第3話 七日目にさぼった神に感謝しろ

 次の日、朝早くから栃木の山奥まで車を走らせた。朝食も摂らずだったため、途中、高速のサービスエリアで腹ごしらえをしようと立ち寄る。


 気候も良くなってきており、梅は咲いたが桜にはまだ少し遠い。しかし行楽に向かう人々でそこいらは既に溢れている。


 今日は無理を押して見合いの日取りを確保した。俺の立場じゃ早々公休が満足に取れない。いついきなり呼び出されてトンボ返りしなければいけないかもしれないため、仕事用の携帯電話は肌身離さず持っている。昔ながらの二つ折りの携帯だ。


 確実に週休二日が取れる奴はいい。手放しで与えられる休日という余暇は本来感謝すべきものである。


 一日は七日目にさぼった神に感謝しろ。もう一日はゆとり教育を推進した会社に感謝しろ。俺はそのどちらの恩恵も預かってはいない。与えられた休日はない。休日は奪い取るものなのだ。


 会社は中堅どころの電子機器メーカーで、業界でも相応に名前が売れている有名企業である。福利厚生も社会保障もしっかりしてはいるが、それは一般的な社員に対してだ。俺の部署は公休がとれない、定時がない“遊撃手”という異名をとる技術営業三課で、営業成績が全てである完全歩合制であるから、働けば働くほど、動けば動くほど収入の見込みは大きくなる。その中でもエース営業マンである俺は、俺のために休日を創出しなくてはいけないのだ。誰にも感謝する理由がない。そういう立ち位置に居る。与えられているお前らとは違うんだ、俺は。


 足元をちょろちょろと走り回るガキが鬱陶しい。それだけじゃなく学生の集団やらが騒がしい。おかげで店内のフードコードは満員だ。――ああ、そういえば春休みって奴か、今は。


 食事を摂るのを諦めて、露天のホットドッグとコーヒーで腹を満たす。サンドウィッチやハンバーガーの類は嫌いではない。片手で“ながら食事”ができるからだ。時間の節約になる。  

 

 由来はサンドウィッチ伯爵がポーカーに夢中になるあまり、食事の時間を惜しんだため発明された、などという逸話があるが、まあ多分嘘だろう。このような品のない食べ方は上流階級ではなく、まず下層の労働者から生まれたと考えるほうが自然だ。伯爵が食べる前にそれらしき食べ物は既にあった、だろう。


 コーヒーを飲み終えると、先月までの癖でつい内ポケットをまさぐってしまう。タバコは先月やめたのだった。


 満腹とは言い難いが、どうせ昼から豪奢な日本料理を嗜むことになる。最初からやる気のない見合い。結婚する気がないのだからやるだけ無駄なのだ。相手がどんな女性であれ関係ない。なんて無駄な時間を過ごさねばならないのだろうかと憂鬱になりだした。


 心底嫌になってきた。酒を飲むこともできず、まるで興味のない女性と相対するなど。


 料亭旅館の庭に車を滑り込ませると、早速和服の叔母が駆けつけてきた。


 昔から身なりにはうるさい叔母だから、一切の突っ込む隙を与えまいと今日のために一通りのセッティングはしてきたのだ。髪が耳にかかっているだけでも文句を言う叔母だからな。


 だが、今回は文字通り、お仕着せ同士が通り一遍の会話に終始するだけだ。意味も中身も目的もない。


 そんな俺の思惑に違いなく、宴はつつがなく行われた。言葉少ないありきたりのやりとりが続いた。ペラペラとしゃべり続けたのは叔母と相手方の母親だけで、俺と見合い相手の彼女は苦笑いしながら互いに目を合わせるのみだった。


 例のごとく叔母と相手方の両親が座を辞し、二人きりになると旅館の庭園を散歩するなどというお馴染みのシーンが繰り広げられる。


「お仕事、お忙しいんですね」


「正直なところ、そうですね。明日も朝から会議がありますから今夜中には戻らなきゃいけません。慌ただしくて申し訳ないんですが」


「斉木さんはお仕事が好きですか?」


 この質問、何度目だろうか。俺が忙しい身だと聞くと、多くの女性はこの質問をしてくる。俺にはそれが“仕事と家庭どちらが大事ですか”と問われているようで気分が悪い。だから俺はいつもこのように答える。


