第8話 心の傷にラーメンが沁みる

「失敗の原因やけどな。多分、芸うんぬんの前の話やと思う」


 アトリは俺に割り箸を突きつけ、そう切り出した。

 作戦会議の前にまずは飯やな、と彼女が言い出した。それで、でかい長方形の、細かな彫細工があしらわれた木製の高級テーブルに、なぜかとんこつラーメンが二つ並んだ。なぜラーメン。高級調度品が泣くぞ。しかもスタンリーはいつの間にかスーツから白のTシャツに茶色の腹巻、紺色のジャージに雪駄という屋台の親父スタイルだ。白いシャツにくっきりと鍛え上げられた胸板が浮かび上がっている。


「TPOに合わせました」


 と、ねじり鉢巻き姿のジェントルがさも当然の如く寸胴鍋を抱えながら言った。この場合、ヨーロッパでラーメンスタイルを貫くあんたの方がTPOを弁えてないと思うんだけど。

 まあ、出されたものは食うけどさ。でも何か、フルコース的なものを期待していたから、肩透かしを食らった気分だ。ぶっちゃけて言えばがっかりだ。ラーメンなんて食い飽きてるっつうの。むしろラーメンばっか食ってきた俺に良く出せたもんだ。舐められたもんだぜ、と一口すする。


 ・・・・・・・美味いっ?!


 あまりの衝撃に目ん玉ひん剥いた。何だこれ。思わずどんぶり鉢を覗き込む。ゆらゆらとスープが揺れる向こうに宇宙が見える。

 スープを一口すすれば口の中にはまず魚介のあっさりした風味が広がり、その後にとんこつの濃厚な味が舌の上を踊る。硬めの麺はツルツルとのどごしが良く、噛めばしっかりとした小麦の味が喧嘩をすることなくスープと融合し一体となり、まるで完成された味のミュージカルが繰り広げられている。ああ、今俺は小麦畑で豚にわっしょいわっしょい祭り上げられている。今まで食ってきたとんこつが遥か過去に置き去りにされていく。まさか、ラーメン好きが追い求める至高の一杯に、欧州で出会うとは・・・

 箸が、箸が止まらない!


「昔博多でとった杵柄です」


 万能だなこの人! すげえ、一家に一人スタンリーだな!

 しばし、二人のラーメンをすする音が食堂に響く。替え玉を頼み、スープまで飲み干して、ようやく人心地着いた俺たちは、作戦会議を始めた。


「芸が原因じゃないってこと?」

「いや、原因ではある。けど、おもろいおもろないの前や。多分意味すら伝わってへんのとちゃうか?」

「意味も? もしかして、俺のアクラクセイン語がまずかったってことか?」


 一応、自分の自信ネタをアクラクセイン語に訳したんだけど、どこか意味が間違っていたという事なのだろうか。でも一応、スタンリーにお願いして間違いないか確認してもらったんだけどな。


「う~ん、それも有るとは思う、けど、なんちゅうか、あれや、多分日本人のみがはまるどつぼにハマっとるいうか。言うてる意味わかる?」


 日本人だけがはまるってどういうことだ? さっぱりわからなくて、すぐに両手を挙げて降参の意を示した。


「悪い、芸以外でと言われたらもうさっぱりだ」

「さよか。ほな説明するわ。あのな、日本語って、世界中どこ見ても類のない難しい言語やねん。漢字にひらがな、カタカナ。この三つでもややこいのに、漢字は音読みと訓読みあるし、『は』と『わ』は同じ発音やし、カタカナの『へ』と『ヘ』は同じ形やし、『干渉』と『感傷』とか漢字違うのに同じ読みやのに意味違うとかもう訳わからんしその逆もあるしそれから」


 アトリがだんだんイライラし始めた。どうやら日本語を訓練してた時に色々あったらしい。


「とまあ、外国人からしたら訳わからんけど、日本人は普通に受け入れとることがようある。あと、知っとる? 日本くらいやで『おまかせで』とかで注文できんの。どんだけフィーリング高いねん日本人。そういう感覚に頼るとこあるよな」


 その割にはフィーリングカップルはあんま成立せえへんかったな、と古いバラエティを取り上げる彼女は一体何歳だ。


「話してる内容が子どもたちに伝わってなかったのは、日本でしか通用しないような話を、日本で話すような感じで喋ってたから、ってことか?」

「やと思う。相手しとんのも子どもやしな。幾らアクラクセイン語が日本語に似とるからって、日本の子どもでも時事ネタとか小難しい内容絡められたらそっぽ向かへんか?」


 言われてみれば、確かに。俺のネタは賛否両論が―この際否の割合が圧倒的に多いのは無視して―ある。わかる奴が分かればいい、みたいなスタンスで、自分を貫いていたらいずれ世間が自分の面白さに気付く、と思ってそのままだった。それを、リサーチをサボった奴の言い訳や、とアトリは切り捨てた。


