エピローグ

【エピローグ・番外編 二度目のプール!】


 さすがに二度目だもんね。そばに美沙姉がいなくても平気になっちゃった。

 それより今はツインテール美少女の先輩だ。今さらながらアウェーな空気を感じているみたい。

 大丈夫だよ。みんな受け入れてくれてる。

「マスミンに誘われてのこのこついて来たけどさ。あーし、来栖とだってろくに話したことないぞ」


 来栖というのは美沙姉の苗字だ。残念ながら今日は不参加である。

「洋介との約束なんかより潤美の方が優先に決まってるわよ!」

 ほとんど叫ぶように言う美沙姉をなだめるのは苦労した。

 あまり気が進まなかったけれども、最終手段としてこの爆弾を投下してしまった。

 ——もし自分が洋介先輩の立場で、倍巳・・だった場合、美沙姉に約束を反故にされたらどう思っただろうか。

 手を胸の前で組み、悲しげな瞳で見上げるというオプション付きで。

「……うっ。な、なんで先に言ってくれなかったの。これからは絶対に言いなさいよ」

 どうやら、あたしたちの予定の方が美沙姉たちよりも先に決まっていたらしい。

 でも、正直な気持ちとしてあたしの意見を表明しておかなきゃ、と思って口を開きかけたのだけれど。

 洋介先輩との仲を邪魔しないのが妹としての正しい在り方だと思っ——

「言・う・の・よ!」

 首を縦に振るしかなかった。だって、凄い剣幕だったんだもの。


 そんな美沙姉と詩奈先輩は一応クラスメイトである。

 そして今日同行している男性陣、哉太も敦先輩も彼女と同じクラスなのだ。だが、クラスでは浮いているという詩奈先輩、美沙姉どころか誰ともろくに話したことがないという。

「え。でも、哉太とは話したでしょ」

「んなの話したうちに入るかよ」

 あたしの中ではとても強い女性である詩奈先輩が、こんな心細い表情を見せてくれるなんて。彼女には悪いけど新鮮だ。

 それはそれとして。

 詩奈先輩は普段からとても短いスカートを穿いているので見慣れてはいるものの、見事な脚線美である。へそをチラ見せするセパレートタイプの水着が全体にスレンダーな体型をキュートに引き立てる。あの胸のサイズ、あたしを超えてるよ。菜摘には届かないものの、美沙姉には匹敵するかも。

