第10話 属性自覚

 視界の右端で三つ編みが揺れた。

「田中先輩って、もしかしてカラオケに誘って下さった方ですか?」

「そうだよ菜摘。哉太兄と、敦——先輩だっけ」

 菜摘に返事をしつつ、哉太を見上げる。

「あ、そうか。潤美ちゃんが誘う友達ってのはこの二人か。敦のことは名前しか教えてなかったね。ちょうどいい」

 視界の左端で、前下がりボブの少女が小首を傾げる。

「何がちょうどいいんですか、哉太先輩」

 女の子ってコワイ。猫っかぶりコワイ。あなたそんなガーリーでキュートなキャラでしたっけ。セクハラキャラどこ行った。

「お、おう……」

 哉太よ。美沙のような美少女が幼馴染なのに、女の子に免疫なさすぎだろお前……。ま、おとといまでは僕もそっち側だったんだけど。

 おや? 菜摘に頭撫でられてる。なんで?

「大丈夫ですよ、潤美さん。田中先輩は潤美さんだけをしっかりと気になさってます。お顔は加奈さんに向けていても、視線ではちらちらと潤美さんを窺っていらっしゃいますから」

 僕だけに聞こえる声でそう囁く。

 なにその盛大な勘違い!?

 目を見張った僕の発言を制するように、口の前に人差し指を立てて見せた。ご丁寧にウインクまでして見せた菜摘のことを可愛いなんて……思ってるけどさ。

 ううむ、個人差はあるだろうけど、中一女子って割と恋愛脳な子が多そうだもんなあ。これは何言っても信じてもらえないかも。

 そんなこちらの様子に気付いた風もなく、哉太の奴はのんびりと告げた。

「カラオケのメンバーだけどな、こちらは俺の他にもう一人で、合計五人だ。ここにいない奴、質藍敦って言うんだけど、高等部で演劇部に入部しててね。部室は中高共同だから、部活見学に行けば会えるよ」

「わー、お会いしたいですう」

 加奈の猫撫で声に苦笑していると、菜摘と目が合った。

 その目は「ごめんなさいね、こういう娘なのよ」とか言い出しそうな、残念な我が子に代わって周囲に赦しを求める母親もかくやという慈愛の光を湛えていた。小学生時代の二人の友人関係を一瞬で理解した気分になってしまう。

 思わず菜摘にハグ。

「苦労してきたんだね、菜摘ママ」

 てっきり、「何のこと?」などと返されると思いきや。

「わかってくださる? 潤美さん」と言いつつ抱き返された。

 意外とノリのいい娘である。

 目を丸くする哉太と加奈を尻目に、演劇部の部室へレッツゴー。

 と思ったら加奈にハグされた。

「よくわかんないけど仲間外れは嫌」

 正面からだから胸は揉まれなかったよ。

「はいはい」

 今の加奈は菜摘の娘ポジションなんだぞ。背中に手を回してとんとんしてあげた。

「何? それが潤美ちゃんたちの挨拶?」

 おいこら哉太。てめえ、なに両手広げていやがる。

 僕はにっこりと笑顔を浮かべた。

「ごぶ」

 イケメン先輩(加奈の評価)の腹にグーパンのプレゼント。

「もちろん冗談だってばごめんごめん」

 くそ。潤美の腕力では奴の腹筋に押し返されただけだ。へらへら笑いやがって。

 ちょっと菜摘やめて。なんで頭撫でられてるの僕。


【警告。ヤイダの気配。脅威度F】

 アルガーの声に口許を引き締める。

 近くに矢井田先輩がいるのか。こちらを監視してるってこと? 僕は何か準備する必要がある?

【いいえ。向こうは、マスミ様が私の宿主かどうかについて、どうやら確証を得ていない様子です。ここは静観で】

 わかった。

【こちらとしては今のところ、ワーム除去作業がスムーズに行えるよう、校内の至るところに仕掛けを施している最中です】

 仕掛け?

【はい。上位管理者様がこの地域に施していた憑依妨害フィールドが、先日の世界改変で弱体化していましたので、その補完を】

 アルガーってさ、その手の調査いつやってんの。

【主に授業中と、あとはマスミ様がお休みになっている間に。ところで、少なくとも数日は、マスミ様が直接のターゲットとなる心配はないと見ております。向こうから攻撃してこない限り、マスミ様は知らぬふりを続けてください】

 わかっ——

【お待ちを。ヤイダが何か呟いています】


「ち。奴の気配が日増しに強くなる。新しい宿主はやっぱり妹か」

 矢井田先輩の声だ。アルガーが集音したのか。

「あの子、今んとこただのドジっ娘にしか見えないよ。クラスメイトに簡単に背後とられて胸揉まれてるし」

 女の子の声だ。クラスメイト——あの場面を見てた? ああ、矢井田佳織か。待て待て、誰がドジっ娘だって?

