道化と魔術師

道化と魔術師 第1話

店を出ると雨が静かに降り始めた・・・傘を持っていないが偶には濡れるのも良いか、と会長は歩き出す


「・・・あいつ、本気で抓ったな・・・」会長は赤くなった頬を押さえた


煙草に火をつけると溜め息混じりに煙を吐く


「・・・楽しいな・・・」






Y先輩は会長の事を気付いていた・・・そして俺達が嘘をついていた事にも気付いていた・・・酒宴で洗いざらい真実を暴かれた


Y先輩は終いには酒宴を逃げ月見をしていた会長の元に行き頬を抓る


「先輩、皆さんから聞きましたよ・・・私だけ知らないのは大嫌いです・・・肴を今日はあまり持って来なかったので罰として手料理を作ってくださいね」Y先輩は笑って会長に言う・・・少し抓った手が震えていた


「・・・解った・・・買い出しに行ってくる・・・」会長は抓られた頬をさすりながら立つ・・・


「私もついて」


「夜風に当たりたい・・・一人で行ってくる」会長は買い出しに行った











物心が付いたときにはこの世ならざる者が見えた・・・いやそれ以外も見えた


一族で唯一私だけが見えた


奇異な目で私は見られた・・・あーあれは口にしてはいけない存在かと理解した


そして自ずと死を理解した


祖母が亡くなった・・・家族は皆涙を流し悲しむ


私だけ涙を流さなかった・・・あー死んだのか・・・死後の姿が見える私にはそんな感情しか持てなかった


「お前に罪はない・・・」父は私にそう声をかける「・・・頼りないかもしれないが俺はお前の父だ」


私は奇異な目で見ない父の言葉が嬉しかった





一匹の大きな犬が私に懐いた・・・人間に殺された犬だ


何故か私は動物に好かれた


人間は私を奇異な目で見たが動物達は私を奇異な目で見なかった・・・私が普通の子供になれた


そんなある日・・・ある子供が犬を見た


「わんわんだ!!」


子供が犬に触ろうと近づく


突然だった・・・温和しい犬が歯を剥き出して子供を威嚇する


子供はなおも近づく


「駄目だ!!」


私は噛みつきかかる犬を抱きかかえ止める・・・歯牙が私に当たる


周りの人間は突然何かを抱え込むように屈む私に大丈夫?、と声をかける・・


私は犬の負の気に当てられ気絶し倒れた






気が付くと不動明王寺へと母に連れて行かれていた・・・母は私を奇異な目で見ていた


「気が付いた?知り合いに紹介されたお寺に行くわよ・・・」


母の知り合いも見えるらしい・・・いろいろ私について相談していたようだ


いつの間にか母は奇異な目で見ながらも私を受け入れていた・・・意外だった




それよりも私はあることを恐れた




「私に関わると後悔するよ」




一歩間違えれば犬に噛みつかれた子供のように




私はそれ以降、人と距離をとるようになる


家族を巻き込まないがために・・・他人を巻き込まないがために


私はそれ以降、道化を演じるようになる


家族を不安にさせないように・・・他人が私に興味を持たないように


