第4話 目覚め

 目を開けた。

 どこだ、ここ。僕の部屋の天井じゃないぞ。

 とりあえず、起きよう。

 あ。シャンプーの匂い。長い髪が頬をくすぐって肩にこぼれ落ちる。

 毛先を追って視線を下げると——あ、これ出身中学のセーラー服だ。例によって胸の部分が張り出している。

 スカートが膝上丈。てか、太ももかなり見えてるよ。中学の時に見慣れた、平均的な女子生徒のスカート丈。幼馴染みの美沙に聞いたけど、ウエストのところでくるくる巻いて調節するらしいね。服装チェックの時にこの長さだと校則違反なんだよな——なんてことはどうでもよくて。

 また女体化の夢か。二日連続じゃん。あれか、敦の話を聞いたからか。僕自身は、女装に興味はないってのに。

「夢だってはっきりわかってるんだから目が覚めても良さそうなものなのに」

 普段の自分を上回る高い声。まあ予想してたからわざと低めに発声してみたけど自分の声じゃないね、やっぱり。

「で、今回の夢はどんな展開なのかな、と」

 ま、いっか。ここは開き直って、夢の世界を楽しむとするか。


『こちらの存在が感知されたのは間違いない』


 なんだ? 壁の向こう——隣の部屋か。誰かが喋ってる。

 息を潜め、壁に耳を押し付けた。

 長い髪を耳の後ろにかきわけて。……まったく、無駄にリアルな夢だよ。

 罪悪感はんぱないな。夢とは言え、盗み聞きだもんね。それでも聞いちゃうのは、やっぱりほら、夢の中だから自分が中心の世界なのであって、自分が蚊帳の外に置かれるのは違うというか……って、誰に言い訳してるんだ、僕は。


『だが、あの後こちらへの攻撃はおろか接触さえなかった。なぜだ』

『推論だが、敵はまだ除去能力を持ち得ていないのではないか?』

『完全には覚醒していないのか。ならば、今が好機だ。ナビだけ破壊できれば面倒はないが、場合によっては敵マスターごと——』


 内容さっぱりわからん。攻撃だの破壊だのと。テロリストかよ。寝る前、それっぽい小説読んだりドラマ観たりしてたっけ? あんまりその手の作品好きじゃないんだけどな。チラ見したのが頭の片隅にでも残ってたのかな。

 てか、どっちかと言えば今の僕、某国民的時代劇に登場する忍者みたいだ。廻船問屋とお代官様の会話に聞き耳立ててるような感じ。もちろん、壁の向こうの連中が悪役ってことで。

 だって、なんだかすっごく怖い感じの遣り取りだし。


『こちらのマスターは完全にスレイブ化できているのか』

『まだ途中だ』

『そうか。敵マスターの名は聞いたか』

『ああ。だがなにせ、男だからな。敵マスターが男だったことなど、過去に例はない。存在を感知したのがそいつなのかどうかも、まだ確定とは言い難いのだ』

『ふむ。しかし、“目が合った”のだろう? なら、用心に越したことはない。構わん、疑わしきは排除だ。……それで、名前は?』

『御簾又倍巳』


「僕かよ!」

 げ、声出しちゃった。


『誰だっ』

『妹の部屋だが……、声が違うぞ』


 夢だろこれ。なのになんでこんなにドキドキしてるんだ僕。

 いや理屈じゃなくて、夢だろうとなんだろうと怖いもんは怖いってば! 何となくだけど、見つかったらやばいと直感が告げているんだ。フルボリュームで。


【アルガーよりマスターへ。管理者権限レベル1により、防御プログラムを実行します】

 出たよ幻聴さん。でもなんか頼もしい感じ。ところで僕は何すればいいんだろう。

【特に何も。潜伏期間および活動期に入ったワームには自動除去が効きません。転移コマンドを実行しますので、マスターはなるべく心を穏やかに保ってください】

 なんだよ、マスターって。僕は倍巳だ。

【了解いたしました、マスミ様。では、私のことは幻聴ではなくアルガーとお呼びくださいませ】

 様って、僕そんなに偉くないし。はぁ、もういいや。多分、そんな押し問答をしている場合じゃなさげだし。

【続けます。ヤイダは確証を得られぬままこちらを——マスミ様を敵と認識したようです。本日の学校では是非、昨日よりも充分に周囲に気をつけてくださいませ】

 ヤイダって……ああ、ぴゃっ先輩か。えっと、敵? たしかに怖かったけど、敵だなんて大袈裟な。

【ヤイダ自身が敵なのではなく、ワーム憑依により一時的に人格に影響が出ているものと思われます。そこで、マスミ様がミューテーションを完了されるまでは、ヤイダとの接触を極力避けていただきたく】

 何度かミューテーションって言葉を聞かされたけどさ。それ、何?

