ベーシックインカムに見る「愛とお金」の問題

 第三章、最新話(『亡くなった両親のこと、そして現在いまhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054880832188/episodes/1177354054881137205)にて書かせていただきましたが、現在自らの力でこの先、生きていけるよう、場合によっては行政の助けも借りることをも模索していることなど。しかし、現実問題それにも限界というものがあります。


 そこで早速飛び込んできた、件のベーシックインカム制度のニュース。


 スイス「最低生活保障」否決へ 国民投票、働く意欲低下懸念

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM05H2U_V00C16A6FF8000/

【ジュネーブ=原克彦】スイスが5日実施した国民投票で、すべての住民に無条件で毎月一定額を支給する「最低生活保障ベーシック・インカム」の導入が否決されることが確実になった。最低生活保障を導入する代わりに年金や失業手当を廃止する提案だったが、財源不足や国民が働かなくなることへの不安が強かったもようだ。


 ベーシック・インカムの具体的な支給額は提案の可決後に決める段取りだった。市民運動家らは月額で大人が2500スイスフラン(約27万5千円)、子供は625スイスフランを提唱していた。スイス公共放送は開票の途中経過から8割近くが反対したと予想。賛成派が逆転する可能性はほぼなくなった。


 政府は現在の年金や失業手当を充当しても財源が不足すると指摘し、反対するよう呼びかけていた。経済界も働く意欲が大幅に下がるとして強く反対したほか、労組は想定する支給額では収入が減る年金受給者もいるとの理由から反対した。右派、左派とも明確に賛成する政党はなかった。


 これに対し賛成派は貧困対策に有効なことや、社会保障の一本化で行政の効率化につながると主張。提唱する支給額は物価が高いスイスでは豊かに暮らせる水準でなく、勤労意欲の低下にはつながらないとしていた。


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 スイスにてベーシックインカムは否決。反対意見が多いということは、つまりそれが現実に実施されれば困る層が確実にいるということ。財源の不足や勤労意欲の低下を招くなど、もっともらしい理由を述べていますが、必ずしもそうとは限らないのでは。特に日本ではデメリットどころか、メリットの方が格段に大きい。


 夢の「ベーシックインカム」制度、オランダで実験導入 ホリエモンも「最高の仮説」と期待 https://news.careerconnection.jp/?p=13815


 最低限の生活に必要なカネを国や自治体が無条件で支給する「ベーシックインカム」制度。嫌な仕事で無理やり働かなくて済むようになると、たびたび話題にあがるものの、いまだ導入には至っていない。


 米ニュースサイトQUARTZによると、この「夢の制度」の有用性について、来年1月からオランダ第4の都市ユトレヒトで実験が行われるという。ネットには「日本でも早よ」と期待が高まっている。


 実験は、ユトレヒト市とユトレヒト大学が共同で実施。ベーシックインカム支給の対象となるのは働いていない約300人の市民。独身の成人には月に約1000ドル(約12万円)、カップルや家族には約1450ドル(約18万円)が支給される。


■世界中から「実験結果が楽しみ」という声があがる


 このニュースに対し、ツイッターにはオランダ国民から期待する声が見られる。


「もうすぐこんな実験がオランダの市で行われるなんて幸せ」

「私の故郷がベーシックインカムの最前線になるって聞けて嬉しいわ」


 イギリスやアメリカからも、「ベーシックインカムによって誰も次の食事やベッドのことを心配しないで済むんだ!」「実験のデータを見るのが楽しみだよ」といった声があがっており、世界的にも注目が集まっているようだ。


 当然、日本のネットでも「羨ましすぎでしょ」「これは興味深いな~」「日本でも早よ」との投稿が。以前からベーシックインカム制の有用性を主張してきた堀江貴文氏も、


「最高の仮説。労働をやりたくない奴にさせるコストよりも、ただ金を与えたほうが安上がりって仮説の検証やね」


 と歓迎。他にも、貧困が消滅することで犯罪の大部分も消滅するのでは、という意見があった。一方で「真面目にコツコツ働く意欲は間違いなく減る」「ギリシャ化しないだろうか?」という不安視する人もいた。


