四章⑦ いんたーみっしょん/ゆうげ

「やることインケンだよねー。まぁサクヤはもっとずっとインケンだけどさー」


 けたけた笑いながらヴィーナは羊肉の香草焼きにかぶりついた。同居人の無礼なふるまいにすっかり慣れたサクヤは揚げた野菜に箸を伸ばした。

 ヴィーナはサクヤが食べられないものまで食卓に並べる。塩を取ってくれと平気な顔で言い、洗顔も自分でやれと突き放す。極めつけは、一人で風呂に入らされたことだ。


 片腕が動くなら大丈夫だと、服も脱がせてくれなかった。

 抗議すると放置された。

 いったいどのような根回しをしたのか、ナミもククリもとりあってくれなかった。三日間がんばったが、ついに耐えきれず入浴に挑んだ。


 バスタブに頭からつっこんで二回ほど溺れかけた。


 死ぬ思いで風呂から部屋まで這いずり、下着を探そうとしてタンスの高さに絶望した。二十分かけてはいたショーツの裏表が逆であることに気づき、ふたたび息を切らせて脱いだあとすべてが嫌になり、尻を出したままタオルに顔を埋めて泣いた。

 

 ヴィーナの足音が聞こえてあわてて顔を拭き、丸まった下着に手を伸ばした。せっかくさっぱりした肌に、いくつもの汗の玉を浮かべて着替えを終え、車椅子によじのぼって廊下に出た。

 

 満面の笑顔で寄ってくる牛女にムカついて、右手でぴしゃんと頬を張ってやった。

 ばちんとやり返された。

 大喧嘩になった。

 

 そんな延長線の上にいまがある。明日も明後日もきっとその先にあるのだろう。テーブルに置かれた花ビンのヒマワリを眺めたサクヤは、満足の息を吐いて箸を置いた。

 参番街とは手に入る食材からして違うはずだが、料理番組をチェックしているというヴィーナの腕はたいしたものだった。

 一部をのぞいては。


「こっちも食べなよ」


 彼女がすすめてきた皿には危険物が乗っている。

 筒状の爆薬にしか見えないそれをひょいと取ったヴィーナは、中身の茶色い棒をモリモリかじりつつ沢庵を……チョコレートのおともに漬物を食べる文化もありかもしれない。

 

「……いいえないわ。というか死ぬべきよ」

「好き嫌いばっかしてるから、おっきくならないんだよ」

「わたしはとっくに成長止まってるの。脳みそ以外が成長してるひとはたくさん食べて」

「揉めばでっかくなるって聞いたことあるよ。ためしてみれば」

「……背の話よね」

「なんだと思ったの。ごはんは?」

「お味噌汁だけいただくわ。いけない、補佐官本採用のお祝い忘れてたわ。首にぶらさげるベルと鼻輪、どっちがいい?」

「Aカップのブラがいい。サクヤの背中につけたげる」


 花びんに活けられた小輪のヒマワリがくわっと口を開き、ヴィーナへ襲いかかる。黄色い花の中央には、白黒の種が牙となって生えていた。

 ひゅっと振られた菜箸を、花ビンのヒマワリがガチリとくわえこむ。がうがうと吠える花を、反対の手に握ったお玉でパコンと吹っ飛ばしたヴィーナが椀を手に取った。


「ほい、カツオのダシに絹さや。今日はそこに白と赤を合わせてみたり」

「へえ、合わせ味噌なの。あら、麩も入ってるじゃない」


 ほこほこと湯気が立ちのぼる椀を受けとったサクヤは、そっと口をつける。


「ううん、合わせチョコ。ホワイトとストロベリー。あとマシュマロも入れた」


 カツオ風味の菓子汁をサクヤは噴きだした。


「あなたチョコと味噌の区別つかないの!?」

「味噌も入ってるよ?」

「むしろ入れないでっ! 悪いのは目なの舌なのそれとも頭? 面倒だから首から上を丸ごとすげ替えなさいよっ、そして絹さやにあやまって、でなきゃ死んで!」

「おいしーじゃんよ! 生野菜の真っ二つしか作れないドヘタのくせにっ」


 花ビンに残されたヒマワリが吠え、お玉がひゅんと空気を裂いた。

 本日の延長線は食卓の上に引かれていたようだ。



 置かれたカップから漂う紅茶の香りが、喧嘩が終了したことを教えてくれた。


「ゴハンなんてさ、みーんな作れるんだよ、子どものときの毎日の仕事だから」


 毎晩のようにヴィーナに聞かされたサクヤは、かつて憎かっただけの街についても考えられるようになった。

 身分制度のある参番街では、下層の出身者は過酷な仕事にしか就けない。

 けれどその中から仕事は選べるし、稼ぎしだいでは中層並の家財を手に入れることも、さらには身分を買うことすら可能なのだという。

 

 遺伝子の適性によって進路が決定されてしまうこの街と、どちらが幸せなのだろう。

 考えること自体が汚らわしい――以前の自分であれば疑うことなく思ったはずだ。そうであったはずのサクヤが、こんなふうに変わってしまうことはどうなのだろう。

 

 幸せなことなのだろうか。

 正しいことなのだろうか。

 あの子はどう思うだろうか。


「この葉っぱしょっぱい! なにこれ? ふっしぎー!」


 サラダボウルを抱えこむヴィーナの声に、さまよっていた意識が戻された。

 チョコレートの合間に生野菜を食べる姿は不思議を通りこして不気味だったが、第二ラウンドに挑む気力はないので口に出さないでおく。

 

 フォークの先っぽのキラキラと輝く厚い緑の葉を、駄菓子マニアが不思議そうに眺めていた。

 アイスプラントだ。

 多くの植物が苦手とする塩分を、葉に隔離することで耐える塩生植物。他学区からの輸入されたばかりの食用品種であり、いつだったか試験農場であの子が育てて──。


「……あの子?」 


 最愛の後輩の名前をまったく思い出せないことに、サクヤは愕然とした。

 まて、昼間に聞いたはずだ。ナミはなんといっていた。たしかそう、山下──。

 

 瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。口をおさえる間もなかった。下を向いて自分のスカートへ吐くのが精一杯できたことだった。


「…………」


 茫然とするしかできないでいたサクヤは、耳元をそよぐ歌でようやく我に返った。

 いつからなのか、サクヤはヴィーナに抱きしめられていた。聞いたことのない、けれど懐かしい旋律は、知らない街の子守唄だったのかもしれない。


 涙をこらえるのにありったけの力が必要だった。

 ここで泣いてしまったら、暖かな胸で泣いてしまったらサクヤの中身はぜんぶ出ていってしまう。かろうじて残った強さが、根こそぎ流れ去ってしまう。


 それは許されないことだ。

 サクヤが手にかけた者たちを冒涜する行為だ。強き者に斃されたことが、死者たちのただひとつの光だ。消してはいけないものだった。

 小刻みに震えて耐える身を、ヴィーナはずっと抱きしめてくれていた。

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