【音声でお伝えするには限界があります。マスミ様はすでに昨日の夢、およびこの夢でもご体験中です】

 ん? 体験済み? んん?

【残念ながら時間がありません。詳しいご説明はミューテーション完了後に。できれば、覚醒時にも私の声に耳を傾けていただけるともう少し予備知識を蓄えていただけるかと思うのですが】

 なんだか愚痴っぽいなあ。夢なのに生身の相手としゃべってるみたいだよ。

 部屋の扉をノックする音が響いた。僕は思わず肩をはねさせてしまう。


佳織かおり、開けるぞ」

 ぐえ。矢井田先輩の声じゃん。そういや、壁越しの声の片方、この声だったな。……ってか、昨日の不良っぽい態度は演技かなぁ。普通の兄ちゃんっぽい声のかけ方だぞこれ。おかげで盗み聞きしている間は全然気付かなかったよ。


【ドアを開ける瞬間がベストタイミングです。目を閉じてください——今!】

 こう?

 ————っ!?

 ぎゅっと閉じた瞼越しに光が乱舞する様子がうっすらと感じられる。

 よくわかんないけど今目を開けたら腰抜かしそうな気がする。


【逃げ切れました】

 体感時間はものの数十秒ほどだ。たったそれだけの間大人しくしていただけで、光が感じられなくなった。

【もう目を開けても大丈夫ですよ】

 声——アルガーにそう告げられ、恐る恐る目を開ける。

 おお、僕の部屋だよ。なんだかほっとした。

 夢だけど。夢なんだけど。臨場感があるっていうか。妙にリアルなんだもん。

 深呼吸して、落ち着いて、と。

 改めて女子中学生コスプレ——というか身体ごとだけど——の自分自身を視界に収め、げんなりしてしまう。

 いやだってさ、この春から晴れて男子高校生になったんだよ? 刈り上げまでして気合い入れてるのに、中学生に逆戻りした上に女体化だなんて。それも、たまに見る程度ならまだしも、二日連続で。


 あ、そうだ。よくわかんなかったんだけどさ。さっきまでいたのって矢井田先輩の家?

【その通りです。昼にマスミ様がマーキングしてくださった上、近所に住んでいたこともあって楽に見つけることができました】

 どうでもいいけど、こちらが声出してないのに意思疎通できるなんてへんな感じ。まるで僕の脳内にでも住み着いているみたいな。

【大体そのようなご理解でよろしいですよ。マスミ様が心の中で私の名前を呼んでくだされば、いつでもナビゲートさせていただきます。ところで、敵側についてなのですが】

 なんだよ敵側って。自分がヒーロー物の主人公にでもなったみたいだよ。もう、そんな歳じゃないってば。あ、この容姿なら魔法少女ってところか。

 ……突っ込まないでね。顔から火が出そう。

【ワームの方は無意識レベルへの浸食をするそうでして】

 スルーですか。……まあ、ありがたいんですけどっ。

【少なくとも覚醒時には、本人には全く自覚がないのが普通だそうです】

 なにそれ怖い。悪霊の憑依って感じじゃん。いったい何のために?


 ——ピピピピピ!