「いえ、仕事が好きというよりも、頼りにされているという実感が欲しいのですよ。そこに喜びを感じています」と。


 臆面もなく振り袖という、お仕着せの彼女は三十五歳。今までは地元企業の派遣社員をやりながら、親元で暮らしてきた。多く貯蓄があるわけでもないし、壮大な夢があるわけでもない。趣味らしい趣味がないのは俺と同じだが、俺はこの女性のどこに魅力を感じればいいのだろうかと考える。


「そうですね、人は誰かから頼りにされてこそ輝けるものだと思います。人は一人では生きてはゆけないっていいますものね」


 結婚さえすればあとは自然発生的に子供が生まれ、互いに父と母という称号を得て、それらで形成される家庭を維持することが最大の目的となる。彼女が得られない経済力と、俺がこなしきれない生活力を互いに補完しあい形成する家族。ならばあなたである必要などなく、家事代行でも家政婦でも良い。


 俺が欲しいのは家庭ではない。子供だって欲しいと思ったことなどない。俺が欲しいのは時間だ。人生を豊かに生きるための時間だ。


 俺は庭の飛び石を歩みながら、ふとあの『時間屋』の女性を思い出していた。


 そこへ突然胸ポケットに差し入れていた仕事用の携帯電話がバイブで着信を知らせてきた。俺は彼女に、失礼、と一言断ると場を離れて電話を耳に押し当てた。


 こんな時に電話がかかってくるということは、某かのイレギュラーが起きたに違いないのだ。慌てた様子で電話をかけてきた取引先の本部長に対し、俺は冷静を装いつつ、慎重に耳を傾けた。


 話は、先日納品した制御機器の起動プログラムが、あちらの社員のミスで滅失してしまい機器が起こせないという内容だった。技術営業である俺は機器の設計からソフトの組み上げまでを任されており、それは社内であっても共有しているデータではない。無論コピーは残してあるが、納品を終えた直後でバタバタしたままであったため、俺のノートパソコンに入ったままになっていた。


 今晩中に戻るのでそれからでは無理かと問うと、夕方までに動かさなければプロジェクトそのものの存亡に関わるという。そうなればあなただって困るだろう、と脅しに近い言葉まで添えられた。


 納品は一週間前だ。なぜそれまでに試験運転をしていなかったのか、起動プログラムのコピーは取っておいてくれとあれほど言っておいたのに。もっともコピーを社のアーカイブにアウトプットしていなかった俺も悪かったのだが、憤慨は抑えられない。


 今から直ぐに自宅まで車をとばしてもギリギリ。渋滞にでも引っかかろうものならアウトだ。リモートでパソコンが操作できれば添付ファイルの送信で事は済むのだが、俺の手元の機器はそのような機能を持ち合わせてはいない。無論社の人間に言ったところでどうにもなるまい。


 万事休すだ。今更どちらが悪いなどと言っても仕方がない。


「どうかなされたのですか?」


 俺の心中に反し穏やかな表情を浮かべる彼女を一瞥し、黙り込む。なにか回避する方法はないか。例えば俺の部屋に入り込んでパソコンを操作してくれる人がいればいい。


 そんな泥棒みたいな奴いるものか……。


 いや、


 時間屋……彼女ならどうだ?


 彼女は言った。あなたの時間を作るためのあらゆる行為が可能であると。

 本当にそんなことができるのか?


 奇しくも彼女の名刺が俺のやや汗ばんだ手の中にあった。俺はもらった名刺をホルダーに管理するまでふたつ折りの携帯電話に挟む癖がある。忘れないためにそうしている。だから電話を開いた時に彼女の名刺を手に持っていた。


 やむを得まい、彼女がもしそれをできるのであれば一番の解決策だ。出来ずとも元々。


 俺の部屋に入りパソコンを立ち上げ、社外秘でもあるデータを開示することは、公私ともに手放しで晒すことになる。何の信頼関係も築いていない相手を全面的に信用するのもどうかとは思う。最悪の事態も想定はできる。だがその被害率を考えれば俺の周辺問題で片付く。いま直面している問題に比べれば瑣末なことだ。