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 件のパマナ文書の一件もそうですが、毎日毎日コンビニやスーパーなどで売れ残り廃棄されている弁当などの食品が出るほど過剰な供給過多が行われている、この大量消費社会。つまり、ありあまる程の無駄が日々横行しているのに、財源がないとは、これいかに。ではなぜ、そのベーシックインカムを政府は導入しようとはしないのか。


 要するに、そういう仕組みによって世の中自体が回っているからです。すなわち、1%の富める者と99%の貧しい者の図式。人々が日々従事したくもない労働によって人生のほとんどの時間を搾取され、生きる意欲までも奪われる。なので、ベーシックインカムのような夢のような政策が実施されれば、世の支配層の目論見が一気に潰れてしまう。奴隷が奴隷らしく汗水垂らして働かず、自由な時間と収入を与えられることによって自らのクリエイティビティを得て活動的になられては困るということです。


 逆に言えば、もしそれが現実に実現されれば、本当に素晴らしい世の中になります。お金や日々の生活の心配をすることなく、何の精神的圧迫もなく、人々は本当の意味で各々の人生の自由と幸福をおおらかに謳歌することができるでしょう。そもそもお金や通貨といった概念は、元々自然界にはないもの。それは大多数の人々を圧倒的な支配下に置くための、ひと握りの支配者層が大昔に考え出した不当なシステム。


 太陽光も水も空気も、元々“タダ”。地球上の動植物は、その天と大地の恩恵を何の対価も払わず、太古の昔から惜しみなく与えられてきたのに、人は経済という壮大な大仕掛けによって大半の人々を支配する狡賢い方法を思いついた。そして自分だけがほとんどの富を享受し、他のすべての人々を貧しくさせる、今日の社会経済というシステムが今ここにあるわけです。


金に潜む悪魔と愛

http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12167880029.html#cbox


 今回のスイスでのベーシックインカムの、このような顛末ではありましたが、占星家のマドモアゼル・愛氏も以下のように述べています。


 ――あまりに大きな嘘には、人はまさかと思って信じようとしません。


 大きな嘘がまかり通っているのにも、そうした原理が働いているからでしょう。


 この世のこと、社会のことを考えると、本当に絶望的な気持ちになる人も多いと思います。しかし、希望は最後まで残るという聖書の話ではありませんが、本当のことだと思います。


 このように最後まで存続するものは、信仰と希望と愛とこの三つである、、、という聖書の話、また、パンドラの箱に最後まで残されたのも、希望。


 この希望を安っぽく、自分だけが優位に立つという目的に置き換える働きをしたのが、マスコミ。夢を追いかける、、、というと美しい話に聞こえるけど、それはあまりに悲惨な現実から目を背けさせる口実として利用しているだけ。


 受験、スポーツ、出世、、、叶わぬ夢を追いかけることが良いように言われて、幾多の努力を飲み込んで行ったことか。


 進学校は成績上位者しか相手にせず、成績が下の方の生徒の存在をうとんじる。きっと、いやな気持ちにさせられ、自分の存在の無価値観を不当に押し付けられた多くの生徒や学生がいたと思うのです。


 本当はあってはならないことなのです。そのやり方ではみんなが損するのです。トップの学生はいたずらに優越感のみ育て、自分が特別な存在であるかのような錯覚に陥ります。


 学校から、先生から顧みられなかった人は、自分なんかどうにもならないダメなんだと、自信とやる気をなくすか、ヤケになるか、、極端な方向に行かないとも限りません。


 そして出世主義で目先優秀な学校と言われたい、、優秀な先生として実績を上げたい、、そうした思いで冷たい判断で上の生徒ばかり重視して来た先生や学校も、いずれ厳しい競争に負けていくときを迎えると思います。


