解答編

4――どんでん返しは連鎖する

   4.




「わああん! もう疲れたよぉ~。ぐすっ、ひぐっ。ふぇぇん」


 私の目、泣きらしちゃってる。


 ヘトヘトになって帰宅した頃にはもう、日付が変わってたわ。


 あれからず~っと、警察に事情聴取されて、調書とか取らされて……まぁ、私も中洲家へ不法侵入しちゃった手前、従うしかなかったわけで。


 そしたら帰りが遅くなっちゃって、お母さんに迎えに来てもらったの。


「……ルイ……泉水ちゃんの口添えがなかったら、もっと大目玉喰らっていたわよ」


 家の玄関を開けたお母さんが、靴を脱ぎながらたしなめる。


 はうぅ、ごめんなさい。


 中洲家で発見した流介おじさんの死体は、今もまぶたの裏に焼き付いてるわ。衝撃的すぎて、ちょっと今日は眠れそうにないかも……あうあう。


「お帰り、ルイ。母さん」


 私たちにスリッパを並べて出迎えたのは、愛しのお兄ちゃんだったわ。


 何て気が利くんだろ~っ。私の心を癒してくれる天使様だよ~。


 お兄ちゃん、台所で家事してたみたい。一応、定期的に義足のリハビリを受けてるから、ちょっとなら立ち回れるのよね。


「お茶を淹れておいたから、まずは休むといいよ」


「……ありがと、ナミダ……」


 お母さんがにっこり笑って通り過ぎてく。


 私も後に続きたかったけど、たまらずお兄ちゃんに飛び付いちゃった。


「ひ~ん、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんっ」


「っと、しがみ付くなってば。僕、足が悪いんだから支えきれないぞ。押し倒しイベントかい? ありがちありがち」


「違うもんっ。別にやってもいいけど、今はそれよりも、私……私……!」


 私ってば感情の波が収まんない。


 お兄ちゃんの胸板に顔をうずめて、両腕を背中に回してがっちり固定する。


 密着してると、安心できるの。嫌なことも全部、忘れられるの。


「とにかく、台所へ行こう」


 お兄ちゃんが私の頭に手を乗せて、優しく撫でてくれた。癒される~。


 私はお兄ちゃんに抱き着いたまま、ずるずると台所まで引きずられてく。ダイニング・テーブルに置かれた湯呑み茶碗へ、それぞれ口を付ける。


 席順は私とお兄ちゃんが隣どうしで、対面にお母さんが座ってる。


 私には夕飯もラッピングされてたわ。そっか、私まだ食べてないんだった……冷凍食品とか缶詰ばかりだけど、すぐ用意できるから山ほど備蓄されてるのよね、うち。お母さんも留守がちだから、炊事は簡単に済ませちゃうことが多い。


「ルイ、お疲れ。あちこちで音声を拾ってくれたね。感謝してるよ」


「いいの~! 私はお兄ちゃんの下僕だもん、それくらいは朝飯前よ。夕飯前だけど!」


「自分のことを下僕なんて自虐するもんじゃないよ」


「走狗だもん」


「いや、もっと悪くなってるから」


「いいのっ。私はお兄ちゃんの傀儡なの。奴隷なの~」


 偽らざる本心を告白してるのに、お兄ちゃんは頬を引きつらせてたわ。


 見ると、お母さんまで半眼になってる。そんなに変なこと言ったかな~?


「……さて……ブラコン娘の様子も、だいぶ落ち着いたみたいね……」


 お母さん、言葉に棘がある。


 けど、確かに頭は冷えて来た。嗚咽も治まったし、今までの情報も自分の中で整理が付きそう……だと思う。はぁ、秀海ちゃん……。


「あのね、お兄ちゃん」


「何だい?」


「現場に新しい遺書があって、秀海ちゃんの失踪も全部書かれてたみたい」


「へぇ」


 お兄ちゃんが目をみはったけど、それは私から口火を切ったことに対する驚きだったわ。


 ま、そうよね。私もこんなお話、したくなかったし。


「ルイは遺書を読んだのかい?」


「う、うん。本当は触っちゃいけないんだけど、警察に通報して待つ間、気になって~」


 でも、パソコン画面をざっとスクロールさせただけだし、他は何もいじってないよ?