「詩奈先輩ナイスバディ!」

 あたしの賞賛に、彼女は胸を張って見せた。

「マスミンに褒められるとくすぐったいが……、実はパッドで盛ってるだけさ」

 だけど夢は与えてやらないとな、と続ける声はあたしの耳だけに届く小さなものだった。


 菜摘と加奈の声が聞こえる。着替えが済んだようだ。

 おや。菜摘がビキニで加奈がワンピースだ。あたしの予想と逆だった。

「わ、二人とも可愛い」

「その言葉、そっくりそのまま潤美さんに返します」

「きゃー、三角ビキニすっごく似合ってるう!」

 自然な動作であたしの胸に手を伸ばす加奈。しかし、割って入った詩奈先輩が彼女の肩に手を置いた。

「みゃっ?」

「大丈夫だぞ、中野。あーしも三年前は同じくらいだったからな」

 加奈の視線が詩奈先輩とあたしの胸を往復した。そんな彼女のことを、菜摘は少し気の毒そうに眺めている。さすがに菜摘にはわかるんだよね、生乳とパッドの違い。

「じゃ、じゃ! 潤美が三年間足踏みしてくれてたら、僕が追い抜く可能性もっ!?」

「あぁ……」

 そう言ってこちらを向いた詩奈先輩、「ないけどな」って。あたしだけに聞こえる程度の声で。

 だめ、菜摘。笑っちゃだめっ。

「あっ、潤美ってば笑ってる!」

「ひゃん」

 ごめんってば。謝罪のつもりで、あたしは加奈の手を受け入れた。

 もう。今日はこれ一回っきりなんだからねっ。

「おっぱいの神様、僕の胸にもお恵みをぉ!」

 あたし、おっぱいの神様と面識なんかないよ……。

「おいおい中野。巨乳なら光永の方が御利益ありそうだろ。なんでマスミンのを揉むんだ」

「だあって。菜摘の怒り方って容赦ないし。潤美ってば僕より細いのにお椀形の美乳だし。ついつい手が出るっていうか」

 もしもし詩奈先輩。そこ、目を閉じて腕組みして頷く場面じゃありませんから。

「きゃ」

 詩奈先輩が菜摘の胸を揉みはじめた!?