 聞き慣れた電子音。あ、これ目覚ましのアラームだ。

【もっとご説明したいところですが、どうやら時間切れのようですね。マスミ様におかれましても心の準備が必要かと思いますので、できれば覚醒時にも私の言葉をもう少し聞いていただければ、と……】




 見慣れた天井。

 はい、二日連続女体化の夢からの覚醒、と。やけにはっきり覚えているんだけどさ、夢のワンパターン化なんて疲れが溜まりそうで嫌だなあ。

 なんて、考えてる場合じゃなかった。

 朝だ朝だ。ご飯と弁当の支度、急がなきゃ。


 * * * * *


 快晴。入学式からずっと、春の陽気に恵まれてる。

 そんなわけで、この昼は例の三人——哉太と敦と僕——で屋上に来ていた。

 ちなみに、購買で昼飯を買った哉太によると、「焼きそばパン以外にはろくなものがない」とのこと。もっとも、「ろくなもの」の基準は人それぞれなんだけどね。

 矢井田先輩については、あれだ。向こうが一方的に言ってただけだし、馬鹿正直に付き合ってあげる義理なんてないもんね。


「鉄ちゃん——矢井田先輩は、もともとあんな人じゃなかったんだけど。なにがあったんだろう」

「高校デビューってやつじゃね? 敦が気にしても仕方ないって」

「わかってるよ、哉太師匠」

 あ、普段から師匠呼び確定なんだ。

 しばらく雑談をしてみて、僕と哉太はすぐに気付いた。

 放っておくと、敦の話題は必ず女の子のファッションとメイクの方向へと流れていく。

 これって多分、孤立パターンだよね。男の子からは敬遠され、女の子からは気味悪がられるという。

 哉太と目配せし、話題の流れを断ち切る。

「そ、そういえばさ、敦は決めた? 部活どうするか」

「学校に拘束される時間がもったいないよ。女装できなくなるから」

 うわあ。

「じゃあさ、今度の週末カラオケでも行かない?」

「着替える時間をもらえれば喜んで」

 あーはい、そうだね、そうだよね。

 哉太、頼む。……ってこら、目を逸らすな。首を横に振るなああ。


【警告。ワーム反応、接近中。脅威度D。避難場所なし。管理者権限レベル1により、憑依個体の迎撃プログラムを実行します。マスミ様、軽くウォームアップを】


 なにごとかと考える前に、僕は箸を置いて立ち上がり、ストレッチを始めてしまった。あれ、こんなことするつもりなかったのに。なんでだ僕。

「倍巳、どうした。飯の最中に行儀わるい奴だ——」

「よう、お前ら。こんなとこにいたのかあ」

 哉太の言葉を遮るように、あの声がした。

 声の出所には制服を着崩した例の人物が。

「げ、出たなぴゃっ先輩」

「誰がぴゃっ先輩か。敦、いいこと教えてやるっつったろ。お前ら、三人とも演劇部に入れ」

「…………」

 哉太に対して律儀に突っ込んでから本題に入る矢井田先輩。敦は表情を変えず、答えようともしない。

「……はぁ?」

「それのどこがいい話なんですか」

 無言の敦に代わり、哉太と僕が聞き返した。

「誰にも迷惑かけず、堂々と。女の格好できるっつってんだよ。どうだ、敦」

 うーん? それが本当なら敦にとっては悪い話じゃないかもしれないけれど。

「よく言うぜ。目立つカッコして新入生びびらせるような声のかけ方して。その時点ですでに俺たちに迷惑かけてんすけどねぇ、ぴゃっ先輩」

「ああっ!? やんのかコラぁ」

 キレた。なにこの沸点の低さ。

 あ、遠巻きに見てた同級生も上級生も、みんな屋上から校舎へと避難していくよ。基本、君子危うきに近寄らずをモットーにしてる人たちばっかりなのかな、この学校。


【増殖コマンドを検知。敵ワームは、分裂した上でマスミ様含む三人への憑依を狙っていると思われます。ですが、私が宿るマスミ様が憑依される危険はございません】


 ずい、と一歩踏み出す。睨み合う敦と矢井田先輩の間を遮るように。

「あっ、おい倍巳——」

 僕の背後で哉太が抗議混じりの声を出す。まるで、『この喧嘩は俺が買ったのに』とでも言いたいかのように。もう中学生じゃないんだから落ち着こうよ、哉太。って、僕が言えた義理じゃないんだけどね。

