11 空白

 浅い眠りに落ちていた僕を、鋭い日差しがたたき起こした。橙色よりも乳白色に近く、気成色よりも山吹色に近い光線が、網膜をジリジリと焼く音が聞こえた気がした。眩しさに目を細めながら明るいほうを見上げると、少女が窓を覆う分厚いカーテンを開いていた。僕のパソコンデスクや、その下の床を、彼女は掃除していた。ティッシュペーパーを水で濡らして雑巾代わりにしているために、床や机の所々に破れたティッシュの屑がついている。

「あっ、やっと起きた!」

「うん、おはよう。ところで、何をしてるの?」

「掃除よ。見たら分かるでしょ」

 少女は呆れ顔でそう言うと、掃除を続けた。白衣の天使ナイチンゲールを髣髴とさせる、凛々しい後姿を僕に見せながら、溜まりに溜まったゴミを集め、部屋の隅に寄せていく。部屋の隅にできているゴミのオブジェはより完成形に近づいて、芸術的なバランスと醜悪なフォルムを堂々と見せびらかしている。

「どうして君が掃除をしているの?」

「だって、こんな汚い部屋に住んでるの嫌だもの」

 どうやら少女は僕の部屋に住み付く予定らしい。監禁されている張本人が部屋の掃除をしたり、快適な居住空間をつくりあげたり、そんなことがあるものだろうか? そんな僕の疑問を無視したまま、少女は部屋の掃除を続けていた。

 天井の辺りを蝿が飛び回っている。虚弱体質の蝿にとって、直射日光は眩しすぎるのだろう。ブンブンと焦って飛び回りながら、日陰を探しているようだった。二人の同居人たちは、相容れない性質を持つらしい。

「ねえ、わたしお腹が空いたんだけど」

「そう」

「じゃなくって、食べ物は?」

「カップ麺くらいしかないよ?」

「野菜は?」

「無いよ」

「お肉は?」

「麺の中にチャーシューとか入ってるかな」

「お米は?」

「そもそも炊飯器が無い」

「信じられない。何を食べて生きてるの?」

「カップ麺と野菜ジュース」

「野菜ジュースって、あと一本しかないじゃない!」

「そうだね。買ってくるよ」

「ダメ!」

「どうして?」

「その間にわたしが逃げちゃってもいいの?」

「それは、困るけど」

「じゃあ、しっかり監視してないと」

 どういうつもりなのだろう。僕には戸惑いしかなかった。

「まあ、カップ麺でいっか」

 少女はやかんを火にかけた。それからカップ麺を床に広げて、吟味を始めた。ラーメン、焼きそば、うどん、そば。まずはその四択に悩み、うんうんと唸った。頭を抱えながら真剣に考え込んだ。そんな彼女を見て、なにもカップ麺一つにそこまで悩まなくても、と僕は思った。

 彼女は悩み抜いた挙句にラーメンを選んだ。そして今度はしょうゆ、みそ、とんこつの三択に悩み始めた。ガスコンロの上では、やかんがシュウシュウと音を立てている。煮立ったお湯がボコボコと少女を急かすが、少女は無視して悩み続ける。

「そのとんこつ白湯ラーメンが美味しいよ!」

「じゃあ、これにする!」

 少女は「白湯庵の謹製ラーメン」のカップを取り、フタを空け、後乗せかやくやスープの小さな袋を取り出した。

「あつつつつ」

 火傷しそうになりながら、不器用な手つきで、少女はカップにお湯を注ぐ。立ち上る湯気とともに、どこか間の抜けた和やかな空気が部屋に広がった。その瞬間、僕の天使は急に幼い女の子に姿を変えた。すると、僕の中に情欲ではなく、父性のような情が芽生えて、急に彼女が愛おしくなった。

 美しいものに近づく喜びと、可愛らしいものにときめく喜び。僕はその二つを同時に感じながら、ラーメンを食べる少女を眺めていた。彼女は見られることに慣れてきたのか、僕が見つめているのも気にせず、黙々と、いや、ずるずると、ラーメンを食べた。

「ねえ、あんたは何か食べないの?」

「僕はあとでそばを食べるよ」

「今食べたら? まだお湯残ってるから」

「うん、じゃあ、そうする」

 僕はそばのカップにお湯を注いだ。湯気が僕のメガネを曇らせて、何も見えない、白い世界が目の前に広がった。その白の向こう側に君がいる。少女の姿を想像すると、白一色の世界がパッと華やぐ。

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