子供のときからそうして生きてきた


今もそう生きようとしてきた


ただあいつ等と飲むのが楽しい


こんな人間を奇異な目で見ずに受け入れてくれた


楽しいな・・・毎日が


道化を演じなくてもいい


何度この目を潰したいと願ったことか


普通の人生を歩みたかった


今からでも歩めるのだろうか・・・













「風邪をひきますよ」少女が傘の中に会長を入れる・・・いつの間にか煙草が雨で消えていた


「令嬢・・・どうして」


「出かけるところが見えたから・・・」会長は傘からでる・・・歩みが早い「雨が降り始めたから急いで」

「令嬢も食べるかい・・・私の料理」


「はい!!というか教えて・・・和食は得意だけど・・・洋食は・・・」


「イタリア料理は素材を生かした料理・・・日本食に似ているから簡単だ」


「・・・頬赤くなってる・・・どうしたの?」


「ぶつけただけだ」会長は笑う


「・・・どうして令嬢って呼ぶの?父が変な事を言ってから・・・昔は名前で」


「君だって昔はお兄ちゃんとか呼んでいたじゃないか・・・私は末っ子だから苦笑いしたが」


「それは子供時から一緒にいたから・・・」


会長は突然止まる


「どうしたの?」


「・・・チッチ、おいで・・・大丈夫・・・親とはぐれたのかい・・・」会長は植え込みに隠れている何かに呼びかける・・・優しい顔で


「子猫だ・・・」少女はゆっくりと顔を出す猫を見つける


「風邪をひくよ・・・」会長は優しく子猫を抱く


会長はゆっくりと再び歩き出す


「どうしたんだい?・・・ああ、残り香でも付いていたか・・・怖がらなくていいよ、優しい奴等だから」突然暴れだした子猫に会長は優しく諭す


「あっ残り香で思い出した・・・眠っていたときに心配して見舞いに来てたよ。ただ修行僧の方が知らなかったみたいで、出たーって叫んでた」


「相変わらずだな・・・」会長は笑う「偶には遊んであげないとな」







「先輩、雨が降って・・・」Y先輩が傘を持ってやって来た「あっMちゃん・・・」


「今晩はYさん」


「Aさんが腹を空かして暴れたか?」


「あっ違います・・・雨が降ってきたから・・・傘を・・・」Y先輩は何も言わず歩き始めた









「見えないんだ・・・Yさん」小声で少女・・・Mさんは呟き子猫を見る


「あの娘は稀にしか見えない・・・符や気分けした人形を持たせない限りな」会長は子猫を優しく撫でる


「私は見えるよ」Mさんは笑う「お兄ちゃんの見える世界が」


「お兄ちゃんは止めてくれ」会長は一瞬笑うがすぐに真顔に戻る「・・・君にも見えていない・・・」


「だから見えるって」




それ以上会長は何も言わなかった













「すまないが体が冷えた・・・湯を浴びてくる」会長は不動明王寺に帰ってくるとスーパーの袋をMさんに渡す「鶏肉を塩胡椒、レモン汁、ローズマリーで作った液に漬け込んでくれ・・・鶏肉は予め身にフォークで刺して味が染み込みやすく。あと・・・」