「哉太は敦のそばについてて」

「なにカッコつけてんだチビがあっ」

 先手必勝とばかりに矢井田先輩が掴みかかってきた。

 突き出される右腕。

 余裕を持って左に避け、こちらの右脇に抱え込む。

 素人だ。重心が高く、安定が悪い。

 体重の乗りすぎている左膝の裏側を素早く蹴る。

「おわ!」

 バランスを崩し、上体が仰け反る。


【重力操作コマンド実行。怪我をさせず、意識だけ刈り取ります】


 やりすぎた。このままだと矢井田先輩は後頭部を強打してしまう。


 ——ふわり。


 僕は目を疑った。

 まるで鳥の羽が落ちるかのように、矢井田先輩の体が落ちる。

 さらに目を疑うことが起きる。

 一瞬、不自然な上下動が。

 その動きの直後、焦るばかりだった矢井田先輩の顔面が弛緩し——白目を剝いた。

 これってまさか。

 こんなの、御簾又流柔術で実現できるような動きじゃない。

 重力操作。そんな、非現実的な。……いや、でも。


「大丈夫か。というか、お疲れ、倍巳」

「て、鉄ちゃん」

「大丈夫。あと、矢井田先輩も怪我させないように寝かせただけだから。すぐに目が覚めるよ」

 僕は嫌でも確信せざるを得なくなった。


【容れ物であるヤイダの失神により、ワームはしばらく行動できません。すみやかにこの場を離れることを推奨します】


 ——この声は、幻聴なんかじゃない、と。


 * * * * *


 その日の帰り道。

 例によって買い物するために寄り道した僕は、一人で路地裏を歩いていた。


【申し訳ありません、マスミ様。ワームの気配がないので見過ごしておりましたが——囲まれております】

「えっ?」

 思わず間抜けな声を上げてしまう。ふと正面に目を凝らすと、男が声をかけてきた。

「御簾又倍巳だな」

 あれは、うちの高校の制服。あんなわかりやすい不良さん、他にもいたんだ。……って、三人はいるぞ。矢井田先輩と似たような格好の人たちが。

 びくっとした。背後からも足音が。これってもしかして。

 振り向くと、いた。後ろにも三人の不良さんが。

「な、何の用でしょうか」

 幻聴さん、じゃない、アルガー。身に覚えがないけど、とにかくピンチだよね僕。なんとかなんない?

【力不足で誠にすみません。ワーム憑依個体でない相手に、管理者権限レベル1では手出しができないのです】

 最初に声を上げた男が目の前まで歩いてきた。

「鉄のヤロウはバカだが、新入生にやられたとあっちゃ放置できないんでね。入学早々なんだが、二週間くらい入院でもしてろや」

 相手のすねを蹴って逃げようとして——そこまでだった。


 ゼロ距離から聞こえる打撃音をわずか数回聞いたところで気が遠くなってきた。

 痛い、という感覚はとうになくなり、気が遠くなる中でも熱い、という感覚に苛まれている。

 やがて目の前が真っ暗になり——


 * * * * *


 朝だ。

 僕の起きる時間はまだ日の出前なんだけど、春の陽気が感じられる。

 今日もきっと晴れる。

 伸びをしよう。

「うーん」

 あれ。この高い声。

 シャンプーの匂いと共に長い髪が頬をくすぐる。またしても例の夢なのかな。


【いいえ、マスミ様。現実です】


 何言ってんのさ。

 僕はカーテンを開ける。

 髪が乱れ、思わず手で押さえた。

「この風、この匂い……。え、これ……、現実!?」

 遠近感に齟齬がない。

 今までの夢はリアルと言っても細部がぼやけていて、夢だと確信が持てるほどだったのに。


【おめでとうございます、ミューテーションが完了いたしました。本日からあなたは女子中学生として、朝北あさきた中学に通うことになります】


 いやそれ先月卒業した母校だから。


【敵ワームの脅威度が上昇しており、この地域のフラグメンテーションは想定を上回りつつあります。こちらとしては、それを逆に利用することにしました】


「あら、早いのね潤美ますみ。今日くらいは母さんがお弁当作るから、ゆっくり顔を洗っていらっしゃいな。朝シャンする時間もあるわよ」

「か、母さん……」

 なんでだよ。僕、女の子になってるんだぞ。なんでそんなに普通なの!?


【最大限のサポートをいたします。残り十一体のワーム、一緒に楽しく除去いたしましょう】


 いや何言ってんのさ、アルガー。


 こうして僕は二巡目の中学登校を迎えることになる。なぜか女の子として。

 人生で最大の混乱に満たされた目覚めだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る