浮上する謎は後を絶たず/3


ヴェンズという街は南北に長く、高低差の少ない扁平な土地を持つ。東西に伸びるイネククル川が街を分断するように流れており、その川幅は五十メートルを超える。大理石で固められた巨大な三本の石橋が南北の土地を結び、街の中心部でもあるその場所に、自然と人々は集まった。いまでは橋の上に市が開かれ、活況を帯びている。

いつの頃からか暗黙の了解が生まれた。両端の橋は通行専用となり、中央の橋は市場となり、いまでは橋上市として世間の注目を浴びている。

建造物は軒並み低く設計されており、規模の大小は主に占有する底面積で競われた。だから風の通りを妨げるものもなく、川の存在もあり――ヴェンズは通年を通して気温の低い納涼都市で知られている。夏になれば避暑や橋上市を目的とした観光客で賑わうが、その時期までにはまだあと二カ月は早い。

パズとヒセツが道中ですれ違うのは、大きな旅行鞄や地図を携えた観光客ではなく、買い物袋を提げた地元の買い物客が中心だった。

イネククル川を基点にして、奈落は北側を、パズとヒセツは南側を、それぞれ聞き込みの拠点とした。

宿泊するホテルが北側に位置したため、パズとヒセツは中央の橋を南下している。往来には所狭しと屋台や陳列用の敷布が並び、各々が声を張り上げて商品を勧めていた。

パズは全ての店を一瞥するだけで通り過ぎて行った。見たところ食料に衣服、それから観光土産が主な取扱品で、それらの半分以下の規模で並ぶのが日用品店や書店、それから各種専門店だった。客層は老若男女を問わず、大抵の買い出しがこの橋上市で済ませられるのであろう事は、想像に難くない。

パズは中天を過ぎた太陽を仰ぎ見る。時刻は午後三時半。彼は情報収集のために目的地へと急ぐつもりだったのだが、それをさせない人物がいるのだ。

ふと、歓声が上がる。パズが半眼で見やる先に、ヒセツの姿はあった。

「く、蔵前織のワンピースが三千五百レート!?」

「お嬢さん目が高いねえ! わかるかい!」

「こっちのバレッタは童話工房じゃない! それで五千二百レートって!」

「ようし! 二つで七千五百レートだ!」

「買ったわ!!」

声高らかなヒセツの様子に、パズは深く嘆息した。

握り拳を作って宣言したヒセツの両脇には、既に買い物袋が三つ並んでいる。そんな彼女の購買欲の余波はパズをも巻き込んで、彼の両手さえ彼女の荷物で塞がれている。

購入する品々が粗悪品や偽物ではないのが、唯一の救いだった。橋上市に並ぶ店舗は簡素な屋台ばかりだが、商品の質は保証されている。イネククル川を水路として利用する事で、港からの流通コストを最小限に抑えているのだ。そのため、橋上市の品々はどれもヒセツをうならせるほど安価なのである。

いまも眼下を見下ろせば、商品を積載した船群が絶え間なく続く様子が見て取れる。

「あ! あっちには禁断の果実だって有名な――」

「いい加減にしてくれないかなあ……」

飽きる事なく視線を右往左往させるヒセツに、パズは憮然として呻く。ヒセツは気分を害したのか、腰に手を当てて険呑な口調で応じた。

「何よ。私だって情報収集してるわよ? 買う時に店の御主人に聞いてるもの」

「だから、それじゃあ非効率的なんだってば」

肩を落としながら言って、パズは市場から抜けるようにして歩き始める。ヒセツは禁断の果実とやらに後ろ髪を引かれていたようだったが、やがてパズの後を追いかけた。

「そういえば、目的地があるって言ってたわね」

「まあね。そこで情報集めるのが一番手っ取り早いよ。質も量も文句なしにね」

振り返らないまま答えるパズに、ヒセツは早足で追いついて横に並んだ。

「どこよ?」

「十一権議会支部」と、端的に答える。まるでそこに目指す先があるかのように、人差指で宙を指しながら。「ヴェンズにはそれがあるじゃないか」

「あるじゃないかって言われても……」この街初めてだもの、とヒセツは口を尖らせた。「まあ確かに、権議会から情報を買えば間違いないわね。――でも、予約もなしに受け付けてくれるかしら?」

「僕なら大丈夫。十一権議会で諜報員やってた事あるから、顔がきくんだよ」

「アンタ達、本当に何者なのよ……」

ヒセツは目を丸くする。

アンタ達というのは、言うまでもなくパズと奈落を示唆しているのだろう。長時間に及ぶ使い魔の召喚維持や、数十人を相手取って傷一つ負わない奈落。末端とは言えど、かつて情報の金字塔――十一権議会に在籍していた情報屋・パズ。

