第7話

ギャリー達は貧民街を歩いてゆく。路地にいる大人も子供も彼が来たとわかると怯えを見せ、すぐに身を隠した。彼のグループが貧民街を仕切っているからだ。以前まではある傭兵団に属する者達がこの辺りを支配しており、彼らはそこまで幅を利かせていなかった。しかし、ある日からその一派は全く姿を見せなくなった。ついに王国軍か冒険者に追われて討伐されたか、遠い土地へ逃げたのだろうと彼は想像している。その瞬間的なポストの空きを彼は見逃さず、仲間達と素早く入り込み、貧民街の次の支配者に納まった。その時、やっと運が向いてきたと彼は思った。しかし、今、彼は最悪の気分であった。

「クソ」

ギャリーが普段つかない悪態が口から出た。

「ナーベは思ったよりずっと知恵が回りますね」

彼の仲間であり用心棒であるガリクソンが言った。

「ああ、クソ。本当にそうだ。こっちのペースに引き込まれなかった。交渉なら上手いこと誘導できる自信があったが、むこうはそんなものを無視して武力をちらつかせてきた。それで正解だ。本当に賢い女だ」

ギャリーはその事実に苛立っていた。手紙に金貨1枚という価格をつけたのは本当に金貨1枚がほしかったからではない。相手が怒らず、応じそうな金額として彼は提示した。ナーベがそれに応じた場合、相手の怒りのレベルを計りつつ、細かい条件を確認して話を引き伸ばし、会話の中で手紙の所有権がホーマではなく自分達にあると認めさせる気だった。そして当然のこととして手紙の内容を確認する。その企みはナーベの冗談交じりの恫喝であっさり消滅した。

「それで、ホーマから話を聞くつもりは……?」

ガリクソンは恐る恐る聞いた。

「ないに決まってるだろ」

ギャリーはガリクソンの目を見て何度か目をしばたたかせ、自分の耳をぽりぽりと掻いた。サインだった。

「……そうですか」

ガリクソンにも意味は伝わったらしい。盗み聞きに警戒しろという意味が。

「この件はもう忘れよう。それよりジャイロの件だが、あいつの口は必ず割らせるぞ」

「……ああ、あいつですね。わかりました」

ジャイロなどという名前は今初めて口にしたが、ガリクソンもそれがホーマのことだと理解したようだ。ギャリーは満足する。この件を二度と持ち出さず、ホーマにも近づかないという約束は全くの嘘だった。顔に怯えを出し、即座に逃げ出すことでこちらはあきらめたとナーベに信じ込ませる。うまくいったはずだと彼は思う。怯えていたのは事実なのだから。

しかし、念のためにここでも演技を続け、別人の名前で会話を進める。魔術師なら占術の魔法で相手の状況や会話を知ることができるだろうし、家の外では誰が聞いてるかわかったものではない。

「ジャイロの持ってたブツ自体はもう手に入らないでしょう。証拠がなくても話だけでネタになりますかね?」

「ジャイロに話を聞いてみないとわからん」

二人は架空の人間の話をしながら歩く。

「ジャイロは俺達より……えーと、アイツの側につくんじゃないですか?聞いても答えないかも」

アイツ。もちろんナーベのことだ。

「答えるかじゃなくて、答えさせるんだよ。それに、あいつは俺達に大きな借りがある。そこを突けば口を割るはずだ。あいつは痛みより不義を持ち出すほうが操りやすい」

ギャリーのいう大きな借り。ガリクソンにもそれが何かはわかっている。ホーマが儲けを誤魔化していることだ。ギャリー達はとっくにそのことに気づいていたが、あえて放置していた。いざという時に大きな要求を飲ませるためだ。今回がまさにその時だった。

「ただ、ジャイロから話を聞き出せるかはまだわからない。奴が殺されたら不可能だからな」

「アイツに消されるってことですか?」

ガリクソンは驚いた。

「可能性はある。俺達が来たから奴を消さないかもしれないが、あれくらいの上位者になると気にせず殺すかもしれない。衛兵も怖くて調べないだろう」

「なんて奴らだ。衛兵なら街の平和をきっちり守ってほしいもんです」

「全くだ」

彼らを良く知る者がこのセリフを聞けば呆れ果ててものも言えないだろう。

「待ってください。ホ……ジャイロが殺されたらそれをネタにできませんか?」

「馬鹿を言うな。証拠を残すはずがないし、どんなに間接的にやっても俺達が関わってると丸わかりだ。大急ぎで殺しにかかってくるぞ。アイツがやって来たらお前が戦ってくれるのか?」

