第40話 戦うと決めた以上は

「グォオオオオッ!」


くぐもった苦悶の叫びを上げながら、ドラコベネが仰け反る。首を退き様、それでもアビス・タンクの腕を放さなかったのは驚嘆すべき執念と言えよう。

咽喉を焼かれながら、しかしドラコベネは反撃に出る。五メートル以上にも伸ばした首に、回転による遠心力を加え、捕えたアビス・タンクを振り抜いた。


「くぅッ!」


バチン、と火花の弾ける音。アビス・タンクの右腕部が噛み千切られた音だった。

右腕部を失ったアビス・タンクが、放物線を描いて落下していく。

スラスタを調節して着地を試みるが、既に装甲は平衡感覚を失っている。四肢の健在を前提とした計算処理がいまのアビス・タンクに適用されるはずもなく。


桐吾は大地に膝を屈した。


「くそっ!」


毒づく桐吾の耳朶を、心臓の激しい動悸と警告アラームがけたたましく打つ。瞠目する視界は、赤い警告文で埋め尽くされていく。


「右腕部全損、背部兵装動作確認不能――まともに動くのはもう無理かッ」


四肢の一つを失った以上、もはや高速機動は愚か、真っ直ぐに走る事さえ困難だ。とにかく大まかな方向へスラスタ噴射で移動しながら銃撃を放つ――その程度の事しか出来ないだろう。


だが、それだけの犠牲に見合う戦果は挙げたはずだ。

守りようのない位置で、防ぎようのない一撃を見舞った。最強の怪異といえども無事では済むまい。深手を負った巨龍にならば、他の生徒達と協力しながら一斉に攻撃を仕掛ければ勝つ事も難しくはないだろう。


期待と充足の眼差しで見上げた先――桐吾は、自らの算段が甘かったと痛感する。


「そんな……」


口をついて出たのは現実を呪う呟き。誰に届く事もなく、風に乗って霧散する。

瞠目する先。

ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼは変わらぬ威容で、平然と浮遊していた。


噛み砕いた右腕部をつまらなそうに吐き捨てる。ガシャン、と金属質な音を響かせて、人の叡智の結晶はアスファルトに転がった。


「その身に刻め、人の子よ。捕食される側の在るべき姿というものを」


見上げる巨躯は、傷らしい傷も負っていない。

咽喉に火傷の痕はないし、声も健在である。まるで先の渾身の一撃が、夢幻であったかのごとく。


対して、こちらの装備は七割以上が失われてしまっていた。

驕りに目を鈍らせていたのは、龍ではなく、自分だったというのか。

歯噛みする。己の無知に。無謀さに。無力さに。

がくん、と視線が下を向く。右膝関節を支えていたサーボモーターが火花を散らして焼き切れた。シュンシュン、と空しくギアが空転する。


他の生徒達は皆、まだ懸命に闘っているというのに。自分が最初に脱落するのか。桐吾に課せられた使命は、人族の未来を大きく左右するというのに。


虹子は司令官として、目まぐるしく展開する戦況を把握し、奮闘している。

田路彦はその補佐として、虹子を支えている。

巳継は男族代表として新型の兵器を持たされてファアファルを足止めしているという。

歌誉は来たるべき時に備え、固唾を呑んで戦場を見据えている。

なずなは四愚会の魔女と対峙し、互角以上の戦闘を繰り広げている。


自分はどうだ。

ドラコベネ・ゼゼブ・ベネ・レゼに勝つ。

それこそが、人族の一縷の希望を繋ぐ唯一にして最短、最難の道だ。

それは叶わなかったか? 結果は出たか? 僕は負けたのか?

自問する。すぐに答えが返ってくる。

違う。


まだ敗北していない。ただ、装甲が損壊しただけだ。まだ、戦うに十分な兵装は積んである。そうである以上、皆が命を懸けている最中、自分だけがその拝命を捨てていい理由などない。