「名塩先輩、どうなさったんですか」

「すまん光永。あーし、儀乳なんだ。御利益が欲しい……。儚い夢を見せて悪かったな、中野」

「名塩——いえ、詩奈先輩。今から僕たちは心の友です」

 加奈も目を閉じて腕組みして頷くんじゃないわよ。

 それにしても菜摘。あなた胸揉まれてるのに落ち着いてるわね。

「慣れですよ、潤美さん」

 わきゃ。菜摘にウインクされちゃった。


 菜摘たちと詩奈先輩との間で明るい笑い声が弾ける。プールサイドに出る頃には、それほどまで打ち解けていた。

「詩奈先輩と、もっと仲良くなりたいです! あたしたちのことも、是非下の名前で」

「わかった。えっと、光永が菜摘で、中野は加奈だな。……覚えた。あらためてよろしくな」

「はい、詩奈先輩!」

 ふふ。

「いい子たちでしょ、二人とも」

 抱きついてみた。

「ああ。マスミンが一番だけどな」

 頭を撫でられちゃった。

「あ。哉太だ」

 現地集合にしてて、メールで連絡取り合ってたんだ。あたしたちの方が先に着いて着替えを始めてたんだけど、プールサイドに来るのはやっぱり男性陣の方が先だった。

 元気よく片手を上げた。片手は詩奈先輩の腰に回したまま。

「お待たせ」

「おう、潤美」

 哉太は小さく手を上げて応じると、軽く視線を逃がして頬を掻いた。

「……あのな、前回のことがあるから。その姿勢、気をつけろよ」

「哉太のえっち」

 ふふ。赤くなってやんの。

 そう何度もポロリするもんですか。

「おい菜摘、加奈」

「なんですか」

「バカップルのラブラブ空間にはさまって息苦しい。助け出してくれ」

「無理です。諦めましょ、詩奈先輩」

 あなたたち、何を言っているのかな。

「面白い状況だね、哉太師匠」

 あ。敦先輩、おかっぱやめたのね。

「初めまして。哉太先輩のお友達ですか?」

「あはは」

 敦先輩、それ苦笑だよね。とても爽やかな笑顔なんだけどさ。

「見ねえ顔だな。田中の知り合いか」

「ひどいな名塩まで」

 菜摘と加奈、笑い合ってる。本気でわからなかったわけじゃなかったのか。

「メイクしないと普通にイケメンですもんね、敦先輩って」

 あたしの言葉に弾かれたように視線を上げた哉太、そのまま目を眇めて敦先輩を睨む。

「ちょちょちょ、潤美ちゃん。今の発言は寿命が縮む。ほら、睨んでるから。哉太師匠が睨んでるからっ。……イケメンって単語は僕と対極の概念なんだからねっ」

「そうか、潤美はこういうのが……ぶつぶつ」

 あちゃ。哉太が聞く耳もってない。

 もう、しょうがないわね。

「あたしがイケメンになんか興味ないのは知ってるでしょ。そのままの哉太がいいの」

 ……………………。

 言っちゃった。みんなの前で。

 どうしようこの空気。


「マスミン。もしもしマスミン? 抱きつく相手を間違えてんじゃ……。……やれやれ」

 結局、詩奈先輩にしがみつく。先輩、なんだかんだ言いつつ優しく頭を撫でてくれるから好き。

「なあ。菜摘、加奈。なんでもおごってやるから。……だからここからあーしを連れ出して」

「あらあらまあまあ、潤美さんったら。誰も哉太先輩のこととったりしませんから。後で二人っきりのときにゆっくり言って差し上げればいいのに」

「狙って言ってるよね菜摘。見なよ、潤美ってば余計赤くなってるし。……面白いけど」

「ご、ごめんなさい。あたしってば、昨日の恋愛脳汚染の影響がまだ残ってるのかも」

 ようやく詩奈先輩から離れて頭を下げると、菜摘と加奈が顔を見合わせた。

 苦笑気味に菜摘が告げる。

「そういうことにしといてあげます」

「そもそも最初から影響なんか受けてないってアルが言ってたけどねっ」

「こら加奈さん」

 菜摘に窘められ、「てへ」と棒読みぎみに言いつつ舌を出す加奈。


「哉太師匠的にはどうなのかな。潤美が他の人に抱きつくシチュエーションってのは」

「いや、男に抱きついてるわけじゃねえし。……てかいきなり何を聞くんだ敦はっ」

 あ。敦先輩が面白い攻め方を。乗っかろう。

「あたし、女装してる藍先輩になら普通に普通に抱きつけるわよ」

「よせ!」

 わわっ。

 場の全員の視線が哉太に集まる。

「い、いやその……。悪かった、冗談ってわかってたのに」

「あ、あたしこそごめん。それと……。ありがと」

 あれれ、足音。

「さてさて菜摘ちゃん。みんなで一緒に、あっちで遊ぼう」

「いいですね敦先輩。そうしましょ!」

「男は僕一人だけど仲間はずれにしないでね、加奈ちゃん」

「あれ。藍先輩って男の人でしたっけ、忘れてましたよそんなこと」

「やだなあ。どこをどうしたら今の僕が女に見えるんだ」

「なんで上半身裸なんだよ藍。ほら、きちんとTシャツ着て隠しとけ」

「な、名塩まで……。そうか、僕か。僕が間違ってたのか」

 あ、あわわ。行っちゃうの、みんな。

「……哉太師匠、集合は昼飯の時間ね。休憩場所とっとくから。多少の遅刻は多目に見るよ。それじゃ、ごゆっくりぃ」

 わいのわいのと騒ぎつつ歩き去る友人たちを呆然と見送ると、あたしは口を開いた。

 だって、せっかく遊びに来ているんだから。

「なんか、みんなに気を遣わせちゃったね」

「ああ。昨日の今日だからな。少し冷静さを失ってたかもしれん」

「じゃ、今はそんなこと忘れて思いっきり遊びましょ」

「おう!」


 * * * * *


 そのころ、自宅で一人お留守番をしていたお兄ちゃんは電話をしていた。

 その相手は——。


「そちらからコンタクトしてくるとはね。よくこの番号がわかったな」

『調べる手段はいくらでもあるさ』

「さすがは天才ハッカーというところか」

『ふむ。どうやらこちらの用件に見当がついている様子だね』

「ついている。だが、きみの口から直接聞こうか、サイトウ」


 相互不可侵。それが、連絡を寄越した男からの提案だったそうだ。

 男の名はサイトウ——斉藤和男。コマンドジャマーという未知の技術を使い、あたしたちを苦しめたワームキャリアだ。


 ——今後は他の八体に対するバスター任務を妨害するつもりはない。その代わり、自分にだけは干渉するな。


 それがサイトウの用件だったという。

 当然というべきか、お兄ちゃんは一度突き放した。だが。


『まずは拒絶するとは思っていたよ。だがその場合、君たちの任務継続は難しくなるだろう』

「どういう意味だ」

『俺のネットワークは、他のワーム汚染地域にも及ぶということだよ。こちらにも切り札がある。君たちの切り札、“浄化”コマンドへの対抗策がな』

「やめるんだ。汚染者の数が一定の率を超えたら、その浸食は加速度的に早まっていく。二度と元に戻せなくなるんだぞ」

『その通り。そしてそれこそが“浄化”コマンドへの確実な対抗策となる』

「ばかな。それは人類にとっての自滅行為だ」

『さてね。古代種族の亡霊と防衛プログラム。俺たちにとってどちらがより信用に足るのだろうか。あるいはどちらを信じるのも愚かなことかもしれない。ならば今後の人類に利をもたらすのはどちらだろうか』

