第9話 兄妹、というのでしょう?

その日、怒号と絶叫が街を埋め尽くした。

初撃は上空からの火炎掃射。圧倒的な熱量と衝撃は、日常を容易く薙ぎ払い、蹂躙した。

家屋は軒並み火の海に呑まれ、住人が泡を食って避難する。対処に遅れた者は例外なく、一瞬でその身を炭へと変えた。長い年月をかけて構築された街並みが、ほんの気まぐれのように瓦解していく。


その光景を見下ろす、浮遊する一体の巨躯――龍族。


赤褐色の頑健な鱗に身を包み、頭頂には五本の角を戴く。その姿は、地上から見上げて尚巨体――八メートルにも達するであろう。元来が巨大な種族ではあるが、平均身長である五メートルを遥かに凌駕している。


突然の襲撃に怒りを露わにする者達が咆哮する。翼を展開し、あるいは箒に跨って、巨龍へと殺到する。四方八方から攻撃を放つのは、その街に居住する龍族と魔族。

炎と魔法の咲き乱れる争いを、桐吾は倒壊した家屋から見上げていた。

降り注ぐ火炎と瓦礫から彼を救ったのもまた、龍族であった。


「ドン・ゼクセン‥…」

「無事のようだな」


険しい表情で上空を睥睨しながら、龍族はしわがれた声を放つ。漆黒の鱗に二本の角、老いて手足は痩せているが、黄金の瞳に宿した闘志は衰えを感じさせない。


「あ、ありがとう……」


桐吾は呆然と答える。突然の惨事に腰が抜けてしまい、力が入らない。


「一体、何が……?」

「制裁、だろうな」

「……制裁?」

「かつての王政の復古を目指す彼にとって、力持つ者が群雄割拠するいまの社会は、ただそれだけで罪という事だ」


戦闘を見上げながら、黒龍――ドン・ゼクセンは答える。


戦局は圧倒的だった。多対一であるにもかかわらず、空へと殺到した龍魔が次々に撃墜されていく。

巨腕から繰り出される一撃は枯れ枝のように魔女の首をへし折る。大口から放たれる炎は射線上の龍を焼き尽くす――頑丈な鱗さえも容易に溶かしながら。


「王政への迎合が、彼の要求だった。私はそれを拒んだ。これがその結果だ。頭を垂れる者は支配し、拒む者は消す。そうして勢力を取り戻していく」

「……知り合いなんですか?」

「古い、な。旧世界の頃、王の下、同じ宮廷闘士として肩を並べた。我々は君達人族よりも気性の荒い種族だが――彼はその中でも群を抜いていた。王への忠誠心も」

「どうして拒んだんですか……」


領主である彼さえ要求を呑めば、この惨状は回避できたかもしれないのに。

だが、彼はその問いには答えなかった。ゆっくりと戦場を背に戴き、桐吾を見据えた。


「桐吾」

「……はい」

「逃げろ」


短く、ドン・ゼクセンは指示を飛ばす。


「ここは今日にも壊滅する。完膚なく。奴に目をつけられるとは、つまりそういう事だ」

「そんな……」

「行け。第五防衛都市アシハラへ。人族の最後の砦。そして君の故郷だ」

「故郷……?」

「貴様の父親が務め、貴様の生まれた場所だ。南の方角へ、二晩もかからない」