パズは苦笑する。それだけの能力でもなければ、そもそもルードラントの破壊など引き受けたりはしないだろう。

「そこに刑軍のヒセツが加われば、百人力だね」

茶化して言ったつもりだったが、ヒセツは顔をしかめた。まるで同じ失敗を繰り返す生徒に対する、教師のような眼を向けていた。

「アンタ、年いくつ?」

「十五歳だけど、それが何か? 年下の方が好み? 参ったなあ」

「違うわよ!」と、言下に否定するヒセツ。「でもアンタの言う通り、私の方が年上よ。だからその『ヒセツ』って呼び方、何とかならないかしら」

「おや、案外狭量だね」

意外そうな口ぶりで、パズはヒセツの顔を覗き込んだ。彼女の表情は険しいままだ。

パズはその眼差しを受けて立ち止まる。己が足元を見下ろし、しばし考え込む。二、三本の指で口元を撫でるのが、思案する時の癖だった。そして弾けるような笑顔で言った。

「じゃあヒセツたんで!」

買い物袋が顔面に命中した。

「次呼んだら――」ヒセツが息を切らせて絶叫する。「殺すわよ!?」


   ◇

治安は悪そうだな――それが、ヴェンズに対して奈落の持った、最初の感想であった。最も活気を帯びる橋上市に背を向けるようにして、奈落は街路を北上していた。大通りも細い路地も取捨する事なく歩を進めるが、往来には浮浪者の姿が目立った。恐らく彼らにとっても住みよい街なのだろう。物資に恵まれた観光地では、飽和量を超えて捨てられる食材も多い。それらを貪って、彼らは生を繋いでいる。襤褸をまとった者達のぶしつけな視線を、奈落は肌に感じていた。

煉瓦敷きの道を彩るのは、主に横転した屑籠や吐瀉物で、その脇には泥酔した男が転がったりしていた。上着が乱暴にめくられているところを見ると、金品を盗まれたのだろう。

(華やかさの裏側なんて、こんなもんか……)

だがそんな街だからこそ、情報も集めやすい。浮浪者も富裕層も、保身のために情報に敏感になっているのだ。彼らは独自のネットワークを構築し、利益には殺到し、危険には近づかないようにしている。それが住人達の処世訓だ。

奈落は街路の脇にしゃがみこんでいる男へと足を向けた。

「少しものを尋ねたいんだが――」

話しかけると、男は虚ろな目を奈落へと向ける。それから口を閉ざしたまま、大儀そうに手の平を差し出してくる。伸び放題の頭髪や髭に隠された目が、報酬を訴えていた。

奈落は心得たもので、懐から硬貨を一枚取り出して男に手渡した。

「………何だ?」

男は硬貨を愛おしそうに見つめながら言った。奈落にはもう目も向けなかった。

「ルードラントって奴がかなりの大所帯でここに来てるはずなんだが、心当たりは?」

「場違い塔」と、男は即答する。「ルードラントって名前は知らないが……関わり合いになっちゃいけねえ団体さんが、そこに移住してきたって話は聞いた」

「場違い塔ってのは、あれだな?」

尋ねる奈落の視界には、一つだけ地平線から突き出た建造物が映っていた。圧倒的に平屋の多いヴェンズにおいて、非常に珍しい建造物だった。

それは地上三十メートル、十階層という計画のもと着手された。占有する底面積は狭く、まるで鉄塔のようだ。

なぜそんなものが必要だったのかははっきりしないし、いまとなっては気にする者もいない。なぜなら、その計画自体が頓挫したからだ。結局、半端な建造物は放置され、いつしかヴェンズの景観に似合わない――場違い塔の名で呼称されるようになった。

男が頷くのを見て、奈落は確信を得る。

「またか……。こりゃ、間違いねえかもな」

奈落が件の塔についての知識を得たのは、ここ一時間の事である。というのも、聞き込みを開始してから、実に三回に一回の割合で場違い塔の名を聞いたのである。ルードラントがそこにいると、街ゆく人々は口を揃えた。ネットワークの一端に触れた奈落は、その優秀さに流石に舌を巻くばかりだ。

適当に礼を言って、奈落は場違い塔へと足を向けた。そこが本当にルードラントの隠れ家なのかを確認しなければならない。真実だとすれば、壊し屋として破壊する。相手の戦力によっては、ヒセツやパズと合流して、態勢を整える必要が生じるかもしれないが。

(それにしても――)

目的地が決した事で、奈落の胸中には別の懸念が浮上してきた。

(ラナ……彼女は、何者だ?)

昨夜のルードラントの襲撃以後、ラナはほとんど口を開いていなかった。何かを考え込むように、顔をうつむかせてばかりだった。その様子はどこか躊躇しているようにも思えたが、何を判断しかねているのかはわからない。

そもそも、なぜルードラントはルダやラナの身柄を執拗に求めるのか。

(いや待て。ラナは英雄から渡された。それにトキナスの野郎もラナは不必要だと言っていた。その時点で、ラナには利用価値がなかった)

だがその彼女に価値が生まれた。そうでなければ、昨夜の襲撃の説明がつかない。ルードラントもトキナスも、そして英雄も――なぜ年端もいかぬ少女二人に血眼になるのか。

主体的に動いているようでいて、奈落はまだ、誰かの手の平の上で踊らされている――その可能性をどうしても払拭できないでいた。

自分を遥か上方から見下ろしている者がいる。果たしてルードラントか、トキナスか、英雄か――あるいは、ラナか。あまり信用しない方がいい、とパズは言った。あるいは正鵠を射ているのかもしれない。自問したところで、解答は得られなかったが。

情報収集を続けながら二十分ばかり歩いたところで、奈落は足を止める。赤黒いコートをはためかせていた風が、ぴたりとやんだ。

風を遮蔽するその建造物を、壁伝いに見上げて行く。

大地と天を結ぶかのように突き出た奇妙な塔が、そこにあった。

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