第28話 異議ありッ!!

「歌誉、もういい。もう、やめよう」


舞台中央。傍聴席から歌誉を庇うように、桐吾は大きく両手を広げて立っていた。

龍と交戦するだけの身体能力に加えて、特殊加工の施された靴によって、桐吾は突風の間隙を縫い、その地点に到達し得た。


歌誉と同じく、散布されたガラスの破片で全身に負傷しながらも、その立ち姿は毅然。暦年の彫刻の如く勇ましく、雄々しい。

何よりその精悍な表情からは、迷いや躊躇いが感じられない。決意の顔だった。


背中合わせから放たれた彼の言葉で、歌誉の癇癪はぴたりとやんだ。脱力したようにその場にへたりこんだ歌誉は、傷だらけの己が身体を見下ろしながら、呆然と呟く。


「……桐吾?」

「うん」


むしろ穏やかに、桐吾は頷く。

嘘のように暴風が収束した。

身を隠していた傍聴席の皆も、様子見に顔を出し始めた。銃口を向けている者は改めて照準を合わせるが、間に立つ桐吾が障害となって狙えない。


「歌誉。君は魔族だ」

「……ッ!」


最も信頼していた者からの、離別の宣告。

叱咤に怯えた小動物のように、歌誉は萎縮し、強く目を瞑る。


「でも、それが何だっていうんだ」

「――?」


向けられた言葉は、絶縁でも侮蔑でもなかった。呆気に取られた歌誉は目を開き、肩ごしに桐吾を振り返る。

歌誉は目を見開く。絶望的な状況下にあって彼は、笑ってさえいた。


「散々迷ったけどさ――最後には二択だった。魔族である歌誉は、敵か、友達か」


桐吾もまた、肩越しに振り返る。視線が交錯する。曇りのない瞳が歌誉を捉えて離さない。傷だらけの顔は、しかし誇らしげだった。


「歌誉、君はここに来る以前から魔族だって自覚はあったのか?」


弾かれたように、歌誉は首を強く横に振る。


「じゃあ、皆を騙してたわけじゃない」


歌誉は頷く。


「怖かったんだな」


歌誉は頷く。


「龍が死んでいった時も、なずなを助けた時も、ずっと、怯えてたんだな」


深く、歌誉は頷く。込み上げてくる激情を一緒に呑みこむように、深く。

満足げに、桐吾もまた頷く。


「うん。それならやっぱり、歌誉は歌誉だ。無口で無表情なくせに強引で物怖じしない、歌が好きで食いしん坊な、僕の大切な友達だ」


ふと、歌誉の視界が滲む。頬を熱い涙が伝う。昨日から流し続けて遂には枯れ果てた冷たい涙とは、全く性質を異にするものだった。

暖かく、凍てついた心をほぐしてくれる、そんな涙もあるのだと、歌誉は初めて知る。

その涙を慈しむように、歌誉は目を伏せ、両手に掬う。


「もうさ、友達が苦しんでるところなんて見てられないんだ。そういう、単純な話だよ」


桐吾は傍聴席を向き直る。千に届こうかという瞳と、たった一人で対峙する。


「そういうわけで皆さん。僕は友達を守る事にしました。どうしても歌誉を断罪するというのなら、その前にまず、僕が相手になります」


歌誉の心が晴れていくのと同時、桐吾の心もまた、澄み渡っていった。

桐吾は決断した。覚悟した。友を信じ続け、守り抜く覚悟だ。


指示されたのでもなく、迎合するのでもなく、ともすれば荊の道ともなる選択を、桐吾は自らの意志で選び取った。


それは至難の業で、逡巡と躊躇を何度繰り返したか判然としない。

誰かが事態を収拾してくれる事を無責任に願ったりもした。

だが、どうしようもなかった。裁判は好転するばかりか悪化の一途をたどった。


最終的に、激しく動揺する桐吾の心を決断に導いたのは、歌誉の切実な訴えだった。


彼女は、知らなかったと言った。

怖かったと言った。

友を救うのに、それ以上の理由は不要だった。


決意を胸に宿した桐吾は胸を張る。

どんな困難であろうと、対立であろうと、受けて立つ覚悟だ。


だが、不敵な笑みさえ見せる桐吾の前に、更に庇うように立つ者がいた。

意趣返しのつもりか、今度は桐吾が驚愕する。

まるで桐吾の真似をするかのように、歌誉は、傷だらけの華奢な体躯を傍聴席に晒した。


「おい……何してるんだ歌誉、危ないから――」

「桐吾」


振り返った歌誉の顔は埃と涙と血に汚れ、酷いものだった。だがそれが、濡れて光る清澄な瞳を際立たせていた。彼女の歌に感じた清雅さが、そこには感じられた。