会長はMさんに下準備をお願いすると風呂場に向かう



「Mちゃん、手伝おうか?」


「・・・お願いします」MさんはY先輩の提案を受ける・・・会長の下準備は沢山あった












「Mちゃんは先輩と付き合い長いの?」Y先輩は下準備しながら言う


「生まれた時からですね・・・Yさんは?」


「友人のお祓い・・・かな、それが縁で・・・Mちゃんは今は?」


「高校二年です」


「聞きたいんだけど・・・先輩の話し方・・・出逢った時は敬語混じりの丁寧な話し方だったけど今は何か・・・」


「人を突き放すような話し方?ですか」


「うん・・・どっちが本当の先輩なのかなって」


「どっちも本当ですよ・・・」Mさんは躊躇いながら話す「突き放すような言い方は・・・・・・」


そんな会話をしていると会長は戻ってきた・・・着物に襷掛けをしている


「さあ・・・作るか」














「わーい、チビの料理だ!!」出された料理に喜ぶ

「頂きまーす」


「すごいですね・・・会長って本当に」俺は出た料理に驚く・・・フルコースだ


「あいかわらずじゃな、Mも手伝ってたのか・・・おおインゲンはもらうぞ」


「Aさん・・・よく我慢できたな」会長は聞く・・・会長が買い出しに行って出来るまで二時間掛かった


「あー、Yがお前を迎えに行く前に先生の話をしたら」Aさんが皿を一度置く「人を汚ギャルだと坊さんとCが言って・・・絞めてた、あは」


「Aは綺麗好きだよ・・・疲れたりするとすぐ怠けるだけ」Y先輩は笑う


「すいません、父が失礼な事を」


「気にするな・・・やっぱり美味いな、チビこれは何だ?」


「悪魔風チキン」会長は煙管を吸う「あとはリガトーニのアラビアータ風ボロネーゼ、魚介のサラダ、インゲンとピスタチオのレモン炒めだ・・・ドルチェもあるからな」


「・・・まあ美味しいからいいか・・・ところでその猫どうした?」Aさんが何もいない空間を指差す


「拾ってね・・・水先案内をしようかと」会長は優しく見えない何かを呼ぶ


「兎の次が猫・・・大変だな」


「昔からだからな・・・気にしていない・・・」


「私には見えない・・・いいなA」Y先輩が呟く


「見えないほうが良い・・・辛いだけだ」会長は誰にも聞こえない声で静かに答えた




「そうだ!!先輩、日曜暇ですか?」突然思い出したように言う


「暇だが」


「実は映画の試写会が当たりまして・・・行きませんか?」


「Aさんは行かないのかい?」


「私はバイトがあるから・・・どうぞ、どうぞ」Aさんは俺の膝を抓りながら言う・・・何も口出しするな、という聞こえない声を抓る指から感じた


「令嬢はどうだい?」


・・・おーい、会長・・・そこで変な返事が帰ってくると俺がAさんに八つ当たりされるんですけど・・・


「私は結構です」Mさんは笑いながら断る


・・・セーフ、良かった・・・


「解った・・・予定を空けとく」


「坊・・・儂には聞いてくれんのか」住職が寂しそうに言う・・・酔っているのか


・・・何を言い出すんだ・・・Aさんが笑いながら目元が引きつって怖いんですが・・・


「御前、行きますか?」


「実は日曜は知り合いの糞坊主と温泉に行くんじゃ」住職が嬉しそうに頭をかく


「・・・・・・あの先輩・・・私と行くのは嫌ですか?」Y先輩は身を乗り出し会長に顔を近づける


「君は酔ってるのか」会長は席を立つ「ドルチェを持ってこようか・・・ドルチェはアフォガートだ」


「先輩・・・試写会は?」


「さっきも言ったが予定を空けとく」会長はそう言うと母屋に向かった




「先輩・・・私とは嫌なのかな・・・」













「お兄ちゃんの突き放すような話し方は・・・・・・」少女は心の中で呟く「大切な人を護るため・・・」




雨がいつの間にかに止んでいた・・・誰も止んだ事に気付いていない


まるでこの後に起きる事件にまだ気付かないようだった・・・



***



「おはよう」会長はY先輩との待ち合わせ場所に立っていた・・・久方ぶりの私服だ


「おはようございます・・・何時から待ってましたか?まだ待ち合わせ時間より随分早いですよ」Y先輩は時計を見る・・・10分前だ


「私は待つのは好きだが待たせるのは嫌いでね・・・」会長は笑う「さて行こうか」


会長とY先輩は試写会の会場へ歩き出す・・・


「いつもの服装じゃないね」会長は横目で見る


「はい、最近人気の服です」Y先輩は嬉しそうに話す「この日の為に買いました」


「試写会に有名な方でも来るのか?」


「・・・えっ・・・違います・・・変ですか」


「似合っているよ」


二人の会話が終わる・・・Y先輩はあることをを思い出す。知り合ってから会長と二人だけで話が盛り上がる事が今まで一度も無かった・・・逆に避けられていた


「・・・嫌いなのかな」Y先輩が呟く


「どうした?」


「・・・いえ・・・何でも・・・」












Aと先生の事件が無事解決した・・・それと同時に先輩への興味が出始めた


時折大学でふと擦れ違うことがある・・・私が先輩と声を掛けるが一瞥もしないで遠ざかる・・・友達と話しているから気付かなかったわけじゃない・・・先輩はいつも一人でいた