桐吾の瞳に、再び強い生気が宿る。


見上げる強敵は遥か遠大。対してこちらは満身創痍。その戦力差は圧倒的だ。


だが――


「ほう」


ドラコベネが初めて感心の声を上げる。

桐吾は装甲の調子を確認しながら、ゆっくりと立ち上がった。軋む関節部で火花が散ったが、何とか動作する。まだ大丈夫だ。装甲が動き続ける限り、彼は勝利に手を伸ばす。

それがどれだけ無様であろうとも。夢物語であろうと、一寸の希望であろうとも。


「腕を失い、尚も立ち上がるか」

「ええ。戦うと決めた以上は……ッ!」


それに――と桐吾は左拳を頭上の龍へと掲げて見せる。


「貴方へ届くための足は健在で、貴方を殴るための拳はまだ一つ残ってますから」


不遜な鉄屑を眼下に、しかしドラコベネは初めて笑みを浮かべた。不敵な笑みだ。その表情は、塵芥と罵倒してきた人族へ向けるにはあまりに雄々しく、また精悍であった。


「ふむ。戦意を削ぐつもりで敢えて屠技を披露したのだがな」

「屠技。宮廷闘士団にのみ授けられた秘技、でしたね」


既知を告げる桐吾に、ドラコベネは眉をひそめた。

彼の浮かべた疑問符を察して、桐吾は機先を制するように言葉を続けた。


「ドンに教えてもらったんです」

「ドン、だと?」

「ええ。ドン・ゼクセン。貴方も知っているはずですよね。何せ、かつて宮廷闘士団として肩を並べた仲間の名だ」

「何故人如きがその名を……」


やはり、ドラコベネは桐吾との初めての邂逅を覚えていない。当然だ。彼にしてみれば、龍魔の影に隠れた塵芥の一つに過ぎなかったのだから。


だが、桐吾は忘れるべくもない。無力に打ちひしがれながら戦火を逃げ惑った記憶を。いま戦場で最強の怪異に対峙する、全ての契機となった惨劇を。


そしていま、ドン・ゼクセンという共通の因縁を持ち出す事で、桐吾はドラコベネの意識を自身の過去へと引きずり込む。


「――ドン・ゼクセンは、僕の師父です」


桐吾の言葉に、ドラコベネは視線を虚空へと向ける。空の青を映すその瞳は、過ぎ去った憧憬を探すかのようだった。

やがて得心したように喉を鳴らして、再び地上の桐吾へと目を向けた。


「成程。随分昔に聞いた事があった。旧き盟友が人族を飼い慣らしていると。ドン・ゼクセンは元々酔狂で知られていたが……」


ドラコベネは翼を畳み、大地へと降り立った。

首を曲げ、アビス・タンクを間近に見据える。


「貴様が、その愚息だと」

「――はい」


返答しながら、桐吾は自らの生い立ちを振り返る。


それは全くの幸運だった。

物心のつく以前に孤児として街を彷徨っていた桐吾は、食事も満足に揃えられず、龍魔に取り入るだけの器用さもなく、行き倒れていた。


力尽きた彼が最後に叩いた扉こそ、領主・ドン・ゼクセンの邸宅だった。科学や法といった、武力以外の力を操るという人族に興味を注いでいたドン・ゼクセンは、ほんの気紛れで彼を拾い上げた。


これもまた幸運な事に、桐吾は自虐戦争後の遺産に触れる事で、科学の才を発揮していった。その成果はドンの機嫌を保ち、それに伴い桐吾の衣食住もまた保たれた。

成長するにつれ、桐吾が科学を示すように、ドンは武力を示した。

それこそが――


「ドンは対龍格闘術って言ってましたよ」

「その過程で屠技についての知識も得、先の一撃、一矢報いてさえ見せたというわけか」

「そういう事です」


まさかドン・ゼクセンも予想し得なかっただろう。

自身を滅ぼしたかつての戦友と、かつて拾い上げた矮小な人の子とが対立し、こうして言葉を交わしている等と。


ドラコベネは静かに問う。


「面白い。勇者と道化だけが愚直に徹する才能を持つ。貴様はどちらに立つ?」

「貴方が負けたくない方に、ですかね」


桐吾は答えると同時、左腕で重機関銃を構える。

ドラコベネは翼を羽ばたかせ、再び大空へと舞い上がっていく。その口元には、変わらず不敵な笑みが浮かぶ。彼自身、気づいていないだろう。これほど一人の人族と長く話した事が、初めてであるという事になど。


「ならば証明して見せろ人の子よ。あくまでも、餌食でないと主張するのならば!」


ドラコベネが声を荒らげながら、口腔から炎弾を射出する。


単純な軌道だ。桐吾は落ち着いて動作でスラスタを噴射させる。片足を引きずるような動きだが、それでも十分な速度で炎弾の威力圏外へと抜けた。

着弾を見届ける事なく、移動しながら重機関銃を上空の龍へと向ける。


だが、意想外の衝撃が桐吾を襲った。

震動が襲ったかと思うと、急に足元が不安定になる。スポンジを踏んでいるかのような頼りなさだ。否、これは――足元に視線を転じた瞬間、その正体が判明した。


「地面が、砕けた……ッ!?」


踏みしめていた大地が広範に罅割れ、一瞬にして岩盤の群れと化していた。慄然としながらも、桐吾は不安定な足場を離脱するため、上空へと跳躍する。


何が起きているのか――十メートル近くを舞い上がった桐吾の眼下には、俄かには信じがたい光景が広がっていた。


桐吾の立っていた範囲だけではない。およそ目視できる全域に渡って、大地が粉々に破砕していた。それだけではない。注視してみて気づくのは、岩盤と岩盤の間を泳ぐように橙色の光がうねり、発光している点だ。


それらが岩盤の真下を流れる炎の群れであると把握した瞬間、桐吾はその怪現象がドラコベネによる攻撃であると、初めて認識した。


「地を這う芥を滅する屠技、炎脈。これをどう切り抜ける、ドンの弟子よ」


その声は頭上から放たれた。大地の変動に気を取られてドラコベネから目を離した事を悔いるより早く、鉄槌の如き衝撃が振り下ろされた。



ドラコベネが炎脈を張ったのとほぼ同時刻、爆発的な衝撃波が観測された。


他のどの魔女が放つ魔法よりも高位且つ威烈なそれに、

しかし気づいた者は少なかった。


それは、その魔法が超高密度に圧縮された、

極めて局所的な攻撃だった事に起因する。


微細にして至大なる一撃は管制室で確かに観測されたが、

示す数値の余りの極端さに誰もがはじめ、

それを計器の誤作動だと誤認した。


管制室がそのデータを深刻に捉えたのは、

同時刻、同位置にてあるべき反応が失われた事を知った後になってからだった。


衝撃波の直後――

一機のアビス・タンクの反応が消失していたのである。


ロストした機体の装着者は、


名を網代なずなといった。




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