ドン・ゼクセンは、それと、と言い足した。


「この街には他にも一人、人族が居住している。彼女も連れて行け」


ドン・ゼクセンは、口早にその娘の住所を告げた。


そして桐吾に背を向け、戦場に鎌首をもたげる。口早に告げられた指示に桐吾が動けずにいると、黒龍は叱咤の声を飛ばした。


「いつまで腰を抜かしている。立て。死にたくないのならば」

「それが、これから死にに行こうって人の台詞ですか……ッ!」


ようやく腰を上げ、桐吾は叫ぶ。


「領主・ドン・ゼクセン! 僕も一緒に――」

「何が出来る」


桐吾が言い終えるより早く、龍は口を挟む。厳しくも静かな口調で。


「思い上がるな人の子が。絶望的に他種に劣り、支配を余儀なくされた種族が、最強の龍を相手に何が出来る?」


桐吾は閉口するしかなかった。

ドン・ゼクセンは牙をむき出しにする。多分、笑ったのだろう。その生真面目で老齢な龍の笑顔を、桐吾は初めて目にした。


「何かを為せるだろう。生きてさえいればな。だが今はその時ではない。桐吾、貴様はまだ、戦場に立つ程には充分に生きていない」


ドン・ゼクセンは両翼をはためかせる。かき乱される空気が疾風となり、周囲の炎と瓦礫を吹き飛ばす。腰だめに力を溜め、黒龍は領主として、戦場と化した街を見る。


「君は今、非力を感じているか」

「……はい」

「ならば生きろ。成長しろ。そして力をつけろ。いつか我々と、肩を並べられる程の力を」


桐吾が噛み締める時間もないままに、ドン・ゼクセンは言葉を締めくくる。

最後の言葉になると、桐吾は理解していた。


「私は私の選択に責任を取らねばならない。それが領主としての、王から離反した元宮廷闘士としての務めだ」


最後にもう一度、ドン・ゼクセンは桐吾の名を呼んだ。


「桐吾」

「……はい」

「良き選択を」


次の刹那、爆発的な風が桐吾の視界を覆った。たまらず顔の前で手を交差させる。風がやむ頃に姿勢を戻すと、そこに、既にドン・ゼクセンの姿はなかった。

空に彼の姿を探したい衝動にかられるが、桐吾は自制する。


生きろと、ドン・ゼクセンは言った。ならば生きるために最善を尽くさねばならない。


胸中に生まれては消えるいくつもの想いを叫びと変えて、桐吾は怒号飛び交う戦場に背を向け、一歩を踏み出した。



「桐吾、気が付いた……っ!」


視界に飛び込んできたのは、歌誉の泣き顔だった。


「ここは……」


起き上がると、額を冷やしていた布が落ちた。ほとんど渇ききっているところを見ると、だいぶ時間が経過しているようだった。横たわっていたのは簡易的なベッドで、もちろんそこは龍魔と対峙していた門付近ではないし、保健室とも違っていた。


痛みの残る頭を押さえながら見る部屋には、物々しい機械装置やコンピュータが所狭しと並んでいる。相当な広さがあるようだが、視界が悪いせいで窮屈な印象さえ受けた。何かの研究施設だろうか、と当たりを付ける。