「無視されたのかな・・・」

私は無性に悲しかった




ある日の講義中に何気なく外を見た・・・敷地内の人気が少ない木陰のベンチに見覚えがある人が座っていた


「もしかして・・・先輩?」


私は講義が終わるとすぐにベンチに向かう・・・何故そうしたのか解らない


ベンチに座っていたのはやはり先輩だった。先輩は眠っていた・・・木漏れ日が先輩の顔を照らす。先輩の足下には猫が寝ている・・・近くには空になった猫缶があった


「先輩があげたのかな」


私は先輩が見かけ通り優しい人なんだと感じた


「AさんとK様に何かありましたか?」先輩が突然目を開けずに話す


「起こしてしまいましたか?」私は謝る


「何かあったのですか?」


「・・・いえ・・・Aと先生は仲良くやっています」


「なら何故私に声を掛ける・・・」先輩の口調が変わる


「何故って・・・Aに代わってお礼を」私は口調が代わったことに戸惑う


「私は商売でやったことだ、感謝される筋合いは無い」


「でもお心料は取らなかったですよね」


「私は祓いたくなかった・・・Aさんはそれを了承したからだ」先輩は冷たく言う「擦れ違う度に声を掛けないでくれ・・・迷惑だ」


「ごめんなさい・・・」私はただ謝る


会長は目を開け立ち上がり空になった猫缶を片付ける・・・眠っていた猫も起きる


「・・・失礼・・・」先輩は私を一瞥すると猫と共に去っていく




「・・・悲しい目・・・」先輩が私を見た目には寂しさを感じた「なんであんな事を言うのかな・・・」




私は先輩の言ったことを破った


私は先輩の悲しい目をする理由が知りたかった


先輩に擦れ違えば声を掛ける。学食で逢えば近くの席。そんなことばかりをしていた


先輩は私を悉く無視続ける・・・時折嫌そうな目で私を見た


そんな毎日が続き12月になった


学食で先輩と出逢う・・・私がいつものように声を掛け近くに座る


「・・・私の負けだ・・・」会長が突然呟く「どうしたら今より普通にできる?」


「・・・じゃ・・・来年、妹が高校入試なんですが・・・合格祈願してくれませんか?」私は初めて語りかけてくれた先輩に笑う


「解った・・・それをすれば付きまとわないでくれるか?」


「さあ、解りません」先輩の困った顔が面白い「解るのは祈願してくれなかったら、今よりもっと付きまとうことかな」


「・・・厄介な依頼だな・・・」先輩は苦笑いをする













「Y、始まるぞ」会長が小声でY先輩の耳元に呟く


「あっはい、ごめんな」突然の耳元での声に驚く


「慌てるな、静かにしろ。他の方に迷惑だ」会長が先輩の顔を見て静かに笑う


「・・・ごめんなさい・・・」


「・・・本当に変わった娘だ・・・」会長は笑いながら前を見る


そして試写会が静かに始まる









「すいません!!住職はいませんか!!」若い女の声が不動明王寺に響く


声に気付いた住職の奥さんが母屋から現れた


「いかがなされましたか?」奥さんは子供を抱えた女・・・母親を見た「住職は不在なのですが私で良ければ承りますが」


子供は白目を向き意識が無いようだ


「・・・不在・・・実は子供が昨日学校で突然倒れまして病院に運ばれたのですが・・・原因不明で」


「どうしたのお母さん・・・・・・えっ・・・」Mさんも顔を出す


「今朝、一時的に意識が戻り何があったのか聞いたら・・・こっくりさんをしたと呟き・・・また意識が」


「M、何が見える」奥さんは震えるMさんに聞く


「黒い霞・・・人でも動物でもない・・・解らない」


「子供をなんとか・・・お願い・・・します」母親は嗚咽混じりに泣き懇願した


「M・・・貴女にできる?・・・」


Mさんは静かに首を振る


「出来ないのね・・・なら修行僧の方達も出来ないわね・・・修行僧を呼んでこの子を籠部屋に運びなさい・・・あと××君の貴船の神水を飲ましてあげなさい・・・なければ瓜割りの神水でもいいから」奥さんは母親に近づく「緊急に対処しますので・・・出来なくても信頼できる方を御紹介しますので御安心を」