「す、すいません」

ガリクソンは謝った。

ギャリーは何度も言っていることをすぐ忘れる仲間の愚鈍さに苛立つが、自分を抑える。中途半端に賢いのも困るからだ。

「衛兵や役人のような強者の弱みを握ってもあからさまな強請りなんてできるか。むこうが武力に頼ったら終わりだ。こっちが弱みを握っていることにも気づかれちゃならない。そういう意味ではアイツと接触したことで俺達はすでに失敗してる」

「大丈夫ですかね?」

ガリクソンは不安そうに聞く。今回は衛兵や役人より遥かに恐ろしい相手だから。

「いつも以上に慎重にやる必要がある。俺達二人はアイツとその相棒の前には絶対に出られない。接近させるなら別の奴にさせよう。気を引き締めろ。手順を間違えたら俺達は行方不明にされるぞ」

ギャリーは弱みを握った相手がある程度の武力や財力を持っていた場合、決してその人物に恨まれないように行動し、なおかつ利益を引き出していた。彼が最も気に入っているのはある商店の不正行為を知ったときの仕事だ。役人にばれたらしばらくの期間は営業停止になる。本来はその程度のネタだった。店の主人はそれを某人から隠すために汚い工作を行い、それを隠すためにさらに汚い工作を行い、最終的に懲役刑になる罪と借金を抱えるようになった。そこの娘は両親を助けるために健全な酒場で働き始め、そこから不健全な酒場へ代わり、麻薬と賭け事を覚え、最後は娼館で働くようになった。どちらも仲介したのはギャリーであり、すべては彼が巧妙に誘導していたのだが、本人達は陥れられたと今も気づいていない。利用されたことにも気づかせない。大型の獣に寄生虫のように取り付き、養分をすする。それが彼の強者に対する戦い方だった。ただし、この巧妙な犯罪には欠点もある。あからさまな強請りや脅迫と違い、時間がかかることと協力者が多いために分け前が減ることだ。それでもギャリーはこのやり方が自分の性に合ってると考える。強者に恨まれたり、衛兵に追われるのはご免だったから。

「やはり俺達がどう動くかはアレの内容次第だな。全く想像ができない。犯罪の証拠ってわけじゃないだろうが」

「どうしてです?あれだけ脅してくるってことはやばい内容じゃないですか?」

「お前なあ」

ギャリーは周囲に注意しつつ、相手に小声で聞く。

「お前はやばい事を書いた紙をそのまま捨てるのか?自分で燃やすだろう?」

「ああ、確かにそうですね」

ガリクソンは理解した。

「そこまで危険な内容じゃないはずだ。かといって無視できるようなものでもない」

ギャリーはあの紙の内容について考えを巡らせた。

(紙は5枚あった。手紙にしては長すぎる。折り目がついてないからどこかから送られてきたんじゃなく、ナーベ自身が書いたんだろう。何かの下書きじゃないか?それを一度捨てたが、誰かに盗み読みされるのが怖くなって回収しに行った。そしたら孤児が持っていったと聞かされ、慌てて探しに行った。そんなところか?どうやって手紙の場所を見つけたかはわからないが、魔術師なら難しいことじゃないんだろう)

「もう少し俺達が来るのが早かったら……クソ。過ぎたことを考えるのは馬鹿のすることなのにどうしても考えちまう」

ギャリーは頭をかいて苛立つ。逃した魚はそれだけ大きかった。

「ジャイロが俺達のところへブツを持ってきてくれたら最高だったんですがね」

「おいおい、ジャイロは臆病だから俺達に従ってるんだ。アイツを敵に回す勇気なんかあるわけない。ブツを処分して一生黙っているつもりだったはずだ」

ホーマは本当に馬鹿な奴だとギャリーは思っている。奴は子供達を守ってもらっていると思い込んでいるだろうが、もっと知恵があればギャリー達に渡す金を使って自分の武器を買うなり、子供達を自衛させるなりするだろう。どんなに才能が不足しても人は努力すればそれなりの強さを得られる。必死になれば冒険者の金クラスまで強くなれるはずで、そこから先は才能の世界だと彼は思っている。それをあきらめて他人に戦いを任せたり、慈悲にすがるのは馬鹿だ。貧民街は馬鹿の集まりだ。ここでいくら幅を利かせても自分はネズミの王様だ。だからこそ早く上に行きたいと彼は思っている。それにはもっと金が要る。

(しかし、何かの下書きだとして、一体何が書かれている?)

