第10話 我が子

 身体を揺すられている。重い目を持ち上げて開くと、片目が俺の身体を槍の柄で押していた。出来たらもっと優しい手段で起こしてもらいたい。

 例えば手で揺すってくれたりとか、目覚めのキスとか、キスとか……


 そんなことを思いながら、俺は上半身を起こして凝った身体を伸ばして戻す。

 ん~気持ちいい! 固まってた筋肉がほぐれた後の脱力感ふがたまらない。


 目覚めの良い三日目の朝? を迎えた。巣の中からでは外の状況もわからないので、今が朝なのか昼なのかさえわからない。

 起こした片目を見ると肩の手で槍を持ち、普通の手には盆を持っていた。


 食事の時間か。

 俺は片目から盆を受け取り「ありがとう」と礼を言う。やっと片目に礼を言えた。

 何の反応も示さず片目は入り口のとこに戻って、またいつものように俺を監視する仕事に戻ってる。


 言葉が通じないのだから当たり前か。俺は今日一日どうするか考えながら盆に乗ってる果物を食べた。


 起床した後にご飯を食べると腹が痛くなるなるものだ。だから、また片目達に意思を伝え、川に連れて行ってもらうことになった。




 昨日筋トレしてから水浴びをしてないので、今回も用を足した後に水浴びをする。昨日拝借した着れない服をタオル代わりに持ってきたから、これで寒さは大丈夫だろう。


 俺は服を脱いで川の中に入ろうとすると、片目は川に槍を入れてメリュジーヌを呼び寄せた。また俺の監視役にするつもりなんだろう。

 もしかして、片目がメリュジーヌに監視役を頼んでるのは、ジャイアントアントは水が苦手だからだろうか?


 そんな疑問が頭に浮かびながら、俺は川の中に入った。メジュリーヌは

俺を警戒して距離を置いて見ている。


 結局川の中で俺は裸を見られることになった。まあ、見られる回数が減っただけでも良しとしよう。


 川から上がると水に濡れた肌が風を敏感に感じ、さらに体温を奪ってきた。俺はすぐに持ってきた破けた服で身体を拭くが、急いでいたためごわごわとした服で肌を強く擦ってしまい摩擦で肌がひりひりと痛い。だが、そのおかげで体温が上がって寒さをあまり感じなかった。

 冬場でよく老人が乾布摩擦をしてると聞いて寒くないんだろうか? と思ったが、実際にやってみて寒さが和らぐのがわかった。


 俺は脱いだ服を着て片目達の方を向くと、昨日と同じでメリュジーヌと話している。

 話が終わるまでの間暇なので、さっきタオルとして使った服を絞りながら待つことにした。


 絞り終えてもまだ話をしている。女性ってのは魔物も人間も変わりなく話が長いんだな。

 片目達を見て気付いたが、片目も、メリュジーヌも、監視役のもう一人のジャイアントアントまで笑顔で話をしている。

 俺の前では無表情だったり仏頂面なのだが、やっぱり警戒されてるんだろうなあ……


 話を終えたのか片目と監視役が戻ってきた。その顔には笑顔がなく、片一方は仏頂面、もう一人は緊張感を漂わせて顔を引き締めてた。


 信頼を得るには先が長そうだな。俺は向かってくる二人を見ながら心の中で溜め息をついた。




 巣に戻ってきた俺達だが、いつもと違いジャイアントアント達が巣の中を走り回って何か叫んでいる。

 この慌ただしさは何があったんだ? まさか、人間の襲撃でもあったんだろうか? 

 一瞬頭の中でマンドレイクの最後が過ぎった。また世話になった人が死んでしまったのか? 人間にやられたんだろうか? 俺の胸の中で後悔の念と人間に対しての恨みが渦巻いてる。


 いや、まだそうとは決まってない。決まってないはずだ。

 俺は予想が違うことを祈って側にいた片目達を見てみた。片目は落ち着いてたが、もう一人の監視役はその叫びを聞き、驚きと喜びが入り交じった表情を浮かべ慌てた様子で片目に聞いている。


 片目達の反応を見る限り、どうも俺の予想は外れたようだ。俺は予想が外れて胸をなで下ろす。そこに慌ただしく駆け回っていたジャイアントアントが俺達を見つけて近寄ってきた。

 その子は片目に喋りながら俺をちらちらと見てくる。なんだ? もしかして、俺関係の話だろうか?


