第26話 金ダライ貰えます? いえ、私が被るんです

音が満ちていた。不安に怯える声、戸惑いの声。怒りを露わにする声に、それを諌める声。立ち上がって友を呼ぶ声。それに応じる声。集っていく声、声、声。


慌ただしく行き来する者達の、あるいは整然と並んで入場していく者達のそぞろな足音。座した椅子の軋む音。憑かれたように資料をめくる音。


それら不揃いの声や音は不協和音となって、講堂内に反響し、息苦しく満ちていく。


半円状に座席の配された講堂には、定員数を上回る人々が集まっていた。四十列十五段の一階席に、三十列十段の二階席。計九百人を収容する大講堂にもかかわらずだ。


彼らの耳目を集める舞台に、四つの講壇がライトアップされている。中央に一台、上座と下座に一台ずつ置かれ、残る一台は奥に鎮座し、これから立つ役者を黙して待つ。

舞台左側に設置された大時計が正午を差した瞬間、ざわめきを割る様に鐘が響いた。耳朶を震わす重低音。一度、二度と鐘が繰り返されるうち、皆、自然と口を閉ざし、舞台に視線を向けていく。


鐘が鳴りやむと、スポットライトを浴びる奥の講壇に虹子が姿を現した。


静かなどよめきが生まれ、すぐに講堂に染入るように収束する。固唾を呑む皆の中央で、アシハラ学園・生徒会長・周防虹子はマイク越しに宣言した。


「それでは時間になりましたので、魔女裁判を始めます。裁判の進行役を務めます、アシハラ学園生徒会長、周防虹子です。よろしくお願いします」


端然とした口調で、彼女は聴衆を見回しながら続ける。


「この裁判は、昨夜魔法を使用した疑いのある七夜月歌誉を被告人とするもので、彼女が魔族であるかどうかを判断します。その後、同人に対する罰を決定、実行するものとします。皆さんには投票権があります。既に、皆さんの端末に投票用のアプリケーションがインストールされているはずです。是非を問う際に使いますが、指示があるまでは静粛にし、進行を妨げる事のないようにお願いします。ここまでで何か質問はありますか?」

「何を偉そうに!」


参加者の一人が叫声を上げ、端末を虹子へ向けて投げつけた。

勢いよく放たれたそれは、虹子のマイクを直撃した。増幅された衝突音と、耳に痛い不吉なハウリング音が講堂にこだまし、空気が緊張に張りつめた。

皆が耳を押さえて顔を歪める中、しかし虹子は落ち着いてマイクの位置を修正した。

端末を放り投げた男が、だみ声で叫ぶ。


「こんな悠長な事しねえでさっさと魔女を殺せ! 人間のフリして紛れ込んでたんだろうが!」


それに同調するように、各所から罵声が上がり始める。野次を飛ばすのは、歌誉を知らない、下級生に当たる生徒達がほとんどだ。一部には大人も混じっていた。

冗長する思慮の足りない暴言。


だが――否、だからこそ、虹子は努めて平静であれと己に命ずる。


「静粛に。静粛にお願いします。次に騒いだ場合は退廷を命じますよ」

「はっ! 退廷? 反対意見は搾取する、それが生徒会のやり方か!」

「警告はしましたよ」


虹子は右手を浅く掲げる。と、騒ぎの中心にいた生徒が忽然とその場から姿を消した。

皆が息を呑む。騒いでいた他の者達も、一斉に黙り込む。

虹子が何を味方につけているのかを、アシハラの住人達は十分以上に理解した。


「円滑な進行のために、私はいまオルテラの協力を得てます。見てお分かりかと思いますが、私は挙手するだけで退廷処分を実行する事が出来ます」


一息。聴衆をゆっくりと見回し、彼らに言葉を浸透させていく。


「だからくれぐれも、静粛にお願いします」


生徒のうちの一人が挙手をし、虹子は発言を促した。

立ち上がった生徒は虹子のクラスメイトだった。彼は懐疑的な眼差しで問いを向ける。


「いきなり暴言を吐いたのは不味かったとは思います。でも、彼の発言も最もだと思いませんか? 生徒会はそうやって、反対意見を搾取するんですか?」

「そうじゃないです。寧ろ、皆さんの意見こそが重要だと考えています。だから最後には、民主的に投票で決を採ろうという考えです。それは生徒会全員で決めた事です。ただ、これだけの方々にお集まりいただいて、これからの方針を決めていこうっていう大事な局面で、思いつくまま意見を飛ばしあうのは建設的ではないとも考えています」