「ありがとう」


歌誉は、浅く微笑む。


「信じてくれて。嬉しい」


魔法が展開する。ばきん、という硬質な音と共に固められた空気が、歌誉を中心に球状に広がる。結界に押されるようにして、桐吾は弾かれて尻餅をついた。


「桐吾が信じてくれたなら、それで、いい」

「おい、歌誉……?」


呆然と見上げる先、歌誉は結界の中でそっと目を閉じる。


「桐吾が私を大事って言ってくれるのと、同じ」


一度は壊れた手錠が、見る間に再生していく。鎖に繋がれ、歌誉は自由を拘束される。


「私も、桐吾が大事。だから、傷つくの、嫌」

「いや、いやいや、まさか、待てよ歌誉――……」


彼女の意図に思い至った桐吾は、慌てて立ち上がって歌誉へと詰め寄る。だが空気の壁は、拳で壊せるような代物ではなかった。


「待てよ! 歌誉、違うだろ! 間違ってる! 君が犠牲になる必要なんかないッ!」


何度叩いても、びくともしない。

歌誉は瞑目したまま、傍聴席へと、静かに頭を垂れた。魔法と騒動とですっかり荒れ果てた席で、アシハラの市民は儚き魔女に視線を注ぐ。


「ごめん、なさい……。魔族の私、いるから、こんなに、迷惑……本当に、ごめんなさい」


深々と謝罪する彼女のもとへと、意志を含んだ風が、それを運んでくる。

歌誉の小さな手が取ったそれを見て、どこからか悲鳴が上がった。

淀みのない仕草で己がこめかみに当てられたそれは、一丁の武骨な拳銃であった。

桐吾が、血相を変えて叫ぶ。


「駄目だ――駄目だ歌誉! それだけは駄目だ!」


殴打する拳に血が滲み、飛散する。

それだけ必死に、闇雲に放たれる拳は、しかし成果を結ばない。


「ふざけるな! 決めたんだッ! やっと! やっとだ! 守らせろよ! 大変かもしれないけど決めたんだ! それを、何だよッ! ふざけるな、ふざけるなふざけるなッ!」


桐吾に続いて、虹子も、巳継も飛び出してきた。


「そうです歌誉さん! 私達はそんな結末望んでません!」

「どけ、こんな壁、俺が叩っ斬るッ!」


必死の形相で並ぶ三人を、歌誉は目を開け、振り返る。

思わず三人は、その手を止めてしまう――

いつも無表情な彼女の見せた、無垢な笑みに。


「――ありがとう。皆、優しい」


三人が手を止めた瞬間、空気の壁が急激に大きさを増した。

否応なく弾かれ、歌誉との距離が一気に広げられる。

手を伸ばしても、届かない距離に。

歌誉は、引き金にかけた指に力を込めながら、傍聴席の皆へ約束を呟く。


「いなくなる、から……桐吾には……酷い事、しないで……」


桐吾は叫ぶ。その手が届かないのならば、せめて声だけでも。彼女を止め得る言葉を、探す先から叫んでいく。

なのに、歌誉はもう、振り返らない。


その覚悟の強さを、桐吾は痛いほどに理解出来る。同じだけの覚悟を固めた自分だからこそ、彼女の決意が揺らがない事を、桐吾は身を持って実感している。


だが、だからといって、看過出来るわけがない。

見過ごせるわけがない。

なのに――届かない。


「さよなら」


別れに続いて訪れる引き金を引く音。

乾いた音。

命を奪うには、あまりにも呆気ない音。

薬莢の弾ける音。

銃声。

取り返しの、つかない音。

その全ての刹那に割り込んで、その鋭い叫びは講堂を裂いた。


「異議ありッ!!」


短く放たれたその声に、歌誉は咄嗟に引き金にかかった指を止める。

意志ではなく、反射的に身体が畏縮してしまったのだ。これまで散々繰り返し飛ばされてきた、その叱咤の声に。


呆然と見開かれた瞳に映ったその人物に、歌誉は閉口する。

傍聴席、一階席の最奥。

外へと続く重い扉は燦然と開かれ、陽光を背負って、その人は立っていた。


「嘘……」


黒髪には僅かに朱が混じり、意志の強さを反映させたような独特の艶を放つ。切れ長の双眸に大きな瞳。真面目さを体現したような、きっちりとした制服の着こなし。

年の頃十代後半、成績優秀にして面倒見も良いが、少し行き過ぎた指導が玉に瑕。


そこに、生徒会会計役員・網代なずなは立っていた。



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