奥さんが振り向く。そこには未だ震えるMさんが立っていた


「M!!しっかりなさい・・・早く修行僧を・・・」


Mさんは奥さんの声に我に返り頷き修行僧を呼びに行く


「人でも・・・動物でもないって何なの?」Mさんは震えた声で呟く








試写会が終わり会場を後にする・・・動物の感動モノの映画・・・意外に面白かった


「先輩・・・涙止まりました?」Y先輩は驚く・・・男性はあまり泣かないと聞いていたが会長は真顔で涙を流していた「意外に涙もろいんですね」


「意外とは失礼だね・・・人を涙を流さない鬼だと思ったか」


「そんなこと思ってませんよ・・・先輩、あのカフェで休みませんか?」Y先輩が提案をすると会長は笑って賛同した


席に着くと会長は珈琲、Y先輩は紅茶とスフレを頼む・・・そして運ばれきた

しばらく映画の話で盛り上がる


「途中で携帯が鳴った人がいましたよね・・・ああいうのを見るとイラッてなりません?・・・先輩はああいう場所では携帯は電源を切る人ですか?」


「ああ、切るほうだ・・・そういえば電源を入れるのを忘れ・・・」会長は携帯に電源を入れると何十件もの履歴に驚く「すまない、電話が入っている」




会長は席を離れた




「御前、電話に気付かず申し訳ありません。何かありましたか?」


「良い温泉があったぞ」電話口から豪快に話す住職が突然豹変する「と言いたいところだがすぐ寺に行ってくれんか・・・お嬢ちゃんに悪いが」


「依頼でも?令嬢や修行僧の方にも無理なんですか」


「無理じゃ・・・その辺の坊主や神主でも」


「・・・何があったんです?」


「Mがいうには小学生が狐狗狸をしたらしい」


「狐狗狸なら勘違いか、低級な輩では」


「表現が悪いがな・・・大当たりを引いたようじゃ」


「・・・大当たり・・・何が憑いたのですか」


「人でも無く・・・動物でも無い・・・黒い霞・・・」


「・・・」


「Mですら見えない・・・そして解らない・・・ただ解るのは存在してはいけない邪の気」


「・・・永久の闇のもの・・・ですか。・・・私に禁術をしろと」


「すまん・・・この辺りであれができる者はすでに死んどる・・・お前以外は・・・すまんが幽世の道を開けてくれんか」


「確かに幽世の道を開き送り返す・・・私の師の秘術でしたが・・・私は正式な継承は・・・」


「だが死ぬ前に坊に伝えた・・・今は坊が・・・坊の目が必要じゃ」



「・・・解りました・・・」


「儂にできないことを任してほんにすまん・・・」


「失敗しましたら御容赦を」会長はそう言うと電話を切る・・・そしてもう一度電話を掛ける


「やっと繋がった」Mさんが電話に出た・・・安堵の声だ


「令嬢か・・・御前より話は聞いた。今から戻る。それまでにR神社の刻印が刻まれている大葛籠を準備しなさい・・・封は解くなよ。・・・解ったかい」


「うん、解った」


「あと私の正装も、いいかい」会長はそう言うと電話を切る






「Y、すまない」会長は財布から五千円を出す「急用が出来た、これはここのお代と帰りの交通費だ。ゆっくりしていけ」


会長はすぐに店を出てタクシーを拾う・・・あっという間だった


「・・・どうしたのかな・・・先輩・・・」Y先輩は一瞬のことに一人呆然としていた











Y先輩はスフレを食べ終えると店を出た


「先輩・・・お寺に行ったのかな」駅前を一人歩くY先輩「何が起きたのかな」


突然店を出た会長は言葉で言い表せない顔をしていた・・・恐れ・・・違う。寂しさ・・・違う。あの表情は何だろう


「あーあ、先輩は私に興味はないのかな」Y先輩は一人思いにふける






