灰色のキャンバス

三角 帝

1色目 少年が選ぶのは花形楽器

 俺が、音楽を知ったのは、小学校の……確か、三年に上がったぐらいの頃だろうか。

 三階建ての、真新しい校舎に、それまた真新しい楽器達が運ばれてきた時のことを、俺は思い出す。綺麗な色をした、ピカピカの楽器を前に、スパルタな母親達が、俺たちがどの楽器を手に取るのかと、手に汗握って見守っていた。

 デカくて重くて、ゴツい楽器を手にし、ある少年は、並びの悪い歯を見せて笑った。


「これね、チューバって言うんだよ! カッコいいだろ?」


 そう言った少年の後ろで、少年の母親が肩を落とすのを見た。嬉しそうな彼と対照的に、残念そうに「呆れた」とため息を吐いた。

 理由はただ一つ、チューバという楽器が、この世界で低音という地味な担当であり、何より目立たないということにあった。目立ちたがり屋の親達は、子を目立たせ、自分も目立とうと、日々謎の努力をしているのだ。

 そういった世間の事情というやらを、俺は痛いほど分かっていたし、幼心に手に取ったのは、音楽界での花形楽器。


「あら、健くん、トランペット?」


 嬉しそうな母親は、俺を褒めるふりをして、周囲に自慢した。俺が選んだ道を、誇らしいと胸を張っていた。そんな母親の笑顔を、俺は昔からよく知っていた。

 その日から、両親は俺にトランペットと生きることを誓わせ、大金を使っての猛練習をさせた。大して、この楽器に情はなく、むしろ、無駄に値段だけがお高くとまった、この冷たい無機物を、俺は憎んでいた。

 まるで、その楽器に縛られているかのようで、息苦しかったのだ。


 その後、俺は、エスカレーター式に、そこの中学、高校へと進学した。勉強を一日の大半に使い、放課後はトランペットと、メトロノームの旋律に揺られていた。意志なく上達していくうちに、勝手ながらプライドがつき、それと比例して、俺は数々の賞を受賞し、着実に親達の意図したトランペッターの道へと進んでいった。


 小学校時代、チューバを手にし、笑っていた少年は、いつの間にかこの世間から姿を消し、今は行方も知れずにいる。ただ一つ、俺が言えるのは、彼が手に入れたものは、自由という名の永遠だということだった。

 俺は、それにひどく憧れている。


 軽くも重くもなくなった、上品な黒革のケースを担ぎ、広いグラウンドが一望できるテラスへ出た。風が吹き抜け、髪を後ろに撫でていく。

 俺は、静かに深呼吸を二度繰り返し、楽器ケースの留め具を外す、慣れた手つきで二つの留め具を外し、流作業で蓋を開ける。姿を現した金色のトランペットに、素早く薄いマウスピースを装着し、俺は立ち上がった。

 大きく息を吸い込み、そして少し止める。唇に触れた冷たい金属の輪に、熱い息を吹き込む。振動を感じ、鼓動が震え、指が揃い、音が流れる。

 俺は無我夢中で、広くて狭い、この世界に、高くて深いメロディーを刻んだ。

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