 東大でさえ、世界の優秀大学番付ではかなり低いものであり、上には上がありますし、上下の価値観や競争感での争いには、みんなが損する構造があるのです。


 学業から始まるこうした出世競争の構造は、最終的に権力もしくはお金の蓄積による優位性を争う方向に向かっていきます。


 トップ思考がもたらす極地がオリンピックはじめいたるところでほころびが出ており、このままの社会運営はもう続けられない、、、という時代になったと思います。


 良い例がお金です。お金を求め、それを持つ人が成功者であるとの時代でしたが、もうジエンドだと思います。ひがみで言っているのではなく、構造的にジエンドなのです。


 みなさんは、ゲームをやったことがあると思いますが、どんなゲームでもチップが一人のところに全部行ってしまったとしたら、もうゲームを続けることはできません。ゲームを止めるか、もう一度、チップがある人から無くなった人に、再配しなければゲームはできないでしょう。


 社会に出回っているお金も、金持ち最高の意識に乗って、ついに、本当の金持ちの所にばかり行ってしまい、一般の人の生活をも苦しくさせる状況に至りました。


 ほぼ独り勝ちのゲームで、もう一般にはほとんどまわらない。一般民衆は生活するだけで精一杯だから、不要なものは購入しない、、、当然、不景気になりやすくなります。


 努力してお金持ちになった人も多いので悪くは言えませんが、そうした人の多くは、さらなる金持ちを目指して頑張ってしまうので、際限がありません。


 ゲームが続けられない状況はこれから段々と深刻になっていくと思います。


 もっともっとお金が欲しいという、貪欲過ぎる人たちのために、すでに国民はひどい状態に置かれています。


 このままでは、お金を得るゲームすら続けられなくなりますので、ここいらで、本格的な変化がどうしてもやってくるのを私は感じます。


 金持ちはいつまでもこの構造にしがみつくかもしれませんが、物理的に続けられなくなるのですから、やっぱり続けられなくなるのです。


 では、どうした変化が必要でしょうか。物事のすべては、有る者から無い者に与えることでしか存在できません。


 お金も同じで、あるところからないところに与える以外に現在の危機を救うことはできないと思います。


 ともかく、上から下に配ることです。働かないで日本は貧しくなったのではなく、働いて働いて働き続けている人が苦しくなっているのが、今の日本なのです。


 上にお金が行き過ぎたのです。独り占めし過ぎたのです。それによって、みんなが傷ついていたのです。上も本当はそうなのです。どうせ死ぬ人間に、金がすべてという信仰を植え付けられた犠牲者が金持ちでもあります。


 金持ちにも悲しみはあり、孤独はあり、愛情もあります。それをありあまる自身の金が災いして、金持ちを不幸にしているのです。


 今のシステムはみんなを不幸にするシステムとなってしまいました。


 金の集中化から、逆にあるところからないところに配る変化によって、喜びの再構築ができるはずです。


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 成績上位者だけが優位に立ち、成績が下の存在は疎んじられ、相手にされない。


 なんだかこのカクヨムでの選考通過システムを思い出してしまいますが(苦笑)。どちらにせよKADOKAWAも、その社会の不当な出世主義やトップ志向そのもので成り立っている会社の一つである以上、いたしかたありませんが……。


 それはともかく、実際、私自身も今現在、新たな職を探しているその最中なのですが、そもそも何かが大きく間違っている、との思いを拭いきれずにいます。それは何も楽をして怠けたいとかいうことではなく、もっと自分自身の資質を活かした、一人の人間として本当の意味で効率的で創造的な生き方はできないものか。


 そもそも生活そのものを成り立たせるために、本来有用でなければならないはずの、自分自身の時間の大半を奪われるなど、あってはならないことだと思います。それによって心身が疲弊し、何のために生きているのかすら解らなくなってしまう。人には知性というものがあり、太古の昔から地球上の自然の恩恵を受けて生きてきた、動植物以上の能力がある。それこそは創造性そのものです。


 その一人一人にあるはずの生き生きとした創造性クリエイティビティを人々から奪ってしまおう。そして実質的に思考力を持たない奴隷として飼い慣らすために、こういった社会経済を世界中に巡らせ、本当の自由を奪う。流行りものが蔓延る形だけの娯楽を与えて、マスコミや夢を謳う芸能界なども、そのためのカモフラージュ。すべてのものがお金で回る世の中を作り出したのには甚だ関心するというものです。