「勝手に喋るなって、そういう事ですか」

「端的に言えばそうなります」


また、ざわざわと声が生まれる。意見を蔑ろにする――そう受け取られかねない発言を上書きするように、虹子は間髪入れずに続けた。


「まずは事実関係を整理していきます。これまでの七夜月歌誉の行動を客観的に分析した結果、彼女が魔女である事を示唆する事実がいくつか見つかりました。それらを皆さんと共有していきます。その後で、皆さんの意見を聞いていく流れを取りたいと考えています」

「……わかりました。まずは聞きましょう」


そう言って、生徒は着席する。

虹子は頷く。


「それでは、被告人である七夜月歌誉さんを壇上へ」


召請によってオルテラが力を振るい、中央の講壇へ歌誉が転送されてくる。


憔悴した青白い相貌は、突然の転送に戸惑いの表情を見せた。千に届こうかという疑惑の視線に急に晒されて、歌誉は逃げるように顔を伏せた。下げた両手から、手錠の擦れあう金属質な音が小さく響いた。


小さく戦慄く彼女の脇には、巳継が立っている。万が一の事態への対処を任されている彼は、薙刀を携えていた。銃よりも刃物を採用したのは、どちらがより恐怖を連想し、抑止力をなりやすいかという悪趣味な選考基準によるものだ。


「七夜月歌誉さん、これから私達の見解を述べていきます。辛い事かもしれませんが、貴女が魔女である事を立証していく事になります。間違っている点は間違っていると指摘していただいて構いません。いいですか?」


歌誉は黙秘したまま、肯定も否定もしない。

返答がないであろう事は、虹子も予測していた。


「それでは、桐吾さんと田路彦さんを壇上へ」


桐吾と田路彦とが、左右それぞれの講壇に転送される。フラットな鉄面皮の田路彦に対して、桐吾は緊張を隠せないでいる。聴衆となるべく目を合わせないように顔を背けていた。歌誉を連れてきた張本人であるのだから、その胸中は殊更に複雑である。

愛しい人の名を聞いた歌誉は、打てば鳴るとばかりに桐吾を振り返る。


「桐……っ」


が、助けを請う声は寸断される。彼女の首筋に、薙刀の刃が当てられていた。

巳継の三白眼が、威圧的に歌誉の心を抉る。


「おとなしくしとけ。俺だって斬りたくはねえんだよ」


後ろ髪を引かれる想いで、歌誉は桐吾に無言の訴えを送っていたが、巳継に促されて向き直った。


役者が揃い、事実認定が始められた。


「まず吾輩は、七夜月殿が魔女であると主張するのだ。アシハラに居住してからの一か月半、彼女の行動にはそれを立証する、いくつかの不審な点が見受けられたのだ。まずはこれを見てほしい」


田路彦の声に促されるようにして、舞台奥に設置されたスクリーンが降りてくる。そこに三行の文字列が表示された。


アンノウン。

アンノウン。

高天原桐吾。


「これは、書記殿と七夜月殿がアシハラへ侵入してきた際に表示されていた、防衛システムの画面なのだ。二名のアンノウンについては龍族を示している。だが本来、このアンノウンはもう一人分なければいけないはずだった。七夜月殿の分だ。つまり画面上においては、同時に来ていたはずの七夜月殿が存在しない事になっているのだ」


聴衆がざわめきだす。構わず田路彦は指示を出し、スクリーンに次のスライドを表示させた。今度は先程の三名に加えて、アンノウンの文字が一つ追加された。


「それから六分三十秒後、画面表示はこのように変化した。当時は切迫していた状況下で誤作動くらいに考えていたが、システムが機械的に見逃す、などといった現象は本来あるはずがないのだ。つまりこう結論付けられる。七夜月殿はシステムに感知されない状態にあり、この時初めて視認された」


その意味を図りかねて、皆が疑問符を浮かべた。


「そもそもアシハラの防衛システムには光電センサが採用されているのだ。これは投光部と受光部間で交わされる信号が遮られた時に、物体を検出する仕組みだ。システムに採用している光電センサは透過型にあたり、これは回帰反射型や拡散反射型に比較して、検出距離や確実性において優れた性能を発揮する――そういう代物だ」