ギャリーは金銭目的もあるが、魔術師ナーベが隠したがる秘密に強く興味を引かれた。ガリクソンに言ったとおり、その内容は大犯罪というわけではないはずだ。しかし、見られて平気なほど小さなものでもない。あの雪のような頬が赤く染まるような秘密なのだろうか。

5枚。彼はそこがどうしても引っかかった。何度も書き直している。南方から来た才能ある若い魔術師が何度も書き直すようなこと。書き直すことで彼に思い浮かぶのは詩人の創作くらいだが、それはないとすぐに判断する。詩を書くような趣味なら失敗作の処分も手馴れているはずだ。書いていたのは慣れないことだ。魔術師。南方から来た。何度も書くこと。練習。練習。練習?ギャリーに一つの天啓が訪れた。

「練習、か」

「え?」

急に立ち止まったギャリーをガリクソンが訝しむが、今は話しかけるなとギャリーは言い、思考に没頭した。

「ありえるな」

まだ可能性の段階であるし、ガリクソンはそれほど鉄化面ではなく、隠し事が顔に出るタイプなので今は話せない。しかし、魔術師ナーベは読み書きの練習中であるという推測にギャリーは自信を持ち始めた。彼の脳が高速で計算を始める。もしも文字の読み書きができないなら、ああも必死に紙を回収する理由もわかる。この都市で文盲が軽んじられるというだけではなく、冒険者としての登録にも法律上の問題が出てくる。字が読めないなら契約書の内容も確認しようがないからだ。実際には文盲に近い冒険者も少なからずいるだろう。小さな村の出身なら珍しくもなく、仲間が読めるのだから勉強を後回しにする者や怠け者もいるはずだ。しかし、そこは問題ではない。ナーベがそれを隠したがっていることが重要なのだ。それを隠すために危険なことまでしようとする。ならばそれを利用してやればいい。

(例えば、ナーベが利用する店を探す。店員を買収するか脅して商品の受取書に見せかけた書類にナーベの署名を求める。その内容を利用して経歴に小さな汚点を作る。それを隠すために裏工作をするように誘導して、そのままずるずると……)

ギャリーの中で陰険な企みが無数に生まれてくる。彼は非常に賢かった。与えられた少しの情報から真っ白な紙の裏側に書かれたものへたどり着いたという点では賞賛されるべきだろう。しかし、彼の知能は考える方向を全く間違っていた。彼があれこれと企み、それがまとまりかけた頃、ふとガリクソンの気配がないことに気づいた。

「ガリー?」

彼は左右を見る。ガリクソンの姿はない。

「ガリー?」

彼に何も言わずに行ってしまうはずがない。来た道を振り返ったがやはりいない。誰もいない暗い路地。そこにいるのはギャリーだけだ。

「おいおい……」

彼は何が起きたのかを瞬時に理解した。ガリクソンは襲われた。透明化の魔法を使う何者かに。血痕がないから刃物は使ってない。形跡を残さないためか、気絶させて尋問する気か。彼は脱兎のごとく駆け出した。しかし、3歩も行かぬうちに何かが彼の体を抱きしめた。

「え?」

ギャリーは腕が動かせなくなり、自分の体を見るも何も見えなかった。透明化の魔法。それを思い出すが、その何かは足と首にもその腕なのか触手なのかを巻きつけた。巨大な蜘蛛が後ろから絡みつくような感覚だった。

「が……あ……!!」

ギャリーは叫ぼうとするが、声が出ない。直立して口を大きく開けるその姿はそばで誰かが見れば道化のようで滑稽だっただろう。しかし、見る者はいない。みんな彼を恐れて逃げてしまった。

(透明化したモンスター?この都市内で?召喚された?)

ギャリーは氷のように冷たい声と目を持つ魔術師を思い出す。

(あいつだ……。俺があきらめてないと見破った……。違う!そうじゃない!)

彼の思考の中に火花が散った。これもまた彼に降りた天啓だった。

(念のためだ!念のために殺しておく!俺があきらめるかなんて関係ない!)

人の命などなんとも思っていない。恐ろしい考え方にギャリーは窒息感と四肢を締め付けられる苦痛を感じながらも身が凍った。彼は人を殺したことはなかった。それだけは避けていた。

(こんな奴が最高位冒険者だと……ふざけるな……誰か……)

ギャリーの意識は闇の中に沈んでいく。最後に頭に浮かんだのは世にも美しい魔術師の顔だった。その日からギャリーとガリクソンの姿を見たものはいない。直後に彼を探す者ならいた。彼の仲間達だ。しかし、彼らもまた行方不明になった。以後、彼らを探す者はいなかった。

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