歌誉の快哉で、忙しない足音と共に顔を見せた者がいた。なずなと田路彦だ。彼らに囲まれる中、桐吾の手は歌誉の冷たい手に握られていた。


「気分はどうなのだ?」

「あ、はい、大丈夫です……すみません」


田路彦から差し出された紙コップを受け取り、水を喉に流し込む。驚くほど咽喉が渇いていた。空になった紙コップに視線を落とす桐吾に、田路彦が言葉を投げる。


「龍魔を前に倒れたらしいな。その記憶はあるか?」

「はい……」

「恐怖か?」

「……ドラコベネは、僕らの住んでいた都市を壊滅させた龍なんです」


二人の息を呑む気配が伝わってきた。

歌誉の手にも力がこもった。思い出したくない記憶だろう。


「成程。正真正銘最悪の相手だったというわけなのだな。それで気を――」

「だったら何を呆けてるのよ!」


田路彦の言葉を寸断して叱咤を飛ばすのは、なずなだった。


「貴方、って事は仇なんでしょ!? 憎くないの!? 桐吾君だって殺されかけたんでしょ!だったら殺してやるって、剣を取るべきだったんじゃないの!?」

「出来るわけないでしょう、そんな事……」

「そんな事って……ッ」

「会計殿は一旦黙るのだ」


尚も言いつのろうとするなずなを、田路彦が制す。


「何よ、私間違ってる!?」

「話が進まないから黙れと言っているのだ破廉恥コスプレ娘」

「ひうっ」


見事になずなが沈黙したところで、桐吾は疑問を発した。


「あれから、どうなりました……?」

「結論から言えば、龍魔は帰っていったし、アビス・タンクの秘密も守られたのだ。及第点といったところだろうな。とはいえ、被害は大きかったが。――見るか?」


田路彦が差し出してきた携帯デバイスを手に取り、映し出された画像を見て目を丸くした。


一つの棟が崩壊していた。高さ二十メートルはあろうかという高層建築、その一階部分が見事に焼失し、棟全体がバランスを失って倒壊している。

その棟から背後へと数十メートルにわたって、まるでスプーンで繰りぬかれるようにして大地が抉られていた。その痕は溶解し、炭化してしまっている。


龍の炎弾によるものだと、桐吾はすぐに察した。


「会長殿の案内で二体の龍と顔を合わせた直後、ドラコベネは彼らを炎弾で焼き殺したのだ。龍族の面汚しだと言ってな。恐らく初めからその気だったのだろう」


龍の攻撃は同胞を焼き払い、棟の壁を貫通し、それでも尚衰えない勢いでもって後方数十メートルを焼き払った。龍と人との力差を見せつけるようにして。


「まあそのおかげで彼らが口を割る前に口封じが出来たのだ。ちなみに崩壊したのは植物管理区画の一部で、しばらくの間は食料供給量が五パーセント程低下する事になる」

「それって、大丈夫なんですか?」

「我慢の利く範囲だな。大気の循環制御系に影響がなかっただけ僥倖なのだ」


平板な口調はその重大性を薄めている。だが、我慢という単語で払拭できるほど、復興は容易ではないだろう。


「あの、虹子は」

「会長殿は生徒会室に籠もりきりなのだ。後処理に追われていてな」

「じゃあ、無事なんですね?」

「うむ。今回の凶事で最も僥倖だったのはその点だろうな。数名の軽傷者が出た以外に、目立った人的被害はなかったのだ」


ほっと胸を撫で下ろす。ドン・ゼクセンの都市が壊滅の憂き目に遭った事を考えれば、それだけの被害で済んだのは素直に喜ばしい事だった。


「お前達のおかげなのだ、高天原桐吾、七夜月歌誉」

「え?」


桐吾と揃って、歌誉も首を傾げる。


「昨晩二人がアシハラを訪れ、緊急事態に見舞われたばかりだからこそ、市民の警戒心が強く保たれていたのだ。そのおかげで迅速な対応を取り、被害を最小規模にまで抑える事が出来た」