・・・Ateh・・・ Malkuth・・・ Ve Geburah・・・ Ve Gednlah・・・ Le Olahm・・・ Amen・・・






「・・・えっ・・・今・・・何か聞こえたような・・・」Y先輩は立ち止まり辺りを見回す・・・何も変わらない日常がそこにある「空耳なのかな・・・」


Y先輩は一度不動明王寺に行こうと思ったが今は住職が不在だから会長が呼ばれた・・・邪魔をしたらそれこそ会長に嫌われると思いそのまま帰ることにする


「そういえばAが今日の事知りたいから電話してって言ってた・・・何て言おう・・・」


Y先輩は人混みに紛れていく・・・いつもと変わらない日常に。






日常に異質な一人が紛れ込んでいた・・・Y先輩を畏怖の目で睨む一人の人間がいた




「見つかる前に・・・見つかる前に・・・見つかる前に・・・」小声で何度も呟く




烏が一斉に飛び立ち鳴いた




***



「・・・あの方が亡くなってもう7年経つのか・・・」不動明王寺までの短い間、タクシーの中で会長は邂逅する・・・自分に符術などを教えてくれた師の事を。




初めて師と出逢ったのは私が六歳になった時だ・・・御前にあることを聞いたことが始まりだった


「御前様・・・あのお聞きしたいのですが・・・」


「何だ坊?もう少し子供らしい喋り方をしないか・・・算数は聞かないでくれな」


「いえ・・・本日見たものの事についてなのですが」


「何を見たんじゃ?浮遊霊か」


「人よりも大きな百足です・・・左目でしか見れず突如消えたので」


その言葉を聞くと御前は茶の入った湯呑みを落とした


「・・・巨大な虫・・・じゃと・・・」


「はい・・・そして巨大な目が背中にありました」


「・・・坊・・・ついて来い」


そうしてR神社に私は連れて行かれた・・・そこで逢ったのが齢八十の両目を布で隠した男性・・・Tだった。風貌はまるで絵に描いたような仙人のようで白い装束を着て、白い長い髭を蓄えていた


「よう・・・爺様、具合はどうじゃ?」


「その声は・・・明王の坊主か」母屋の縁側に座っているTは声に反応する「儂は相変わらずじゃ・・・その童は誰じゃ」


「は、はい。私は××と申します」私はいきなり話を振られたので驚いた「あの・・・見えて」


「儂か?儂は何も見えん」Tは笑う。笑うと抜けた前歯が見えた「××と言うと例の童か」


「そうじゃ・・・それで話があって連れてきた。その前に茶を入れるぞ」御前は台所に行く・・・よく来ているのか馴れていた


「童や」Tは私を手招く。私はTに近付き正座をした・・・するとTは私を皺だらけの手で触り始めた「正座とは礼儀正しいのお・・・幾つになる」


「六歳です」


「利発そうな顔じゃな」Tの手は私の顔に手を触れる・・・暖かい手だ「坊主から話は聞いていたが・・・左目・・・呪ったのでは無く明王の前で潰そうとしたな」


「・・・何故・・・」私は冷や汗が出た・・・その通りだった。




低空の満月の夜、御前は不動明王の前で左目を押さえ悶絶する私を見つけた・・・御前は私に何をした!!と叫んでいたが私にも何が起きたのか解らなかった・・・その後車に轢かれた猫を見たことにより痛み受けの呪がかかっているのだと解った・・・そして御前は自ら左目に呪いをかけたと勘違いした・・・私は目を潰そうとした、と本当の事を話すのが怖かった




「当たりじゃな・・・童に痛み受けの呪が使えるか・・・それにな・・・明王の火が見える・・・潰そうとした左目に明王の罰・・・それで痛み受けの呪がかかったのじゃろう・・・安心せい、坊主には言わん」Tは乾いた声で笑う「それにしても奇妙な目じゃ・・・右が顕世、左が幽世・・・」


