海沿いの道路を曲がり坂道を少しのぼると、丘の中腹に海が見渡せる墓地があった。

 私はこの場所を知っている。ここは私の父が眠っている場所。そして――。

 蒼太が墓石の前で立ち止まる。そこにはまだ新しい花が手向けられていた。


「ここ。俺の母さんの墓なんだけど」

 蒼太の隣に立ち、私はその声を聞く。

「東京に行って、あの家で母さんの話はできなくなって……しばらくは墓参りにも来れなかった」

 蒼太がその場にしゃがみこみ、じっと目の前の墓石を見つめる。

 お父さんが再婚して、私の母と暮らし始めた蒼太。

 きっと蒼太は私の母に遠慮して、自分を産んでくれたお母さんの思い出を、誰にも話せず胸の奥にしまいこんでいたのだろう。 

「大人になってからは、来ようと思えば来れたはずなんだけど。でもどうしてもこの町に足が向かなくて、初めてひとりでここへ来たのは三年前の命日。そしたら真新しい花が手向けてあってさ。母さんは身寄りがなかったから、誰も来る人なんかいないはずなのにって思って……」

 私は蒼太の隣に座り、じっと耳を傾ける。

「そのあともずっと、俺が命日や月命日に来ると花があった。こんなふうに」

 蒼太が目の前の花に手を伸ばす。その花の彩りに私も見覚えがあった。

「その花……私のお父さんのお墓にもある」

 顔を上げた蒼太が私を見る。

「もしかしてお母さんたちが?」

「俺もそう思う。母さんの墓参りに来る人なんて、俺の親父しかいない」

 そう言って小さく笑った蒼太が、墓石に向きなおしてひとり言のようにつぶやく。

「そうなんだろ? 母さん……」

 手を合わせ、静かに目を閉じた蒼太の隣で、私も手を合わせる。

 蒼太のお母さんと私の父の、お墓参りを続けていたふたり。だからと言って、ふたりの犯してしまった罪が許されるわけではないけれど。

 ――この人のことを好きになってしまった。

 十年前、蒼太のお父さんが言ったという言葉を思い出した。

 ――好きになっちゃったのは仕方ないじゃない。

 母は私にそう言った。

 理性を越えて、どうにもならない恋もある。あのふたりを許すか許さないか、それを決めるのは私たちじゃない。

 十年の時が過ぎ、そう思えるくらいには、私も大人になっていた。


 しばらく目を閉じていた蒼太が、顔を上げて立ち上がった。私も同じように、蒼太と一緒に立ち上がる。

 足元の水たまりに雨上がりの空が写っていた。校舎の窓から、蒼太の姿を追いかけていた頃と同じ青い色。

 この色は、何年経っても変わることはない。私たちが大人になっても、変わることはない。

「琴音は……もう一度この町に戻って、暮らすのは嫌?」

 私は黙って蒼太の顔を見る。

 母が不倫をして、蒼太のお父さんと町を出て行った噂を、この狭い町で知らない人はいない。残された私と父のたどった道も。

 この町は私にとって二度と暮らしたくない場所のはずだった。

 ここに蒼太がいないのならば。


「昨日の夜、雨の音を聞きながら考えてた。ずっと、琴音のことを」

「え……」

「琴音がひとりで、寂しがっているんじゃないかって」

 蒼太の声が胸に沁みこむ。鼻の奥がつんとしたのを隠して、できそこないの笑顔を見せる。

「やだなぁ、何で私が寂しがるの? 蒼太は知ってるでしょ? 私が強いってこと」

「じゃあどうして泣いてるんだよ?」

 小さく首を振る私の頬に、蒼太の指先が触れた。

「俺、今はまだ新しい仕事始めたばかりだし、住んでる所だって居候みたいなものだけど。でも自分の生活がちゃんと整ったら……琴音のことを迎えに行きたい」

 蒼太が顔を上げ、真っ直ぐ私の目を見て言った。蒼太のお母さんが眠るその前で。

「琴音のことを、必ず迎えに行く」

 私はそんな蒼太の顔を黙って見ていた。

 笑顔を見せようと思ったのに、涙があふれて止まらない。


「遅いよ、蒼太。そのセリフ、十年前に言ってよ」

「ごめん」

 蒼太が苦笑いして私に言う。

「和奏にもちゃんと謝らなきゃな……勝手にいなくなってごめんって」

「一発くらい殴られるの、覚悟しといたほうがいいかもよ?」

 もう一度笑った蒼太の指が、頬を伝う私の涙を拭ってくれる。

「琴音。もう無理して笑わないで」

 かすかに震える私の手が、蒼太の指先を包み込む。

「俺の前では無理しなくていいから。ふたりで一緒に幸せになろう?」

 手を握り合いながら顔を上げると、私の大好きだった蒼太の笑顔が見えた。

「……うん」

 そううなずいた私たちの上から、雨上がりの日差しが差してくる。

 ひとりぼっちで雨音を聞いていた、長い長い夜はもう終わったのだ。


 私の体を、蒼太が抱き寄せた。

 そのぬくもりを感じながら、静かに目を閉じ再び開くと、私の目に青い海が映った。

 丘の上から見下ろす海は、堤防に座って見ていた海よりもっと広い。

 はるか彼方の水平線が、あたたかい涙でぼんやりとにじんでいった。

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