「つまり、ありがとう?」


理解が及ばず、歌誉が要約を問う。田路彦は苦笑でそれに応じた。


「そうだな」

「誉めて。もっと」

「貪欲なのだな」

「ないから、誉められた事」

「……成程」


外の世界では、どれ程の尽力も感謝には値しなかった。奉仕する側は身を削るのが当然で、支配者はそれを享受するのが当たり前だったから。

出来て当然、出来なければ暴力と嘲罵が振るわれた。

主従関係が長く繰り返されるうちに、心は摩耗し、錆びついていった。そこにほんの一滴落とされた感謝の雫は、歌誉の胸中に沁み渡っていった。


「桐吾、誉められた」

「うん、良かった」


桐吾は彼女の頭を一度だけ、優しく撫でてやった。


「全くリア充爆発しろなのだ」

「ば、爆は……ッ?」


穏やかな空気が、不穏な言葉によって粉砕された。


「他に質問がなければ、吾輩からの報告は以上なのだ。あとはそこでいじけている破廉恥娘、そちらの仕事なのだ」

「ねえ田路彦、ひょっとして私の事嫌い?」

「別段そのような事実は確認出来ないが」

「何よもう。全くもう」


淡白な返答に辟易しながら、なずなは居住まいを正した。

桐吾と歌誉を睥睨しながら、咳払いを一つ。その表情には謹厳さが戻り、生徒会役員の顔つきとなっていた。

なずなはポケットから一枚の紙片を取り出し、丁寧に畳まれたそれを広げ、掲げる。


「生徒会長代理として、私、会計役員の網代なずなが要請します。桐吾君、歌誉、貴方達二人には、生徒会に入会してもらいます」

「え……?」

「生徒会?」

「高天原桐吾は、生徒会書記役員の任を、七夜月歌誉は、生徒会監査役員の任を、それぞれ負うものとします。以上の要請に従う場合は――」

「ま、待って下さい。どうして僕らが……ッ!」

「理由は二つ」


間髪入れず、なずなはその理由を明かす。


「一つには、貴方達を保護するためよ。十五年間現れた事のなかった部外者を、良く思わないで疑いの目を向ける連中もいるのよ。龍が化けてるんじゃないかってね」

「そんな……」

「特に問題なのは貴方よ、高天原桐吾君。空を意味する高天原って名字は、どうしたって龍を連想させるの。実際、初等部の間では根も葉もない噂が立ち始めてるわ」


そこで桐吾は初めて思い至る。だから、生徒会の面々も保健医の衣緒も、桐吾を名前で呼んでいたのだと。


「だから生徒会へ所属する事で、その立場を清廉潔白だと知らしめるのよ。アシハラへの貢献活動によって妙な噂を上書きしていくの。言論統制ってやつね」


そして、となずなは二つ目の理由を明かす。


「もう一つは、生徒会役員として二人にも一緒に戦ってほしいから」


それはこの一日を通じて感じてきた最大のギャップだ。彼らは不可能を可能と豪語し、諦念を知らず抵抗の意志を表明してきた。

その声を否定し続けた桐吾と歌誉へ、それでもなずなは要求を突き付ける。


「二人には、龍魔に関する情報提供をしてほしいの。私達アシハラの民には異族の知識がまだまだ足りないから、それを補ってほしい。それから桐吾君」


なずなは部屋全体を示唆するように両手を広げた。


「貴方には、ここでアビス・タンクや兵器の開発をしてもらうわ」

「開発――じゃあここはやっぱり、ラボなんですか」

「うむ」


応じたのは田路彦だった。


「ここはCラボと呼ばれる研究施設なのだ。Cとは単に、五つあるラボのうちの三番目という意味でしかない。だが、ここには他のラボにはない特性があるのだ」

「ここにしか置いてない装置があるとか?」

「当たらずも遠からずといったところだな。――ここで作られた成果品には、しばしば開発者の予期しない機能が備わるのだ」

「えっと……?」

「分からんか?」


田路彦にしては珍しく、その語気が強まる。


「出来るはずのない絵空事が何故か叶い、設計した覚えのない機能がいつの間にか備わる――まるで第三者の手が加わったかのように。それも黄金比のごとく自然に。ここはそういうラボなのだ。動くはずのない欠陥だらけのアビス・タンクが駆動したのも、会長殿のビデオカメラに前会長が宿ったのも、そして何よりオルテラの暴走も――全てここ、Cラボでそれらが開発されたためなのだ」


まず感じたのは恐怖だ。失敗は、技術者にとって大きな苛立ちと落胆を生む。しかもそれがただの失敗ではなく、自分の設計技術から遥かに逸脱したものが出来上がるとなれば、それはもはや恐怖と呼称するに相応しい。

だが一方で、静かな興奮を覚えたのも事実だった。己が設計を超越して出来上がる何か――それは時として、破鐘カメラのように、現代の科学技術では考えられない代物をさえ創り上げる。

何より、オルテラがこのCラボで生まれたという事実が、桐吾の心を掴んで離さない。

正真正銘、オルテラは人類史上最低最悪の発明品だ。しかしそれは同時に、至高にして唯一無二の最高傑作でもある。科学をかじったものとして、それを認めないわけにはいかなかった。


「ここで、開発を……」

「Cラボで開発するからこそ、普通じゃ考えられないハイスペックな代物が出来上がったりするのよ。人の記憶を映写するプロジェクター、腐った食材が鮮度を取り戻す冷蔵庫、ダイヤモンド並みの硬度を持つ流体。他にも色々。会長のカメラみたいに、リスクも高まるけどね。それでも私達は力をつけるために、ここで開発を続けてきた。結果として、龍族を捕える程の成果を出せるまでになった」