「古代種族は滅んだ。ならばその技術ごと消滅するのが定めというものだ」

『技術は改良、改善し、適切に使うところまで含めて技術なのだ。誰が作った技術かなど些細な問題。製作者が滅んだのなら尚更、その技術は発見者のものだ。君たち防衛プログラムごとき非生産的な連中に奪い返されてたまるものか。……くり返すが、技術は我々のものだ。たとえ使いこなせず滅ぶ未来が待ち構えていようと、な』

「おまえはいったい——」

『人間さ。信じろとは言わないが、俺に取り憑いたワームの制御は完璧だ。精神汚染は受けていない。それはネットワークを構築する他のメンバーも同じこと』

「…………」

『ははは。安心したまえ。俺は自滅希望者ではない。ただ、防衛プログラムにある種の疑問を抱いている限り、今のスタンスを変える気は無い、と宣言しておきたかった。あともう一つ。俺のワームを除去しても、あるいは俺自身を亡き者にしてもこのネットワークが消滅することはない。用件はそれだけだ』

「待て」

『お近づきの印に、一つだけ情報を提供しといてやる。残り八体のワームキャリアな。全員この学園の生徒だ。教職員も学園外の人間も白。具体的に誰がキャリアかについては俺も知らん。以上だ』


 通話が切れた後もお兄ちゃんはスマホを握りしめ、しばらく上位管理者ジョーにコンタクトすることもせず青ざめていたという。

 どうやら、もしあたしに疑われた場合、信じてもらう材料が一つもないことに愕然としていたようだ。

 大丈夫だよ、お兄ちゃん。

 サイトウがいくら疑おうと、あたしはお兄ちゃんを信じてる。ジョーは……、ちょっと信用できないところもあるけどね。

 それにね。一度負けた相手だからって、この先も負け続けてやるつもりなんてないんだから。

 学園にワームが居座る限り、あたしもバスターを続けるよ。


 * * * * *


 驚いた。あたし中一だよ。

 そりゃさ。今でこそ慣れたものの、ミューテーション直後はナルシストぎみに鏡に見とれちゃったこともあるけど。

 でも、体型は年齢相応っていうか。所詮ローティーン、高校生には見えないはず。

 それなのに何回声をかけられたことだろう。ずっと隣をキープし続けたわけじゃないけれど、哉太と一緒にいてさえこれだ。

 女の子だけで来ていたらと思うと、ちょっとぞっとする。

 詩奈先輩ならうまくあしらってしまいそうだけどね。ただ彼女、あたしに対して過保護な面があるから、角を立てることなく相手を追い払うのは難しそうだな。

 その点さすがにというべきか、哉太に挑む男がいなかったおかげで平和に遊び回れたからよかった。


 そんなこんなでお昼時。

 集合場所に近付くと、詩奈先輩の声がする。

 こちらに背を向けて話しているせいか、気付いた様子はない。

「へえ、敦」

 おお、藍ちゃん呼びじゃなくなってる。

「あんたこんなに女の子向けの話題に詳しい割に、教室じゃ田中以外の奴と喋ってるとこ、見たことないぞ」


 あたしは首を傾げ、哉太を見上げる。

「そうなの?」

 哉太は少し困った顔をし、首を縦に振った。

「俺が他の奴と喋ってる時は、スマホ見てるか本読んでるかどっちかだからな」


 戻した視線の先で、敦先輩は宙を見上げていた。

「んー。自分では男の娘ではなくて単なる女装男子のつもりなんだけどね。いずれにしてもマイノリティーだから。みんなとしては鑑賞する分にはいいけど深く関わりたくはないってことなんだと思うよ」