「うつしよとかくりよとは何でしょうか」当時六歳の自分にとって知らない言葉だった


「顕世とはこの当たり前のこの世界、幽世とはずっと変わらない夜の国・・・神々の神域じゃ」


説明されても漠然としか解らなかった


「貴方は何が見えるのですか?」私は目の前にいる老人が不思議でならなかった


「儂は産まれた時から何にも顕世は見えん・・・幽世の者や御霊以外な」Tは優しく私の頭を撫でる「・・・先祖の祟りでな」


「先祖?」


「幽世の者の目を切ったんじゃ・・・蛇神をな」Tは手を話目を当てる「それ以外嫡子は目が潰れておる・・・」


「産まれた事を後悔は?」私は産まれた事を当時後悔していた


「童の言葉とは思えぬのお」Tは悲しい声で私に語りかける「辛いものを見続けたのか・・・ 儂は後悔はしておらん・・・全て受け入れてきた・・・」


「何故受け入れられるのです・・・こんな人々から畏怖される目を・・・」


「童にはまだ早い・・・何時か解る。この目があって良かったと受け入れる事が何時かは出来る・・・」


そうこうしている内に御前が御茶を持ってやって来た


「坊主・・・この童が幽世の者が見えるから連れてきたな・・・」Tは手探りで湯呑みを探し口に運ぶ「素質がある・・・儂が一通り術を童に教えるがいいか?」


「幽世が見えるならば不動明王の術より古神道や陰陽道の方がいい・・・爺様、お願いする」御前が人に頭を下げるのを初めて私は見た。


そうして私はTの弟子になることになった


私はTを先生と呼び慕った。先生からは符術や式占、真言等を教わる・・・幽世を開く術以外は全て。星読み等の盲目の先生には出来ない事は別の術師の方に教えてもらった


幽世を開く術は私が十五歳になった時に初めて教えてもらった・・・数え歳で元服・・・その時にたった一度だけ・・・


そして幽世を開く術を教えてもらった三日後に先生は亡くなった・・・今でも亡くなった先生の冷たい手を忘れることができない・・・かつて暖かく私に触れた手を・・・




だが・・・先生の死に様は異様だった。白い装束を脱がし死化粧をしようとした時に私は見た・・・体中に何かに締め付けられたような跡を見た・・・まるで大蛇に締め付けられたような跡を・・・






「先生・・・私は未だ自分の目が受け入れられません・・・」会長はタクシーの窓の外を見ながら呟く「貴方は本当に全て受け入れたのですか・・・」




その時の会長の口調は師と初めて出逢った時の口調は童のようだった






会長が不動明王寺に着くと皆が総勢で出迎えた


「すいません、遅くなり申し訳ありません・・・」会長は奥さんに頭を下げる


「いえ・・・私らが頭を下げるほうです。Yさんには酷いことをしました・・・出来れば頼みたくは無かったのですが夫は君にしか出来ないと・・・」


「気にしないでください・・・令嬢、大葛籠は?」微かに怯えているMさんに聞く


「本堂に・・・ねえ・・・あれは何なの?」


「見てはいけないもの・・・それだけしか言えない」会長はMさんの頭を撫でる「令嬢、すまないが着替えるのを手伝ってくれ・・・修行僧のどちらかは日の入りの時間を調べてください。儀は夕刻・・・黄昏時に始めます」