 だから、あんまり怒らないで欲しいかな~なんて……反省はしてます、ぐすん。


「結論から言うと、流介おじさんは自殺したっぽい~」


「自殺?」


「双子と同じやり方で。首筋の頸動脈をカッターで切り裂いて、ベランダから転落」


「なんでまた、そんな模倣を」


「娘と同じ方法で死ぬのが、せめてもの罪滅ぼしなんだって」


「理解に苦しむなぁ」


 お兄ちゃんは首を傾げて、天井をぼ~っと眺めたわ。


 物憂げな熟考。しばしの沈黙。そんな間隙を縫うように、今度はお母さんが口を開いたわ。あ~っ、お兄ちゃんの言説を待ってたのに~。


「中洲流介さんは、双子殺人の片棒を担いでいたのよ……」


「片棒?」


「そう……わたしも警察署で、あらましだけ聞いたけど……全ては心理学の闇をつついた犯行だったわね……」


「どういうこと?」


「……まず、前提だった『双子の入れ替わり』は……実は存在しなかった……」


「目頭の傷がなかったのね」


「ええ……目頭に傷跡がない以上、補導されたのは本物の張河さんで合っていた……」


 入れ替わりなんて、なかった。のちに書き置きで入れ替わりがほのめかされたせいで、みんな「あの補導のときから?」って誤誘導ミスリードされちゃったんだわ。


「……秀海ちゃんが張河さんを殺したのではなく」お茶をすするお母さん。「……張河さんが秀海ちゃんを殺した……私の診療に来ていたのも、張河さん……」


「僕らが勝手に振り回されてたわけだ」ほっぺを掻くお兄ちゃん。「不良の張河さんが、優等生の秀海ちゃんを妬んで殺した、単純なカイン・コンプレックスだったわけだ」


 さすがお兄ちゃん、呑み込みが早いわね。


「……秀海ちゃんの首筋をカッターで裂いた張河さんは、死体をどこかへ遺棄しようとした……とりあえず外へ運ぶために、ベランダから庭へ投げ落としたのね……」


 中洲家の殺害テンプレートは、こうして出来上がった。


 さっきから目が潤んじゃうのは、このせい。秀海ちゃんの死亡が確定したから――。


「……でも、そのとき運悪く、父親の流介さんが帰宅したわ……時刻は夕方六時頃……」


「ん? 父親が帰宅したのは八時じゃなかったっけ? 二時間も早いじゃないか」


 お兄ちゃんが当然の疑問を投げかけたわ。


 けど、これは冒頭で話した通りよ。父親の帰宅時間は自己申告だけど、ってね。


「そう……嘘の供述だったのよ……流介さんの遺書に書いてあったわ……」


 流介おじさんは、もっと早く帰宅してた。


 そのとき、死体を運び出す張河さんと鉢合わせたのね。


「……張河さんは、出くわした父親を取り成すために……このとき初めて『双子の入れ替わり』を思い付いたの……自分こそが優秀な秀海で、死んだのは張河だと言い張った……」


「それも流介さんの遺書に書いてあったのかい?」


「そ~よ、お兄ちゃん」口を挟む私。「流介おじさんは、優等生の秀海ちゃんを溺愛し、不良児の張河さんを忌み嫌ってた。張河さんは秀海ちゃんの振りをすることで、父親から責められずに済んだってわけ。秀海ちゃんなら殺人も許されたのよ」


