第4話

「私は、生き延びる!」


 再び襲いかかってきた怪物に対し、シマノは瞬時の判断で小手に覆われた腕で薙払う。

 今度は、弾き飛ばされたのは怪物の方だった。

 振り抜いてみて、シマノは、自分の腕を覆う小手の異常さを実感する。

 この小手は一撃の重さではなく、その密度によって敵を打つのだ。

 おそらく、この輝く小手にはそれだけの力が篭っているのだろう。

 自分のあの日本刀と同じ、ポインターウエポンの特性そのものだ。

 腕だけでなく、拳にも力が伝わる。

 シマノは自分から間合いを詰め、見よう見まねでさらに手刀を打ち込む。指先が刃のごとく怪物の腕を捉え、ナイフを当てた紙のように音もなくそれを斬り裂いた。

 腕だった部分が音もなく滑り落ちる。

 怪物の右腕の断面から赤い塵が噴出する。


「チラリリリリリルルルルレレララ!」


 悲鳴にも聞こえるような不快な音を発し、顔のテレビが一瞬砂嵐になったかと思うと、すぐさまそこに別の顔が浮かぶ。


「こいつは……」


 その顔もシマノは知っている。

 忘れるはずもない。

 それこそが、兄を殺し、自分を殺した張本人のあの男だ。

 自分は、この男ともう一度対峙するためにポインターになったのだ。

 画面の中のその男は、不快な笑みが張り付いたまま表情が変わらない。

 なぜ、この怪物は、兄を、そしてこの男を映し出したのか。


「なんで、そんな顔を映すのよ!」


 叫ぶが、怪物はなにも応えない。叫び自体に反応も示さない。この怪物にあるのは、ただ目の前の敵を処理しようという、それだけの動きだ。


「答えろ! 答えてよ!」


 シマノの声にも、怪物の画面の中のあの男は笑みを貼りつかせたままだ。

 シマノを、目の前の的を狙い、腕をしならせてその拳で標的を狙う。

 だが今のシマノには、その一挙一動が手に取るようにわかる。

 振り下ろされる一撃を左手で払いのけ、その顔を睨みつける。

 画面の中のあの男と目が合う。


「私は、お前を倒してみせる……!」


 その画面を映している存在は別人で、自分の声など伝わらないことを知りながら、それでも、シマノは力強くそう宣告した。

 そして同時に、空いた隙だらけの胴体に右拳を叩き込んだ。

 その一撃を受け、怪物が吹き飛ぶ。

 だが浅い。

 まだ致命傷ではない。

 しかしそれも織り込み済みだ。

 怪物を追うようにシマノは地面を蹴り、まず自分のポインターウエポンである刀を拾いあげる。その勢いのまま間合いを詰め、怪物が立ち上がろうとする隙を逃さずに袈裟懸けに刀を振り下ろした。

 決着は一瞬だった。

 怪物の左肩から反対の脇腹にかけて白い線が走る。

 一瞬の静寂。

 そして次の瞬間、線から赤い粒子が迸り、怪物の身体がゆっくりと崩れ落ちた。

 シマノは、怪物の身体が赤く崩れ落ちる瞬間も、じっとその怪物のテレビ頭の画面の奥を見つめている。

 ノイズまみれになりながらも、そこには、最期まであの男の顔が映り続けている。


「……笑った!?」


 その、赤い塵と消えていく最期の一瞬、シマノの目には、怪物の顔の中の男の口元が歪んだように見えた。

 その瞬間、シマノの中でなにかが爆発した。

 赤い塵の残骸に向かい、手に持った刀を振るう。

 無言のまま、そこにあった顔を思い出しながら斬りつける。

 空を切る。

 それも気にせず、さらに何度も何度も刀を振るう。

 空を切る。

 空を切る。

 空を切る。

 やがてその赤い塵も完全に消え失せ、シマノの腕からあの白い小手も消えてしまったが、シマノはまだその手を休めることはない。

 手に残る刀だけで、何度も何度も空を切り続ける。

 だがそれも、突然の出来事で終わりを迎えた。

 迫る殺気を感じ取り、シマノは身体を倒して、転がるように回避行動を取る。

 目の前の、先ほどまで自分の首があった場所を、槍の切っ先が疾走っていく。


「へえ、察しがいいじゃないか、新人ちゃんよ」


 そんな声とともに部屋の奥から現れたのは、派手な紫色のシャツに身を包んだいかにも軽薄そうな男だった。

 その顔は一見すると平凡そうに見えたが、ただそこにある眼だけはシマノに対する侮蔑と殺意で満たされており、姿こそ人間でありながらも、いや、なまじ人間の姿であるからこそ、先程までのテレビ頭の比ではない恐ろしさを感じさせるものであった。