「うちの考えやねんけど、お笑いに限らず、舞台もんって、もちろん演者が提供するエンターテイメントやけど、ある意味オーディエンスとの対話みたいなとこないかな? なんつうか、一方通行ではなくて、双方向に通じとるっちゅうか。自分が何かしたら、客が笑うて、そんで自分はもっと調子乗っておもろいことやって、さらに客笑う、みたいな」


 確かに、お笑いの世界でトップを走っている人たちは総じて観客と絡むのが上手い。しかも自然に、長年の友人かと思うくらい自然に話して、その観客も周囲もゲストもスタッフも誰も彼もを笑わせる。まるで相手をよく知っているかのように。


「というわけで、もっとわかりやすい奴をした方がええんちゃうかな。一発ギャグとか」


 一発ギャグ、と急に言われてもな。


「・・・もしかして自分、変なプライド持ってへんやろな」


 アトリがジト目で睨んできた。


「・・・いや、俺としては喋りでやっていきたいわけで」

「一発ギャグが邪道や言うん?」


 ギロ、と音が出そうなほどの鋭い睨みに「そういう訳じゃないけど」と口をもごもごさせながら言い訳する。実は図星だ。一発ギャグなんて実力のない奴がやるもんだ、手を出したら負けだと思っている節すらある。


「しゃべくりで売りたい。なるほど志は立派やし、若手の芸人なら誰もが第一の目標とするところやろね。で、聞くけど。誰が今の自分の話聞きたい思う? 自分、世間一般からやとただの人やで? サラリーマンの営業でも昨今はアポイント取らな話すら聞いてもらわれへん。自分、そこらの人に『おもろい話するから聞かへん?』て言うて、何人連れてこれる?」


 アトリから言葉の弾丸が吹き荒れる。こいつ、そこらの芸人より口が回るんじゃないか?


「ポリシー持つんは自由や。昨今ポリシーすらない奴多いからな。けど、ポリシー捨てて、自分曲げてでも笑いを取りに行くことも必要ちゃうかな? ようある話だして申し訳ないけど、プライドで腹は膨れへん」


 もしこれが俺とアトリのボクシング王座決定戦なら、1ラウンドでKOだ。真っ白なタオルを投げ入れられるのが見えるわ。


「自分が忌避する一発ギャグは、瞬発力がある。その名の通り、一発で自分が何者かを知ってもらえる高等テクニックや。食わず嫌いは感心せえへんぞ」


 しかも彼女の言い分はごもっともな話だ。観客を一瞬で自分の世界に引き込む、所謂『掴み』は、一発ギャグが効果的だ。それに、言葉ではなく、視覚に頼ることも多い一発ギャグは、言葉の意思伝達や理解をあまり必要としない。見て楽しいからだ。彼女が話せば話すほど、一発ギャグはこの状況を打開するのにうってつけではないかと思えてきた。ただ、問題は、俺に一発ギャグのストックがないってことだ。


「そこからか~」


 爪楊枝を咥えてアトリが天井を見上げた。行儀が悪い仕草なのに、美女がやるとここまで絵になるもんなんだ、と別のことを考えていた。


「子どもらの興味を引けて、なおかつインパクトあっておもろいもんか・・・。そんなもんあったら最強やな。最強のギャグ」


 子どもが考えた『僕の考えた最強の武器』ならぬ『俺の考えた最強のギャグ』状態だ。誰も見たことのない理想郷だ。


「全部を求めないほうがいいのではないでしょうか」


 後片付けをしていたスタンリーが言った。


「その心は? スタンリー」


 アトリが促す。


「はい。笑わせる事はお嬢様にとっては重要なことですが、それにはまず、ケイ様に興味を持ってもらわねばなりません。今日の子どもたちを見る限り、彼らは目の前にいるケイ様すら目に入っていない模様。ならば、ケイ様に注目を集めなければ話にならないのでは、と愚考いたします」

「・・・なるほど。笑わすんは次のステップ、言うこっちゃな?」

「おっしゃる通りです」


 全部を取ろうとしても二匹のウサギは逃げるだけか。一匹ずつ確実に仕留め、階段を一段ずつ登らなければならない。まずは、子どもたちの意識に淡路谷圭を植え付けなければならないってことだな。となると、重要なのは


「インパクトを、第一に考えるか」

「せやな」


 アトリも異論はないようだった。こうして、俺たちはリベンジマッチの準備を始めた。

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