彼女は手応えを確かめるように拳を作り、それを広げながら浅く腕を掲げた。


「近いうちに私達アシハラは、龍族と魔族に宣戦布告をする」

「……本気、なんですね」


全てを取り戻す、奪われたものの全てを。

彼女の意志は愚直なまでに、羨望を向けたくなる程一途に、一貫していた。


「でも僕ら人族には、交戦権がないんですよ?」


他種と同盟を組めないでいる限り、人族は交戦権を持たない。先刻オルテラ自身が告げたように、その契約を違反した場合には、最悪の場合、死罪が言い渡される。

その問題を解消しない限り、抗うという選択肢そのものが彼らには与えられないのだ。


しかしなずなは、その制約を承知していて尚、闘志を漲らせていた。


「決戦のその日に私達人族は、男族と女族の二種に別れて同盟を組む」


冗談を言っているようには見えない。その口調も表情も大真面目だ。だが、何て幼稚な発想だろうと思わざるを得ない。苦肉の策としてさえ、それは、


「そんな事、許されるわけ――」

「あら、良いではありませんのお兄様」


刹那の空白を縫い、そこに幽玄の美女が顕現している。桐吾の位置も転送されていて、気づけばなずな達とは数歩離れた距離で、首には白磁のような両腕が回されていた。


「オルテラ……ッ!」

「きゅふふ。男族と女族。とても面白いではありませんか」

「お、面白い……!?」

「契約では異種同士の交配を禁じておりますから、既にギシギシあんあん交配してしまっている大人には、交戦権は認められません。つまり――」


身も蓋もない口ぶりに、桐吾は頬が赤くなるのを自覚する。


「処女と童貞だけの部隊! そう言う事なのですお兄様! ああ可笑しい、ああ面白い!」


けたけたと身を揺らして笑うオルテラに翻弄されて、桐吾の首もまたがくがくと揺れる。

無理に振りほどく事も出来ずに困惑する桐吾へと、なずなの言葉が刺さる。


「オルテラは別種化を認めてる。但しそいつの言う通り、今後人族は一切の交配が出来ない事になるわ」


子孫の存続。それは種として成立するための、最低条件。

それを放棄する事で、人族はようやく上位種族との交戦権を得る。


「でもそれだと面白さは半減でしょう? そこで私は一つ、ご褒美を提示させていただきましたの。それが何か、お分かりになりまして?」


史上最高の頭脳が桐吾に問う。しかしその解答は、考えるまでもなく明白だった。


「君は、種の再統合を許したのか……。龍魔からの勝利を条件に」

「ご名答! 流石は私のお兄様ですのね!」


揚々と黄色い声を出すオルテラ。その意図の全容は知れない。どころか、単純に楽しんでいるだけにさえ見える。

だがそれでも、それは人族に与えられた唯一無二の好機なのかもしれない。


「これは文字通り種の存続を賭けた――背水の陣なのよ」


だから共闘をと、彼女の瞳は強く訴えてくる。


それでも桐吾は顔を伏せる。意志を問ういくつもの視線に耐えかねて。


だが少女は待つ。


強固な克己心をもって手を伸ばしてくる。


ともに抗おうと。


考えようと。


戦おうと。


そして、勝利しようと。


桐吾は瞑目する。十七年間で染みついた恐怖と絶望の全てを思う。


次に開眼した時、差しのべられた手を、桐吾は握り返していた。


「――わかりました」


躊躇いは消えない。勝てるはずがないという諦念もいまなお色濃い。

このラボで何が出来るかは分からない。生徒会の役に立てるのかも分からない。全てが手探りで、疑問や不信ばかりが心を席巻している。


だが、それでも、試したいことがある。


脳裏に閃くいくつもの設計図を、Cラボに落とし込んでみたい。

どんな化学反応を示すのか、この目で確かめたい。


そして――


「歓迎するわ、桐吾君、歌誉」


折れぬ信念と鋼の意志を宿す、この網代なずなという少女と。

肩を並べてみたいと、そう思った。


「ようやく決めましたのね、お兄様!」


と、なずなと握り合う手を外されて、オルテラが腕を組んできた。

喜びを全身で表す彼女は、必要以上に体を押し付け、密着してくる。


「面白い事になりそうですね、とっても! とっても!」

「はーなーれーてーっ」


その横で歌誉が必死にオルテラを引きはがそうとするが、彼女は器用にそれを受け流す。翻弄されながらも桐吾は、ずっと疑問に思っていた事を尋ねた。


「と、ところでオルテラ」

「何でしょうかお兄様?」

「その、何でお兄様って言うんだ?」

「あら、お兄様ってば変な事を仰るのね」


そして、オルテラはこの日最後の驚愕を、桐吾にもたらしたのだった。


「十七年前、私を創り出した技術者は高天原・巧悠――お兄様のお父様なのだもの。お父様から生まれたお兄様と、お父様から創り出された私。それって――」


きゅふふ、とオルテラは笑みを深くする。

それはやけに不気味で、臓腑の底を冷たくする笑みだった。


「兄妹、というのでしょう?」


そうして高天原桐吾は、第五防衛都市アシハラでの初日を終えた。


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