 それを聞くや、加奈は敦先輩の腕にしがみつくようにして声を張り上げた。

「高等部の先輩たち、信じらんない! 敦先輩、話すとこんなに楽しいのに」

「はは、ありがと加奈」

「仕方ないですよ。日本人なんてまだまだ、他と同じでないと安心できない人の集まりなんですから」

 うひゃ。今日もまた、あたしが菜摘のことをお姉さんだと思ってしまう瞬間がやってきたよ。

「他人とどれだけ違っても折れない、哉太先輩や潤美さんのような人は圧倒的に少数派なんです」

「みゃっ!?」

 変な声でちゃった。

「か、哉太っ。あたしたち、なんだか変わった褒められ方してるよっ」

 そう言って哉太の腕を掴むと、彼は頬を掻きつつ加奈へと視線を向けた。

「加奈に質問なんだが」

「はい。っていうか、おかえりー、二人とも。早かったね。あ、質問どぞ」

「菜摘ってさ。時折、特殊なフィルターを介して世界を眺める癖があるのか?」

「ある——ないアル!」

 即答しかけた加奈だったが、菜摘の咳払いに阻まれて謎の中国人と化した。

「ああ……。よくわかったよ」

 この場に集まった一同を見回すと、敦先輩は柔らかい笑みを浮かべた。

「まあ、いずれにせよ。僕に君たちのような友人ができたことは、凄く幸せなことだよ」

「友人か」

「もちろん君もだよ、詩奈」

 あれ。詩奈先輩の頬に変化が。

「……悪くないな。教室でもよ、今の感じであーしに話しかけてくれよな、敦」

「それは嬉しいな」

 あたしと哉太はグーでハイタッチした。

「さてみんな、お昼にしましょ」

 なんだかごく自然に、あたしの左右を哉太と詩奈先輩が挟み、他の三人が正面に座る席順となった。別にいいんだけど、なにこの素早い席決め。

 あたしが広げた弁当を見ると、詩奈先輩は目を見張った。

「これをマスミンが……。ほぼ一人で!?」

 頷いて見せると、詩奈先輩はあたしの手を包み込んだ。

「こんなちっちゃな手で。大変だったろうに」

 あなたは田舎のおばあちゃんですか。キャラ変わっちゃってるよ。


 それは食べ終わり、さあ片付けようかという雰囲気になった瞬間のことだった。

「————————っ!」

 太ももがチリチリする感覚に苛まれた。

 お兄ちゃんはここから一キロ以内にいないので、サブマスターの三人は特に何も感じていない様子だ。

「哉太、詩奈先輩。あたしの太ももに手を置いて」

「にゃにをぅ!?」

「わかった」

 共にサブマスターではないのだが、詩奈先輩の方が理解が早い。すぐに手を置いた。

 今のあたしは意図した相手にバスター同様の視力を与えることができる。それには身体の特定の部位に触ってもらう必要があるため、人目のある場所でおいそれとできることではない。しかし幸いなことにここはプール。

 太ももに触ってもらうくらい、特に変なことじゃない。ないもんっ!