 かくして俺は彼女に連絡を取った。細かな規約を説明されたがあまりちゃんと聞いてなかった。それより何より即時対応してくれることを望んだ。そして彼女は二つ返事で依頼を受けてくれた。


 マンションの管理人同伴のもとで部屋の鍵を開け、俺のパソコンを起動、パスワードを入力、俺のナビゲートの元、指定したファイルを暗号化し取引先のメールアドレスに送信する。それだけだ。


 彼女が行った作業時間はほんの十分、管理人との折衝を含めても三十分。


《ご依頼の作業は完了致しました。先方へのご確認をよろしくお願いします。あとこちらに請求書を置いておきますので、お帰りになられましたらお支払いにいらしてください。では失礼いたします》という言葉を最後に電話は切れた。


 見合いの相手を完全に蚊帳の外へ置いたままのこの三十分間。俺はいささか申し訳ない気持ちを携えながらも、取引先に一報を入れる。


 当然というか、本部長からは快い感謝の言葉を得られた。そして、一体どうやって? と問われたが、そこは有耶無耶にして笑いのけた。まさか外部の人間に頼んだなどとは口が裂けても言えない。


「すみません。火急の用事で」


「いいえ、お仕事ですもの、仕方がないですね」


 見合い相手の彼女の物分りの良すぎる言葉に辟易した。仕事だからどれだけ待たされても仕方がない。一体いつまでそんな物分りが良いままでいられるだろうか。結婚するまでか? それとも子供が生まれるまでか? 俺には耐えられない。他人の時間を待つなど。



 夜、叔母の家で適当な挨拶を済ませて俺は帰路へつく。晩御飯を食べて帰ったらどうかと言われたが遠慮した。どうせ今日の見合いの手応えを確かめるための口実に過ぎないからだ。


 夜の高速で走っていると猛烈にタバコが吸いたくなった。面倒事が公私ともに気持ちよく終わったことがそういう気分にさせるのだろう。だが、サービスエリアではブラックの缶コーヒーを買うにとどめて、自宅へと急いだ。


 俺は例の雑居ビルの階段を昇り、薄暗い廊下を早足で歩いて『時間屋』の扉をノックした。手に握った請求書はまずまずの額が記載されており、流石に面食らった。依頼した手前、請求に対しどうこういうのは野暮なものだが、説明が欲しかった。


 彼女は昨日とは打って変わって、スタイリッシュなビジネススーツで出迎えたので、一瞬店を間違えたのかと思った。


 彼女は当然といった風に微笑み、昨日と同じように俺に着座を勧める。


「少し説明が欲しいんだがね」


 声のトーンはわざと低くした。危機的状況を彼女のおかげで回避できたことは感謝したいところだが、手放しというわけにはいかない。


「最初に説明させていただきましたとおり、内訳は契約基本金三万五千円と、あなたが本来得られるべきではない時間に対して、算出したのがそちらの金額です。つまりあなたが栃木県から折り返して来る時間、その結果失われる信頼性や、関係者各位が被るであろうリスク、業務を履行できない可能性と、その結果負わねばならないリスクを勘案した結果です」


「そうだとしても君が実働したのは三十分足らずだろう。未定事実を根拠に話をされても困る」


「では、あなたは、あなた自身が行動していれば確実に危機を回避できたと断言できますか?」


「それは……いや……しかし……」


「確実に危機を回避できる策として『時間屋』のサービスを利用なさったのではありませんか? 最初に規約は読み上げさせていただきました」


「確かに……そうだ」


 そのはずだ。あの時は必死で覚えてはいなかった。そして契約と同時に仕事を依頼した。


「契約期間は一ヶ月です。その間、再びサービスを利用するかどうかは斉木さん次第ですよ」


 彼女は屈託のない笑顔で俺に向けてそう言った。


 別に今回の請求が払えない額ではない。正直助かった。もしも間に合っていなければ、俺はプロジェクトを潰した張本人として吊し上げを喰らう。下手すりゃ間接部門に飛ばされる。それは俺の人生における多大なるリスクだ。今回支払う額の比ではない金銭を失うことになっただろう。そうも考えれば安いサービスだったとも言える。


 この『時間屋』のシステムを自分なりに納得し要と努力した。だが、金輪際使うことはないと心に決めて、店を出た。

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