 そして私たちが日々食べている市販の食品も、よくよく考えてみれば一体何が使われているのか分からない。事実、添加物だらけのおよそ人が口にするものとは思えないものを、まるでよいもののように宣伝して買わされ食べさせられて、日に日に体に蓄積されるものが人の健康を害するものでないという保証は決してない。


 そして医療そのものも、そうして病気に冒された人を薬漬けにし、抗がん剤など実は間違った治療法を定着させ、がんになったら病院に入院するのが一番。いや、しなければならないと疑いもなく思わせるという、まず病院や製薬会社が儲けるための、こうしたまことしやかなカラクリがある。よもや社会そのものがグルとなって我々市民を丸め込もうとしているなどと誰も思いはしないでしょうが。


 そういえば、昨年がんで亡くなった父が、末期症状の状態で、入院先の病院にて夜更けベッドから逃げ出そうとして口にした言葉がふいに思い出されます。


『病院は俺を丸め込もうとしている』――今にして思えば、非常に意味深。ある意味で父は、実に的を得たことを、朦朧とした意識下で言っていたのだから、とても不思議な気持ちに。死に向かう状態の中で、父は世の中本来の不正を、まるで“虫の知らせ”のように、するともなく口にしていたのでしょうか。


 愛氏のおっしゃっている、「みんなを不幸にするシステム」。もしお金というものが、人々を不幸にするために出回っているのだとしたら。お金がないから不幸、そして、もっともっととそれを際限なく欲することで生ずる不幸。持つものも持たざるものも同様に不幸なのならば、一体それに何の意味があるというのでしょう。


 牡牛座を支配する金星は、お金と愛の双方のテーマを扱っています。お金と愛。そもそも、それらは何となく結びつかない、正反対の概念のもののような気がするのは、お金自体に愛を感じることができないからでしょう。お金は汚いもの。そして、そう感じるように、世の中自体が仕向けてしまった。


 が、そもそも「お金=愛」でなければならない。そうでなければ、豊穣の大地を意味する地象星座である、牡牛座のテーマの根本としてそれを信じることができない。「お金ノットイコール、愛」の世界ほど、悲しく不幸な世の中が他にあるでしょうか。


 私自身がその牡牛座の生まれであるからか、これまで大自然が当たり前のように、地上の生けとし生けるものに惜しみなく与えてきた、その大地の恩恵こそ、本来の愛の姿であり、もし人が作り出したお金というもので世の中が回る世界がここにあるならば、そのお金そのものを、人々を幸福にするために使わずして何とする、と。


 それでこそ、大地の星座、牡牛座の「お金と愛」というテーマが、本来の豊かさや豊穣性をもってして、その真実味を浮かび上がらせることができるのではないかと思うのです。愛とはそもそも、惜しみなく与えるもの。


 本来お金もそうでなければならない。ならば、いつ、このベーシックインカムを実現せずして、どうすると言うのでしょう。愛ある世界。愛によって成り立つ社会。それによって人々は自分本来の生きる意味を見出し、路頭に迷うことも、ましてや犯罪に手を染めることなどもなくなる。そして人本来が持つ創造性を心ゆくまで発揮することができる――そんな豊かな素晴らしい社会。


 それこそが、本当の一億総活躍社会ではないかと思います。


 牡牛座は同時に「美」をも扱う星座。美、愛、お金。これらがすべて一つのトライアングルで結ばれる世の中であれば、どんなによいか。美、美しいということは、それが愛そのものに根ざしたものであればこそ、その本来の姿をそこに見出すことができる。決して見てくれだけの美しさが本来の美ではないのです。


 すでに数年後に迫った2018年以降、その牡牛座に変革の星である天王星が入座します。ここまで述べてきたように、牡牛座はお金や金融を扱う大地の星座サイン。金融崩壊など、それこそ天地が引っ繰り返るような、これまで当たり前すぎるほどに当たり前だった社会システムの大規模な崩壊および刷新などが予想されますが――。


 あるところからないところへと惜しみなく与えられ、すべての人にその恩恵が還元される、ベーシックインカム。それそのものが実現されるのも、おそらくもうすぐ……?

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