 話を聞いてた片目は手を頭に置いて、やれやれと頭を振っている。片目は俺に付いて来いということなのか、顎をしゃくってから歩き出した。


 付いて行くと前に来たことがある女王の部屋に着いた。だが、前とは違って部屋には無数のジャイアントアントで溢れかえっていた。


 片目は人垣に向かって叫ぶと人で出来た壁は二つに割れ、女王がいる藁まで道が出来た。

 さすが歴戦の戦士だ。発言力が違う。

 俺と片目はその道を通り女王の側まで行くと、そこには苦しそうに顔を歪め、お腹が大きくなった女王が横たわってた。


 病気なのか? いや、それなら監視役が喜ぶはずがない…… まさか妊娠なのか? 確かに二日前にエッチしたし、女王が足と手を使って俺を離さなかったので中出ししてしまったが…… え、俺パパになっちゃうの?まあ25歳だから子供を作ってもいい年だけど、心の準備ってもんがあるじゃないか。いや、まあ、中出しした時に子供出来るかもなあとは思ったけど。これが赤ちゃんができたと言われた男の心情か…… いやいや! 赤ちゃんができたというより、もう赤ちゃん生まれそうだろこれ!!


 いきなりのことで頭の中が混乱していた俺の背中に、バシッ! と気持ちがいい音と衝撃が身体に伝わってきて、そのまま身体を女王の前に押し出された。 


 女王は未だに苦しそうに顔を歪め、顔中に汗が浮かんでる。

 俺は何か出来ないかと思い、手に持ってたタオル代わりの服を思い出した。身体を拭いた物ではあるが、他は手元にないのでしかたない。

 女王の顔に浮かんだ汗をぬぐうんじゃなく、上から押し付けるようにして汗を吸い取る。


 女王がゆっくりと目を開けた。女王は俺と俺の手に持ってるタオルを交互に見てから、俺に微笑みながら一言何か言ってくる。だが、その微笑みは新たな痛みからか顔を歪め、うめきだした。

 俺はどうすることも出来ず。ただひたすら顔に浮かぶ汗を拭いていた。


 どれくらいの時間が経っただろう。からからに乾いていたタオルは今では女王の汗でぐっしょり濡れて重くなっている。俺は片目に新しいタオルを用意してもらおうと思った時、女王がこれまでと違い叫び出した。


 突然のことに俺は固まってしまったが、片目が駆け寄ってきて女王の身体を横向きからうつ伏せにさせる。女王の尻から生えてる腹部が垂れ下がってた。よく見ると腹部の先端にある刺針がぽっかりと口を開いてた。


 俺は気付いたら女王の手を両手で掴み「頑張れ! 頑張れ!!」と励ましてた。

 女王は目を瞑り、眉間に皺を浮かべながら叫び続けてる。徐々にだが腹の膨らみは移動していき、尻から生えてる腹部に移動して徐々に、徐々に、刺針に移動していく。


 膨らみは刺針で止まると、女王の叫び声も止まった。女王の顔を見るとうっすらと目を開けてる。


「もう少しだぞ! あともうちょっと頑張れば生まれるぞ!!」


 言葉が伝わらないとわかっていても言ってしまう。女王は俺に少し微笑むと目を瞑って、これまでより一層大きな叫び声を上げる。その叫び声に応じるかのように刺針の先が、さっきよりも大きく口を開き中にいる赤ちゃんを吐き出そうとしていた。

 片目も産まれるのがもう少しだということがわかったのか、赤ちゃんをいつでも受け止めるように刺針の方に立っている。

 さっきまでざわついてたジャイアントアント達も、女王の叫び声を聞き産まれるのを察したのか、緊張した雰囲気が漂っていた。


 あと少し。もう少しで生まれる。だけど、女王の顔から汗が滝のように流れ落ちていってる。このままだと女王が力尽きて気絶してしまうんじゃないだろうか。気絶したら中にいる赤ちゃんはどうなるんだ?

 もし赤ちゃんが中にいる状態で亡くなってしまったら、女王はどうなる…… 


 女王の叫びが大きくなっていくにつれて、俺の不安と心臓の鼓動も大きくなっていく。


 女王が断末魔のような絶叫すると同時に片目も動き、片目は刺針に手を差し伸べる。俺も女王の手を握りながら片目の手の上を見ると、そこには真っ白な赤ちゃんが乗っていた。


 赤ちゃんは無事産まれたことを周りに報せるように産声を上げ始めると、固唾を呑んで見守っていたジャイアントアント達から歓声が沸き上がる。その歓声は巣が崩落するんじゃないかと思うほど大きかった。