「じゃあ、最初の書き置きをしたためたのも、そのときか」


「流介おじさんは秀海ちゃんの味方だから、死体遺棄にも協力した。死体を車に運ぶ間、張河さんはパソコンに書き置きして『今まで入れ替わってた』のね」


 そんな事実はないのに、入れ替わりの愛憎劇をでっち上げた。


 みんなはまんまと食い付いた。補導の時点から入れ替わってたと信じちゃった。


「……その後、近くにある市街化調整区域の山ふもとまで、車で死体を運んだ……車は流介さんが普通に運転したのよ……」


「山が近いから、空白の二時間さえあれば死体を埋めて帰還できるね」


「けど~、そこで誤算が生じたのよ、お兄ちゃん」


「誤算?」


「流介おじさんの遺書によると~、死体を埋葬しようと穴を掘ったら、秀海の振りしてた張河さんが嫉妬して、やっぱり素姓を明かしたんだって」


「嫉妬? って、まさか――」


「父親が秀海ちゃんの死体にみたい」


 カイン・コンプレックスの作用ね。


 寵愛の対象である父親が、死んだ秀海ちゃんを土に埋める。


 張河さんは生きてるから、埋葬してもらえない。


 ――歪んだヤキモチ。


「張河さんは『自分も埋葬されたい』と所望したのか」


「そんな娘を見て、流介おじさんもやっと、入れ替わりの真実に気付いたみたい~。遺書には後悔の念が綴られてたわ。手伝うんじゃなかったって」


「最悪だなぁ。あるある」


「……実際、修羅場だったみたいよ……」溜息混じりのお母さん。「一変して自らの死を願う張河さん……騙されたことに怒った流介さんは、張河さんを望み通り殺害したそうよ……殴る蹴るの暴行、首絞め……感情のままに、むごたらしく」


「うわぁ、スプラッタ映画にありそうだ」


「……娘を殺した流介さんは、証拠隠滅のため、遺棄場所を変更したの……山ふもとではなく、もっと山奥へ……車で行けるギリギリの場所まで、双子の死体を乗せて……」


「山奥ってもしかして」


 お兄ちゃんは、ポケットからスマホをまさぐり出したわ。


 スマホに表示されたのは――。


『実ヶ丘市の市街化調整区域で、山火事』


 ――あったあった、こんな記事。


「これってさ、中洲流介さんが双子の死体を燃やしたのが延焼したのかな?」


「……ご名答」お母さんの首肯。「……車のトランクには、予備のガソリンを積んだ『携行缶』があったそうね……それを持ち運んで、山奥で双子を焼いたんだわ……」


「盛大な火葬よね」うつむいちゃう私。「土葬よりは豪華だわ。張河さんの嫉妬が、葬送をグレードアップさせたのね。皮肉だけど」


「……山火事に見せかけるために、ダミーの火元も用意したらしいわ……冬の乾燥した空気なら、枯れ草が揺れて摩擦熱と静電気を起こし、自然発火する事例はある……枯れ草にも火をつけて、双子を巻き込むように燃え広がらせたそうよ……」


「ん? ガソリンの焼却温度だと、遺体を焼き尽くせるとは思えないな。今も消防と警察が調査中だろうから、焼け跡から遺骨が見付かりそうだね。あるある」


 遺骨かぁ~。それが物証になるのかな?


「……流介さんは再び山ふもとに戻ると……そこで車のガソリンが切れた……携行缶も火葬で使い切ったため、仕方なく徒歩で帰宅して……素知らぬ顔で通報をしたのが夜八時」


「だが結局は、良心の呵責かしゃくに耐えかねて、今になって遺書を残したのか。寵愛する秀海ちゃんの死と同じ方法で、後を追うように自殺した?」


 お兄ちゃん、やる瀬なく嘆息してる。


 まぁ、儚いわよね……父親の不器用な立ち回り、あわれを通り越して愚かだもん。


「自ら命を絶って幕引きだなんて、ありがち過ぎて嫌気がさすね。はぁ、あるある」


 こうして、私たちの長い一日は終了したの。


 私はもうクタクタだったし、今はとにかく横になりたいな――。




   *




「お兄ちゃん。私、やっぱり眠れな~い。ぐすん」


「ルイ、寝巻き姿で男の部屋に入って来るもんじゃないよ」


「だって寝付けないんだもん」


「僕のベッドに潜るなって。男女同衾どうきんはゲームや漫画だとよくあるけどさ、あるある」


「いいの~。寝るの手伝ってよ~。お兄ちゃんの背中、あったかくていい匂い~」


「寝るのを手伝うって、具体的に何すれば良いのさ」


「子守唄とか、ご本を読むとか、腕枕とか、抱擁とか……」


「ルイの場合、余計に眠れなくなるだろ、それ」


「えへへ~、バレた?」


「判るよそれくらい。まぁ、僕も眠れずに居たから良いけど」


「え、お兄ちゃんも? 奇遇だねっ、やっぱり兄妹は気が合うんだわっ」


「気が合うって言うのかな? まぁいいや、僕はずっと、考え事をしてたんだ。ルイと母さんから聞いた、事件の結末をね。どうも腑に落ちなくて」


「腑に落ちない? どこが~?」


「無論、警察がその方向で畳むつもりなら、僕の思考なんて意味を成さないけどさ」


「何が言いたいの、お兄ちゃん?」



「僕は所詮、家から出ない安楽椅子アームチェアの部外者だ。現場を見てないし、証拠もない。だからこそ、僕は自由に憶測できる。足に制約があるからこそ、思考だけは自由になる。それは邪推だ。妄想だ。空想だ。思考実験ソート・エクスペリメントさ」