「詩奈先輩は西から南。哉太は東から南。北はあたしが探す」

 何やら葛藤していたようだけど、この言葉を聞いたことで哉太も表情が引き締まり、ようやく手を置いてくれた。

 ふみゃっ。な、なんとか声を出さずにすんだ。

 もう、哉太のばか。そんな、くすぐるようにおずおずと置かないで、大胆にぱしっと置きなさいよね。

「いたぞ。シャワーのところ。ん? あいつ、三組の男だ」

「隣にいる女も三組だ。二人の肩に人魂!」

「北にはいない。ってことはその二人ね」

 哉太の肩に手を置いて振り返る。しかし、二人とも更衣室へと続く通路に消えた後だった。

「マーキングはできなかったけど、特定はできたわね。二人の名前、わかる?」

「男は体育の授業が同じだからな。たしか、はらって呼ばれてたぞ。苗字しか知らないが」

 即答する哉太とは対照的に、詩奈先輩は腕組みをして記憶を探る様子を見せる。

「あーしもあの女、体育で見かけて知ってたんだけどな。うーん。なんか、五十音順で相当後ろの方だったような……。山口、ちがう。渡辺、ちがう。えーっと……」

 眉間に皺を寄せ始めたので、肩を揺すった。

「大丈夫です。今日はバスター任務お休みですから。特に実害もないことですし!」

 実際、クラスが特定できただけでも十分な収穫なのだ。

 だが、まだ考え込んでいる。

「ひゃう」

 突然目を見開いたかと思うと、両肩を掴まれた。

蘭堂らんどうだ。あーしも下の名前、知らない」

「ありがと、先輩っ」

 ハグ。

「ああ、それとさ、哉太」

「うん?」

「もういいから。そろそろ手、離してね」

「すすすすすすまんっ!」

 全然怒ってないから。そんなに頭下げないでよ。

 あ。菜摘と加奈の生暖かい視線が……。

「やあ。見てて飽きないカップルだよ君たちは」

 どういう意味よ敦先輩。


 * * * * *


 朝は男性陣と女性陣別々に来たけど、帰りは途中まで全員で同じ電車に。

 加奈の元気は有り余っているようで、まだまだテンションが高い。

「来月末は屋外プールが解禁されるよ! また来ようね!」

「いいけど、その前に演劇部の児童館公演があるよ」

「先輩によるとあたしたちをキャストに推薦すること、決定だそうです。主役はもちろん、潤美さんということで」

 あ、演劇部の話題になると詩奈先輩が蚊帳の外だ。

「詩奈先輩、児童館公演であたしたちがキャストやることになったら見に来てくれる?」

「ん、考えとく。マスミンが主役なら、そりゃ見たいけどよ。でもあーし、ガキどもに怖がられねーかな」

「大丈夫ですよ。それだけ見た目がかわいいんですから」

 そう言う菜摘自身、キュートな笑顔で詩奈先輩の手を握る。

「困ったな。少し前まで、かわいいとか言われたら『あぁ!?』なんてキレたフリして人を寄せ付けなかったあーしが。お前らに言われるとなんかこう、素直に嬉しいぜ」

 そう答えた詩奈先輩、ちらりと視線が動く。

 その先にいるのは敦先輩。彼は哉太と何やら話し込んでいる。

 詩奈先輩ったら、あたしに一目惚れって言ってたのに。でも応援しちゃいますからねっ。

「そういえば敦先輩、藍先輩として小文化祭でキャストやるんだったよね!」

「そうよ。ゴールデンウィーク明けてすぐなの。応援してちょうだいね」

 哉太が引いてる。うん、さすがに男の姿のままで女声出されたら不気味だよね。

「げ。忘れてた。こいつ、こういう奴だった」

 詩奈先輩まで引いちゃったよ! あたしじゃリカバリーできないよ!

「……ま、そこを含めて気に入ってるんだけどな」

「そっか」

 独り言に返事があると思っていなかったのか、詩奈先輩は驚いた顔を向けてきた。でも、すぐ微笑みに変わる。

「余計なお節介はしません。でも、影から見守ってますね」

「……おう」

「ところで、加奈さん。忘れてはいませんよね」

「ん、なにを?」

「小文化祭の直後、中間テストですよ」

「あーあーあー。今日、耳、日曜!」

 加奈の表情はほんっと豊富だなぁ。まさに百面相だよ。

「なーに余裕の笑みを見せてんのかな潤美はっ」

「きゃん」

 やあん。加奈に二度目の胸揉み許しちゃったぁ。


 他の乗客さんたち、騒がしくしてすみませんでした。

 主に加奈のせいなんだけどっ。

 公共の場所で胸揉みとかするんじゃありません! まったくもう。

 ほとんど人が乗ってなくてよかったよ。

 はぁ。今度から電車で移動するときはもっと気をつけよう。

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