 シマノはこれまでの人生で、他人から殺意を向けられたことなどなかった。

 両親が死に、兄と二人親戚の家をたらい回しにされた時、さんざん疎まれはしたが、明確に自分を殺そうというほどの意志を感じたことはない。

 だが、目の前の男は違う。

 この男は、自分を殺すためにここにいるのだ。


「怖いか? 俺が怖いか?」


 そんなシマノの恐怖を感じ取ってか、男は挑発するかのようにそう言って槍を突き付けてくる。

 切っ先が、明確な殺意のように冷たく光る。

 鋭い感情の刃が、これほど恐怖を突き刺してくるとは、想像すらしたこともなかった。


「……あなた、何者なの……」


 シマノが尋ねることができたのは、ただのそのひとことだけだった。


「そうだな、まあ、死ぬ前に自分を殺す相手の名前くらいは知っておく権利くらいはあるかもなあ。俺はオカギシ。お前と同じポインターだよ。まあ、俺とお前じゃ、経験が違いすぎるがな」


 勝ち誇ったかのように、オカギシと名乗った男は口端を吊り上げる。

 絶対的な力の差を認識して、既に勝利に酔っているかのようだ。


「……なぜ、ポインターが同じポインターと戦うのよ……」

「簡単さ、そのほうが効率がいいからだよ」


 事も無げにそう言って、オカギシは声を上げて笑ってみせる。


「ある裏技を教えてもらってな、俺はポインターからもポイントを稼げるようになったのさ。あんな化け物どもを相手にして死ぬような目に合うよりも、お前みたいな素人同然の甘ちゃんからポイントを巻き上げたほうがオイシイってわけだ。まったく、いいことを教えてもらったぜ」


 笑い続けるオカギシの目は、もはや正気のものではない。

 先ほどの口ぶりからしても、この男は既に何人かのポインターを手にかけているのだろう。

 歯止めの利かなくなった狂人ほど手の付けられないものはない。


「お前みたいな小娘は殺す前に色々愉しみたいとも思うが、流石にそこまでの余裕はなさそうだし、余計なことはするなという約束だからな。まあせいぜい、いい悲鳴を上げて俺を愉しませてくれよ!」