 無事に赤ちゃんが産まれて、俺は胸を撫で下ろした。俺は女王の方を見ると気付かず手を離してたらしく、女王はいつの間にかうつ伏せから横たわっている。 


「聞こえるか? 貴女の赤ちゃんが無事産まれた声が」 


 俺の言葉に女王は疲れ切った顔に微笑みを浮かべて応えた。その表情はやり遂げた母親の誇らしげな顔にも見えて眩しかった。


 俺は女王に敬意の念を抱きながら「お疲れさま」と言って、藁に置いてたタオルを手に取り女王の顔に浮かんでる汗を拭いてゆく。


 女王の顔を拭いていた俺の肩を誰かが叩いた。見ると片目が両手に赤ちゃんを抱いて立っている。

 女王に赤ちゃんを渡すんだろうと思い脇に寄ったが、片目は尚も立ってままだ。片目の顔には悩んでるのか、眉間に皺を寄せて俺を見ている。

 そんな片目に女王は何か言うと、片目は納得してない顔をしながらしぶしぶといった感じに、赤ちゃんを胸に押し付けられた。


 俺に持てと!? と、とりあえず抱くしかないか。


 俺は今まで赤ちゃんを抱いたことがなかったので、初めてのことに緊張で顔が固まっていくのがわかった。赤ちゃんは居心地が悪いせいか泣きやまない。

 見かねた女王が俺の手を取って動かしてもらうと、赤ちゃんがしっくりと腕に収まり、居心地がよくなったからか赤ちゃんは泣きやんだ。俺は赤ちゃんが泣きやんでくれてほっとする。


 近くで赤ちゃんを観察してわかったが、身体のほとんどが真っ白だということがわかった。真っ白な髪。真っ白な肌。そして真っ白な四つの手。全身白色だから目立つジャイアントアント特有のくりっとした黒の目に、まだ鼻で呼吸できないからかぽかんと口を開け、口内の赤色が目立つ。


 赤ちゃんはその愛らしい目で俺をじっと見つめてる。

 俺はつい赤ちゃんの頭の後ろに置いてる手で粘液に濡れた髪をといてやると、赤ちゃんは目を細めくすぐったそうにきゃっきゃっと笑った。

 その愛くるしさに俺は心が暖かくなり頬が自然と綻びていく。


 俺と赤ちゃんの触れ合いを見てて我慢出来なくなったのか。母親である女王が俺に四つの手を伸ばしてきて、赤ちゃんを渡すよう無言で要求してきている。


 腕から離れた赤ちゃんは一瞬ぽかんとした表情をしたあとに、顔を歪ませ今にも泣きそうに嗚咽を出し始めた。

 俺は慌てて赤ちゃんを自分の手に戻そうとすると、女王が手で俺を止め、女王が胸に抱くと赤ちゃんはすぐに泣き止んだ。さすが母親だ。赤ちゃんをあやすのがうまい。


 ほんと可愛らしい顔をした赤ちゃんだ。俺は赤ちゃんの頬を指で撫でてあげると、またくすぐったそうに笑った。

 突然赤ちゃんは頬を撫でてた俺の指を小さな四つの手で掴んだ。

 ほんと小さな手だ。少しでも力を入れると壊れてしまいそうな手。儚く小さな命。どんなことがあっても守ろう。


 女王が指を赤ちゃんの目の前に持っていった。赤ちゃんの視線は自然と女王の指を注目する。その指を女王自身に向け「メール」と何度か口にして言う。すると赤ちゃんの口から同じ言葉が飛び出した。

 女王は赤ちゃんの反応に嬉しかったのか、女王は赤ちゃんの頭を撫でてる。


 もしかして、俺のことも言う言葉も覚えるのか?


 物は試しだ。俺は女王がやっていたことを真似して指を出していく。

 赤ちゃんはまた釣られて指を見てくる。そして自分を指して、指して…… なんて呼ばせよう? 

 呼ばせる言葉を考えてなかった。赤ちゃんをこんなに早く産まれると思わなかったし、まさか産まれてすぐに言葉を覚えるなんて…… ん? そういえば赤ちゃんって、こんなに早くに言葉覚えたっけ? まあこの子達はこれが普通なんだろう。それよりも今は。えーと、娘に呼ばれたい言葉

…… 


「パパ」


 俺は自然と言葉を発していた。赤ちゃんは口を動かして俺の言った言葉を真似しようとしていたので、今度はゆっくりと聞きやすいようにして言う。


「パーパ」


「だぁーだ」


 惜しい! ちょっと違うんだよな。何度かそれをくりかして言ってると、少しずつだが発音が良くなってきた。


 赤ちゃんが一生懸命手を俺に伸ばしてきたので、指を持って行くと赤ちゃんの四つの手が俺の指を掴み、つぶらな瞳で俺を見ながら「だぁーだ」と呼び笑った。


 その瞬間俺の胸に熱いものがこみ上げ、無意識のうちに涙が流れた。

 喧嘩などで得られる高揚感とは違う。純粋に嬉しい。こんな気持ちになるのは、社会人になってから初めてかもしれない。


 「ああ、俺がパパだよ」 


 俺は赤ちゃんの呼び声に答える。涙を流し、声を震わせながら……

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