田路彦は一旦言葉を切り、桐吾へ証言を求めた。


「書記殿、七夜月殿が検出された時、現場はどういう状況だっただろうか?」


桐吾は言い難そうに、訥々と述べる。


「……あの時は、歌誉に関心を向けないように僕が二体の龍を引きつけてた。でも結局上手くいかなくて、一体が歌誉に襲いかかっていった」


一か月半前の出来事だが、鮮明に思い出せる。襲い来る牙と爪。痛恨の殴打。流血に滲む視界。下卑た笑声で夜を塗りつぶし、少女へと転身する龍族。


「その時、書記殿から七夜月殿は見えていたか?」

「いや、それはないよ。あの時はとにかく必死で、歌誉から引き離してたんだから」

「ところが事実は違っていたのだ」


スライドが切り替わる。アシハラの地図が表示され、四つのアイコンが並んだ。集合した三つのアイコンから一つが抜け出し、残る一つのアイコンへ向かっていく。

抜け出したアイコンは龍族を、残る一つは歌誉を差しているのだろう。

構図自体に別段特異な点はない。が、その地図は聴衆を驚かせた。


桐吾の証言に反し、アイコン間の距離があまりにも近かったのだ。


「あの時七夜月殿と書記殿とは、実質二十メートル程度しか離れていなかったのだ。これは推測に過ぎないが、七夜月殿は書記殿を案じて近づいてきていたのだろう。それだけ近くにいて、且つあの場所は視界も広く取れる事を鑑みれば、書記殿は七夜月殿を視認出来ていてもおかしくないはずだった」


しかし桐吾は彼女を見ていない。状況と辻褄が合わない。そして合わない辻褄を整合させる技術が、しばしばこう呼称されるのだ――すなわち、魔法、と。


「照会した結果、龍が七夜月殿を襲った直後、センサは彼女の存在を初めて検出している。この透過型光電センサには長所も多い一方で、ある短所も持つのだ。書記殿になら、それが何だか分かっているのではないか?」

「……透過型は、透明なものを検出するには向いてない」


会場のざわめきが増す。工学系の知識に優れた、勘のいい生徒が気づき始めた。


「その通りなのだ。つまり仮説はこうだ。七夜月殿は、光学迷彩のような魔法で姿を消していた。だから光電センサに反応がなかった。しかし龍の襲撃で集中を乱され、魔法が解除されてしまった。結果として、センサの反応の遅延という現象が起こった。どうだろうか、七夜月殿?」

「……違、う」

「だがこの仮説を裏付ける言動が、あの夜にはあったのだ」


俯いたまま否定を呟く声に被せて、田路彦が追い打ちをかける。


「書記殿が見えていなかった一方で、七夜月殿に気づく者もいた。先程から繰り返している通り、龍族なのだ。なぜだ?」


龍の習性を良く知る桐吾には、その解答は容易に導くことが出来た。何より、あの時龍族本人が揶揄するように叫んでいたのだ。


「龍の、嗅覚……」

「うむ。彼らはあの夜、本来見えているはずの七夜月殿に対し、視覚ではなくわざわざその嗅覚を誇示して襲う事を書記殿に宣言している。なぜか。簡単だ。見えていなかったから、彼らは嗅覚に頼ったに過ぎない」


田路彦は指示を出して、スライドを終了させた。


「当の龍が絶命している以上確認のしようのない、あくまで仮説の域は出ないがな。その公算は高く見積もっていいだろう。吾輩の証言は以上なのだ」


しん、と講堂が静まり返る。余韻に浸るように、という程清廉なものではなかった。田路彦の証言を吟味し、参加者の一人一人が疑心暗鬼に陥りながらも、考察を深めていく。


「ありがとうございました田路彦さん。それでは、次の証人――」

「おう、俺だな」


と、自信たっぷりに頷いて見せたのは巳継だった。口撃に怯えていた歌誉が、脇に立つ彼を見上げる。巳継は口の端を吊り上げてにやりと笑む。

恐怖を助長させる歌誉に対し、進行役の虹子は懐疑的な声を向ける。


「え、巳継先輩、本当に証言するんですか?」

「あん? 当ったり前だろうが。俺の証言は、タロイモみてえな仮説なんかじゃねえ、言い逃れの出来ねえ証拠そのものなんだからよ……ッ!」

「……はあ、まあ、どうぞ」

「反応薄くね!?」


大仰に慨嘆しながらも、閑話休題と巳継はコホンと咳払い。

大股に壇上を進みゆくのを横目に虹子がぽつりと呟いたのを、馬鹿は聞き取っていなかった。


「オルテラちゃん。金ダライ貰えます? いえ、私が被るんです」



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