 そう言いながら、オカギシは槍を構え直して突きを繰り出してくる。

 それは戦い慣れた者による、最も効率よく敵を殺すための槍さばきだ。

 シマノは必死にその一撃一撃を刀で凌ぐが、オカギシの攻撃は留まることはない。

 次から次へと槍が繰り出され、シマノを追い詰めていく。

 身体を躱してなんとか致命傷だけは免れているものの、その手数の多さとぶつけられた殺意に気圧され、シマノは徐々に追い詰められていく。


「ほほう、なかなか頑張るじゃねーか。だがはたして、それもいつまで持つかな?」


 オカギシの方は余裕綽々といった表情で追い詰めた獲物を見ている。

 だが、次の一瞬でその表情は驚愕へと変わった。


「いや、もう終わりだ」


 そんな声とともに、部屋のドアが蹴破られる。

 そしてそれと同時に、そこから何者かが弾丸のようにオカギシへと突進してきた。


「き、貴様は……」


 オカギシは必死に槍を向ける。

 しかしその突然の乱入者、カミヤはあっさりと左腕だけでそれを押しのけ、一気にその懐へと飛び込んでいく。

 オカギシの反応がまったくカミヤについていけていないのがシマノにもわかる。

 既に完全にカミヤの間合いだ。

 そう思った次の瞬間には、鋭いパンチがオカギシの腹部へと突き刺さる。

 必死にオカギシも応戦しようとするが、間合いを離して体勢を整えるのが精一杯で、その間にも、カミヤはオカギシへと数発攻撃を叩き込んでいる。

 向かい合う二人。

 だがその姿はあまりにも対照的だ。

 精神的にも肉体的にも追い詰められつつあるオカギシと、傷一つなく威圧的にそこに立つカミヤ。


「……な、なぜ貴様が、ビギニング・セブンのカミヤがこんなところにいるんだ! こんなイージーミッションにいるなど……こんなこと、聞いていないぞ!」

「待っていたんだよ、お前をな」


 慌てふためくオカギシに対し、カミヤはただ静かにそう答える。

 その様子を見るだけで、シマノにもこの二人の実力差が、というよりはカミヤの強さがあらためて理解できた。


「安心しろ、お前を殺すつもりはない。が、覚悟は決めてもらうぞ。お前には色々と聞きたいことがあるんでな、初心者殺しニュービーイーター。だが……」


 カミヤの余裕の表情が、一瞬、激しい敵意に染まる。


「その前に一つだけ訂正しろ。ビギニング・セブンではなく、ビギニング、イレブンだ!」


 吐き捨てるようにそう叫び、胴と肘を軸にして弧を描くカミヤの拳がオカギシの顔面を打ちつけた。

 赤い塵を撒き散らしながら弾き飛ばされ、壁へと叩きつけられるオカギシ。


「くそっ、ようやく手に入れたこのポイントなんだ、このまま終わってたまるか!」


 そう言って、オカギシはすぐ脇の窓へと駆けて行き、そこから飛び降りようとする。


「逃がすか!」


 それを追って、カミヤもその窓へと走る。

 オカギシが跳び、間髪入れずカミヤもその窓から飛び出していく。

 シマノも窓へと駆け寄るが、いまさら彼らのあとを追う理由は見つけられず、廃墟を離れ駆けていく二人のポインターの影を見下ろしていた。


「これで、終わったのかしら……」


 フライも、他のポインターもいなくなった荒れた部屋の中、シマノはただ、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 なんにせよ、これでシマノのファーストミッションは終わったのである。




 シマノの門津市における拠点である宿舎は、他のポインターたちと異なり、ポータル社の研究施設の中にあった。

 基本的にポインターはポータル社が用意したマンションに住んでおり、一部のポインターは自前で門津市内に持ち家を建てたりしているのだが、シマノはあくまでポータル社の観察保護下にあるため、こうして監視下に置かれているのである。

 もっとも、プライバシーはともかく、衣食住から日用品まで必要な物はあらかたポータル社によって揃えられていたため、ここでの生活で困ったことなどなかった。

 元々趣味もなく物も持たない性質であった。殺風景に見える部屋も、この街に来る前の部屋とさして変わらない。

 それなりに質の良いベッドに横になりながら、シマノは今日の出来事を振り返ってみる。

 フライとの死闘。

 助けに来たポインター、カミヤ。

 兄の顔とあの男の顔を映したテレビ頭のフライ。

 自分を襲うポインターのオカギシと、オカギシと戦うカミヤ。

 最初の任務からわからないことばかりだ。

 明日、自分の状態をチェックしている研究者の千谷になんと報告したらいいだろうか。

 そんなことを考えながら、横になったままぼんやりとテレビをつける。

 門津市でも通常の放送局も受信しているが、ポインター向けの各種情報を流し続けるチャンネルあると聞いていたので、それをつけてみたのだ。

 するとそこには、予想もしていなかった情報が流れていた。


『ビギニング・セブンのポインター、カミヤ、ポインター殺しの容疑で追跡中』


 事務的で無機質な字幕とともに、今日、シマノの前に現れたあのカミヤの顔写真が映しだされている。


「……これって、どういうこと……?」


 殺されそうになったのは自分であり、殺そうとしたのはカミヤではなくオカギシという男だったはずだ。

 それにカミヤはオカギシを『殺すつもりはない』と言っていた。

 果たして、自分の知らないところでなにが起こったというのか。

 その情報では、誰が殺されたのかの情報は流れない。

 当事者の一人として、真実を知る必要がある。

 もし濡れ衣ならば、今度は自分がカミヤを助けなければならない。

 シマノは、もう一度カミヤに会わなければならないと考えていた。

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