「……んなドジキャラがバスターな訳がないか」

 くっそ。矢井田先輩にまでドジキャラ認定されちまったぜ。なんか悔しい。

「たしかに適合率は血縁関係に依存しねえ。とはいえ、今んとこ他に手がかりもねえ。無駄を承知で、見張りを続けてくれ」

「任せて」


 うわあ。こりゃ教室でも気を抜けないね。

【むしろ今まで通りリラックスしてお過ごしください。その方が敵を油断させ、うまく泳がせることができるかと】

 くすん。アルガーにまでドジっ娘認定されちゃったよ。

【現在の容姿とマッチしていて大変愛らしいと存じますよ】

 うっさい。


 いつのまにやら演劇部の部室の真下まで来た。

「この階段上がったところが部室だよ」

 いや哉太よ。僕ら、ちゃんと場所わかった上で見学に来てるんだけど。

「案内ありがとうございますう。哉太先輩がご一緒してくださって、心強いですう」

「ははは」

 鼻の下伸ばしてんじゃねえ。加奈に手を出すなよ。

 ……だから頭撫でないで菜摘。


「佳織ぃ、どこぉ?」

「ちょっと、神谷かみやさん!?」

「危ない、潤美!」

 な、なに!?

 視界が揺れるのが先か、左肩のあたりに衝撃を感じるのが先か。

【思考速度を加速します。このままだとマスミ様は階段を転げ落ちてしまいます。緊急事態につき、ダメージキャンセラーコマンドを使用します。ただし、ヤイダの目があるので最小限度とさせていただきます。そこで、マスミ様におかれましては受け身をとっていただきたく】

 かなりのスローモーションで流れていく視界の中、僕は誰かに突き飛ばされたことを理解した。

 神谷さん——菜摘はそう呼んだ。

 ならば、彼女はクラスメイトの一人、神谷美香みかだ。走り去る背中に見覚えがある。昼といい帰りといい、足早に教室を離れる佳織をいつも追いかけてた子。

 背は潤美ぼくより五センチほど高い程度だが、肩幅が広く腰回りも逞しい。

 そんな彼女に僕は木の葉のように吹っ飛ばされた……などと言うのは大袈裟だな。故意に突き飛ばすなら背中を狙うのがセオリーだろう。

 おっと、せっかくアルガーが思考加速してくれているんだ。まずは我が身を守らなきゃ。

 視界に迫る下り階段。思考は加速されていても身体は通常の速度でしか動かない。

 最善の受け身方法を脳裏に描いてみる。

 だけど階段落ちなんてやったことないぞ。とりあえず頭、腰、胸の優先順位で身を守るとして、この思考速度ならあの手が使えるかな。

【マスミ様の安全は確保できました。思考加速を解除します】

 ちょ、アルガー!?

「ひゃん」

 慌てふためく僕の身体は、階段に落ちることなく静止した。背後からがっちりと抱きとめられたのだ。

 助かった。

「ありがと加奈……」

「お、おう」

 げ、哉太。

「…………」

 気付けよ。

 だから、いつまでそうしてるつもりなんだ哉太。

 あ、わかった。どうしていいかわからずに固まってるな、これ。

 まるいところ、がっちり掴んだままだぞお前。だから加奈だと思ったんだ僕は。

「あのさ、哉太兄。もう大丈夫だから。手、離してくれる?」

「あっわっ」

 全く。似たような状況を経験してるだろうが。


 昔、美沙と遊んでたとき、あいつ登った木から落ちそうになったんだ。

 一本高い枝にいた僕の伸ばした手は届かなくて。でも彼女と同じ枝にいた哉太が抱きとめたんだ。

 ちょうど今と同じような形でね。

 当時の美沙はまだぺったんこだったし、助けたことに感謝もしてたけど。

 木から下りた哉太の頬にはくっきりと赤い紅葉マークが張り付いてたな。


「ありがとね、助かったよ」

「いや、こちらこそありがと……じゃねえ、ごめん潤美ちゃん!」

 哉太は自分の両手を見た後、腰の後ろに回して、どこぞの軍隊かというような直立不動の姿勢をとった。

 思わずくすくす笑ってしまう。

「え、な、なに?」

「なにしてんのさ。美沙じゃあるまいし。ぶたないよ、僕は」

「ああ、あの時の! あれ、潤美ちゃん、あの時いたっけ?」

 やっべ。あの思い出、小二の頃じゃん! 潤美が連れ子として御簾又家にやって来たのはいつって設定だっけ。

【ご尊父とご母堂の再婚はマスミ様が小一の時。時期的には問題ありません】

 でも、四歳や五歳の幼児が鮮明に覚えてるのは不自然か。

「お、お兄ちゃんから何度も聞いた話だからね」

「くっそ。倍巳のおしゃべりめ——」


「ごめんなさい、潤美!」

 大声にびっくりして振り向くと、神谷さんが土下座していた。

「立って、神谷さん。ほら、僕なんともないから」

 彼女の肩に優しく手を置き、腕を取って引っ張り上げようと試みる。ううむ、潤美の筋力ではびくともしない。加奈が手伝ってくれることで、ようやく立たせてあげられた。

「……だってさ。よかったね、美香。でも、廊下は勢いよく走るところじゃないぞ」

「もう充分反省しましたよね。神谷さん、次からは気をつけてくださいね」

 立ち去るとき、何度も振り向いて頭を下げる神谷さん。にっこり笑って手を振っている時、アルガーがまた集音をしてくれた。


「佳織、女の体当たりで木の葉のように吹っ飛ぶやつがバスターの訳がねえ。監視は不要だ、いくぞ」

「本当にそうかしら。ドジなフリ、という可能性だってあるわよ」

「まあ、慎重になるのが悪いとは言わねえ。俺たちの侵略、これまでに何度も潰されて来たんだからな」


 気配が遠ざかるのを感じつつ、背筋がぞくりとするのを堪えることができなかった。

 でも僕、とりあえず自覚した方がいいかも。

 この身体、ドジっ娘属性というか。被ラッキースケベ体質かもしんない。

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