだけど、これ買っていいの!?」


 さっきはチュートリアルの最初の一歩で躓いていた堀川に、この三十分で一体何があったというのか――。

 驚きと呆れとで、俺の開いた口からは溜め息さえも出てこなかった。

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