会長はそう言うとMさんを連れて離れに向かう




会長は黒い正装に着替える・・・髪を朱墨で書いた札で纏める。そして黒地の布に朱墨で何かを書き右目を隠すように巻く


「お兄ちゃん・・・なんで右目を・・・」


「術に関係することは一切聞くな・・・そして知ろうとするな」会長は冷たく言う「・・・きつく言うように聞こえるが君のためだ」


「解った・・・」Mさんは素直に頷く


「さて・・・令嬢すまないが道案内をしてくれないか」会長が左手を上げる「裸眼の左目だと乱視が酷すぎて見えないんだ」


「解った・・・籠部屋に」Mさんは会長の手を取る


「いや・・・先に御焚き上げ場だ。二匹を呼ぶ」


「・・・解った」


二人は離れを出た・・・御焚き上げ場に行く途中で修行僧が日の入り時間を会長に教えに来た・・・あと二時間


会長は何度か躓きながらMさんに連れられ御焚き上げ場の中心に来た


「さて・・・しばらく遊んであげていないのに・・・この様な事で呼ぶとは」会長は溜め息をつく


「怒ってたら見舞いに来ないよ・・・お兄ちゃんは心配しすぎなの」Mさんは笑う


「・・・何故お兄ちゃんって呼ぶ」


「よく考えれば××君て呼ぶのは堅苦しいし、親しみがあるし・・・・・・盗られたくないから」Mさんは会長に聞こえないように最後の言葉を口にする


「莫迦莫迦しい・・・少し離れていなさい」会長は苦笑いをする




パーン・・・パーン・・・




会長は柏手を打つ・・・静寂に柏手が響く


山の木々がざわめき野鳥が一斉に飛び立つ・・・何かが近付いている


「ほら、呼ばれて嬉しいから急いで来てる」Mさんが山の木々を見ながら笑う


「鳥や山の生き物にとっては迷惑ものだがな」



木々の間から二匹が現れる・・・白銀の雪のような犬と漆黒の闇のような犬が現れた・・・二匹は大型の犬だった


二匹は会長の前に来ると座り頭を下げた


「「何用で候」」頭に直接呼びかけるような声が会長には聞こえた


「畏まらないでくれないか」会長は屈み二匹の頭を撫でる・・・二匹は嬉しそうな顔し尻尾を振る


「「主上、我らは貴公の式神故」」


「誓約など気にしないでくれ・・・といっても君達は律儀だから聞かないか」会長は二匹から手を離すと立ち上がる「すまないが術を手伝ってくれないか・・・」


「「御意」」


「すまないな・・・御礼が遅くなったが見舞いに来てくれて有難う・・・哭天翔・・・珀天翔・・・」


二匹は自分達に名前を付けてくれた主に体を擦り付けじゃれ合う












「只今・・・って誰もいないか」


Y先輩は自宅に帰ってきた・・・一人暮らしを始めて二年にも満たないが誰もいないと解っていても只今と口にしてしまう


Y先輩は帰りに買い物をしたがあまり惹かれるものがなかった・・・ただ退屈なだけ・・・会長と一緒に試写会へ行った後でもあり一層退屈に感じられた


Y先輩はベッドに倒れるように横になる・・・枕元に置いてあるサークルメンバー全員の集合写真を見る


「・・・つまらない・・・」




写真には中央に会長が写っているが顔を半分帽子で隠れている・・・Y先輩は会長が写っている写真はこの一枚しか持っていなかった


少し前に行われた大学祭でのラジオ生放送・・・Y先輩はコーナーDJや写真係を務めた。もちろんY先輩はメインDJの会長を写真で撮ろうとした・・・が出来なかった


デジタルカメラのレンズを会長に向けると会長は台本で顔を隠した・・・後ろからこっそり撮ろうとしてもだ


Y先輩と会長が出逢って今まで会長が写っている写真は顔を半分隠したサークルメンバー全員の写真だけ


一度Y先輩は会長に写真を撮らして欲しいとお願いした


「魂が吸われるから嫌だ」


それが会長の答えだった


酒宴の席で会長の子供頃について話が盛り上がった・・・Y先輩は会長の子供の時が見たいと言った


「私の写真は無い」会長は煙管を吸う


「卒業アルバムとか・・・」


「灰になっている」


短い会話で話が終わった





「あっメイク落とさなきゃ」Y先輩は洗面所に向かう




Y先輩はヘアバンドをして洗顔をする





バシャバシャ




Y先輩がタオルで濡れた顔を拭く




「ふぅ・・・・・・はっ」Y先輩が声が出ない




鏡にはY先輩以外が写っていた・・・人の形をした黒い靄が写っている・・・Y先輩は怯えながらゆっくり振り向く




がそこには何もいなかった・・・ただ白い壁があるだけ




「気のせいかな・・・」













「・・・見つけましたよ・・・・・・Ateh・・・ Malkuth・・・ Ve Geburah・・・ Ve Gednlah・・・ Le Olahm・・・ Amen・・・」




黒い靄がY先輩の後ろから耳元で呟く・・・低い男性の声だった




Y先輩の意識が遠くなる




「・・・厄介な物を付けている・・・」




黒い靄はY先輩の腕に填められたものを見るとそう吐き捨てるように言った




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