「そーとえくすぺ……何?」


「ソート・エクスペリメント。物証も検証も介さず、純粋な想像のみで考察する事だよ」


「それで何が判るの~?」


「カイン・コンプレックスだのシャドウだのって、全部ミスリードかなって思い付いた」


「え~? それ自体が壮大な誤誘導だってこと? お兄ちゃんひねくれてる~」


「中洲流介さんも実は、自殺に見せかけて殺されたとしたら? 真犯人の完全犯罪で」


「じゃ~パソコンの遺書も、真犯人の偽装工作?」


「肉筆じゃないからね。筆跡鑑定できないものは、本人とは断定できないよ」


「死体遺棄も、火葬も、やりかけの土葬の痕跡も、みんな偽装だったりして~?」


「そう。双子の愛憎劇と父親の葛藤に見せかけた、第三者の犯罪さ。あるある」


「待ってよ、それって何も解決してないじゃない!」



「飽くまでも僕の思考実験だよ。張河さんが精神科に通う間、カイン・コンプレックスであることを知り得た第三者が居た。病棟で一度鉢合わせただけだとしても、そのときの喧嘩でポロッと口が滑ったのを聞いたんだろうね」



「え! それって――」


「その人物はプライドが高く、わずかな敗北も許されない完璧主義者だった。だから優等生の秀海ちゃんをうとんでたし、同じ顔をした張河さんのことも、殺意を抱いた」


「それって!」


「その人はゲームセンターの筐体で、本物そっくりのカーレースをやり込んでたから、見よう見まねで車にも乗れたかも知れない。車好きなら私有地サーキットで無免運転もしてそうだ。今の車は自動運転制御もあるし、中洲家から山まで近いから、運転は苦労しない」


「え……じゃ~最初の時点で、秀海ちゃんと張河さんは、双子もろとも殺されたとか?」


「うん、あり得るね」


「双子は血液型も遺伝子も同じだから、血痕だけでは一人に思えるし……二人の死体を、中洲家の車で山へ運んだの~?」


「そうだね。真犯人は事件当日、双子が帰宅すると同時に中洲家を訪ねたんだ。もしかしたらこっそり尾行してたのかも知れない。冬は日没が早いから、夕方五時なんて真っ暗なもんさ。近所の人は、闇に紛れた通行人なんて気にもめないだろう」


「双子の喧嘩に見せかけて、そいつが殺したって言うの~?」


「最初の書き置きも、真犯人に疑いが来ないよう、ありもしない双子の入れ替わりを創作したんだ。真犯人は外出時、必ずから、現場には毛髪も指紋も遺留しない。殺害時に返り血を浴びても、服はとっくに捨てただろうなぁ。証拠は残らない」


「嘘でしょ、お兄ちゃん……」


「流介さんは本当に、夜八時に仕事から帰ったんだ。空白の二時間も、真犯人の創作だ」


「嘘だと言ってよ、お兄ちゃん!」


「双子の入れ替わりをでっち上げた書き置きと、流介さんの自殺をでっち上げた遺書。謎かけと解答が提示されたことで、警察も納得して捜査終了、完全犯罪成立。一度答えが出ると、人は安心して追及しなくなるからね。よくある心理だ」


「ないわよっ! お兄ちゃん、冗談でしょ?」


「これは飽くまで思考実験だよ。ユングを例に挙げただろう? 人間にはってね。僕にだって、左足首を失った恨みがある。裏の側面がある。そんな後ろ暗い感情が『彼女』を真犯人にかつぎたいだけかも知れない」


なの? がやったの?」


「ああ――」





「――水野霙」





   *




真相は『藪の中』――迷宮入り(表向き解決)







 湯島涙は可能性を述べたにすぎません。真相は藪の中……人の心の数だけあります。あなただけの解答を考えてみて下さい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る